因循苟且
接客のアルバイトをすると色んな人と関わる。その経験から菫はいくつかの気付きを得た。人の目を見て話せる人と、話せない人がいることを学んだのもその一つ。
アルカはどちらかというと後者で、昴生は前者の人だ。
真面目な空気の中で真っ直ぐ向けられる青い瞳は普段とのギャップもあって力強く惹かれるものがあるのだが、普段鋭く向けられる黒い眼光が静かな雪のようになるのもまた妙な温度差がある。
昴生の顔は菫に向けられているが、視線は定まらない。暗闇の中で音の発生源を探している時、こういう目の動きをしているのだろう。
問いかけに答えはなく、数秒の沈黙。
『菫ちゃんが気付くの早すぎて、アタシびっくりしたわ』
黙り込んだ二人の間に割って入った声は電話越しの八重樫の声だった。そういえば通話を繋ぎっぱなしだった。
「……通話の声、八重樫さんか?」
「えっ耳当ててないのに聞こえるの?」
「この状況で君達が救援を求める相手は八重樫さんしかいないだろう」
「それは確かに……あ、でも電話は偶然なの。さっき昴生くんのスマホに電話かかってきたのをわたしが勝手に出ちゃって。はい、どうぞ。それと、今アルカはいないよ。昴生くんが倒れるちょっと前にはぐれちゃって」
「は!? いや、順番に聞く」
眼鏡がなく髪も目も色が違うため別人と一緒にいる気分になるが、ぎょっと目を見開いて驚くが冷静さを取り戻し、やや疲れた表情で溜息を吐く姿は、確かに昴生だ。
少し落ち着かないけれど、八重樫の言葉通り不調は見えない。そこだけはほっとする。
スマートフォンを彼の片耳に当てがうと自分で持って八重樫に応対し始めた。
菫は手持ち無沙汰になったため、背中のバッグを手元に戻して自身のスマートフォンを取り出す。アルカからの連絡を期待したが、何も通知は残っていない。
「はい、……はい、問題ありません。それで要件は? ……そうですか、ありがとうございます。日程調整もお願い出来ますか? ありがとうございます。……いえ、それは結構です。では」
一方で昴生は業務連絡のように通話を終えたようで、何度も画面をタップしていた。しかし八重樫の声は漏れ聞こえる。
昴生の指が通話終了ではなく、スピーカーのアイコンに触れた瞬間、声が響く。
『……ぅせいちゃん、ちゃんと聞いてる!? 意地張らないで、ちゃんと菫ちゃんに助けてもらうのよ!』
「……はぁ」
「あぁー……」
なんだか聞いたら悪い事を聞いてしまった気分になったので、菫は手を伸ばして通話終了のアイコンを代わりに押した。
「……助かった。それで、片岡がいない件だが」
「そう、だね」
説明を求められて頭の中で整理すると、アルカと離れる前後の出来事と、明らかに冷静ではなかった彼女の行動も行方もまた気がかりだ。
目の前の問題も気になって仕方ないが、順番待ちしよう。
「アルカとは手を繋いでたんだけど、急に手が、抜けちゃった? っぽくて」
「抜けた? つまりあの場で織部の握力が弱まったのか?」
「ううん、わたしはしっかり握ってたんだけど、こう……急に、アルカの手がまるで水になったみたいに無くなっちゃって」
「……片岡の手が欠損したのか?」
何故そんな物騒な発想に飛躍するのだろうか。
首を横に振ったが、今の彼にはそれが見えてない事に気付くと「してない、してない」ときちんと口にし直す。
「ちゃんとあった、あったけど……でも手が金色に光ってて、ちょっと普通じゃない感じだった。どうしたのって聞こうとしたら、アルカが来た道走って逃げちゃったの」
「……ああ、絵画の絶叫で正確に聞き取れなかったが、君が声を上げていたのはその時か」
「そう、ほとんど同じタイミング。だからあの絵画の女の子が話しかけてた相手って、アルカの事じゃないかって思って、覗いたらあの子の手が伸びて、昴生くんが倒れて……なんとか外まで避難して今……って感じです」
僅か数秒。その間に同時多発した衝撃の連続で、言えるのは雑然と目撃した出来事を並べる事だけ。何もわからないため説明もままならない。己の拙さに情けない気持ちで声がどんどん窄んでいく。
俯きがちになる菫に対し、昴生は片手で顔を覆った。
「……つまり、君だけで僕を外まで移動させた、と?」
「え? うん。エレベーターがすぐ近くだったのと、昴生くんがお兄ちゃんより軽くて助かったよ。あっ、上半身だけ持ち上げて足引きずったから、足が汚れてたり破れてたり怪我とかあったらごめんね!」
「…………そうか。それで、君の負担を軽減させられたなら、」
ふ――、と深く長い息を吐き出して続く言葉はなかった。息の分だけ何かを言いたかったのかもしれないが、顔も隠されているため真意は測れない。
片手を下ろして顔を向けられる。相変わらず視線は合わない。
「迷惑をかけた。すまない」
「いえいえ。それで話は変わるんだけど、」
「ああ、絵画を見たんだろう。何か結論は出たか?」
「そっち!? ああいや、順番ね! 見ただけで何か思い出したりはしなかったかな! でも何となく初めて見た気持ちではなかったから、思い出せないだけでなんかあったのかも!? それで、話はまた変わるんだけど!」
「何故急に語気が荒くなる」
「わたしの話になるなんて予想外だったからだよ……」
困惑している昴生には見えないが、同じくらい菫も困惑していた。
自分の身体的状況より、菫の目的の方を先に確認するあたり、彼らしいと言えば彼らしいが……こんな状況でも筋を通すか。菫は思わず溜息が漏れた。
「……それで、昴生くんの目と、髪もかな? 急に真っ白になっちゃったのは、あの絵画の子に何かされたせい、とかではなく、元からなの?」
昴生は周囲に人がいないか確認を求め、菫が問題ないと答えると改めて頷いてから口を開く。
「視覚障害はたった今起きた事ではない。普段は魔力を用いて視神経の調整し、眼鏡で視力を補っている。髪と目の色は、目立つだろう。だから周囲に馴染むよう変えていた」
「そう、だったんだ……全然そんな、障害とか抱えてるように見えなかったから」
確かに、目立つ。
菫達の高校は校風が自由のため、割と無茶な髪色をしている生徒もいる。だが大体が黒や焦げ茶、それより少し明るさを足した自然な髪色の生徒が大半だ。
アルカの時もそうだが、地毛と虹彩がこれだけ明るい事を隠していなければ彼を見る周囲の目は随分と違っただろう。
そこでふと眼皮膚白皮症――アルビノと呼ばれる疾患が頭をよぎる。
印象的な外見的特徴の肌や髪の色素が薄いだけでなく、視力が低い症状を抱える事。紫外線にとても弱い事……菫は青空の下でのんびりと話をしていた状況に血の気が引く。
慌てて落ちていたジャージの上着を拾って彼の頭に被せた。
「ごご、ごめん! 全然気がつかなくて……! わたし、あんまり詳しくないんだけど、なんか火傷とかしちゃうんだよね!? どうしよう、美術館の中に戻ったほうがいいかな!?」
「……ああ、僕はアルビノではないからその気遣いは不要だ」
「あっ、えっ? そうなの? てっきり生まれつきのそういうのかと……」
「僕の髪色と目の状態は後天的なもので、……重度の日焼けになった事は、ない」
ジャージに隠れた頭が少しだけ俯き、彼の言葉の勢いも弱まったように聞こえた菫は首を傾げた。自分の事なのに随分と曖昧な答え方だ。
後天的な毛髪、虹彩の脱色と視力障害。彼の身に何が起きたのだろうか。
考えてみても何もわからず、今一人で身動きすら取れない彼に尋ねるのも気が引けた。
「……八重樫さんから、魔力が空っぽになってると思うって教えてもらってるんだけど、昴生くんとしてはどう? 今、目が見えるように戻せそう?」
「……あと、六時間ほどあれば」
「もうそれは今じゃないね……」
確実に日が暮れる。
まだまだ気になった事も個人的に尋ねる機会がなかった事もあるので、場所を変えて六時間たっぷりと話をするのは不可能ではない……でも、今の状態の彼にそれを強いるのは酷だろう。安全な場所でゆっくりと体を休めてほしい。
それに、アルカの事も気がかりだ。スマートフォンにはやっぱり連絡はない。
「ここで六時間も待てないし、もちろん昴生くんを置いて帰れないから、一緒に帰ろう。わたしのベッドでよかったら貸すし、昴生くんのおうちの住所教えてもらえたら誘導するから、ちゃんと休んだほうがいいよ」
「……自宅まで頼む」
「うん。でも移動する前にちょっとアルカに電話かけていいかな。メッセージとかも全然なくて心配だから……」
昴生はしっかりと頷いたのを確認して、菫はアルカに電話をかけた。五コールを数えて、まだ出ない。
もしも出なかったら……。不安を感じたが、さらに数コール根気強く待つと通話が繋がった。安心すると思わず声も弾んだ。
「あっ、アルカ!? 大丈夫? 今どこにいる?」
『…………』
「……アルカ? アルカ、大丈夫? 声聞こえないけど、こっちの声は聞こえてる?」
耳をすませると、静かだが微かに息遣いは聞こえる。外ではなく、室内にいるのだろうか。
もう一度「アルカ?」と声をかけると、ようやく『……菫、』と返答があった。
『……ごめん、先に帰ってる。ちゃんと、家についたから、大丈夫』
「いや謝るのはわたしだよ! 体調悪い時に無理に付き合わせちゃって、ごめんね。無事に帰れたなら良かっ……」
安心した勢いで言いかけた言葉の矛盾に気付いて固まる。
八重樫との通話と昴生との話し合い、美術館から脱出して十分かそこらしか経っていない。
美術館から駅まで五分。走っても二分くらいだろう。駅から地元駅まで乗り換え含めて二十分。地元駅からアルカの自宅までそこそこ距離はある。どう考えても合わない。
「タクシーとかで帰ったの?」
『……うん。もう、切るね』
「ねぇ、本当に」
『大丈夫』
尋ねるより先に答えられて、通話が切れてしまう。
大丈夫、と言われてしまえばそれ以上言える言葉はない。菫の心配や不安は晴れず、眉を寄せてスマートフォンの画面を無意味に眺めてしまう。
「……早く片岡のところに行った方がいい」
昴生の言葉に菫は思わず目を瞬かせる。今は声しか聞こえてないはずなのに、不安な気持ちを汲み取られたようで、自然と口が緩む。
「割り勘でタクシー乗っていい?」
「……君に問題なければ、構わない」
「ん、ありがとう。大丈夫だよ」
そうして。
先払いするつもりの昴生がバッグごと財布を菫に差し出してきてさすがに後日でいいと取り決め、被っていた布が菫のジャージだと知ると瞬時に剥ぎ取り菫に突き返したり、やはり目立つからと昴生の上着を頭に被せたり、誘導の際も菫のバッグを掴むか腕を掴むかで軽く揉めて肩に手を置く事で決着するが突然上着を着る事を強要したり……。
なんやかんや、大通りまで出てタクシーを捕まえるまで地味に時間がかかった。
タクシーに乗り、住所を伝えてからは早かった。
運転手の男性が体育着を見て、体育祭だったのかと話を振られ球技大会だと菫が答えれば、次は男性の子供の運動会の話になり、取り止めのない話を数分している間に見知った街並みを走っていた。
菫が想像するよりもかなり早い。アルカは詳細を言わなかっただけで、本当にタクシーで帰っただけかもしれない。
「住所だとこのへんだけど、もう少し進みます?」
「ここでいい」
「あっ、このあたりで」
カーナビの案内が終わるとほぼ同時に車に停車を促す。平然を装って会計を済ませ下車したが、菫はここがどこだかよくわかってないし、よく知ってる昴生の視界はゼロ。
さて、無事に辿り着けるだろうか。目印らしい目印のない住宅が並んだ道路を眺めて菫は自信が無くなる。
「まず現在地を知りたい。一軒家が多ければ三、四軒を連続で表札を教えてくれ。マンションかコンビニがあればそちらでも」
「助かります……」
「いや、助けられているのは僕の方だろう」
昴生の指示通り、目の前の家から順番に表札の名前を告げると反対方向だと言われ、誘導を開始する。通り過ぎる表札の名前や、屋根や外壁の色を丁寧に教えてもらい、初めての道でも不安なく進めた。
「わたし、近所の人の名前とか全然覚えられないよ……本当すごいね」
「覚える事しか能がないだけだ」
「暗記が得意を自虐にする人がいるとは……」
普通は自慢する特技だと思う。
感性はよくわからない昴生の誘導に従って菫が安全確認をしながら歩き続けると、肩に置かれた手に軽く後ろに押されたため足を止める。
「右手に二メートルほどの外塀はあるか?」
「うん。立派なおうちがあるよ」
見上げるほど大きなコンクリート塀の上から、それ以上に高く育った樹木と屋根が二つ見える。庭付きに一軒家らしいものが二つ、外壁の長さから見てもなかなか広い敷地を持つ家庭が伺えた。
賃貸の集合住宅しか居住経験のない菫には雲の上のような住宅だ。
「表門は遠いな。外塀にドアノブのついた鉄扉は見えるか? そこに向かってくれ」
「……ここ!? ここが昴生くんのおうちなの!?」
雲の上の住宅の人、隣にいた。
驚きつつ塀を見渡して凹んだ部分に向かうと扉があった。扉の横にインターホンがついていて菫には見慣れた扉だが、昴生の言葉から察するとこれは裏口……正面玄関ではないのだろう。
「悪いが、肩に置いた手をインターホンまで移してくれ」
「うん。ところで、今度おうちに遊びに来てもいい?」
「良いわけないだろう、君は馬鹿か? 知的好奇心を満たすために命を放り投げるつもりか?」
「滅相もございません」
いつもより語気強めに叱られた。魔術師に近寄るなと警告されているのに呑気に自宅訪問したいなんて言えば、さもありなん。……でも立派な庭付きの家、入る機会があるなら入って探検したかった。
インターホンのスイッチに昴生の手を当ててから数歩後退さる。
「お家の人に見られない方が良いよね? 十秒くらいで離れるから待っててもらえる?」
「ああ。元の道を戻って大通りに出ればバスが通ってる。片岡の家に向かうならその方が早い」
「ありがとう、お大事にね。あと……今度色々教えてね。昴生くんがわたしに教えてもいいかなって範囲でいいから」
とりあえずひと段落。出来たら彼が家に入るまで見送りたいところだが、塀があっては叶わない。菫はすぐに気持ちを切り替えて、「またね」と言い放って元来た道を駆け戻った。
細い通りを抜けて三車線の大通りに出ると、比較的すぐにバス停が見つかった。経路を調べればアルカの家の近くまで運行しているようだ。
『ごめんね。やっぱり心配だから、顔だけ見に行っても良い?』
『体調は大丈夫?』
『食べたいものあれば買っていくよ』
バスを待ちながらアルカにメッセージを送る。しかし、返信も既読もつかない。眠っているのか、病院に行ってる最中だろうか。
結局バスに乗り、目的の停留所に降りたおよそ十分弱。アルカからの反応は無かった。
迷惑……だろうか。
その場で立ち止まり迷っていると、何だか既視感が蘇った。
初めて一緒に帰った去年の梅雨、何でもないと言って困り事を隠した、少しぶっきらぼうな声。何だか懐かしく感じて菫は笑みを零す。
あの時と同じように、ノックするくらいは許してくれるだろう。……まぁ、アルカの家はエントランスがロックされてるので、もしかしたら部屋の前まで辿り着けないかもしれないが。
アルカの家に向かう途中、小さなスーパーに寄って粉のスポーツドリンクと栄養ドリンク、常温保管可のゼリーと惣菜パンを買って手土産にした。最悪パン以外は郵便受けに突っ込もうと選んだが、宅配便の人に便乗して突破出来たので無用の気遣いになった。
エントランスで呼ばずに直接部屋のインターホンを鳴らしたら驚かせるかなと菫は心配したが、玄関チャイムを鳴らすより先に驚く光景に目を見張った。
アルカの部屋……靴が挟まって、扉が半開きになっている……。
最後に電話してから三十分強、ずっと開けっぱなしだったのかとあまりの不用心さに菫は肝を冷やす。
中で寝ているなら施錠しておこう、出かけているなら留守番するか、と菫はまずインターホンを鳴らす。扉の隙間からチャイムの音は漏れるだけで、無音だ。
「……お邪魔しまーす」
扉を開き、玄関に上がると挟まっていた靴を回収し、きちんと扉を施錠する。
勝手に家に上がった居心地の悪さを誤魔化すため菫は自分自身に言い訳をしつつ、菫は一歩ずつ部屋へ侵入していく。
狭いワンルーム。小さなキッチンがある細い廊下、トイレと浴室の扉を通り抜けて、奥の部屋にはすぐに辿り着いた。あまりにも静かすぎて、やはりアルカは外出しているのかと菫は警戒なく覗き込む。
アルカの部屋は物が少ない。普段着る衣類、教科書や漫画が雑多に詰め込んでる棚と、木目のローテーブルとラグマット。折り畳まれた布団は窓際に寄せられて――
「…………なにこれ?」
部屋の隅、布団の上に淡く丸い金色の光が乗っていた。
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