美術館のおばけ絵画

 突然話しかけられて迷惑だったかも、と懸念したのは最初のほんの数分だけだった。


 話し好きだったらしいおばさま集団に囲い込まれ、あらまぁ可愛いから始まり、若い女の子から声をかけられたと喜色満面。尋ねたい本題から何故か彼女達の孫話になったりご近所さんの話になったりと話題が何度も脱線し、馴染みのない異国の料理名やおすすめのランチセットが食べられる店の話を挟みつつ、『喋って飛び出す映像に残らない絵画』の詳細を聞き出した。

 老女達はツヤツヤと、単騎で挑んだ菫はヘロヘロと別れ、話は終了した。


 そうして得た情報から余分を省いた内容を、アルカにも共有した。


 老女の一人、友人達を先導していたその人は美術鑑賞が趣味の一つで、この先にある美術館で絵画の展示をしていると聞き、最初に訪れたのは先週の事。

 そこで、一つの絵画から白い手が伸びていた。

 スタッフに異常事態を知らせ、事情を知らないのか気味悪がりつつもスタッフ達によってその絵画は下げられた。


 老女はその後どうなったのか気がかりで、再び美術館に足を運んだ。

 そうすると、下げられたはずの絵画は元の場所に展示し直されていた。しかし、今度は絵画の中から飛び出していたのは手だけでなく、頭と手が飛び出していた。

 まるで肩が引っかかって出れなくなったようなその少女は、異国の言葉で老女に話しかけてきた。当然何の話をしているのかわからないが、くるくると変わる表情と愛らしい声が心地良く、足を止める来館者は老女だけではなかった。


 そして、三回目の来館。

 少女は胸元まで外に飛び出していた。どこから話題になったのか、マスメディアまでやってきて困惑を吐き出す。

 どうなっている、カメラに全然映らないじゃないか! これは一体どんな仕組みの作品なんだ? 作者はどこの誰なんだ?

 学芸員の回答は『調査中』との事。

 何せ数日前までは少し古い無名画家の絵画が、不可解な現象を起こしているのだから。



「……………………」


「……そして、今日は友達と見にいくところだった、みたいだよ」


 話し終えたところで、アルカは顰めた顔を振る。


「ホラーだよ!! なんかやべえもんが出てきてるのに誰も気付いてなくて、気付いた時にはもう手遅れになってるホラーだよ!!」


「やっぱ、り? 話を聞いてる間は不思議な事が起きてるって気分だったんだけど、まとめて話すと、なんか……色々怖いよね? 女の子が絵画からちょっとずつ出てくる部分増えてるとことか、なんかおばさま方が良いものを見に行くテンションなとことか、変なことになってる絵を展示し続けてる美術館とか……」


「怖い怖い怖い怖い!」


 試しにスマートフォンで調べると、信憑性の低いオカルト扱いをされていた。それはそうだ。画像や動画だって捏造出来るこの時代、それ自体がなく実際に見に行った人の意見しかない。そして全員、『見に行けばわかる』と言う。新手の宣伝か、ホラーだ。

 ただ、美術館のSNSアカウントがあり、『週末は混雑が予想されるため、当日は時間制を検討しております』とアナウンスの投稿から、一部から注目は集めているように感じる。


「うーん、気になる……でも美術館に近付くのは危ないかな。とりあえず昴生くんに相談しとこう」


「んん〜〜、やっぱりそういうイベントでした〜ってオチじゃない? 何で写真に撮れないのかわかんないけど、そういう仕組みって言われたらそれまでだし。そもそも魔術師関係だったら、たくさんの人が見るとか出来ないんだよ?」


「……そうだよね、そうなんだけど。何だろう、なんか」


 アルカの言う事の方が現実的だ。

 頷きつつも、菫は奇妙な違和感を拭い切れない。


 魔術師が関わっているかもしれない、と疑っているわけではないのだが……うまく、言葉に出来ない。ような、不快感と恐怖心が心をざわめかせる。

 ただの勘違いだった。その確信を得たい。


 そうしているうちに、『ask』のグループ内に送ったメッセージに反応が返ってきた。


『球技大会の体育館の近くにある美術館に、飛び出して喋る絵画が展示されてる話を聞きました』

『そしてその絵、写真とか動画で撮れないらしいの』

『ちょっと気になったんだけど、これって魔術師が関わってる可能性ある?』


『今、周辺に魔術師の気配はない』

『ただ、試合を終えたらなるべく早く帰宅したほうがいい。駅周辺から妙な気配がする』

『美術館はこちらで調査する』


「これ……」


 メッセージの内容を見て菫は咄嗟に電話をかけた。予想通り、すぐ着信に応じた昴生に菫は一方的に話しかける。


「もしもし昴生くん、まだ帰ってないよね? 体育館のほう? それとも駅の近くにいる? わたしとアルカは駅前にいて、離れてたら悪いんだけど駅の方まで来てくれないかな。アルカの体調が悪くて、ちょっとこっちは動けない」


「え、ちょっ……」


『……すぐに向かう』


 通話が切れた後、彼は宣言通りほんの数分で駆けつけた。一時間以上前に試合を終えて帰宅したはずの昴生は、菫とアルカ同様ジャージのままだ。

 やっぱり、今日の試合はわざと負けたんだ。この周辺に異変を察知して、それを調べるために。


「アルカ、ここについてからずっと体調悪そうだったの。わたしには何にも感じないけど、このあたり、何かあるの?」


 昴生は周囲を気にした後、頷いてからスマートフォンに打ち込んだ文字を見せた。

『魔力の流れが不自然だ』。


「うん、わたしがわかんないのはよくわかった。空気が薄くなってるみたいなイメージでいい?」


「いや、頭上から足元に風を送り続けられているような……害はないが不自然さには気付く、あたりだろうか。織部のイメージになぞるなら低酸素状態、そういった身体に異常をきたす現象ではない。片岡の不調とは無関係だろう」


 菫はなるほど、と納得しつつも首を捻った。先に聞いていたアルカの不快感とは全然違う。アルカの言う『気持ち悪い空気』と昴生の言う『妙な気配』が同じもので原因かと思い込んでいたが……違ったのだろうか。

 いかんせん魔術師二人と違って、菫は『見る』だけしか出来ない。空気も気配も無色透明だった場合、さっぱりお手上げだ。


 また、綿毛茸の時に昴生がやったらしい何かについて聞きたくとも、駅の利用客が絶えず行き交うために尋ねるタイミングがない。外でも魔術に関する話が出来るように、隠語を取り決めておくべきだったと菫はこっそり悔やんだ。ぐぬぬ。


「以前話したが、人が多く住む都市では性能が上がり、力が溜まりやすい傾向がある。去年の球技大会の時は何も感じられなかった。ここ一年、急速に人口が増えたような要因と思われる情報もない。そうなれば人為的……原因となる何かが運び込まれた可能性がある」


「……はっ! まさか――それが、おばけ絵画?」


「おば、……織部、絵画の名は」


「あ、聞いてない。とりあえずおばけ絵画って事で。それで、さっき聞いた話なんだけど――」


 昴生はとんでもなく渋い顔をした。

 綿毛茸もそうだが――何故こんなにも間抜けな名前を採用するのか……。


 その後、結局おばけ絵画の名称で、アルカに対して話した内容をそのまま昴生にも説明した。


「……そのおばけ絵画が原因なのかは、これから確認してくる。君達は帰宅しろ」


「ん……」


 そうした方がいい。これまでも彼が全面に立って様々な事を調べ、菫達は待っていれば良かった。もしも魔術師が絡んだ話であれば、隠れているべき菫とアルカが近付くのは悪手だとわかる。アルカの体調も心配だ。

 しかし、曖昧な返事しか出せない。


「何か気がかりでもあるのか?」


「んん……ええと、うまく説明出来ないし、もし言ってる事が異常だったら教えてほしいんだけど」


 踏み留まる理由などないはずの菫自身も不可解な心境を吐露する。


「怖いもの見たさとか好奇心とは違うけど、わたしもおばけ絵画を見に行きたい。その絵画が、


「織部はその絵画を知っているのか?」


「全然まったく。絵を見て楽しむ習慣もないから、どんな絵とか心当たりもない。その、わたしもちょっとおかしいなってわかってるけど……どうしても、気持ちが落ち着かなくて」


 その絵画が危険な物だと思いたくない。

 菫がおばけ絵画に思い入れがあれば納得出来る、しかしそんなものはない。それでも気持ちは込み上げ続けている。頭と心が噛み合わず、原因もわからず、菫は歯痒さに眉を寄せる。


 声色、表情、動作。注意深く観察していた昴生は怪訝な表情を深め、周囲に人がいないのを確認した上で声を潜めてアルカに問う。


「片岡、織部と話した人物から魔力の気配は?」


「全然。普通の人」


「言伝による精神干渉を受けた痕跡もない。魔術師として回答するなら、織部の精神は正常そのものだ。だが、その理屈も合理性もない動機を正常と呼ぶには……どうも違和感を覚える」


「魔術が関係してないなら、わたし自身の問題かなぁ。わたしの今の状態、もし昴生くん自身だった場合どう考える?」


「…………検討する情報が少なすぎる」


 以前、正解に辿り着いてそうと直感に基づく信頼を向けられた少年は、苦々しく溜息を吐く。


「話を聞いた印象のみで答えるなら……君自身が忘れているか、気付いていないだけで絵画に何らかの心当たりがあり、思い出すために絵画の確認に執心しているように見える」


「う、記憶力に自信はないから、そっちの心当たりはあるなぁ……」


 先程、アルカから告げられた綿毛茸との交戦中に昴生が起こしたアクションについてもまだ思い出せていないのだ。慌ただしかった時に見て印象に残った物だとしたら、より強いインパクトの出来事で埋もれてしまった可能性は高い。


 しかも、最近の出来事ではなく数年前の出来事であれば、さらに思い出す自信がない。

 特に事故前後の記憶は、両親と、兄に関わる事以外、かなり朧げだ。

 通学し続けていたはずの学校生活の思い出は希薄で、そのあたりに心当たりとなる体験をしていたなら……自力で掘り返すのは厳しい。


 昴生は溜息を重ねる。


「……僕が危険だと判断した時点で織部が接近を諦めるなら、同行しても構わない」


「えっ、い、いいの?」


「現物を確認するまで断言出来ないが、一般人が視認出来る物が魔術に関わっているとは思えない。仮に有事だとしても、目の届く範囲で向かわれた方が対処が出来る」


「……ん? わたし、赤信号飛び出す幼児扱い受けてる?」


「夏祭りの使い魔、文化祭後の幽霊猫、綿毛茸の事件現場」


「ぇ――ああぁ、あわわわ、わたし、そんな、そんなにも突っ込んでた!?」


 淡々と並べられた単語に一瞬呆けたが、気付いた瞬間血の気が引いた。心当たりしかなかった。

 向かって突っ走った理由も近付いた結果もそれぞれ違うとはいえ、今回のおばけ絵画を見たいという要望との違いを説けと言われると……何も反論出来ない。見終わった後でちょっと特殊な仕掛けのある絵で魔術と無関係だった、という結果くらいしか違いはないかもしれない。

 ……そう考えると、これまで運良く無関係だった結果が多かっただけで、知らないうちにもっと無謀な飛び出しを積み重ねていた可能性は、充分あり得る。


「わたしは迷子紐が必要な高校生です……ご面倒をおかけいたします……」


「そこまで自虐させるために言ったわけではない。……片岡はどうする? 体調が優れないなら君だけでも、」


「は? 行くが?」


「…………そうなるだろうな」



 彼の目の前に、魔術に関わる『物』の例外が、平然と立っている事実に彼は気付かない。

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