そして同じ轍を踏む

 その後。三人は明確な答えを出せなかった。

 確実な情報が少なかった事も一端だが、時刻は深夜の二時半ば過ぎ。綿毛茸と鬼の対面によって三人の体力気力は共に限界で、頭がまともに回らないのがおおよその原因だった。


 とりあえず帰宅して、眠ろう。

 翌朝には普通に授業もある三人の意見は一致した。


『今夜は、本当にありがとう。二人とも大きな怪我とかなくて、無事に生き残れて、本当によかった』

 織部菫が二人に対してそう感謝の言葉を最後に、昴生は徒歩で、菫はアルカの背に乗せてもらい競歩で、それぞれ帰宅していった。


 翌朝、濡れた地面がよく乾きそうな晴天の中、昴生は眩しさを堪えながら登校した。

 教室には一人もおらず、階段を上る足音しか聞こえない。着席すると長めの溜息が溢れる。

 授業が始まるまで時間はある。その間も休もう。内ポケットに薄いビニール袋が入っているのを指で確認し、眼鏡を外してから机に突っ伏した。


 昨夜、鬼がいた場所に僅かな魔力が残されていた。

 黒い毛髪が一房。そういえば鬼、毛をむしられていたな、と動物霊達に下敷きにされていた時の怒声の一つを思い出しつつ、昴生はそれを回収した。

 一目見ただけで魔術師の痕跡が感じられない禍々しい死の穢れが織り込まれた魔力の塊。調べる時間もなかったが、化学検査すればこれまで発見されなかった生物の毛髪という結果が出るだろう。……まぁ、一般人に見せたところで空のビニール袋にしか見えないだろうが。


 鬼退治をした。

 毛髪はその証明として十二分に発揮する。

 実際は動物霊の実績だが、結果を語らなければ誰にもわかるわけがない。


 うつらうつらと頭を休めている昴生の耳は、次々と登校してくるクラスメイトの声が囁きから騒めきに変わっていく様子を拾う。

 さすがに落ち着けなくなり、上体を起こして眼鏡を置いた場所に手を伸ばすが、無い。おかしい。落とした音を聞き逃すほど意識を飛ばしてはいなかったはず。

 輪郭すらまともにない、滲んだ色が動くぼやけた視界の中で、一際目立つ金色が間近にいた。


「あ、おはよう。ほい、探し物」


「……おはよう。何をしているんだ君は」


「いや、今まで気付かなかったけど、なんかめちゃくちゃアレな眼鏡だったんだなって、見てた」


「そうか」


 手の甲に戻された眼鏡を着ければ、そこには片岡アルカが興味深そうに顔を覗き込んでいた。正確には眼鏡を見ているのだろう。

 昴生の視力に合わせるとレンズは重く厚いものになってしまう。市販の物だが、魔術によって改良を施してある。

 昨晩の一戦により片岡アルカの魔力感知が一段階成長し、新たな発見に好奇心が疼くらしい。いつもの嫌悪の鋭さがない青い視線は、逆に気味の悪さを覚えた。


「……? 織部はどうした」


 片岡アルカの扱いに困った時、織部菫を呼ぶ。それが当たり前になっていた昴生は自然と彼女の席に視線を向け、荷物もなく無人である事に気付いた。

 昨晩は織部宅に泊まり、公園から帰宅する時も二人一緒だった。だが、登校したのはアルカだけ。

 用件が無ければ近付く事すらない彼女が寄ってきた理由、それが昴生の疑問の答えだった。本題を振られた途端、アルカの顔は渋くなる。


「病院」


「……は?」


「朝、起きたら足が紫色に腫れてた。歩けるけど、念のため病院行ってから来るって」


「はぁ?」




 時間は遡り。

 昨夜、夕昂に気付かれないように静かに帰宅した。濡れないようにと雨具を着ていたが、菫もアルカも服はずぶ濡れ。とりあえずシャワーを浴びたあたりで髪を乾かす気力が尽き、二人で布団に倒れ込み泥のように眠った。


 そして起きた時には、足の痛みが増していた。

 公園から帰ろうとした時点でも少し気になる程度の痛みがあり、早く帰ろうと急かすアルカの言葉に文字通り乗っかっておんぶしてもらい、行きの半分の時間で帰ってこれた。さすがに三十分歩くのはきついなぁと思っていたので、渡りに舟だった。


 断って無理に歩いてたらもっと酷くなっていたな、良かった良かった。

 運搬してくれたアルカに感謝しつつ布団から出した足首は、変色してパンパンに腫れていた。


「あっれぇ!?」


 こんなはずでは! と裏返った声が思ったより大きく出てしまい、アルカは飛び起き菫の足を見て悲鳴を上げ、部屋の外で出勤前だった夕昂が何だ何だと扉を叩き一騒動。


 見た目は痛々しいが、片足を庇いつつゆっくりであれば歩ける。そう言って一人で病院に行けると、心配する二人をそれぞれ見送った。

 近所の病院の診療時間は九時から。朝一で診てもらうために少し早めに支度して向かい、三番目に処置してもらった。


 時刻は十時過ぎ。

 治療を施され、薬も処方されて病院を出た菫は、激しく悪い予感に頭を支配され、負傷も相まって足が重くなっていた。

 いっそ休んでしまおうかと逃避も考えたが、結局真面目に学校へと向かった。


 職員室にいた教師に現状と医師の診断を説明し、ゆっくりと教室に向かう。

 ああ、そういえば、と二、三ヶ月前の事を思い出す。

 彼もあの日、教室に来るのが遅かった。恐らく菫達に、あれこれ言われないために時間調整していたのだろう。取り止めのない事を考えていたら、教室の手前で授業が終わるチャイムが鳴る。タイミングが良いのやら、悪いのやら。


「あらっ、織部さんおはよう! あーりゃりゃりゃ、痛そうね。無理しちゃダメですよ? ほら、先に入って入って」


「お、おはようございます。ありがとうございます」


 退室しようとした先生がちょうど教室の扉を開き、目の前に立っていた菫の全身を見下ろし、通りやすいように全開にして先を譲る。

 ……やっぱりそういう反応になるよね。菫は覚悟を決めて、片足と松葉杖で教室に入った。


「あれっ!? 織部ちゃんどうしたんそれ!」


「べーちゃん骨折?」


「捻挫! ただの捻挫! ちょ、ちょっと派手に転んじゃって……」


 扉に近いクラスメイトもすぐ菫の状態に気付いて声をかけてくる。嬉しい、とてもありがたい、でも骨折ではない。

 骨に異常なし、全治二週間の軽めの捻挫。松葉杖をレンタルして、片方の靴の踵を踏みながら病院を出た時悟った。診断は軽めなのに大層な怪我人になってしまったなと。


 あえて大きな声で怪我の具合を答えれば、視線を向けるだけのクラスメイトは姿勢を戻し、声をかけてきたクラスメイトは「ありゃードンマイ」「わー、いたそ。何かあれば手貸すよ」と言葉で労った。

 親切に感謝しながら菫は自席の方に向かい合う。


 アルカが立っている。

 そうかと思えば泣きそうな顔で駆け寄ってきた。


「大怪我じゃん!!」


「待って待って。これは骨折のギプスと同じものだけど、骨折に比べたら全然大したことない怪我なの。腫れと痛みがなくなったら外れるし」


 恐らく捻ったのは鬼に放り投げられた時の着地ミスだ。アルカは何一つ悪くない。

 ただ、アルカがそれを納得する子かと言えばそうではない。少しだけ休んでいた間に怪我をさせて守りきれなかったと考える。


「安静にしてれば大丈夫だから。大袈裟に見えるけど本当見た目だけで……」


 そこまで口にした菫の喉が締まった。ほんの二ヶ月前に腕を負傷した昴生が、言い回しや言葉の選び方は違えど、似たような事を言っていたと思い出してしまったのだ。

 あの時、アルカは安心したように笑ってくれたか?

 そんな疑問を浮かべる暇もない。泣くのを我慢しているような怒り顔の少女が、たった今目の前で答えとして立っている。


「…………抱っこする」


「……え?」


「二週間の間、私が菫を抱っこして運ぶ!!」


「…………うん、うん。わかった。アルカの気持ちはとってもよくわかったけど、授業始まる前に席戻ろうか……」


 今は何を言っても多分駄目だ……。

 菫は諦念し天井を仰ぐのを堪えて笑顔で頷いてから、問題を先送りにした。続き、というか本題は昼休みに話し合おう。妙な既視感がすごい。


 アルカの肩に担ぎ上げられ松葉杖を取られ、またクラスメイト達の視線を一時的に集めた。

 助けて、と昴生に向けて目配せするが、前回の被害者である彼は目を合わせてはくれるが立ち上がる気配はない。自業自得とでも言いたそうな冷めた視線だ。厳しい。


「……だからね、菫はもうちょっと自分を大事にしてほしいから何でも言って欲しいし、無理しないで……って、聞いてる?」


「聞いてるよ。だからちゃんと病院に行ったし、痛いけど歩けなくはないし本当に怪我は酷くないんだよ」


「そうかもしれないけど、なんか違うの。なんか足りないの!」


 菫自身は、自分ばかり大事にしていると思っているが、アルカにとっては赤点判定らしい。アルカの怒りはうまく言葉に出来ないだけで、菫に対して心配しかしてないのはわかる。

 きちんと聞いている。彼女が言おうとする意味も菫にはおおよそ伝わっている。もどかしそうにしているのも、申し訳ないほどわかっている。


 大切にされている事も、大事にしたいと気遣ってくれている事も、好かれている事も知っている。アルカの真心はちゃんと届いている。

 だからこんなにも心が温かくて心地よくて、嬉しくて泣きそうで、――酷く惨めになるのだ。

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