溶解の外側で
「これが今時のおしゃれなランプシェードってやつかな……?」
現実逃避の独り言が虚しく響く。
多分、きっと、そんな事はないと菫は理解している。少なくともアルカが小洒落たインテリアを買うとは思えない。そういう趣味があったなら、この家具家電の少ない清貧な部屋ではなくなっている。
ならば、この光る球体は何なのか。
部屋の主のアルカがいない代わりにそこにある奇妙な存在が、無関係ではないと菫の直感は囁く。
「熱く……は、なさそう?」
大きさは午前中触れていたバレーボールと変わらないくらい。発光するものは大体熱も発しているが、恐る恐る近付いても特に熱気は感じられない。部屋の照明のように表面だけ熱いのだろうか。
床に膝をついてまじまじと観察していると、もう一つ気付く。……少しも眩しくない。
昼間とはいえカーテンを閉め切った室内は薄暗い。その中で煌々とした輝きを直視すれば、網膜が焼かれる痛みを覚えてもおかしくない。蛍光灯でも見続けることは出来ないのだ。目の前の光はそれ以上の明るさをしているのに、ずっと見ていられる。
「…………はっ」
思わず見入ってしまった事に気付いて現実に意識が戻る。水のような柔らかな波、火のような揺らめきを時間を忘れて無心に眺めてしまった気分になった。
危険なものとは思えないが、何をしても安全であるものかと言えばわからない。菫は光の正体を突き止める知識は引き出せず、どうするのが最適か悩んだ。
こういう時に頼れる相手は、さっき家に送り届けたばかり。それに彼の視力が戻るまでまだ時間がかかる。
八重樫に尋ねてみるか――いや、言葉だけでうまく状況を伝えられるかどうか……。
「そうだ」
菫はスマートフォンを取り出し、カメラ機能を使う。レンズ越しに見た光はスマートフォンの画面には映らない。
ビデオ通話は不可能であると同時に、魔力に関わる光であるのは確認出来た。……出来たところで、菫がどうすればいいのかはやはりわからないのだが。
……家に上がってからそこそこな時間が過ぎたが、家主であるアルカはまだ姿を見せない。
ちょうど目の前にスマートフォンがあったので、アルカにもう一度電話をかけてみる。すると室内で呼出音が鳴り響いた。というより、光に気を取られてて気付けなかったが、アルカが着ていたジャージと共に布団の横に落ちていた。床に密着したままのバイブレーション、とんでもない騒音になった。
光の球体が突然揺れ出す。
これまで全く反応はなかったのに、音に驚いて慌て出したような……生き物らしい動きを見せた。
通話を切る。音も止む。光は落ち着く。
通話をする。音が鳴る。光はまた驚く。
「……なんか、ちょっと可愛いな」
通話を切り、着信の騒音が止んだにも関わらず、光は揺れ続けている……まるでこちらに不満を訴えるように。
言葉がわかるのだろうか。
それなら見下ろすのは失礼かもしれない。肘も床について身体を低くし、やや下から光を見上げた。
「ごめんね、驚かせちゃって。わたしの言葉がわかるの?」
尋ねるとまた光は静かに揺らめくだけになってしまう。
辛抱強く待ったが反応はなく、無視されてるような気分になってきた。機嫌を損ねるような言葉だっただろうか。菫はその輝きをじっくり観察するが、当然読み取れるものは、ない。
しかし、何故だろう。
拒絶されているのが、伝わってくる。
菫はそれを理解して、手を伸ばす。
この場にもし昴生がいたらまた怒られそうだと頭の片隅で思いつつ、得体の知れない何かに、危険性が計り知れない物に、宝物に触れるように指を当てる。
きっと異常な行動だったが、言葉で伝わらないなら別の方法が必要だと、深く考えず体が動いた。
触れた感触はなかったが、指先が金色の光に包まれて見えなくなる。温かくも、冷たくもない。そこには何もないように空気を撫でるだけ。
「……あ、」
それでも構わず指先が隠れ、手のひらも半分以上見えなくなった時、何かに触れた。
形や大きさはわからない。
わかるのは光の中に隠れた手が包まれている感覚だけ。その感覚を、頼るように弱々しく握られた経験を、知っているだけ。
「アルカ?」
ぽつりと光に向かって、姿の見えない友人の名を呼んだ。
ここはアルカの家だ。玄関を開けっ放しで出かけたのではなく、慌てて帰ってきてずっと家に居た。そして慌ててた理由は目の前の光がアルカそのものだったなら、筋が通る。
あまりにも荒唐無稽な話だが……これじゃあ戸締りなんて気にしてる場合ではないな、と菫は納得していた。
「ねぇ、アルカ。アルカだよね? あっ、今ぎゅって握ったよね。そっか……」
話しかけても返事がないため、手を掴んでいる感覚だけを頼りに勝手に肯定する。
実際は『そうだよ』的な握り方ではなく、『何言ってんの!?』と動揺が伺える小刻みな力みだったが、どちらにしても意味としては肯定だからいいだろう。
そこで、拒絶されていた意味も納得する。
こんなよくわからない状態になってしまったら、とりあえず近付かないで欲しいと菫も思う。その気遣いを思い切り無下にしてしまったけれど、後悔はない。
「大丈夫だよ、アルカ」
こんなよくわからない状態になってしまった友人を、一人にさせなくて良かった。
もし、アルカが一人でいたいなら菫の手はもう解放されているはずだ。光の中に包まれたままの手を見て、菫は自身のいい加減な発言に気付いて苦く笑う。
「いや、ごめん、無責任だった。こんなに小さくなっちゃって、大丈夫なわけないよね……多分魔術のせいでこうなってるんだろうけど……んんー、あー、昴生くんに見てもらうのが、一番、なのかなぁ」
昴生の状態を思うと今日一日は休んでもらって明日改めて……と気を遣いたいところだが、アルカの状態を明日まで先送りにする不安の方が強い。
同席して一緒に勉強したとはいえ、一体どういう状態なのか検討もつかない。手を握る感触が何なのか、何故光っているのか、アルカの意識があるなら現状苦痛を伴っているのではないか……心配で不安だが、当のアルカが一番不安なはずだ。
握られている感覚に応えるように握り返す。一枚膜を隔てて水を掴んでいるような感触がする。皮もない、肉もない、骨もない。包みこんでいるものが手と呼べる部位なのかもわからない。
これを人の感触だと考えると、ぞわ、と生理的な気持ち悪さが込み上げてくる。深呼吸を一回。知っているだろう、と自分に言い聞かせて堪えた。
大丈夫。これは、危険なものじゃない。
「わたし、何にもしてあげられないけど、ここにいるよ。誰かと一緒だとそれだけでほっとするし……気休めにしかならないかもしれないけど、一緒にいよう。こういう時は一人でいないほうがいいよ」
手を繋ぐ感触は離れない。
このままここにいて良い……もしくは、ここにいて欲しいという意思表示だと解釈して菫は静かに安堵する。
さて、菫はこのままアルカと一緒にいる事は決めたが、一つ問題がある。
現状の菫は膝と左手を床につけて、右手はアルカに掴まれている。つい何も考えずに利き手を差し出してしまったため、何も出来ない。このまま泊まるなら兄に連絡したいが難しい上に、姿勢も辛くなってきた。楽な体勢に変えたい。可能なら寝転がってアルカが乗っている布団に頭だけでも相乗りしたい。
「アルカ、ちょっと左手に替えていいかな? お兄ちゃんに今日泊まるって連絡しておかないと……あと昴生くんにも相談のメッセージ送っておきたいから、」
怪物に成り果てた父親から殺意を浴びた少女は、本人の凡人気質に不釣り合いな理解力と適応力を得て、場違いなほど楽観的であった。
その変わらないものが、何物にも代えがたい珠玉に優る瞬間がある。
「――わっ! え、ちょアルッ!? ぅぶ!」
不意に光が菫の右手を掴んだまま空中に浮かび上がった。当然、菫の腕はその動きに合わせて上に引っ張られる。
予測のつかない行動に目を白黒している間に腕ごと上体を持ち上げられ、慌てて体勢を維持しようとするも持っていかれる勢いに負けて腰を捻り、バランスを崩した。
後ろを振り向くような状態で倒れた菫の身体は畳まれた布団に受け止められ痛みはなかったが、後から覆い被さってきた重みに菫は潰れた声が漏れる。
倒れる瞬間反射的に閉じていた瞼を開けると、菫の右手を包んでいるのは金色の光ではなく細い少女の手。頬を擽る見覚えのある美しいブロンドヘアがふわりと宙に広がって、さらさらと重力に従って流れ落ちていく。
首元に押しつけられた頭と、背中に回された片腕と、重なるよう密着している足の重み。
それを意味する事に気付いた菫は歓喜に吸い込んだ息を、止めた。
「うう、うぅぅッ、ぁ、うぁぁぁん、あぁぁ……うあぁぁぁ……!」
人の形を取り戻したアルカが、堰を切ったように泣き出した。
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