閑話 鬼が出るか仏が出るか
生き物であれ、ただの物であれ、永遠なんてものはない。燃え続ける炎がないように、悠久の星が砕けるように。終わりの時は必ず至る。
人は、己と己の愛したものが永遠であるように願った。
例え途切れてしまっても、雨水が海へと還り、蒸発によって空へと還り、また雨を降らすように。
形が変わろうと、名前が変わろうと、愛したものがいつまでもあり続けるように。
同時に、人は死による罪の清算を願った。
報われる事を、より凶悪に裁かれる事を、命尽きた先に次がある事を。
どうかどうか、お救いください。――そうして願いは届き、叶えられた。
そうして叶えられた理想を、まるで初めからあって当たり前のものとして、受け入れられ、忘れ去られた。
冥界は、そんな経緯で作られた受け皿だ。
極悪人に対して、地獄に堕ちろという罵倒があるらしい。
まったく、堕とされる側としては迷惑極まりない。まるでゴミ捨て場扱いだ。それとも、極悪人であっても救いあれと願う聖者の声が愚者によって歪められたのか。地獄の鬼は嘆息する。
ぶに、と湿った感触が当てられて、地獄から天国に近い狭間に配置換えされた鬼の思考は、外側へと戻される。
まず黒いツヤツヤの鼻、手に当てて来たそれが健康な状態であることを確認。
次に理知的な茶色の目、その犬自身より遥かに高い位置にある鬼の顔へと不思議そうに向けられていた。
『鬼さん、どうしたの? もやもや?』
「違う」
口を閉じていた犬が、良かったと言わんばかりに口を開けて目を細めた。
人と共に生きた動物は、本当に表情が豊かだ。まぁ、目の前の犬に関しては尻尾のほうがわかりやすいが。
どうもその犬は生前、
「アホみてぇに忙しくなる予定が出来たんだよ。一応報告は投げといたが、どう動くんだか。まぁ、多分俺は呼び戻されるな」
『ええ!? 鬼さんいなくなっちゃうの!?』
「多分な。だが今回は準備期間があるだけマシだ。天災はいつ来るか読めねぇから」
『テンサイ……テンサイが来るから鬼さん忙しくなるの? 僕があっちいけーってしたら、鬼さんはまだここにいてくれる?』
「そういうもんじゃねぇから」
生者の少女が投げかけてきた来年の話。
その時『鬼』の目に浮かんだ光景は凄惨なものだった。
家屋の倒壊、焼き焦げた臭いと空を覆う黒煙、瓦礫に埋まる生き物、割れた地面に落ちる生き物、茫然自失で街の形を失った地を歩く一人の少女。
友達と共に年越しをしたい。些細な願いを口にした少女の、いくつかの可能性の未来。少女の傍らに誰が残ろうと誰も残らなくとも、少女は必ず被災していた。
生者にとって悲劇と呼べる災害。それは長い長い時を生きる地獄の鬼からすれば、ただの繁忙期の始まりに過ぎない。
彼らが嘆く理由として理解はしても、心に寄り添う事は出来ない。そういった仕事は天国側の役割なのだ。鬼はただ、増えた亡者の罪科に応じて処するのみ。
「どれほど時間がかかるかはわからんが、生存者がいればいずれ復旧の目処はたつ。ただ今回はどうにも規模がでかそうでな。結構な大災害になりそうだ」
『ダイサイガイは、鬼さんでも倒せないの?』
「倒せる奴なんていない。人も仏も鬼も、所詮は同じ舟人に過ぎないからな」
『そうなんだぁ。僕は? 僕もフナビト?』
「お前もそうだよ」
仲間として入れられた犬は嬉しそうに尻尾を回し出す。会話は成立するとはいえ、重要視する箇所がずれている上に理解力も斜めであるのがまた犬らしい。
鬼が口にした舟人とは、比喩であり、皮肉だ。
人も仏も鬼も犬も、生者も亡者もみんなみんなまとめて一つの舟の上。どいつもこいつも都合よく忘れて、知ったとしても見知らぬふりをして、永遠の夢を見る。
『鬼さん大変になっちゃうんだね。お手伝いする?』
「いらん。お前はゴロゴロして昼寝でもしてろ」
『わかった! ん〜どうやったら、テンサイとダイサイガイがこなくなるんだろ〜』
原っぱの上でごろんと一回転して伏せた犬は空を眺めながら思案を外に漏らしていたが、飛んでいく鳥を見つけると『鳥だ!』とすっかり忘れたようで後を追って駆け出していった。
「……天災や大災害であったほうが、まだマシなんだがなぁ」
犬に適切に伝わる言葉が見つからず、人の友である彼らが受け入れやすそうに『天災』や『大災害』と口にしたが、鬼の感性は違う。
生者の手に負えないあれらは、『自然』と呼ばれるものの運動であり反動だ。その恩恵を受ける一つの舟の上で生きる舟人達は、それらを受け入れて生きていくしかない。
まぁ、あらゆる拷問に耐性を持つ強硬な鬼と比べ、人間は些細な衝撃でも死に至る脆弱な生き物だ。これまで犠牲になった数多の歴史を知るがゆえに、過敏になるのも致し方ない。
そう。歴史がある。
これまで何度も、自然による運動と反動が繰り返すたび、天災と災害、名前と言葉と共に歴史として積み重ねられていく。
だから天災と災害のほうがマシだ。
それらを語り継ぐ、続く未来に繋がっているのだから。
鬼は知っている。
一年先かもしれない、もっと先かもしれない。これは未来視ではなく、一つの認識として、鬼は知っている。
燃え続ける炎がないように、悠久の星が砕けるように。終わりの時は必ず至る。
いずれ、『自然』と呼ばれるものに、舟人達は見放される。
まぁ、『自然』が舟人を認識しているのかすら、鬼が知る由もないのだが、
でも今ではない。今後訪れるものが災害であれば、まだ見放される時ではない。
遺された少女が唯一の生存者でなければ、人の歴史は続き、鬼にとっても繁忙期の一つとして終わる。
いつもの繁忙期、のはず。
しかし鬼は、これまでと少し違う気がしてうまく飲み込めずにいた。
地獄を荒らした忌々しい継片の子。あの少年の傍にいた金髪の少女の形をしたあれは、何の意味があったのか。
何やら生前の知己らしい狸は、優しい人間の子供だと言っていたが……。
「どーう考えても、ありゃ人間ではないだろう」
どちらかといえば、妖寄りの奇妙な存在だった。
だが、狸を含めてあの二人の人間も、アレを人間扱いしていたように見える。身体的特徴がない分、人として間違えられるのは仕方ない。座敷童子なんて和装を洋装に替えれば幼子と変わりなく、見える者の目を容易く欺く。
人と妖には根本的に性質が違う。人は意味もなく生まれてくる命であるのに対し、妖は意味を持たなければ生まれてこない命である。
地獄で生まれた鬼もまた、冥界の勤め人として役割がある。
つまるところ、あの妖に近しい少女の形も、居るだけで何らかの意味を持つ。
アレは一体どんな特異性を持った存在なのか。
アレは何故人に紛れ込んでいるのか。
夥しい地力を蓄えた人間らしい幻想に相応しい名は、鬼の知識にはない。まだ名付けられる前の、始まりの一であろうか。
「……まぁ、考えただけじゃ何にもならんな」
思考運動という休息を終えて、鬼は肉体労働という仕事へと戻るため腰を上げた。
いくら頭を働かせたところで、体を働かさなければ何事も動かない。
鬼の願いは届かない。
鬼はそれを承知している。
だからこそ、『また会いたい』誰かを待つ彼らの楽園が、これからも続くようにと、奮励する。
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