方舟はその光を目印に
空がまだ暗い、明け方。
行光と妻の晴子は自宅で就寝していた。静かで穏やかな夜を、ドォン、と爆撃を受けたような揺れと音によって壊された。
「な、なんだぁ!?」
「あら……木でも倒れたのかしら」
どう考えても倒木以上の衝撃だった。真っ先に思い付いたのは地震だが、テレビをつけてもそれらしい情報はない。
行光は警戒しつつ外に出て、道に異常がないのを確認してから裏手の山を見た。
小さな光が、漏れていた。
一瞬山火事が頭をよぎったが、どう見ても火の揺らめくような明るさとは違う。金色の光が等間隔に点滅している様子は回転灯のようで、何かを知らせるための意思がそこにいると感じた。
「行光さん、家の中は大丈夫そうだけど、外はどうかしら」
「ああ、ここ数日晴れてたから土砂崩れの心配は無さそうだが……あそこが光ってて、」
「どこ?」
「だからあそこ。山の中腹よりやや下」
「……? 見えないわ、暗いからかしら」
その時はまだ、晴子の目の心配をしているだけだった。晴子に見えなくとも、行光は見え続けている。
寝直す気も起きず、何か問題でも起きていたなら原因を突き止めて対処しなくてはならない。そこは片岡の父から相続した行光所有の山だった。
目的地は光っているからわかりやすい。慣れた道を選んで迂回しても、夜明け前後には辿り着けそうだ。
記憶に残るような場所ではなかったが、近付いてみるといくつか木が折れて倒れているのがわかった。そうして緩やかな斜面に吹き飛ばされたように無くなった木の代わりにあったのは、巨大なクレーター。
クレーターの中央にそれは居た。
「……宣誓者の子。この身の担い手、あなた?」
「はぁ……?」
電球のような金色の光が、人の形をして揺らめいていた。
それだけでも充分奇妙だが、もっと奇妙な事に気付く。影が出来ない。持ってきたヘッドライトを消せば一目瞭然だ。まだ薄暗い中で、その場の光源はその光だけ。影を作るには充分な明るさを放っているのに、地面に影を作らない。そこに光など存在しないように。
「宣誓者の子、まる。担い手の証、ばつ。宣誓者の子、分散、による、照準の誤り。角度の誤差、不明、指示、指示を、」
「……何言ってるのか、サッパリわからん」
「む」
「俺に聞きたい事があるなら、わかりやすく、簡潔に質問しろ」
「理解。…………理解、まる。使用、しようほう、ふくざつ。言語、選択、整頓、時間、いる」
「はぁ、なんかめんどくせぇもの見つけちまったなぁ」
その光は雑然とした言葉を使い、人の形をしていたが明らかに人ではなく、そもそも生き物なのかすらわからなかったが、妙な愛嬌があった。
だからまぁ、何となく放っておけなかった。
「まず、お前は何者なんだ?」
「情報組織の操作と制御、根幹、動力源……動力、が、近い。この身の性能、色々、の、中で、エネルギー、ただしい」
「エネルギー……電気とかガスとかそういうもんか?」
「照明、熱エネルギー、生成、変換、まる!」
「まぁ、見りゃわかる」
今も電球のように暖かい光を放っている。光の声はどこか誇らしげだ。
わかっちゃいたが、行光の常識的に生き物とは呼べない存在である事は確定した。とはいえ、それに対し態度を変えたりもしないため、話は滞りなく続く。
「で、色々出来る万能動力は、それを使ってくれる奴を探しにきたと」
「まる」
「まさか宇宙から来たとは言わねぇよな?」
「この身、この惑星の上で、過去、作られた。この惑星、の外の力、関係、まる」
「冗談みてぇな話だな……」
隕石よろしく空から落ちてきたのかと思いきや、自称万能動力は地球生まれ地球育ち。しかし地球の外、宇宙の何かしらにも関わっているらしい。どう見ても人類の技術とは思えないので、宇宙人の技術だろう。
実は寝直して、やたらと現実に近い夢を見ている気がしてきた。
「で、目的は? さっき言ってた、センセイシャとやらを探してるのか?」
「ばつ。宣誓者、今は亡き人。担い手の証を持つ、子、まる」
「あぁ、後継ぎって事か」
「ん、後継ぎ。あなた、跡継ぎ、ばつ」
「ま、そうだろうなぁ」
宣誓者も担い手の証とやらもよくわからないが、特殊な技能や資格のようなものだろうと行光は解釈した上で納得する。
このよくわからない光は、自分の手には余る。使い方の想像すら出来ない。
なるほど、だいぶ話はわかってきた。この光は迷子らしい。
「その跡継ぎとやらに会うのが、お前の望みなのか?」
「この身の望み、ばつ」
「ん? じゃあ何のために探してるんだ?」
「作成者の望み、まる。跡継ぎへ、この身を捧げよ。命令」
「………………あぁ?」
行光はそれまで、何だかよくわからん事になったなと、どこか他人事だった。
それでもとりあえず話は聞いて、貸せる手は貸しとくかとは考えていた。その光があまりに頼りなく、困っているように見えたから。生き物とは呼べない存在に、庇護欲を掻き立てられたから。
「……ああ、お前、動力とか言ってたな。お前はエネルギーの塊で、そのエネルギーを跡継ぎとやらに使ってもらえと、作成者とやらが命令したのか」
「まる」
「お前の望みではないのか」
「この身の望み、ばつ」
「は、お前の作成者とやらはクソみてぇな趣味を持ってるみてぇだな」
行光の答えに光はやや硬直して、疑問を零す。
「作成者、に対する評価、下落。何故?」
「電池みてぇな扱いするもんに、わざわざ自我と思考力を与えるなんて、悪趣味にも程がある。それとも何だ? お前は充電すれば使い回せるタイプの電池か?」
「? 充電、ばつ」
「なら、お前は作成者の命令で跡継ぎとやらに使い捨てされるために、ここまで来た。正しいか?」
「まる」
「それは、お前の望むところなのか?」
「? この身の望み、ばつ。……、……?」
人の形をした光が、蝋燭の火のようにゆらゆらと揺れる。
「……この身は、人のため、作成。人のため、使用、正常。……?」
ああ、やはり。行光は確信する。
常識に当てはめて生き物とは呼べないその存在。在り方も、言葉遣いも、まるで機械に近いものだが、この光には心がある。役割と望みを分別する
この光の内にある心が、果たして作成者による人工的なものなのか、はたまたいくつもあるという機能から生み出された副産物なのか。
どちらにせよ、気に食わない。
人の形をした光の大きさが、小さな子供のようだったのもあって、ますます不愉快だった。
「お前の力が必要なのは作成者なり跡継ぎなんだろ。わざわざお前が向かう必要はねぇよ。頼み事がある方が来るのが常識だ」
「常識」
「お前が望んでんなら手なり足なり貸せるが、肝心の跡継ぎの居場所もよくわかってないんだろ? なら尚更だ。ほっとけ」
「ほっと、け」
「おう。そんで手が空いたなら好きな事すりゃいい。お前はなんかやりたい事とか、行きたい場所とかあるのか?」
「この身の望み、行き先、ない……」
光の回答はこれまでで一番頼りなく、弱々しい。
自身の望みなどなく、望まれるままに使われる一方だったのであれば、行光の言葉は少々きつく、刺激が強すぎるのかもしれない。
「なら、しばらくうちに来るか?」
「…………」
「来客用の部屋で適当に暮らしてもいいし、屋外がいいなら……ま、庭に犬小屋でも置いてやる。踏み抜かなけりゃ屋根でもいいぞ。どうする?」
「へや、ごや、やね……馴染み、ない」
「なら一度見てみるか。あとゴヤじゃなくて、こやだな」
「む……」
これまで流されるように生きていたなら、他にも流される道を示せばいい。当人の意思がどうなるかはわからないが、いくつか見せてれば興味があるものが見つかるだろう。
山を下りながら誘導すれば、光はゆっくりと移動した。
きちんと二足で立っているのは姿だけで、足は動かず、足音もなく近付いてくるのは、幽霊じみていて少々気味が悪い。
「ああ、そうだ。お前、名前は? なんて呼ばれてた?」
「方舟の臓器」
「はぁ? 臓器?」
「この身の役割、情報組織の操作と制御、根幹、動力源……人の身における脳、心臓、骨髄に類似。作成者、臓器と命名」
「あー……なるほど? お前のエネルギーは、元々方舟とやらがきちんと動くための頭脳でポンプで血液なわけか。多重労働過ぎるだろ」
そもそも何故舟にエネルギーが必要なんだ? 水に浮かばせるだけだろう。豪華客船かなんかか? それとも、方舟ってのは名前だけで実際は舟とは全く別物の動力式の何かなのか?
一瞬考えがずれたが、そこは関係ない。聞きたかったのは光の役割ではなく、呼び名なのだ。
「しかし、どこをとっても呼びにくそうだな、内臓……モツ、レバー、ハツ、砂肝、ぼんじり、はなんかちげぇよな。舟の方なら、ふね、シップ、ボート、ヨット、カヌー……」
「この身は機関、ただの一部、方舟、ばつ」
「ああ、方舟だとアークとかもあったな……いや、なんか響きが悪っぽくて合わねぇ。んー…………あ。アルカ、なんてどうだ?」
「アルカ」
人は、名もなき不詳を恐れる。やましき心は柳の揺れる影にさえ怯える。
逆に言えば、名をつけて正体を詳らかにされると、そこにある神秘性の在り方が大きく歪む。形なき存在の意思が、その名に相応しい形を得る。
これは、一つの望み望まれた結果。
当人達の想いがどれほどのものだったのか、もしくは当人達の想いとはずれた形で、願いは叶えられる。
「ちっと女の子過ぎたか? 名前の響きがピカピカしてるお前に似合うと思うんだが」
「ううん、」
背後からざり、と土を踏む音がして、行光は後ろを振り返る。
今ここには自分と歩かない光しかいない。近い足音は接近してきた野生動物だと推察し――その警戒は無駄に終わる。
「アルカ、おれはアルカ」
「は……?」
行光の後ろには光しか居なかった。人の形をした光が、一人の少女にすげ替わっていた。朝日に照らされた長い金髪は、光と同じ色と輝きをしている。
だから、目の前のあどけない少女が、あの光の一面だと気付いた。
「んん、おれ、アルカ。あなた、と行く。おまえ、誰?」
「は? ……あ、俺の言葉を真似してんのか。まぁ、この身の〜とか言ってるよりはマシか」
まったく、とんでもない事が起きたもんだ。
とりあえず子供を素っ裸のままでいさせるのはよくないと行光は着ていた服を被せ、背負って下山した。腰がやられた。
アルカと名付けられ、子供の形をしたそれは紆余曲折を経て片岡家の養女となった。
色々あった。山で拾った子供の形は、晴子によって警察やら児童相談所やらに保護され、当然アルカの両親は現れず、行光は誘拐の容疑までかけられ、養子縁組しようと引き取られ、上手くいかずに戻され、転々とたらい回しにされたアルカはいつになったら片岡家に行けるのだと癇癪を起こし呼応するように各地で超常現象が起きて気味悪がられる話を耳打ちされ……まぁ、色々あった。
「……そうだっけ? なんかあっちこっち連れてかれて、色々勝手な事言われてむかついた気がしたけど、あんま覚えてない」
アルカの機械じみた言葉遣いが、年相応な子供らしくなった頃、そんな出来事があった事すら忘れているようだった。
よくわからない生き物の役割とやらがどれほど重要な事なのか、行光には測り知れない。だが、幼い子供が妻の晴子に甘える光景を眺めて……それならそれでまぁいいか、と思った。子供は子供らしくのびのびと、自由に生きればいい。
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