明くる先など無いと

 窓の目について、ねぇ。

 そういう物として見える以外に説明が難しいんだが……眼球の奥、神経で繋がっている部分に枠があって、よーく確認すれば透けて見える。見えない? 知るかよ、俺は見える。


 枠と目というガラス、合わさって丸窓にでも見えたんだろう。

 それで、窓の目。

 それより昔の呼び方は知らん。あったのかもわからん。


 枠が何で出来てるのか、何故持っているのかも知らん、体質とは関係ねぇだろ。窓の目は人間だけが持ってるわけじゃねぇからな。俺が知る限りでは、鳥のほうが多い。そうだよ、珍しいが特別なもんじゃねぇよ。

 窓の目はいつから持っていたか? さぁな。生まれた時からじゃねぇの? 俺は専門家じゃねぇんだ、大体そういう物だって以上の知識はねぇよ。


 ああ、窓の目の枠は大体丸いんだよ。その小娘のも形としては丸いが妙な歪みがあった。レンズが歪めば見え方も変わる。チリョクもなし、穢れのフィルターもなしで見えざるものを見る目になってるんだろ。

 見えなくしたいなら歪みを直せばいいんじゃねぇの? 直し方? 知るか。


 ああ、言ったな。生きてる窓の目は殺さない。何故かって? 縁起が悪りぃんだとさ。窓目鳥まどめどり落とすと脚落とすって言葉があるくらいだ。




 はぁ、次? チリョク使い? その継片のガキの事だよ。

 魔術師。あっそう……時代によって名前がコロコロ変わっていくからなぁ。一つ賢くなったよ、俺は流行に疎いからなぁ、使う機会がきたら感謝しとく。

 どうしてチリョクって呼ぶのか? お前らが魔力だの霊力だの妖力だの呼んでるのと一緒。

 呼び名の意味? そのまんまだよ、大地の力でチリョク。

 万物は土より産まれ出る。俺達はそういう常識で認識している。生者の常識は知らねぇよ。




 グズグズ? ああ……。

 見えてないなら知る必要もない事だ。もっと有意義な脳の使い方するんだな。




 地獄荒らしについて話すつもりはねぇよ。

 冥界事情は生者に語らねぇの。後々面倒が増える。今まさに、俺が生者に煩わされてるような事例が増えると仕事が回らなくなんだろ。

 ……意地悪してるんじゃねぇっつってんだろ! 毛をむしるな!

 はぁ……気になるなら、そこにいる本人の親族に聞け。事実を語るかどうかは知らねぇけどな。




 鬼の目の特性? んなもん知ってどうする。俺から目玉くり抜いて入れたところで、人間の手には余るもんだ。無駄骨と罪状を重ねるだけだ。

 興味、ね……はぁ、何度も繰り返すが、俺は専門家じゃねぇの。お前らが当たり前に見えてる景色と、俺が見えてる景色に違いがあっても、比べられねぇよ。

 穢れや嘘がわかるのも、見えるからだ。見えなきゃ仕事にもならねぇからな。




 こいつらは、あー……動物霊だよ。

 細けぇ話は冥界の事情に関わるが、こいつらの住処を今は俺が整備してる。

 ……そうだよ、じゃれついてくるのはいつもの事だ。俺の仕事の邪魔もいつもの事。こいつらに悪意なんてもんはねぇし、俺も萎えた。気を取り直してそいつを殺そうとは思ってねぇよ。

 お前らから見たら触れない幻覚みたいなもんだろうがな、俺にとったらしっかり重みのある実体なんだよ。早く質問終えてこいつらを退かせろ。





「……ん、ありがとうございます。わからない事は多いけど、そのあたりは死後に答え合わせしようと思います」


 菫達の質問に対し、鬼の声音は終始不本意そのものだったが、わかる事、わからない事、答えられない物を明確に答えてくれた。

 存在は恐ろしいけれど、悪人ではないのだろう。


「はぁ……理解も早けりゃ物分かりもいい、根性も据わってんなぁ」


「ありがとうございます……?」


「褒めてねぇよ、見ててヒヤヒヤするって意味だよ。はぁ……聞きたい事は聞き終えたか?」


「あ、あと一つあるんですけど、ええと……」


 心底疲れた声色のところ申し訳ないが、聞きたい事はもう一つある。


 鬼が昴生に告げた、短い命。

 もし菫が余命宣告を受けたとしたら、原因や残された時間を気にする。しかし、自分から聞いてもいい事だろうか、本人や近親者の意思を無視して尋ねるものでもないだろう。菫は言い淀み、昴生に視線を向ける。


「わたしというか、昴生くんは聞いておいたほうがいいんじゃ……」


「……、聞いておく必要はあるのか?」


「あるよ! もし病気とか、事故とか、原因がわかったなら今から何とか出来るかもしれないでしょ?」


「……え? 何の話?」


 先程まで恐れ知らずに鬼へ質問し続けていた菫が、急に口の重くなった様子にアルカは怪訝な顔で二人を交互に見る。

 鬼の口から昴生に向けて短い命だと告げた事を菫が明かすと、アルカはますます眉間を狭めていく。


「……それって、今死んでも変わらないくらい、もうすぐ死ぬって話にならない?」


「や、やっぱりそう聞こえるよね!? わたし、自分の事じゃないけど、何それって怖くなったのに、昴生くんはこんな反応で……」


 アルカの反応に安堵すると同時に、昴生の異常な落ち着きに菫の不安は強くなる。

 二人から異なる困惑の眼差しを受け、昴生は居心地悪そうに眉を寄せた。


「……どこに狼狽える理由がある? もしもの時は八重樫さんを頼れと話をつけていただろう」


「そこじゃないよ! わたし達の今後の不安とかじゃないよ!!」


「えっ、まさかお前、八重百合さんに話した時には既に余命何年って言われてたとか……?」


「いや、寝耳に水だ。不調の心当たりもない」


「じゃあもっと驚けよ! 何でお前が一番冷静なんだよ!!」


「君達の感受性が強過ぎるだけだろう」


 また些細なきっかけで始まった言い合いを聞いて、平和を覚えつつも菫は溜息をついた。


 以前から彼の価値観がよくわからないと思うたび、魔術師ゆえに、という可能性を考慮してきたが、もう彼個人の問題な気がしてならない。

 骨折の時もそうだが、彼は彼自身をあまり大事にしていない。

 わからなくはない、と菫は部分的に共感するが、昴生の場合はちょっと異常過ぎる。


「鬼さん、昴生くんを短い命だって言ったのは、どうしてですか? 嘘とか穢れとかみたいに、寿命が見れる、とか?」


「ああ、んー……」


 興味もなさそうなのでどうせ止められないだろうと菫は勝手に鬼に質問を投げる。鬼は気乗りしない声で暫し悩んだ後、告げた。


「その質問に、俺は答えない」


「えっ!? な、何で?」


「冥界の事情とは異なるが、生者に伝えるべきもんじゃねぇからだ。後の面倒は避ける。ああ、念のため言っておくが、俺の目は寿命を見たわけじゃねぇ。そこに嘘偽りはない。お前らが勝手にあれこれ考えるのは邪魔しねぇが、明言もしねぇ」


「う、そうですか……」


 鬼の事情はわからないが、答えられる線引きの範囲を超えてしまうのだろう。強引に踏み込んで穏便な空気を壊すのは得策ではない。

 短い命である宣告は嘘ではなく、事実。しかし寿命を見て判断したわけではない。この二つが成立する答えは、何だろう。


 不意に、アルカが疑問を投下する。


「ねぇ、その鬼、何で笑ってるの?」


「え……?」


 鬼が笑っている?

 菫には動物達に阻まれて鬼の姿はずっと見えないままだが、幽霊を見れないアルカは逆に倒れた鬼の姿が見えていた。

 ずっと顰め面か呆れた顔か、凶悪な強面が緩む瞬間など一度もなかった。いや、もしかしたら普段は笑ったりするのかもしれないけれど、アルカの言葉を聞いて妙に心がざわつく。

 鬼が笑う。どこかで聞いた覚えがある。


「へぇ、俺は笑ってるのか?」


「え、笑ってるじゃん、何? 気味悪……」


 鬼の声音が、何故か弾んでいるように聞こえた。

 どう聞いても笑顔を見た感想とは思えないアルカの言葉や引きつった表情からも、ただならない予感がする。


 寿命、先の話、未来の話。

 そうだ、そんな言葉がある。来年の話をすると、鬼が笑う。

 でもそれはただのことわざで、将来の事など前もって知ることは出来ない。予測できるはずのない未来の話は、鬼でさえせせら笑うという嘲りを含んだ意味で。


「……ねぇ、鬼さん」


 だけど。

 魔術で作られた矛と盾は、ぶつかり合う事で消滅した。貫けない物はない矛と、貫かれない盾は同時に存在出来ないように。

 その姿がまるで矛のように真っ直ぐに伸びる茅が、材料にすら含まれない草を矛として作り出したように。

 もしも、〈方舟遺物アークレガシー〉だけでなく、魔力に関わるものが、言葉に影響を受けるとしたら……。


「わたし達、一緒に年越ししたいと思っているんです」


 あまりにも唐突で意味不明。

 笑うどころか、笑いどころすらわからなくて困惑するような問いかけ。


「一緒におそば食べて、年が明けた直後に明けましておめでとうって言うの。鬼さんは、どう思います?」


「――っは、」


 それは、堪え切れないものが爆発したような、振動だった。



「はは、ははははは、ッははは! はははははははは!!」



 愉快で転がるような笑い方じゃない。聞いているだけで引っ張られるような心地よさもない。地響きのような強い圧の嗤笑。

 耳どころか内臓までびりびりと痺れる大声に驚いた動物達は我先にと彼らの出てきた扉の向こうに逃げ出し、それでもまだ数匹が案じるように顔だけを出している。


 重みという拘束がなくなった鬼は起き上がる。

 口角を吊り上げ、歓喜するように目を見開き、笑顔と呼ぶには凶悪過ぎる表情で菫に賞賛する。


「あぁ、。そんな奇天烈な質問を考えつき、その上でよく躊躇いもなく口に出来たもんだ。クク、オマケくらいはやらねぇとなぁ」 


「……そう、ですか」


 肯定されたら嫌な事を絶賛されると、微妙やら複雑やらを通り越して、形式的な礼すら渋るほど嫌な気持ちが込み上げてくるのだと、菫は経験を積んだ。

 出来れば知りたくなかったし、当たってほしくもなかったなぁと苦笑いしか出ない。


「しかも、、とは。くくっ……ははは!」


 片や鬼の方は随分と機嫌がよさそうに笑っている。

 つられ笑いも出来ない笑い方がこの世にあったのはある意味発見である。いや、正確にはあの世だが。


「そんな面白い話でしたか?」


「ああ、知識と経験は違うな。おかげで腹が捩れそうだ」


 例えば、宝くじを買ったとする。

 もしも一等が当たったら、あれをしようこれをしようと賞金の使い道を考える。

 鬼はそんな話を可笑しくて笑うのだ。

 宝くじが当たるわけないのだと叶わない夢想を笑う。大金を目の当たりにして考えを変える優柔不断さを笑う。語ったそのままを実行する愚直さを笑う。

 この他にもある全ての可能性を見通したのかもしれないし、確定したどれかを見たのかもしれない。

 どんな意味で笑ったのかと問うても、鬼は答えない。


 ――鬼の目は未来を視る。

 それを生者に伝えるのは、確かに地獄の事情を詳らかにされる以上に、当人が迷惑だろう。生きていれば、未知を恐れる。先の不安は誰もが抱える恐怖だ。


 だから明かさない。問いただしても回答は『答えない』になる。

 菫は『未来を視る事が出来るのか』と直接問わず、少ない情報と手段から答えを導き出した。


 何もかも間違っているかもしれないし、全て菫のこじつけ。過剰な妄想と言われても否定できない。

 だからこそ、鬼は温情オマケをくれた。『正解だ』と。


「……わたし、こんなに豪快に笑われて、欠片も嬉しくなかった経験、一生忘れられなさそうです」


「はっ、そうか。なら一生のその先も、お利口なままだったらオマケを追加してやるよ」


「あぁー……はははは」


 鬼の言葉から、地獄に落ちる死後が内定しているのを察した菫は乾いた笑いしか出なかった。お利口にしてたら追加の温情オマケがあるらしいけど、どこまで信じてよいのやら。

 傲慢な笑顔がすっと引っ込み、踵を返した鬼は足元に向かって声をかける。


「さて、休憩は終わりだ。おら、お前も帰るぞ」


 菫は一瞬、まだ幽霊猫がいるのだと足元に視線を下ろすが、もうそこに猫はいなかった。先程の鬼の笑い声に驚いて逃げていったらしい。


 なら――、とアルカの足元に視線を移す。

 鬼の質疑応答の途中、山の中から降りてきてアルカの足元をうろついてから、足首に前足でしがみついていた小さな狸。恐らく仲間であろう他の動物達が逃げて行っても、その仔だけはずっとアルカの足元から離れなかったらしい。

 まん丸の目が鬼を見上げると前足を地面に下ろす。足に顔を擦り寄せる仕草は別れを惜しんでいるようで、それでも狸は素直に扉へ向かう鬼の後ろをついていく。


「……あの、アルカ。昔、狸を助けた事とかあったりする?」


「え……」


「さっきまで狸が足元にいて……」


 空色の瞳が大きく見開いた。

 そうして、探し物をするように視線を彷徨わせた時、振り返った狸が鳴いた。キューンと甘えるような鳴き声が聞こえる何も見えない場所に視線が定まり、アルカが泣きそうな顔で笑う。


「……ううん、逆。助けられなかったの」


「え……?」


「でも、気にしてたの私だけみたい。……うん、行ってらっしゃい。またね」


 幽霊を見れないアルカの視線は、まっすぐに狸に向けられている。

 あの小さな狸とどんな縁があったのか知らずとも、既に死んでしまっている狸とアルカは寂しくも幸運な再会を果たせたのだ。そして短くも互いに言葉を交わし、別れた。


 菫はそれがわかった。

 菫が父と出来なかった再会と決別を、アルカは果たした。


 ……ああ、羨ましいな。菫は父へ手向けの言葉すら満足に送れなかった。

 送れたとしても、受け取ってもらえたかすら怪しい。それなのに。


 彼女の切なげに微笑む横顔は美しくて、菫の胸中は騒めき、直視する事が出来なかった。


 アルカの言葉を聞いた狸はちらちらと最後まで見ながら扉をくぐっていく。

 最後に鬼が後ろ手で扉を閉めると、幽霊と鬼を連れてきた扉は透けながら消えていった。


 小雨になっていた雨はすっかり止んで、水音も消えた静寂な夜に戻る。



「……というか、なんで急にあの鬼爆笑してたの? 菫はなんか、わかってる感じで話続けてたし、危なくなさそうだから黙って見てたけど」


「わかって、たのかなぁ……? 多分、話は噛み合ってた、とは思う」


 訝しげに眉を寄せたアルカには先程までの儚い美少女の面影はなく、菫はなんだか肩の力が抜けて困ったように笑う。彼女のこういうところが、結局好きなのだ。


 少し胸が軽くなったのとは裏腹に、疑問への回答は重たい。

 菫は一度息を吐き、自分の考えと鬼の反応と温情オマケを頭の中で整理しながら口を開く。


「多分、鬼には未来が見れるんだと思う。どんな風に見えてるのかわからないし、はっきりそうだって言われたわけじゃないけど、間違ってないと思って話すね。それでわたしが話した年越しの話……年越しそば食べて、あけましておめでとうって挨拶する普通の年越しを、『そんな先なんて無い』から、笑ったんだよ」


「は……?」


「わたしが聞きたかった昴生くんの短い命について、その期限は年越し前って意味かもしれない。でも、鬼は『わたし達』に対してもおかしそうに反応してた。わたし達三人、わたしとアルカの事、わたしと昴生くんの事。どれに対して反応してたのかわからないけど……」


「まって、まって、頭が追い付かない」


 混乱するアルカに構わず、菫は結論を吐き出す。


「まるで、『わたし達三人とも、年を越せない』とか、そんなことを言い出しそうな……怖い嗤い方じゃなかった?」

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