結構毛だらけ猫灰だらけ

「ごめんね、ごめんね。今日も見つけられなかった」


 正直言って、主人は愚かだと猫は思う。

 ずっと一緒にいたかったなら、綺麗だねと言っていた目も、気持ちいいねと撫でた頭や背中や腹の毛も、全部燃やさなきゃ良かったのに。

 白い燃え残りと、僅かに残した毛を、小さな石に変えた。目の色と同じだと言っていたけれど、指の上に乗せるなんて、人間は何を考えているんだか。


 主人はその石を無くしたらしい。

 その日からずっと、元気だった頃の姿を切り取った写真に向けて謝っている。


 今日は見つけられなかった、でも明日は必ず。今日も見つけられなかった、明日こそ。今日も見つけられなかった、明日も……。今日も見つけられなかった、もう見つからないのかな。見つからなかったらどうしよう、ごめんね、ごめんね。


 ああもう!


 主人は愚かだと猫は思う。

 毎日毎日仕事の合間に、眠る時間も削って探し回っていた。いくら早く帰る理由がなくなったからって、もっとやることがあるでしょうに、本当に愚か。

 そんな石を、三日くらいであっさりと見つけた時は本当に本当に、呆れてしまった。人間、探し物が下手過ぎる、主人がそういう個性なんだろうか。


 けれど、見つけたところで、場所を伝えられない。石を持っていくのも難しい。さて、困った。

 手を貸してくれと声をかけても、誰も見向きもしない。声に気付いても見つけてもらえない。みんな、主人の宝物に気付かないで通り過ぎていく。


 主人は愚かだと思う。

 でも、愚かだからって、不幸になれとは思ってない。


 今日もきっと気付かれない。

 それでも、願ってしまう。


 誰か、誰か。どこにも届かない、願いだった。




「アルカ、いた! こっちこっち!」


「えっ、どこどこ」




 そう、誰でも良かった。

 誰にでも出来た事だし、その人間じゃなくても良かった。

 それでも、見つけてくれた。届かないはずの願いを拾い上げて、運んだのはその人間だけだった。


 まぁ、わりとすぐにどんな顔の人間だったか忘れちゃうだろうけど。

 呼ぶ声に応えてくれた喜びは、きっと覚えてる。






 にゃう。


 鈴の音のあとに、愛らしい鳴き声が降りた。

 顔を上げると、そこにいたのはふんわりとした毛の長い白猫。宝石のような青い瞳と、尻尾につけられた赤いリボン。特徴的なその猫を、菫は見覚えがあった。


「幽霊猫……?」


 急に鬼が現れたと思ったら、今度は猫。

 不思議に思っていると、幽霊猫は少し長めに声を上げる。まるで遠吠えのような呼び声の後、鬼が出てきた扉が大きく開かれた。


 わんにゃーがうぴーぐおおひひーん!


 押し寄せてきたのは動物の激流。

 犬に猫に兎に豚に熊に馬に虎に……多種多様な動物が、頭上には鳥類が、足元には小動物や爬虫類がぞろぞろと勢揃いで、各々鳴き声を発しながら突撃していく。


「はっ!? ちょっお前らッなに、し!!」


 皆揃って、鬼へとまっしぐら。

 慌てふためく鬼は、虎に抱きつかれ、熊に突進され、我も我もとその上にのしかかる動物達によって瞬く間にその姿が消えていく。

 もふもふの毛並みとさらさらの毛並みの動物達に集られて、鬼が立っていた場所がなんともメルヘンな山に変わった。個性豊かな耳や尻尾が山から飛び出して楽しげにばたついている。


「…………は……?」


「え、えぇぇ……?」


 あんまりな光景に、菫はもちろん、昴生も正気に戻り、唖然と目を見開いて、固まった。

 遅れて亀がゆっくりと山に向かっていくのを見送りながら、ふと菫は後ろを振り返る。動物達がやってきた方向にあるのは、鬼が出てきた深紅の城門の扉だ。

 両開きの扉は大きく開かれて、門の向こう側には晴れやかな草原が広がっているのが見えた。まるで、天国へ続く道のようだ。


「おい!! 早く下りろ! ここだと下手にお前らを退かせねぇんだって!! ……喧嘩じゃねぇ! いじめでもねぇっつってんだろ!! 仕事してたんだよ!!」


「……なんなんだ、一体、これは……」


「よくわからない、けど……助けてもらったのかな?」


 山がもぞもぞと動くたびに、抗議のような動物の鳴き声と、反論しているような鬼の怒声が聞こえてくる。あんなに圧し掛かられても平然と話をしているなんて、鬼の強靭さを痛感しつつ、その強さを乱暴に扱わない結果を目の当たりにしてうっかり和んでしまう。

 昴生は頭痛でもするのか頭を押さえている。菫も目まぐるしく変化する状況に、正しく把握しているのか不安になる。


 にゃあ、と傍らにいた猫が鳴く。

 幽霊猫が大きく鳴いた後、それが合図のように動物達がやってきた。菫にはそれが偶然とは思えなかった。

 今度こそちゃんと体を起こし、座った状態で幽霊猫と向き合う。


「助けてくれて、ありがとう」


 猫はあくびで応えた。菫は目を丸くする。

 幽霊になっても眠くなったりするのかとか、猫は助けたわけではなく菫の勘違いだったのかとか、少し悩んだがどちらでもいいのだ。助けられたのは事実なのだから。


 しかし、あの動物達を呼んだのが幽霊猫だとしたら、もしかして……。不意に浮かんだ事で動物達の山のほうに視線を戻そうとした時、別場所から声が上がる。


「んん~……あー、ちょっと頭すっきりした。……あれ? あ、……あぁ? んぇ?」


 遊具にもたれかかって眠っていたアルカが短い睡眠から復活した。

 意識が落ちる直前と変わらず夜の公園内にいて、それほど時間は経過していないのがわかると同時に傍に誰もいない事に気付き、両腕を上にあげて体を伸ばしながら周囲を見回し――。


 直立している昴生と、座っている菫の間に、仰向けに倒れて痙攣している赤鬼。

 ほんの少し気絶していた間に、まるで意味が分からない光景になっていて、アルカは三回も目を擦りながらなんとか目の前の現実を受け入れる。


「それ…………鬼、倒してる?」


「あ」


 鬼を倒す。

 平穏な日常を過ごすための最終目標のための一つ目。それが達成していた。




 そうしてアルカが気を失っていた僅か数分の出来事が二人から語られる。

 綿毛茸の残滓を回収しにきた鬼と交戦状態になったが、動物達の襲撃によって助けられた。今はのしかかられた状態で身動きが取れないようなので、安全は確保されている。

 水風船を入れていたビニール袋を空けて代わりに水を入れ、火傷した昴生の手の応急処置をしながら話された内容に、アルカの顔は渋くなっていく。


「いや意味がわからん!!」


「その気持ちはすごくわかる……」


 ぶん、と勢いよく頭を横に振るアルカに同意して菫は頷き、昴生も同意するように瞑目する。

 倒れた鬼を前に三人は集まり、改めて状況の混沌ぶりに各々溜息が漏れた。


「でも、上にいる動物達は幽霊だからアルカに見えないのはわかるけど、鬼の姿は見えてるんだね。不思議」


「霊は思念体で、鬼は生命体として分けられているのだろう。……思念体に触れられる事を含めて、人間と同じ生命体と呼ぶには差異が多過ぎてあまりに大雑把だが」


「……つまり、どういう事?」


「わたし達は生きた世界の生き物で、鬼さんは死んだ世界の生き物。同じ生き物同士だから見えてる、って事かな? あ、でもそれだと、鬼さんが生きてる人と目が合うのは久しぶりって言ったのと矛盾しちゃうか」


「人間とは違って、体の構造に魔力が関わっているのだろう。もしくは使い魔同様、丸ごと魔力によって造られていたなら、魔術師以外の人間に見えないのも当然だ。まぁ、解体するまでは断言出来ない憶測だが……」


「え、この鬼、三枚開きにでもするの?」


「まさかの魚。……いや、意外と間違ってはない、のかな?」


 三枚開きが適切な解体方法とは到底思えないが、魚に比べたら人間寄りな外見をしていても、中身まで似ているかは開いてみなければわからない。

 菫の思考は一周回って捩れ、三枚開きも間違っていないような気になっていた。


 一方、彼女らの会話を聞いていた動物達はやや動揺していた。

 何せ彼らの中では、圧倒的強者である鬼が彼らの友である人間を虐めていたと思っているのだ。そんな弱者の口から鬼を解体するなんて恐ろしい単語が出てくれば、あれ? おや? とざわめき出す。

 悲しい事に、彼らが見えている二人にはそわそわし出す山の反応に鈍感で、構わず話を続ける。


「……この鬼は獄卒、地獄に落ちた罪人を裁く執行者だと名乗った。辛苦となるあらゆる事象に耐性があるのも納得がいく、どちらにせよ人間が手を出すのは不可能だ」


「んー……? よくわかんないけど、本当なら倒せないはずほ鬼を倒しちゃったわけか。すごいね、菫」


「えっ!? 何でわたしがすごいって話になっちゃうの……? アルカじゃなくて?」


「え? だって助かったのって幽霊猫の恩返しなわけでしょ? あの時私は菫の手伝いしただけで、猫の姿すら見えないし、今なんてさっきまで寝てて何もしてないし」


「えぇぇ……」


 様々な要因が重なって、鬼を倒すという結果になった。それが菫の功労によるものだと考えるのは、あまりに傲慢過ぎると納得がいかず不満の声が出る。


 何せ自分は何もしてないのだ、と菫は考える。

 幽霊猫の手助けをした件でも、霊が見えるようになったのは昴生の魔力の影響であり、指輪を取り戻せたのも一緒にいたかったアルカのおかげなのだ。菫は猫の誘導に従って道案内しただけで、指輪を運んだのもアルカだ。


「そんなことないよ、絶対。わたしだけじゃどうにも出来なかった。アルカと昴生くんの二人がいたからで……うん、あれだよ、皆の勝利ってやつ」


「そうかなぁ……」


「……幽霊猫に関する出来事に僕は無関係なんだが」


「……うん。じゃあここは猫のおかげにしよう! 猫さん、改めてありがとうございます。本当に助かりました」


 全ての魔術師を畏怖させる力、その条件の一つを叶えたとは思えない地味な空気に、菫は傍らにいる白猫にしゃがみ込んで礼を告げた。

 幽霊猫は瞬きせず顔を見つめている。

 その視線は何故か呆れられているような気がした。勢いよくしゃがんで少し痛みが走った足とまとめて気付かなかった事にした。


 三人の声が途切れたところで、鬼が大きく溜息を吐く。


「おい、人間のガキども。話が終わったならとっとと帰れ。お前らがいると、上のこいつらがいつまでも退きゃしねぇ」


 抵抗する事を諦めた鬼の声は疲れが滲んでいる。

 どうやら鬼は動物達を無下に扱わず、鬼ではなく菫達の味方でいる事を許容しているらしい。彼らがどういう関係であるのか謎はあるが、要点は別にある。


「……つまり、鬼さんはわたし達がどこか行くまで動けなくて、今は仕事に戻るまでの待機時間、休憩中って事ですね?」


「は? ……はぁ!?」


 動物達に埋もれた鬼の表情は見えないが、菫の意図を察して驚いたようでひっくり返った声が上がる。


「色々お聞きしておきたいんです。教えてもらえたらすぐ帰るので、お願いします」


「どういう神経してんだお前は! 怖いもの知らずにも程があるぞ!!」

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