転ばぬ先の杖と弓とマグロ

 時は遡り、綿毛茸との決戦後。

 まだ本格的な冬の寒さが残り、菫の足がギプスで固定され、昴生の手のひらを覆う包帯が巻かれていた頃。


 殺意を向ける異形に立ち向かい、怪我を負いながらも三人は生き延びた。そして、思わぬ形で鬼と遭遇し、判明した事実と共に疑問と謎を多く残していった。

 その中で最も菫が気にかけていたのが、鬼が未来視する可能性。


「織部の予測には、確証を持てない」


 昴生の見解としては『肯定も否定も出来ない』だった。


「かもしれない運転が大事って爺さんも言ってた。だから気をつけた方がいい、と思う。具体的に、どうするとかは全然わかんないけど」


「同じく。具体的な対策全くないけど」


 あまりにも頼りない菫とアルカの反対意見には昴生も肩を竦める。


「……転ばぬ先の杖が必要だと言いたいのはわかる。だが、最低限明確にしなければならない部分が不明なままでは、話にもならないだろう」


「そのあたりはその、わたしの力不足で申し訳なく……。もう少し鬼さんからうまく話を引き出せたり出来たら良かったんだけど」


「まず、反省する部分が違う。織部が気にかけるべきなのは不干渉でいる事で、」


「うん。それはまぁ、軽率だったのも反省してる。それはもう本当、すっごく」


 ギプス装着から数日経っているというのに、ずっと心配し続けて隙あらば抱え上げてくる隣のアルカの強い視線に射されながら、菫はやや大袈裟に頷いてみせる。

 反省はしている。次は心配かけさせないように慎重に気をつけねばならない、と。

 菫の反省の仕方に納得してなさそうな視線を向けられたが、笑顔で誤魔化しておいた。多分誤魔化されてくれないけれど、追求は逃れる。


「話は戻るけど、色々不明確なまま対策方法を決めるのが難しいのはわかる。でも、話にならないのは違うと思う」


 まっすぐ目を見て真っ向から否定する。昴生は特に反論する様子もなく、話の続きを聞こうと口を結んでいる。


「想像して、思いつく限りの対策を準備するのは出来る。全部無駄になるかもしれないけど、全部が無駄じゃないかもしれない。非常用の備えは不要に終わるくらいでちょうどいいんだよ。それに、」


「……」


「わたし、適当な事言ったつもりないよ。三人で年越ししたい、一緒におそば食べて、年が明けた直後に明けましておめでとうって言うの」


 鬼の言葉から言い知れない不安を覚えて、確かめようとしたのはきっかけに過ぎない。

 一年後、自分は何をしていたいのか。

 咄嗟に想像した時に思い出したのは、クリスマスの賑やかさと、年明けの高揚感。二つ合わせたらきっと、もっと楽しい。


「僕は、」


「あっ、もちろん遠慮なく断っていいよ。あくまでわたしがやりたいなって思っただけだから、嫌なら嫌で、それはそれでいいの」


 三人のうちは二人が、消極的かつ拒否するのは目に見えている。これは菫個人の願望であり、叶わなくても仕方ない。

 残念だけど、この程度は笑顔の裏に隠す事など造作もない。


 それに、それはそれでいいのも正しい。

 重大なのは、その先。


「断ってもいい。気まぐれで参加してくれたら、それはそれで嬉しい。でも、そのどちらも出来なくなるのは――絶対に嫌」


 三人で過ごす些細な未来を、鬼は嗤った。

 あの場で死んでも誤差扱いの余命宣言。

 そのどちらも両立する仮説で一番有力なのは、昴生が何らかの要因で死ぬ事だ。


「夏祭りの時、昴生くんはわたし達を助けたのは偶然だって言ってたけど、今はそんなことない。というか、あの時以降はずっと助けてくれてたでしょ。今の君は間違いなくわたしの恩人。死ぬかもしれない恩人を、わたしは見捨てたくない」


「それは、」


「……まぁ、確かに、そう」


 菫の言葉に昴生の表情が渋くなる中、ふとアルカが煮え切らない声を上げた。

 眉を吊り上げ、口端は不満そうに下がっているけれど、昴生を睨む青い瞳に敵意は微塵もない。


「継片の事嫌いだけど、別に死ねばいいとまでは思ってないし。菫みたいにすごく恩を感じてるわけじゃないけど、知ってて知らんぷりするのは、なんか気持ち悪い」


「片岡まで何を言って……」


「お前がいなくなったら、菫はきっと悲しむ。……そんだけ」


 吐き捨てるような素っ気ない言葉に、昴生は困惑し、菫は少し照れくさそうに笑った。複雑らしいアルカの心情は、単純な理由たった一つでまとまったらしい。

 追撃のためにうんうんと菫が頷くと、昴生は口を開いたまま絶句した。


「あのね、恩とか友達とかそういうの抜きでも、身近に感じてる人が死んだりいなくなったら、人って悲しくなるものなんだよ。少なくとも、わたしはそう」


「…………」


「これで、『あ、これはうっかり死ねないな』って、ちょっとでも思い留まってくれたなら嬉しいかな」


「……それは、経験則か?」


「ご想像にお任せします」


 指摘通り、菫がぎりぎり死なずに済んだ理由の一つだと思っている。このまま死ねない、そんな当たり前の小さな奮起。

 それが彼にとっての転ばぬ先の杖になれば、何よりだ。

 重くもないし、荷物として手が塞がる事もないので、どうにかしっかり抱え込んでほしいものだ。いや、果たして持ってくれるだろうか? ……何かしら思い付いたら、持つように脅しておこう。


「これからも思い付いたら、提案したり相談したり、お願いしていくとして、とりあえずこの話はおしまい。次は、昴生くんが家で色々調べるって言ってくれてたのは、どうだった?」


「ああ、」


 想像を膨らませるしかない話は時間がいくらあっても足りないので、お互いの方向性を開示して一区切り。ぱん、と両手を合わせて小さく音を鳴らす。


 鬼が曖昧に濁した部分の話を終え、次は鬼がはっきりと明言した部分の話。


「織部が気にしていた『救世の斧正器』、名前の意味や、鬼が盾を出現させた際に口にした事から、恐らく魔術師にとっての〈方舟遺物アークレガシー〉と同じものを示していると思う」


「名前聞いただけだと、古くてどっか壊れてる機械っぽいけど」


「……ああ! 『旧制の不正規』品ってことだね! 確かにリコールみたいな響きがある」


 色々考えたがアルカの発想はなかった菫はやや楽しげに目を輝かせ、二人で頷き合う。

 昴生は溜息を零し、スマートフォンのメモ帳アプリに打ち込んだ文字を見せる。


「これで、『救世の斧正器』と読む」


「お、斧で正す? なんか、怖そうだね……?」


「斧正は、他人の書いたものに筆を加えて正す事を意味している。馴染みがある表現に変えるなら、修正や添削。校正の事だ」


「君の事?」


「違う」


 真面目にも行間を変えて『修正』『添削』『校正』と打ち込んで見せられた。ちょっとした冗談だったのに。


「救世は、そのまま救世主と同じ意味だよね? 世界を救うための修正、添削するための器?」


「んー? よくわかんないけど、どっちも伝説の武器的な意味?」


「あ、確かに武器に器って文字使ってるもんね。うつわって響きだけならお皿のイメージだけど、食器は食べるため、武器は戦うための道具って意味だもんね」


 つまり、救世の斧正器は『世界を正しくするための道具』という意味が近いのだろう。


「以前、弓を得た魔術師の話をしただろう。剣を得た魔術師の次に始祖と遭遇し、その体験と言葉を残し、魔術師の歴史を大きく揺るがせた人だ」


「あー覚えてる覚えてる……たぶん」


「えーと、大体は。でも弓の魔術師の人の話って、あんまりしてなかった、ような……?」


 方舟を創り出した始祖アーノルド。

 その存在から剣を授けられたアルベアトの嘘ではなく、事実として魔術師達に証明した人。

 そのあと、アーノルドがタイムスリップで過去にやってきた未来人とか、方舟の技術を得て空中都市を作ろうと画策する魔術師達の話に変わってしまい、弓の魔術師個人の話はされていなかった。


 曖昧な記憶をひっくり返し、間違ってないか確認すると昴生も頷く。


「あの時は君達にとって、魔術師は警戒すべき存在だと教える事を優先し、大筋に関わらない内容は省いたからな」


「……いきなり弓の魔術師の話になったのって、救世の斧正器の心当たりの話になる?」


「ああ。弓の魔術師は存命中、〈方舟遺物アークレガシー〉を失った唯一の人だ」


「……はあぁっ!?」


 菫もワンテンポ遅れて驚いたが、立ち上がったアルカの驚愕の悲鳴に掻き消された。

 それはそうだ。アルカは最初から『こんな面倒ごと呼びそうな矛いらね』と主張していて、昴生も『手放すのは無理だ』と否定していた。だから息を潜めるように気を遣い、知恵を得るため勉強に時間を費やしてきた。

 なのに、急に前例があったと後出しをされたのだ。当然動揺するし、怒る。


「何それ、何それ! 捨てられる方法があったなら最初から言えよ!!」


「……片岡は、悪魔の証明を知っているか?」


「話逸らすんじゃねー!」


「タイムタイム、多分逸らしてない、逸らしてないから」


 前のめりになるアルカの腕を掴んで菫が声をかけると、煮えくり返る表情をぎゅうと押し込めながら椅子に座り直す。

 少しでも落ち着けるようにと背中を撫でながら、菫は話に入る。あんまり気持ちの良い話ではない気配に、やや眉を寄せながら。


「悪魔の証明って、無いものの証明は難しい、って意味だよね? ……つまり、弓の魔術師の人は『無くなった』を証明出来なかったって事?」


「……そうなる」


「あ、あぁー……ええと、アルカ。想像してほしいんだけど」


「ん? うん」


「このおうちに、特大マグロが一匹ありました」


「すごっ!」


 よし、掴みはオッケー。

 正面に座る昴生は『何故急にマグロ?』と言いたげな困惑顔だが、気にせず続ける。


「でも、わたしもお兄ちゃんもマグロを解体出来ないから、近所のお寿司屋さんに譲りました。お寿司屋さんは解体した次の日、二人で食べ切れる分をくれて、残りはお寿司屋さんで提供されて全て美味しくいただきました」


「うんうん」


「ある日、お金持ちなマダムが慌てた様子でうちにやってきました。そして『おたくにあったマグロの中にあったあたくしの指輪を返して!』と言ってきました。なんとうちにあったマグロは、高級指輪を飲み込んだ高級マグロだったのです。さてここでクイズ、指輪はどこにあるでしょうか?」


「えっ」


「わたしとお兄ちゃん、お寿司屋さん、お金持ちなマダムはそれぞれ嘘をつけます。なぞなぞじゃないよ。どこだと思う?」


「えっえ、ええ?」


 突然投げられた問題にアルカは困惑し、先程までの怒りがすっかり抜け切ったらしい。


「ま、マグロの中にあったなら、お寿司屋さんが見つけてるはずだよね? そもそも、マグロが指輪を飲んだって事がもう嘘とか……?」


「うん。でもお寿司屋さんは指輪なんて見つけてないって言う。もちろんわたしもお兄ちゃんも知らないって言う。でもお金持ちなマダムは嘘ついてるのはわたし達かお寿司屋さん、もしくは両方だって言う」


「ヒント、もっとヒントはないの?」


「ないよ。指輪はどこにあるのかわかる?」


「わかんないよ!」


「ぴんぽん、正確」


 軽く拍手をしながらそう告げると、ぽかんと口を開いたアルカが「はああ?」と声を上げた。そして、何かに気付いたように「あっ」と声を跳ねさせる。


「無くなったを、証明出来ない」


「うん。最初からなかったのか、解体前にこっそり盗んだのか、解体後見つけてくすねたのか。もしくは三者とも本当の事を言ってるのかもしれないけど、指輪が見つからなかったら嘘をついてない証明は出来ない」


「す、菫の場合は夕昂さんがいるから、」


「共犯者ではない証明は出来ないよ」


「二人は泥棒なんて絶対にしないもん!! 絶対絶対しない! それが証拠!!」


 イメージしやすいだろうと配役を気をつけたら予想外の怒りを買ってしまった。

 うっかり嬉しくなると共に、かつてアルカのように怒った人がいたかもしれないと想像出来て、菫は眉を下げる。


「ありがとう。……それで、例え話をしっかり想像してもらったところなんだけど、多分似たような事が起きたんじゃないかな? 弓の魔術師の人」


「え……」


 始祖アーノルドの空に浮かぶ方舟。

 その技術を用いた空中都市を作るために、魔術師は〈方舟遺物アークレガシー〉と名付けた武器を欲した。


 弓の魔術師が『もう弓は無くなりました』と言って、果たして全員が信じただろうか。『嘘をつくな』『隠してない証拠を出せ』と揉めた時、証明する方法があったのだろうか。一度は信じた人ももしかして、と疑い始め――そう思い至った菫は、昴生に答えを聞いた。

 そして、菫が適当に考えたクイズと同じ『解なし』が答えだった。


「……織部の例え話とは全く違う、と思うが断言出来るほどの情報もない。弓の魔術師は〈方舟遺物アークレガシー〉を失った経緯について、遺した言葉は二つだけだ」



『あの弓には二つの役目がありました。一つは私の願いを叶えるために。もう一つは世界が正しく流れるために』


『どちらの役目を終えた弓は、もうどこにもありません』

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