蚊の一刺しが黒い穴を穿つ-2
「あの絵画は動力ではなく魔力を用いて、〈使い魔の創造〉ではなく『始祖の技法』そのものか、それに近い手法によって近代の魔術師によって作られた。もしくは逆、何らかの形で得た動力によって〈使い魔の創造〉により生成された。恐らく前者だろうが、このどちらかを前提とする」
ふむふむ。アルカの相槌を聞きながら、菫も思考する。
先程パンに喩えて勝手に苦しんでいたが、古い材料と新鮮な材料、過去のレシピと最新レシピに当てはめると、だいぶ想像しやすくなった。
料理でもナントカ時代の作り方を再現する話はあるが、使用する食材は当然現代のものだ。その時代の食材を用意出来るわけがない。食材と違って魔力や動力に鮮度が関わるとは思えないが、
……動力を得る方法は、本当にないのだろうか。
アルカが魔力ではなく、動力と呼ばれる力を蓄えたまま長い時間を空で過ごし、今ここにいるのだから、皆無であるとは思えない。食材そのものは無理でも、種のようなものが残されたなら、もしくは……、…………。
何かが引っかかるような感覚がしたが、思考は一度打ち止めになる。
「時期は定かではないが、術が施されたのはここ数年ではない。何十年……一〇〇年近く前にかけられたものだ。画家本人か、収集家の誰かによるものだろう……どちらにせよ、術者は既に故人だ。残っていたのは滞留し澱んだ僅かな魔力のみ。少なくとも、あの絵画は画布の上を平面的に動くことすら叶わない枯渇寸前の状態だった」
「……ん?」
「え?」
実物を見ていないアルカも話や声だけは聞いている。絵画の少女は平面どころか立体的に絵の外に飛び出し、動いて喋ってとても精力的だった。
魔力の枯渇、おそらく飢餓に近い状態とはとても思えない。衰弱どころか寧ろ活力を得て成長しているようで……。
「厄介なのが、あの絵画は片岡や従来の使い魔と違い、周囲からエネルギーを搾取する性質があると考えられる点だ」
「エネルギー?」
「僕の場合は魔力を持っていかれたが、恐らく来館者達からも何かを奪っている。生命力なのか寿命なのか判別はつかないが、弱らせた分を補うように微弱だが精神干渉を受けていた」
「えっ!? 全然そんな気配しなかったけど!?」
「片岡が気付かなかったのは精神干渉に使われたのが、魔力ではなく個人の生命力に由来したエネルギーだったからだろう」
「……は? は、はぁあ!? 何だそれ!? そんなの教わってないけど!」
「当たり前だろう、焚書処分された禁術の一部だ。臓物から代用魔力を抽出する方法を覚える余地があるなら、他の有用な魔術を選ぶ」
「めちゃくちゃ犯罪者の魔術じゃん! むしろそんなもん知ってるお前が怖いわ!」
「そうか。使い魔に襲撃を受けた時に察していたと思ったが、改めて伝えておこう。君個人が現在保有している魔力を根こそぎ奪うなら、食肉するのが手っ取り早い。これは魔術や倫理を抜いた、自然の摂理に近いものだ」
「あーはいはいよくよく考えたらそうだね!? しかもあのライオンだけに限った話でもないわけだ!? うーっわ、知りたくなかったー!!」
「話を戻すが、魔力の痕跡と術後の残痕は似ているが別物だ。君は裂傷などのわかりやすい傷を探したが見つからず、今回は小さな腫れ……虫刺されの痕を見逃したようなものだ」
何をどこまで学んで知識を蓄えているのか計り知れない少年は本題に無関係だと判断し、あっさりと受け流していた。
一体何故そんなことを知っているんだろうと菫は単純に疑問を感じたが、一方でそこまで興味を持たないアルカは見落としを指摘されて悔しげに歯噛みする。
「……つまりそいつは蚊みたいな奴なの?」
「ただの蚊なら生息域を避ければ問題なかった。だが、美術館周辺の魔力の流れに異常が出ていただろう。その異常が絵画による搾取の影響だった場合、絵に接近した対象物から、自らを中心にした周囲一帯に範囲を広げている可能性もある」
「えぇー、蚊がブラックホールに進化しようとしてるの?」
「……そう例えられると冗談にしか聞こえないが……今は影響が薄くても、絵画が力を蓄え続れば、冗談では済まない事態を引き起こしてもおかしくない」
ほんの少し大袈裟に言った言葉を、昴生は至極真面目に的確な表現だと評価した。アルカは何を言われているのかわからずぽかんと口を開いて瞬きを繰り返し、じわじわと理解して顔を歪める。
あまりにも突拍子の無い、蝶の羽ばたきが竜巻を起こすような話だ。そんな馬鹿なと笑い飛ばせる空気でもなければ、実際に絵を中心に人が集まっている光景を菫は見ている。あの異様な光景が弱り切った使い魔のほんの一刺しによる影響だったとしたら、力を得た絵画の少女の行動がどれほど被害を生むのか……想像するだけで背筋が冷えた。
「……まさか、本当にブラックホールみたいに、人とか街とか吸い込みだしたりしない、よね?」
「絵画が使い魔として、何の役割を持っているかによる」
「役割……?」
「使い魔は主人の意思に沿う。情報収集や護衛の役割が多いが……月を落とす方法など、対人に依頼すれば失笑される馬鹿げた話だろうと、集める役割を与えられれば使い魔はその通りに動く」
まるで、ロボットのようだ。
――でもロボットは充電切れのアラートを鳴らしても、寂しくて鳴いたりしないわ。
八重樫と会話した時に聞いた使い魔の在り方。あの時と同じように菫は胸が詰まったような気持ちで言葉が出なくなった。隣にいる片岡アルカが、そんな風に作られたと知った今は、そんな在り方に憤りすら覚える。
「逆に言えば、それ以外の行動理由がない。周囲からエネルギーを集める事自体を目的としているのか、弱った事による補給に過ぎないのか、もしくは目的による不可抗力なのか……役割のために必要であれば、疑似的なブラックホールにもなりうる」
「そ……」
「だが、それは現状を放置した場合の話だ。あの絵画に力を与えたのは僕の失態だ。影響を広げる前に始末をつける」
迷いのない断言に安堵と罪悪感が同時に込み上げる。昴生は自分の失態だと言うが、美術館に入るきっかけを作った菫も責任を感じる。だからといって無かった事にも出来ないし、出来る事も限られているし……。菫がうじうじしている間も話は途切れない。
「不幸中の幸いだが、絵画が僕の魔力を取り込んだので大体の居場所は把握している。昨日から動きはない。こちらの準備が整う前に額縁から抜け出し、美術館から脱走しても察知し、追跡出来る。片岡に接触しようと動くなら、先読みして逃亡の指示も可能だ」
「うぇ……やっぱそいつ、絵から出てくるかもしれないんだ……」
「今更何を。鏡を見てきたらどうだ?」
「お前の眼鏡にワサビ塗ってやろうか!」
方舟から出てきた中身は、同類扱いされる嫌悪感と否定出来ない腹立たしさと、気にくわない少年の言葉選びのセンスのなさにとうとう激高し、何の罪もない眼鏡に飛び火した。本当に冷蔵庫に向かいそうになったアルカを制したのはもちろん菫である。
昴生は溜息を一つ零し、「昨日の出来事はこれで粗方話し終えただろう」と現状をまとめ始めた。
…………。菫は「そうだね」と頷いた。
「片岡の事情に関して詳細不明な点は多いが、魔術師との接触を避ける現状に変わりはない。だが、これまでより警戒度は下げても良いだろう」
「は? 何で?」
「まともな常識と正常な判断力があれば、危険地帯には踏み込まない。どちらも持たない輩がより集まったところで烏合の衆だ。あまり推奨しないが、綿毛茸の時の茅を再現すれば百人が束になっても問題なく君一人で制圧は可能だ」
「ひゃくにん、百人……」
「クラス三つ分でちょっと足りないくらいかな」
「あのくらいなら確かに、出来そう。出来そうだけど……なんか、余裕で出来そうなのがちょっとなぁ……」
「……ああ、あの夜はあれでも実力はセーブされていたのか。本気を出せば国一つ壊滅出来るんじゃないか?」
「……なんかそう聞くと、私めちゃくちゃ過ぎない?」
約九十万年活動可能の可憐な超生命体が少しばかり心外そうに呟いたので、昴生は「徹頭徹尾めちゃくちゃだ」と訂正を加えた。
「現在、片岡の息の根を止める事は可能でも、制御出来る魔術師はいない。利用したくとも生かした状態でなければ意味がない。追い込んで突発的に暴走するくらいなら、多少慢心して余裕を持った方がいい」
「え、私を殺せる魔術師はいるの?」
「いる。だが問題はない。君が街を壊滅させるほどの破壊行為が止まらないような状況……人の脅威にならなければ、あちらは敵意も向けない」
「……うわぁ。本当にいるんだ、気は優しくて力持ちみたいな人」
菫は口を挟まず、なるほどなぁと納得していた。
昴生はアルカの規格外っぷりに頭を悩ませたり、呆れた様子を見せていたが、恐れて怖気付く事はなかった。
どれほど強くてもそれ以上に強い存在を知る、そこに生じた麻痺の感覚は菫も身をもって知っている。
「……」
そう考えると、アルカの姿が変異した際に見せた行動の意味がよくわからなくなるのだが。
菫には、彼がアルカとは別の何かに対し恐怖を抱いているように見えた。気のせいだったのだろうか。
「絵画に関しては先述通り、こちらで片付ける。異論は?」
「……特にないよ。なんかほっといたら危ない奴みたいだし、私も会いたくないし」
「なら、ここで話を締める。これ以上話す事がなければ、僕はお暇させてもらう」
「あ、じゃあわたしもこのへんで帰るね」
「えっ!?」
時刻は昼前。休日のまだ明るい時間帯であったのもあり、まだ菫と一緒に過ごすつもりでいたアルカは驚愕の声をあげて菫の腕にしがみつく。
「か、帰っちゃうの!?」
「うん。今日午後から夜までシフト入ってるから。一旦帰って夕飯の準備しとかないと」
「ええぇ……う、ううう、そ……そう、だよね、バイトは大事、ご飯の準備も大事だもんね……あ、明日は?」
「明日もバイト」
「ざみじい」
「頑張りきれなかったか」
必死に我慢したものの、留まり切れず本心が漏れ出してしまった様子に菫は思わずときめいた。
一晩一緒だったとはいえ、昨日の今日だ。誰かと一緒にいたいと思うのも仕方ない。けれど、シフトに穴を開けて迷惑をかけたくないと思うのも仕方ないのだ。
また今晩泊まりに来る。明日は今日より早く家を出ちゃうけど、それでもよければ。そう約束すれば、アルカは数時間の孤独を受け入れた。
菫は昨日の荷物をそのまま。昴生も手土産を置いていったため手ぶらで。アルカの少し恨めしげな視線と共に見送られながら二人は部屋を後にした。
エレベーターに乗り込んで扉が閉まる。降下していくと同時に菫は隣に並んだ昴生の顔を覗き込むように体を捻る。
菫の顔に笑みはない。すぐに視線を逸らされてしまったが、確実に一瞬目は合った。次の言葉を察して避けようとしたのだろう。
ほう、なるほど、そういう態度をするのか。菫は目を細めてにっこりと笑顔を浮かべた。
「……ところで、昨日倒れるまで搾り取られた事をぼかしてアルカに内緒にした昴生くん。一晩休んでどのくらい回復したのかな?」
「…………」
昴生は嘘をついていない。限りなく情報を削り、端的で簡潔な状況のみを話しただけだと言えば、嘘ではない。
以前の菫であれば『どうして倒れた事を言わなかったの?』とぼんやりとした言葉で問いかけるだけに留めていた。相手の主張を聞いて、問題なければそこでおしまい。相手に踏み込まない分、相手から踏み込まれないための自衛の一つだった。
しかし、菫が習慣的なその手の嘘つきだと暴いてきた相手であれば別である。
それでも、多少白々しくなっても柔らかい言葉を選ぶ事は出来たが、やや刺々しく尋ねたのはわざとだ。
嘘も隠し事も悪だと思うが、悪が全てではないとも思っている。
知らなければ平穏である事も、見て見ぬ振りが優しさである事も、暴かない形で守られるものがある事も知っている。だけど彼の誤魔化しには、それらのメリットが感じられなかった。
「アルカには知られたくなかったみたいだから、黙って聞き流したお駄賃くらい欲しいな? 昨日がゼロなら、今は何パーセントくらい?」
「…………、八」
「はち!?」
スマートフォンのバッテリー残量で言えば、もはや風前の灯火レベルだ。スマートフォンならそれでも意外と持続するものだが、人間はそうとは思えない。
菫の素っ頓狂な声と同時に一階のエントランスホールに到着する。さっと脱出する昴生の足はやや早い。菫は負けじと早足で距離を保つ。
「昨日、休めなかったの? それとも、こういう時って二、三日は寝込むものだった? そうだったら呼び出しちゃってごめん。大丈夫そうに見えるけど、さすがにこの後帰って休むんだよね?」
「寝込むような症状はない。何だ、なんなんだ、急に。何故ついてくる、君の帰り道はあっちだろう」
「昴生くんの帰り道だってあっちでしょ!」
互いが互いの家の方向を指差しながら全く違う道を早足で並進する。
数秒続いたその状態は昴生が立ち止まった事で一時終息する。彼が諦めたように溜息を吐いて方向転換し歩き出すと、菫もそれに倣って歩く。
「……昨日、話す範囲は僕の選択に委ねると聞いたはずだが?」
「昨日は本当だったけど、さっき嘘になった。話してくれるの待ってたら、今後ずっと教えてくれないんだなってわかったから」
「わかった。君の家に着くまでは答える。何を聞きたい」
妥協する形で菫の要求を受け入れつつ、答える範囲は菫の質問の内容次第。アルカの自宅から菫の自宅までは徒歩でもそれほど時間はかからないので、時間制限付き。これは狡い方法だ。泣きながら、怯えながら、自らの正体を明かしたアルカの真摯さを昨日目の当たりにしたばかりだったのもあり、狡さが際立って感じる。
知りたい事、それはもうたくさんある。
「じゃあ、――おばけ絵画を倒しに行くのは、具体的にいつか決まってるの?」
恐らく今一番、問われないだろう質問を投げると、いくつかの定型回答を用意していたであろう彼の口がぴくりと硬直した。
「…………昨日の、僕の状態の話じゃないのか?」
「また誤魔化した。そんなに答えにくい質問じゃないのに」
どうして? と言外に問うように微笑みながら視線を流すと、昴生は黙り込む。黙ると言う事は、やはり知られたら困る事なのだろう。「先延ばしは狡いよ」と口が動かないのに足は動いている事を指摘すると足が止まる。
顔を逸らしたまま数秒、昴生は細く息を吐いてから、答えも吐く。
「…………、今晩」
「こんばんン!?」
全く万全ではないのに、たった一人で再戦に向かおうとしていた。菫だって綿毛茸の時に、黙っていたら悪いと二人に相談していたと言うのに、なのに、目の前の少年ときたら!
驚愕のあまり上ずった声が周囲に響き、電線の上で休んでいた鳩が飛び去った。
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