命と『完成品』

「例え明日、わたしが死んだとしても、叶わなくても、未来の話は無駄じゃないよ。だって、楽しかったから」


「……楽しい?」


「わたし、高校卒業したら進路は就職一択だった。働く先なんて何でもよくて、とにかく早く社会人として独り立ちするんだって考えてた。でも、改めて進路について考えた時、思ったんだ。なんてつまんないんだろうって」


「全然、つまんなくないよ。普通にしっかりした進路じゃん」


「本当? アルカに向いてる進路なのかな……そういえば、持久走とかもアルカは余裕そうだったもんね」


「何で急に持久走?」


「だって、まるでゴールがない持久走みたいじゃない?」


 笑いながら告げると、アルカは目を丸くした。


 ――正確に言えば、菫にとって独り立ちは一つのゴールだった。

 その先は隠し事を抱え込んだまま、いかにうまく死ねるかまでの消耗試合。それで良かったし、そういう生き方が自分に相応しいと思っていた。

 だけど、それは去年までの事。

 今年に入って予定が大いに狂った。隠し事は暴かれ、虚構を詳らかにされ、菫はゴールを失った。そして、菫はそれが嬉しかった。目標を失って途方に暮れる事はなく、逆に視界が開けたような高揚感があった。

 そうして、選ぼうとした道が随分と息苦しいものだと気付いた。ゴールのない持久走みたいだと。


「そう思った時、わたしは何のために走るんだろうって考えたの。大人になったわたしはどんな服を着て、どんな場所にいたいんだろう。走る目的って、そこに辿り着くための移動手段じゃない?」


「移動手段……」


「うん。だから、今はまだ悩んでる。アルカは何がしたい? どんな大人になりたい?」


「――――……、」


 これは進路相談だ。菫が兄に対してしたものと同じ。

 兄は自分の体験や友人の体験、成績を伸ばさなくてもいいが勉強の癖はつけとけとか、可能であれば学歴と資格を取っとけとか、就職するなら求職票で気をつける罠の箇所とか。色々と聞いて参考になったり、大人の苦労を偲んだりした。

 菫は兄のようにアルカにとって参考になる話は出来ないけれど、同じ目線で一緒に考える事は出来る。


 そういえば、聞いた事がない。

 アルカは、どんな将来を想像しているのだろう。

 その未来を、手伝う事は出来ないだろうか。


 そんな安易な気持ちだった。

 菫はただ普通に相談に乗っていただけだ。ただそれは、かつてアルカが受け取った言葉と同じだった。



 あの時、この身は如何な回答を選出しただろうか。



「どんな大人とか、考えた事、ない……」


「じゃあ、アルカも『織部』になるとか、どうかな?」


「……、…………、はぁっ!?」


「あ、いやわりと真面目に」


 深く考え込んでいたのか、少しぼんやりとしたアルカの目が大きく見開かれる。

 またからかうのかと沈んだ表情が怒りに上書きされる直前、菫は手のひらを見せて待ったをかける。至極真面目な目に圧倒され、アルカは口を噤む。


「わたし、もし働くとしてもしばらくはお兄ちゃんと暮らしてたいなって考えてるの。一人暮らしするつもりだったけど、ちゃんと計算したら貯金全部飛んじゃうくらいお金かかるし、一人でいるのは多分寂しい。お兄ちゃんもしばらくは一緒に住んでいいって言ってくれたけど、今までと同じように家事に手が回るかは不安でね」


「う、うん」


「だから、お兄ちゃんに専業主婦のお嫁さんいたら最高だなって思って。ついでにわたしが同居しても許してくれて仲良くしてくれるお嫁さんだと、なおいいなって。だから、ちょっと本気で頑張ってアタックしてみない? 将来の夢、進路希望、織部家のお嫁さんって感じで。駄目かな? わたしも頑張って理解ある小姑になるから!」


「色々答えづらい!!」


 黙って聞いてればとんでもない事をとんでもない熱量で語られてしまった。

 爛々と目を輝かせる菫に対し、アルカは全力疾走した直後のように顔が熱く全身に変な汗を掻いた。


「ちょっと、ちょっと……無理、今すぐ答えは無理、考えさせて……」


「あ、ごめん。全然断っていいからね。やっぱり友達でも小姑付き新婚生活はきついと思うし」


 菫はアルカの反応を見て、特段落ち込む様子は無い。予想通りとばかりに受け入れ、少し残念そうに眉を下げるだけ。

 きついとか、きつくない以前に、アルカの頭では想像する余裕がないだけだ。しかし菫を邪険にする未来の可能性は微塵もわかない。それだけはわかる。

 なら、菫が語った一つの将来の形として、受け入れ難いものではないのだ。


「将来像を色々考えて、もし三人で暮らせたらって想像したら、もう楽しくて楽しくて。……でも、叶わなくてもいいんだ。もし叶ったとしても、それがずっと続くものじゃない」


「ぁ、」


「わたしも誰かと結婚して出て行ったり、もっと別の理由かもだけど、いつまでも一緒って、現実的に家族でも難しいよね。考えた事と全然違った将来かもしれないし、全部無駄になるかもしれないけど――虚しいものに、したくはないかな」


 織部菫の隠し込んだ六年間。それは誰かにとって無駄な事だとしても、菫にとって意味あるものだった。

 虚しいものにされるのは、少し悲しい。

 まだ何も描かれてないこの先の空白を、アルカが歩く道を、そう評されるのは悲しくて……だいぶ、面白くない。


「今のわたしの話、アルカには虚しいものに聞こえたかな? わたしの進路希望の話、虚しい?」


「そんなことっ……それは、そ、そんな聞き方はずるくないかなあぁ!?」


「良かった。気付いてくれなかったら、どうしようかと思っちゃった」


 アルカは『織部菫を否定する言葉』を肯定しない。

 わかっていて菫の話に置き換えた上で聞き直したので、正当評価として甘んじよう。実際、菫は小狡い自覚がある。


「アルカの気持ちはわかるけど、わたしはよくないと思うな。結局全部わたしの妄想で普通に来年になって、卒業まであと一年しかない! なんてなったら、すごく謝るけど、困るのはアルカだよ?」


「う……それは、まぁ、そうかも。菫は謝る必要ないけど」


 菫は笑顔の奥で、喧嘩にならなくて良かったと胸を撫で下ろす。

 頑なな相手に反論するのは結構怖いもんだ。嫌われたくないなら、尚更。


 それにしても、と菫は自身の内側から外側に意識を向け、目の前の少女を見て思う。


 これまで付き合う中で何度も感じた彼女の奇妙な弱さ。後ろ向きな思考が、今の体調不良や進路への不安、鬼の未来視の不確定要素によって加速されてるようだと、菫は


「まぁ、今日のところは置いとこ。体調悪い時に考え事してもあんまり良い事ないから」


「うん……そうだね。菫の話聞いてると、私は全然考えてないかもって思ったから、もうちょっと、自分でも考えてみる」


「織部家に清き一票をお願い致します」


「……考えときまぁす」



 菫は思いもよらない。指摘する人物もいない。


 成長し、劣化し、やがて朽ちる生物とは異なった『完成品』に、将来など無い。

 どこで、どのように扱われるか。ただ、それだけであると。




 再び歩き出した時、ふとアルカが気付いたように問う。


「というか、誰かと結婚って、そこ継片とかじゃないの?」


「んー。でも昴生くんと結婚より、どこかの誰かとの結婚生活のほうが想像しやすいからなぁ」


「本当あいつ駄目すぎるわ」


 溜息混じりにここにはいない少年を非難するアルカの言葉に苦笑いしつつ、菫は言葉を飲み込んだ。

 本当に駄目なのは、彼ではないのだ。





「おもだるぃぃ〜……」


 駅に着くと、アルカの体調は悪化した。

 動けなくはないが気怠さが増したらしく、このまま電車に乗るのはまずいと駅前のバス停留所のベンチを借りて休憩していた。菫が冷たい水を買ってきて渡すと、アルカはありがたく受け取り水分補給の後こめかみを冷やし出す。


「せっかく少し良くなったのに、またぶり返しちゃったのかな?」


「あー、そういえば、朝も駅着いた途端、具合悪くなったんだった……。駅になんかあんのかな? 変な電波飛んでるとか」


「そうだとしたら、わたしも他の人も体調悪くなってるよ」


 そう話しているうちにバスが停車した。運転手に乗りませんと声をかけていると、乗客が次々と降りていく。


「転ばんようにねぇ」


「わーかってるって。それにしても、本当かねぇ。ああ怖い怖い」


「あんたが真っ先にボケるとは思わんかったよほんと!」


「何度だって言うけどねぇ、腰抜かして動けなくなるのは貴女達よぉ!? 何たって喋る! 喋って飛び出す絵なのよー!」


 その中で姦しく言葉を投げ合うのはお洒落な老齢の女性が三人。足元に気をつけながら降車した彼女達の言葉はまぁまぁ大きく、道路沿いでありながらも軽快な会話が聞こえてきた。

 先程まで将来を語っていたのもあって、友達と軽口を叩き合い出かける老後の光景に魅力を見出し、思わず目で追ってしまう。


「だったらテレビとかでやったりするんじゃないの?」


「無理無理! !」


「はぁ?」


「それがぜーんぜん映らないのよ! スマホで撮ってもカメラで撮っても、写真も動画も映ってるのは真っ白な絵と額縁だけなの! でもその額縁からは女の子が出てきて……とにかく、見ればわかるから!」


 その会話から、ふと思い出す。

 あれは何度目かの勉強会の時、魔術に関する資料には文字か抽象的なイラストしかない事にアルカが『わかりにくい』と不満を零し、昴生は『仕方ない』と緩く首を振った。

 アルカの求めるわかりやすさとは、写真や動画による視覚的情報の精密さが関係していると解き、魔術に関わる物は人の目と同様に映らないため資料の進化は望めないと説明を受けた。

 肉眼で見えないならば、写真や動画に映らないのも菫は納得して、一つの知識として頭に詰め込んだ。


 それが、記憶情報から引き出された。

 菫はさりげなくアルカの姿が隠れるように近付き、三人を警戒する。彼女達はこちらに関心はなさそうで背中を向けてゆっくりと離れていく。


「……アルカ、今の話、聞こえた?」


「……聞こえた、けど……あの人達から魔力は感じないから、よくわかんない最新ナントカで作られたなんかすごいのなんじゃ……ぁ、れ?」


 小声で問いかけると、アルカも同じように『喋って飛び出す映像に残らない絵画』に違和感を覚えたらしく、体調不良とは別の強張った表情を浮かべて注視していたが、不意に眉を寄せた。

 何かに気付いたように周囲、足元を見回してから老女達の向かう先に視線を流す。


「なにこれ、なんだこれ……そうだ、この気持ち悪さ……なんか覚えがあると思ったら、綿毛茸の時だ」


「えっ……でも、今は昼で、」


「違う、綿毛茸じゃなくて、継片がなんかやって、空気が気持ち悪くなった時の……」


 そんなことがあっただろうか。あの夜は色んな事が起き過ぎて、菫は急いで記憶を引っ張り出すがあまり印象に残っていない。時間が経っているのもあって、思い出すのが難しいかもしれない。

 悩んでいる間に老女達の距離が開いていて、そろそろ道を曲がったりしたら見失いそうだ。


「あの、すみません! ちょっと、お話聞いてもいい、ですか?」


 迷ったのはほんの一瞬で、菫は急いで駆け寄り声をかけた。何をどうするのかはまた、別で考えればいい。

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