弓の魔術師の途絶えた歴史

「……世界が、正しく流れるため」


 その言葉だけ聞いたなら意味がわからなかっただろう。今は『救世の斧正器』という呼び名に、薄い繋がりを感じられる。


 ただ、菫の想像力では世界の流れやその正し方を補完出来ない。

 排水溝が詰まって水の流れが悪くならないように、適度に掃除をする――そんな庶民的なイメージしかわかず、当然そこに弓との関係性は思いつかない。


「その宣言以降、弓に関する研究成果はなく、途絶えている。事実であれ、虚実であれ、歴史的に弓は消失した」


「その人、本当にそれだけしか言い残してなかったの? こうしたから無くなった〜とか、何もなし?」


「ない。だから納得しない魔術師は多かったらしい。当時の魔術師が弓が失われた原因、もしくは隠蔽の証拠を突き止めようとした痕跡はいくつか残されているが、どれも憶測の域を出ないものばかりだった」


 落胆で肩を落とすアルカの中の怒りは完全に鎮火したようだ。

 話を聞いてみれば確かに、『世界を正しく流す何らかの方法を見つけて行使すれば消える』よりも、『魔術師に利用されないため知識をつけて身を隠せ』の方が対策が具体的でわかりやすい。


 一瞬の沈黙ののち、菫は片手を上げつつ口にした。


「昴生くんはどう思った?」


「……? 僕の意見が何の役に立つ?」


「わたしもアルカも当時色々あった事わからないけど、昴生くんならその色々を見てるし、贔屓目なしの意見聞けるかなって。あとは勘」


「勘……」


「うん。君なら正解に辿り着いてそうって、勘」


 勘と呼んでいいのか経験談と呼んでいいのかわからないけど、より適切な言葉を選ぶなら信頼だろう。

 そんなものを向けられた昴生は眉を顰め、引いた表情で何か言いたげに薄く開いた口を閉じた。とても嫌そうでわかりやすい、菫は思わず笑みを深めた。


「……得た知識の偏りを考慮なく答えるなら、僕は弓は役目を終えて消えた、と考えている」


 弓の魔術師は当時、まだ『空中都市の構想』以前の『方舟の捜索及び始祖の技術の再建』に対して積極的だった。

 一度途絶えた歴史が明らかになる。協力姿勢の理由には野望や特殊な思想はなく、純粋な好奇心。純朴な人柄が伺える資料がいくつかあった。


 そう語る昴生の話に耳を傾けながら、菫はふと思い出す。

 確かに方舟で始祖と直面した弓の魔術師、びっくりして気絶してたな。ちょっと感情表現豊かで愉快な人だったのかもしれない。


「情報を開示し価値を証明したあとで、研究に関わる魔術師を敵に回してなお、隠匿するメリットあるとは考えにくい。対人関係の問題を可能性としてあげている仮説があったが、研究の第一人者弓の魔術師研究対象〈方舟遺物〉を失った体裁を取り一人で泥を被る理由も、裏付ける証拠もない。証明不可能な事象によって弓は失われた、と考えるほうが筋は通る」


「しょ、証明不可能なじしよー……?」


 アルカが理解出来ない様子で菫に視線を向けるが、当然菫もわからず首を傾げる。二人で昴生に視線を向けると彼も頭を横に振った。

 具体的な仮説はないらしい。なら発想は自由に出来る。


「時限爆弾が爆発する前に爆発しないようにした、とか……だと、不発の爆弾が証拠として残るし、世界の流れって言うわりに規模が小さ過ぎるかな」


「ああ! 事件とか事故を未然に防ぐかっこいいのだね! じゃああれは? 去年観た映画のラストで、素手で隕石をキャッチしたやつ!」


「あっ、そんな感じする! ……弓で隕石を止める、のはちょっと難しそうだけど、細かく砕いたとか? ならその欠片を証拠に出来なかったのかな? 隕石は普通の石と成分が違うみたいだし、砕けるくらい威力が強かったら魔力もくっついてたり、しない?」


「もし、現実に起きて隕石が現存していたなら証明可能かもしれないな。時代的に回収が難しかった可能性もあるが」


「じゃー……綿毛茸の、巨大恐竜サイズがいたとか?」


「あ……確かに。倒したら何も無くなっちゃったから、証明不可能ではあるね」


「資料が正確なら、弓の魔術師は霊を見る素質はなかったらしい。先日のように目となる協力者がいたなら、その人物が証人となるだろう」


「さっきから否定ばっかの継片くんはどういう素晴らしい案があるんでしょぉねぇ~?」


「怒らない怒らない」


 菫も同じくらい仮説を否定しているのだが、好感度の差によってアルカの頭が再沸騰の兆しを見せていた。どうどうと宥めている間に、昴生は目を伏せる。


「……荒唐無稽だと思うが、台風、と考えている」


「た、台風?」


「国を、もしくは大陸全土を蹂躙するレベルの大型台風を上陸前に消滅させたなら、隕石ほどではないが充分英雄的だろう。しかし、気象情報を正しく把握する技術がなかった当時の人々は運よく消滅した、もしくは何も気付かなかったと考えられる」


 台風、ハリケーン、サイクロン。名称は違えど同じ熱帯低気圧。

 菫達が過ごすこの街も、去年の夏に数回強い雨風に襲われた。しかし大きな実害は被った事はなく、毎年の風物詩のような認識だ。


 しかし、それは運が良かっただけ。

 風によって家屋が壊され、雨によって山が崩れ、浸水やライフラインの断絶など、ひとたび実害が出ると被害が大きい災害だ。特に外国では被害者も多い印象もある。


「現代に至っても科学技術を用いて台風を消滅させる方法は確立されていない。魔術師だろうと、たった一人の人間が成し得たなど、あまりに荒唐無稽だろう」


「でも、昴生くんはそうじゃないかって思ってるんだよね? 何で?」


「魔術師による人為的発生が可能で、より被害が大きいもの、その想定で思いつくのが台風だった。未来人であるアーノルドが『正しい歴史に修正させる』事を、世界の正しい流れと称したとしたら、弓の魔術師もそれに倣った可能性はある。……ただ、あくまで理論上の話だ。作り出すだけで何人もの魔術師の命を使い潰し、台風として形が整う頃にはコントロール不能になり、確実に消える台風を生み出す理由はわからない」


「……でも、理由があったら、作る事は不可能じゃない、んだね? なら、弓の魔術師は人工台風が作られているのに気付いて、上陸前に消した……でもそれなら、どうして隠したんだろう? 犯人捕まえて、こういう事情だったって言えば、証明は出来たのに」


「身内の犯行だったなら、握り潰す理由があるだろう?」


「うっわ魔術師やっべこっわー」


 菫は科学の実験で台風の卵を作る動画を思い出し、そこは魔術師に限った事じゃないと思いつつ喉の奥にしまい込んだ。

 技術が悪いのではなく、悪い人が悪用するのが悪いのである。


「昴生くんの話だと、技術面でハウダニットどうやったのかに大きな問題はないけど、フーダニット誰がやったのかホワイダニット何故やったのかが不足してる感じかな。でも一〇〇年くらい前の話なら、色々残ってないほうが普通かぁ」


「誰が、何故、といった面を詳細に掘り返すのは不可能だろう。いくつの魔術師の家系が断絶して、どれほどの技術が途絶えているのか、正確に把握する者がいるのかすらわかっていない」


「魔術師、わけわかんないこと多すぎない?」


「魔術師同士でもっとこう、コミュニケーションとか情報共有とかして、お互い支え合うとか難しいの?」


「自然の生態系と外交の話に例えて、僕が把握している範囲を正確に話すか?」


「やめとく」


「安易に慣れ合おうとするのは良くない感じは伝わりました」


 小難しそうな話の気配を察知してアルカは首を振り、菫も手でバツをして拒否。昴生は溜息混じりに「賢明だ」と告げて肩を竦める。


「でも、よく思いついたね。台風を消すって発想はわたしには無理だよ」


「いや、〈方舟遺物アークレガシー〉が弓だった理由と台風の形を鑑みれば、発想自体は突飛なものではないだろう」


「台風の形?」


 形と言われても菫は天気予報の台風情報でよく見る雲の渦巻きしか思いつかない。

 白い大きな丸型、台風の目と呼ばれる真ん中の空洞……それと、弓。


「まるで、弓道の的のようだろう」


 トン、と軽やかな的中音が脳裏で再生される。


「もしも巨大で強大な目を貫くものがあるのなら――それはきっと弓矢だと考えて、可能である人物の心当たりは一人のみだった」


 面白みのない妄想だと、事もなさげに告げられた言葉。

 それを聞いた菫とアルカは、彼が自評した荒唐無稽だと同調する事も、証明するものが何一つ空想がもしかしたら葬られた歴史かもしれないと騙されそうになっている事も、どちらも口に出来ずに困惑気味に視線を合わせた。


 もしも、昴生の予想がおおよそ当たっていたとしたら――弓の魔術師は、身内の悪行と数多の命によって作られたその強大な渦を自らの手で貫き、消滅させた。

 その身内を糾弾したのか、出来なかったのか。犯行を明るみにしなかった理由が自己保身ではなく、思わず庇ってしまいたくなるような関係性の相手だったとしたら。

 証明も出来ず、英雄にもなれず、理解も得られず……その後、どのような余生を過ごしたのか。


 菫は何となく、『彼なら正解に辿り着いてそう』と安直に口にした自分の勘が外れていてほしいなと、思った。

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