閑話 方舟は開花に揺れる

「わたし、昴生くんの事を好きになったのかもしれない」


ゴェ


 片岡アルカにとって、それはとてつもない衝撃を与える爆弾発言だった。


 織部菫は最初から、継片昴生に好意的だった。というか、菫が一方的に敵意や悪意を持って対応するのを見た事がない。好意的であるのが通常なのだ。

 癖が強く何を考えてるのかわかりにくい昴生を、おおらかで大雑把に許容する菫。仲良しとまではいかずとも、少し接点が多めの同級生、それがアルカから見た二人の関係だった。


 だから、別に菫の口から好意が出てくるのは、それほどおかしい事ではない。

 でも、それは普通の雑談の延長であればの話。


 二月十三日。

 アルカは織部兄妹にそれぞれ本命と友チョコを。菫はアルカと昴生と夕昂の三人に。明日のバレンタインに向けて、二人はチョコレートを作っていた。

 レンジで温めたチョコレートとバターを混ぜながらの爆弾発言だった。


「……それって、恋、的な?」


「うん」


 そんな状況と話の流れとして、それは友愛の好意ではない。さすがに察した。察した上で、念のため確認し、肯定された。

 あまりにも受け入れ難い現実と直面する事になり、アルカは顔を歪める。


「趣味が悪過ぎる!!」


「やっぱり?」


「え? はっ? 本当に意味がわからない、ひょっとして、風邪? 熱四十度どころか八十度くらいある?? 頭がおかしくなっちゃったの?」


 恋の話に対する反応とは思えないボロクソ感想である。

 想定よりもやや火力強めなアルカの動揺っぷりに、菫は乾いた笑いを浮かべた。まぁ、否定しきれない。


「えっ、というか、全然、そんな素振りもなかったし、いつ? いつから!?」


「捻挫した頃かな」


「先月じゃん!!」


 先月どころか、もう半月も前の事だ。

 菫の足を固定していたギプスはとっくに外れて、問題なく日常生活を過ごしている。


「えぇぇ……今日も昨日も、学校で普通に話してなかった……?」


「そうだね」


「……ドキドキしたりしないの?」


「うーん、普通。わくわく、はするかな?」


 先程から菫は至って普通に返答していた。熱に浮かれた様子も、恋に溺れている様子もなく、いつも通りだ。

 アルカは思わず首を捻り、結論を口にする。


「……えっ、それじゃ、恋じゃないんじゃない?」


「そうかな?」


「そうだよ!」


 なんだぁ、とアルカは胸を撫で下ろしていた。

 そこまで嫌なものなのか、と菫は思いつつ、ボウルの中に牛乳、砂糖、卵を割り入れてさらに混ぜる。


「あーびっくりした。何だってそんな勘違いしてたの?」


「なんか勘違いが確定してる……。そうだなぁ……ちょっとあれこれあって、昴生くんに抱き締めてもらったんだけど」


「なんて?」


 だいぶ聞き捨てならない追加の爆弾に、笑顔だったアルカの顔が引き攣る。


 菫は説明不足の自覚はあったが、諸々考えた結果、アルカにはあの夜の出来事は話さず、誤魔化す方針で決めていた。

 単純に、どこまで明かせばいいかわからなかったのだ。ベランダへの不法侵入、無許可のDNA鑑定、他にも個人情報を掌握した方法とその範囲の不明瞭さ等々。

 話せば話すだけ、昴生の評価の下落が目に見えていた。「気持ち悪い!!」と慄くであろう光景に、菫としても概ね同意ではある。彼、全体的に不気味だし。

 ただ、彼の異常性に恩を感じている菫としては、その展開はあまりいただけない。

 本音と恩義を天秤にかけて、恩義の方が傾いた。


 だから、菫はアルカの反応に気付かないふりをして話を続けた。


「全然嫌じゃなくって、むしろ安心したというか……この人に抱き締められたかったんだなぁって思ってた。この気持ちは何だろうって考えて、恋なのかなって思ったんだけど、――これって男友達に向ける普通の気持ち、なのかな」


「ぴぇ…………」


 爆弾から更なる追撃に、アルカのほうが恥ずかしくなった。

 あっけらかんと「特定の相手に抱き締められたかった」なんて、愛の告白のような台詞を、世間話の延長で出されて返答に困った。


 ……いや、それは恋なんじゃないか。

 淡い感情が向けられた相手が相手なだけに、どう肯定すればいいのか、アルカの頭の中では適切な言葉が見つからない。下唇を巻き込みながら口を閉じるしか出来ない。


「でも、恋してるアルカが恋じゃないって言うなら、やっぱりちょっと違うのかなぁ……気になるところもあるし」


「気になるところ?」


「例えば……あ、これはアルカをからかうためじゃなくて、真面目な話ね?」


「その前置きが必要になるあたり、菫はちょっと反省して」


 菫はあまり悪びれた様子はなく「ごめんね」と柔らかく目を細めながら謝罪を挟んで、話を戻す。

 ボウルに薄力粉を投入し、さらに混ぜる。


「それで例えばの話だけど、アルカはお兄ちゃんと付き合ったら、どこに出掛けようとか、手を繋いだりキスしたり、お付き合いの先の事も想像したりするでしょ?」


「すっ、す、する、けども」


 むしろ恋心を抱いて、その先を考えないなどありえないだろう。

 相手の特別になりたい、近付きたい、触れたい。欲望を、心を、許されたい。受け入れられたい。大切にしたい、愛したい。

 スキンシップ、言葉、態度。表現方法に個人差はあれど、根っこの部分は同じはずだ。


「もしも昴生くんと付き合えたら、とか考えたら……全然想像出来なくって」


「………………。たし、かに……」


「でしょ?」


 菫の言葉通り、アルカにも全然想像がつかなかった。

 好きな子に対して虐めるとか、ちょっかいを出すとか、もしくは宝物のように大事にするとか、エトセトラエトセトラ。

 何だったら「必要性を感じない」と可能性ごと切り捨てる想像の方が、平坦な表情や声色までセットで容易に思い浮かんだ。


「わたしの努力と想像力が足りないのかもしれないけど、定番の遊園地とか映画とか、一緒に行って楽しむどころか、すごくつまらなさそうにしてるのを無理に付き合わせてる想像しか出来なくて……じゃあ別の場所なら、って考えても思いつかなかった」


「いや、それもう継片が全面的に悪いって」


「女の子と付き合ってる想像が出来なかったから、試しに男の子とか年上とか年下とか動物とか無機物とか色々考えたけど、そのあたりも全然駄目で……」


「想像って言うか、妄想がやばい」


 材料を混ぜ合わせた生地を、クッキングシートをひいた耐熱容器の中に注ぐ。何度も容器の底を叩いて丁寧に気泡を抜き、表面にナッツを乗せていく。

 あとはレンジで加熱するだけ。


「あっでもね、そんな昴生くんが『この人じゃないと駄目なんだ』って言うくらい好きになった人が出来たら、ってもしもの想像は出来たんだ。もちろん相手はわたしじゃないし、それどころかどんな姿なのかもさっぱりなんだけど」


「え、何でそんな嫌な想像は出来ちゃったの」


 好きな人の好きな人が自分じゃなかった。それは片思いの時に想像したくない光景の上位にあたるシチュエーションだろう。

 アルカは想像すらしたくない。

 あっさりと想像した菫は、嫌そうな顔をしているアルカの表情を見て頷く。


「そうだよね。それってつまり失恋だもん。悲しいとか、辛いなとか思うものだよね。でも、わたしは嬉しいなって思ったんだ」


「好きな人が菫じゃない、のに?」


「うん」


「じゃあ、……やっぱり恋じゃないんじゃない?」


「……そっかぁ」


 ちょっと残念そうに眉を下げた菫に、アルカは何となく、喜べなかった。

 相手がよくないだけで、決して菫の恋にケチをつけたいわけではない。我が事のように喜んで、その気持ちを応援したい。

 ただ相手だけはよくない。

 昴生に何の落ち度もないとわかっていても、だいぶ腹立たしくなった。


「というか、相手が誰でも、嬉しいの?」


「うん。だって、恋をしてるアルカはすごく幸せそうだから」


 予想外の答えにアルカは目を瞬く。


「昴生くんがアルカみたいな幸せな恋をしてたら、嬉しい。だってあの昴生くんだよ? それって、なんだかすごく凄い事だと思わない?」


 ピー、と加熱終了の音が鳴る。

 レンジで熱されたチョコレート色の液体はしっとりと固まり、ごろごろとミックスナッツが飾られたブラウニーが出来た。

 爪楊枝を刺して生焼けになってないか確認し、粗熱を取った後冷蔵庫で冷やして完成。


「……そんなに、凄い事かな?」


「うん。相手はわたしじゃなくていいから、見てみたいな。昴生くんが笑った顔」


 そう呟いた菫を、アルカだけが見ていた。

 雪解けの春のような、実り豊かな秋模様のような微笑み。初めて見たその美しさに、アルカは小さく息を呑む。


 ああ、本当だ。

 恋をした人ってこんな風に笑うんだ。

 いつも見ていた笑顔が、まるで違う人みたい。


 清濁した感情が渦巻いていた頭の中の靄が晴れていく。


「……応援するよ」


「ん?」


「菫のそれが、恋じゃなくても、応援する」


「……応援はありがとうだけど、具体的に頑張る事も目標もないよ?」


「今はなくても、そのうち出来るかもでしょ!? それを応援するの!」


「気が早いなぁ」


 他人事のように肩を揺らして笑う友人の気持ちが、果たして恋情なのか、ずれた友情なのか。いけ好かない相手と良い関係になれるのか、失恋として散ってほしいのか。アルカの中の複雑な気持ちの結論は出せないままだ。

 それでも、固く閉じていた蕾が開こうとするその時が、良い事であってほしいと願った。




「ん、美味しくできてる。……あれ、アルカは苦手な味だった?」


「ううん、おいしぃょぉ……」


 ……いや、でも、やっぱりだいぶ、嫌だなぁ。

 切り分けたブラウニーの端っこを、アルカは酷く苦々しい顔で咀嚼し続けた。

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