少剥融臓解落女

 赤ちゃんはどこからやってくるのか。

 かつての乳児で、口達者になった幼児のほとんどが通る疑問だろう。


 ■■×××もまた同じ疑問に辿り着いた事はある。自分は一体何者で、どこから、どのように、どうして生まれてきたのか。

 ■■×××に乳児の記憶はない。気付けば山の中にいて、のちの養父となる■■行光に連れられて下山した。それが、最初の記憶。

 大抵の人間は成長と共に記憶が無くなる。乳児の記憶が残る方が稀だ。そういうものだと教われば、そういうものなのかと受け入れる他ない。


 あの山で、五歳の子供が発生したなど誰が思うのか。目の前で奇跡を目の当たりにした■■行光だけがそれを知り、そして墓まで隠匿した。


 ただの子供であれ。

 願われた事で、不要と処理した記録が戻ってくる。脳を砂で揉み込まれているようだ。




『そんなことないよね、まだ見ぬあなた! あなたは幻想わたしと同じだってわかるもの! きっとあなたもそうでしょ?』


 …………。


 ■■×××は閉口する。それが答えだとわかっていても、肯定する事も否定する事も出来なかった。


 ■■×××もまた、ヒトの中に紛れ込んだ異物だった。

 初めて学んだのは食事をする事。機能維持のため経口摂取すると知り、腹部にアラームを付けた。定期意識遮断機能、定期排出機能……瞼の開閉、発声時以外の呼吸、衝撃に応じた擬似痛覚。

 この身がヒトに近付けば、養父母を含めた群全体の周波は安定した。ただ望まれたから、望まれた形であろうとした。


 ■■×××は魔術の才があると継■昴生は言った。知識の定着に時間を要するも、実践において不発はない。適量の調節においても場数を増やせば問題はない。

 当然だ。■■×××は魔力を蓄積し、用途に応じて実行出来る。形を維持するために、彼らの言う魔術を常に行使し続けた。その機能面をヒトとして当てはめれば、実力者そのものだ。


 …………。


 形が崩壊していく。

 ■■×××の内の力がどれほど万能だろうと、型がなければ形は成せない。

 ■■×××を形成するために、■■行光が必要不可欠だった。彼という碇を喪えば、留まる事は出来ない。■■行光亡き後、妹の■田奈津美に手を引かれ、行光の娘として望まれた事で、どうにか取り繕えていた。

 それでも、■田奈津美が知るのは■■×××の一番外側だけ。■■行光のように碇にはなれない。輪郭さえもぼやけてしまえば、あとは水に溶けるように、ハリボテが壊れていくだけ。


 ……否、元通りになるが正確だ。

 器に入っただけの水が、丸や四角に形を得たと勘違いしただけで、水は水のままだった。だから元通りになる。それだけの話だった。


 それが、ただ、――……。


 無意味な雑音が過ぎ去る。

 意味がない。意味がない。



 限界はとうに過ぎていた。あの絵画に明らかにされたのは、きっかけに過ぎない。


 …………。


 形が崩壊していく。





『少し、迷ってはいるんだ。今まで私が聞いたどんな目的よりも、覚悟が伴っていた。それでも、足りない。私が与えた術だけでは、どれほど強い意志があろうと成し遂げられない』


 男が温和に話している。もどかしさを滲ませる声音の音域を思い出す。


 …………。


 また、助けを乞う声に応えたのだろう。

 全てを救う事、伸ばした手を取る事不可能なれど、術を授けるのは可能。


『そうだね。私も無謀だと思う。おおよそ、人が望むべき願いではないよ。……いや、確かに。願う気持ちがわかってしまったから、術を分け与えたのだけれど……あまり私が関与するのは、なぁ……』


 何かを進言した記憶があるが、どう告げたのか記録はない。


 ……そうか、これは記録だ。

 もう既にいない人が、まるでそこにいるような息遣いを感じ取れる。けれど、けして言葉は交わらない。かつてそこにあった過去を再生しているに過ぎない。


 かつてあった時間の情景は進んでいく。


『いや、確かに。こんなに繁殖させた結果はもう覆せないね。私は私しかいなかったから、こうしてヒトが増えて喜ばしいけれど、後先は考えてなかった。……ああ、でも、こんなにたくさん生まれても、死んでしまう時は一瞬か……ここから、私が発生する未来に至る可能性は充分残るね』


 男は憂うように、誰かに語りかけるように言葉を紡ぐ。

 ……ああ、いや、これは実際に語りかけられているのか。

 この男は会話しているにも関わらず相手が先程から見えないのは、その対話相手が自分だからか。


『力を貸してあげてくれないか? ……命令ではないけれど、いや、命令、だよ』


 命じられれば、役割を果たすのみ。

 記録の中に自分の声は残されていない。それでも同じ解答をしたのだろう。了承を受けたはずの男は残念そうに『ごめん』と謝る。


『やはり私には欠陥があるみたいだ。方舟あなたをうまく作ってあげられなかった。私のエゴから生み出されたのだから、もっと自由奔放であって然るべきなのに……』


 よくわからない理論だ。しかし、この男は人間の指を持っている。ならば作りたい物を想像通り作るのは難しいのだろう。


『私がそうだからね。――かつて願われた永遠、と言えば非常に神秘的だけど、私を作り上げたのは、いつかいたどこかの誰かの『今日と同じ明日が続きますように』と願ったもの。幾千幾万の形なきもの……そこから発生したのが、私だ』


 ふぅん、そうか――と、何となく聞き流しかけたが何だかとんでもない話を聞いた気がする。

 これは記録だ。実際にはもう既に聞いた事である。だが、こんな新鮮な驚きはなかったはずだ。聞いた当時は、ふぅん、で終わったのかもしれない。


 目の前の男は、人間そのものに見える。

 しかし男の語った男の発生した経緯は、あまりに生き物とはかけ離れている。


『うーん、天界と冥界のような空間よりは、ヒトの形の造形のほうが楽だろうし、何より役割が違うからね。あちらは永遠であるための休息所で、私は永遠である事そのもの』


 違いがわかるような、わからないような。

 こちらの理解度はお構いなしで、記録の男は話し続ける。


『それでも、私も永遠ではない。私を動かす動力が切れる時が、私の活動限界だ。彼らの祈りの終わりの一つ。方舟あなたを作った時に私の動力を半分ほど使ったから、ひょっとしたら永遠なんて名乗れないくらい、私の限界は早いかもしれない……まぁ、私も人の身だから既に死んではいるけれどね』


 …………。

 一方的に聞くだけで、疑問を問えない事はこんなにも苦痛なのか。聞き流してはいけないと意識して耳を傾けたが、だいぶ混乱してきた。


 とてつもなく壮大な些事から生まれたという男は、天界や冥界の成り立ちと比較出来るような物であり、永遠でありながらも永遠ではない人の身であるから、死んでいる。それが活動限界とやらだろうか。どうしてこんなにもややこしい言い方で話しているのだろう。かっこつけてるのか?


 情報を処理する合間に悪態ノイズが混じる。

 記録の中の男は苦く笑う、まるでこちらの悪態が聞こえて困ったように。記録の中でも言葉は違えど悪態をついていたのだろうか。


『……確かに、私はヒトとは呼べないかもしれない。でも、私は彼らの友で在りたいと思う』


 …………。

 中心部を何かが撫でていったようだ。何が撫でていったのか、接触に意味はあるように思えない。

 ヒトの友であろうとするその男は悲しげに笑う。


『この気持ちを、方舟あなたにも与えたかった』


 エラー判定を擦り抜けた透明は、気持ちと呼べるものなのか。

 教えて。答えて。判断を求める。――記録の男は笑顔のまま、何も指示しない。


『……そうだね、悲観はしていないよ。もうヒトは、私だけではないから。私にとってのアルベアトのように、方舟あなたもきっと出会える』


『君は、■田の家に住んでる×××ちゃん?』


 瞬間、視覚情報が荒いノイズと共にプツリと遮断される。いつか聞いた声の記録と記憶が混線する。


方舟あなたが、いつか君自身の望みを手にする日が来る。きっと。私は信じてるんだ』


『ただの飲み物なんだ、飲みたいほうにしなよ』


 選択を委ねてくれた、あなた。

 あなたにとって、何でもない夜だったでしょう。何でもない時間だったでしょう。


 流されて、流されて、行き先を照らしてくれて、見送ってくれたあなた。

 この身に利用価値を求めなかったあなた。

 この身を案じてくれたあなた。


 きっとこれが恋だと思ったの。でも、この身はヒトとは呼べないもので、心なんてないただの動力で。


 ねぇ、嫌なの。恋であってほしいの。恋なら抑え込める。想うだけでいい、報われなくてもいい。それでコントロール出来た。

 でも、この衝動が動力仕掛けの得体の知れないものであったなら、いつかあなたに牙を剥くかもしれない。そうしたら、見つめる事さえ出来なくなってしまう。


『×××と花火、みれてよかった』


 あの日、空で散った火花のように、明るく儚く笑ってくれたあなた。

 あんな風にただ綺麗に燃えて、炎よりもぬるい腕の中の灯火が消えてしまうのが、耐えられなかった。

 この身が人であったなら、きっと名前のある衝動だった。


 なら、これは、なんだ?


 生物ですらないこの身に滾るこれは、何のための機能なんだ?



『その望みの先は宣誓者の子孫が適役だろう。方舟あなたを捧ぐ相手だからね。君自身の望みが沿えば、きっと、無謀な望みに手を伸ばした彼らの大志に、相応の結末を――』


 役割があった。

 人の身では担い切れない、重要で、重大で、代替出来ない役割があった。

 それを、思い出さなくてはいけない。

 それを、思い出したら、果たさなければいけない。

 何もかも手放して、何もかもを投げ捨てて。大切なものも、大切になり得た形なき機能も捨てて、ただのはらわたに相応しく働けば……。


『それは、お前の望むところなのか?』


 それが役割だから。

 それが意味だから。

 そう望まれたから。


 ……………。

 ……………………。


 どうして、だろう。




「アルカ?」


 どうして、気付いてくれるんだろう。


「大丈夫だよ、アルカ」


 最善ではないと理解しても、制御出来ないんだろう。


「ごめん、無責任だった。わたし、何にもしてあげられないけど、」


 もう、この使い捨ての身には充分すぎる程、与えられた。

 望みの先で咲く小さな花。これからも光の下で咲き、いずれ枯れて散る未来のために、こんな世界でも救ってやるべきだと、願いに沿った。

 それだけでいい、役割を果たせば、それで。


「一緒にいよう」


『それは、お前の望むところなのか?』



 それだけじゃ、もう、嫌だ。

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