イミテーション∽ヒーロー
アルカが嬉しそうに、懐かしむように語る、「爺さんがこう言っていた」「婆さんがこう教えてくれた」。それを聞くたびに、この子は自分と似ているところはあっても全然違うのだと、思い知らされる。
羨ましいと思った事はある。
妬ましいかは、どうだろう。あまり考え過ぎると、落ち度のない彼女を傷付けてしまいそうで恐ろしかったから、わからないふりをした。
嫌われるのが怖いくらい、アルカの事が好きだ。彼女の明るさに、ひたむきな眩しさに、求められることに、兄を慕う真っ直ぐな恋心に、報われる気持ちになっていた。
だから余計に、いい顔をしていた自覚はある。
出来ることなんて大してないけれど、居心地よく思ってもらいたい。都合がいいと思われるくらいでいい。こんな泥付いた本心など、嫌悪されるだけだ。
名前に相応しく、小さく可憐で無害な花のようであろう。名前に隠れた別の名の毒に、気付かれないように。せめて、一緒にいて不愉快に思われないように。
慎重に、自然に、振る舞っていた。……なのに。
「そうだ、そこのクソガキだ」「どうして我らが消えねばならない」「不要」「己の価値を見出せ」「おまえなんかいらない」「生ませなきゃよかった」
もう、本当にやめてほしいなぁ。
菫はたった今、手を伸ばしかけた存在から噴き出してくる恨み言の雨に打たれ、惨めさが募る。
いらない。生ませなきゃよかった。
このあたりが、父の恨みの根幹に近いのだろう。生前から何度か聞き覚えがある言葉だが、死後に積もった恨みとは意味合いは違う。
「何にも出来ないくせに口答えばかり」「役立たず」「泣いて謝れば可愛げもあるのに」「あの女と同じ」「クソ女のガキ許さない」「壊れたくない、ああ」「裏切り者」
不義の子。そう言いたいのだ。
父の恨みの先は、不貞をしていたらしい母だ。その母が産んだ菫も、憎しみの対象として分けられた。生まれた側からしたら、逆恨みとしか言いようがない。
兄、夕昂の生みの母を追い詰めた不倫夫婦の末路としては、因果応報。
菫は、そんな因果の残り滓だ。
「…………」
アルカは何も喋らない。
無限に湧き続ける綿毛茸の恨み言を聞いて、声にならないほど不愉快に思っているのかもしれない。
もうやめて。そんな話をアルカに聞かせないで。
懇願したところで止まるわけがない。言ったところで過激化するだけだと知っている。ただ、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
あとどれくらい聞かないといけないのだろうと途方に暮れるより前に、言葉が途切れた。
そこで、アルカはようやく口を開いた。
「…………終わった? は――――……あ〜」
心底、どうでもよさそうに確認して、腹の中の空気を全て吐き出すような長い長い溜息の後、
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるっっっっっせぇなぁ!? 声は虫以下! 話はくっそつまらねぇ! さいっあく! さいっっっあく!! あ〜〜はいはい終わり終わり! もういっぱい話したら未練ないでしょ!? とっとと死ね! あっもう死んでた! くっそうるせぇくせに死んでた! 静かに死に直せ!! ああぁ――ッ、ううぅぅあぁあ!!」
片岡アルカの鬱憤が、大爆発した。
近付くだけで怖気付く、離れていても烈火に圧倒される。爆発、としか表現しようがないほどのアルカは激昂に、菫は呆然として、昴生は諦念の息を吐いた。
言葉を吐き出しただけでは怒りを発散しきれないのか、頭を抱えながら咆哮し、地面を乱暴に踏み鳴らす。園内で新たな茅の芽がひょこひょこと生えて、生えて、生えて、綿毛茸を急速に握り潰していく。
「ぎ」「ぎょご、」「ごがッ」
「もう途中から半分どころか全部聞き流してたけど、何? 菫が悪い子とかなんとか言ってたやつ。菫が悪い子? そんなの当たり前じゃん。一体何歳だと思ってんだよ」
怒りの収まらないアルカの言葉を聞いて、菫は反射的に体を硬らせる。
性根の悪さを見破られていたと思いかけたけれど、少し言葉のニュアンスがおかしいと気付く。
「小学生にでも見えてんの? こちとら高校生だっての。中学にあがったら大体みーんな悪い子になんの。それが自然な事なの」
「え、ぁ……」「ギャ」
「それを、成長って言うの。成長する子供を、大人の言うこと聞かないだけで悪い子だって言う大人のほうが悪いって、私は教わった。それで? すぅちゃんとか馴れ馴れしいお前は、菫にとって悪い大人だったわけだ。へぇ……」
アルカの耳には、菫が「お父さん」と呼んだ声は聞こえていなかった。
それでも、一方的に暴言を吐き散らかし、俯きながら詰られ続けていた菫の反応を確認すれば、ただの加害者と標的とは思えない違和感に気付く。
だが、アルカには綿毛茸の正体など、どうでもよかった。
「菫は、私のこと隙あらばからかってくるし、適当なこと言って誤魔化してくるし、疲れてる時は少し口も悪くなるし、意外と足癖悪いし、たまにケチ臭いし、言い方は優しいけど厳しいこと言ってくるし、……そうだね。悪いとこもあるかもね。だから?」
片岡アルカは語る。
これは、知古だと言わんばかりに織部菫を蔑んだ綿毛茸に対し、当然知ってるだろうと当て擦るためのマウントだ。
綿毛茸は知らない。そんなことすら知らない。菫は正しい自分に口答えする身の程知らずの子供だ、そこで思考停止し続けている。
せっかく締め付けの圧力を止めたのに、綿毛茸から返答はない。アルカは鼻で笑った。
「菫は、対して話した事ない奴でもお腹空かせてたら自分で稼いで買ったお菓子を分けられるんだよ。家で家事してバイトして学校で勉強して、絶対忙しいのに文句一つなく時間を作ってくれるんだよ。死ぬかもしれないのに他人を庇えるんだよ。人を傷つける言葉を使わないんだよ。命狙われて怖いはずなのに、人の事ばっかり気にかけるんだよ。知らないんだろ? 知ってたら菫を、ただの悪い子なんて決めつけるわけねぇよ」
「偽善、だ、」「いいこぶってる、だけ」
「へぇ、菫の優しさが偽物。へぇ、ほぉ、あっそう。んで? 偽物だから悪いって教えてあげてる口だけのお前が、本物の優しさとか言っちゃうの? すごーい。理解できねー」
どうでもいい、真偽も真贋も虚実もどうでもいい。
織部菫は英雄ではない。
どこにでもいて、誰にでも出来るような事をして、当たり前な事を当たり前に出来る。ただそれだけの平凡で、かけがえのない少女。――怪物ではなく、友達を救うヒーローとして導いた片岡アルカの、道標の光。
その輝きが、宝石だろうとガラス玉であろうと、関係ない。
織部菫が伸ばした手にどんな意味があったとしても。決死の覚悟で駆けつけた心中がどんなものだとしても。彼女の当たり前の優しさと勇敢さに触れた結果が、今のアルカを形成している。
大体、ヒーローというものは、総じて本名も正体も秘匿しているものだ。
これまでの経歴など全て無視した上で、
「…………はぁ、」
矛が研ぎ澄ます。片岡アルカの守りたい温もりを、奪おうとするこの存在は許してはならないと。
まず話を聞き、一度理解を示した上で、何もかもを否定する。養父妹から学んだ、戦い方だ。その強烈な執着心を根底から潰すために耐えた。耐えて耐えて、答えが返ってこなくなるほどに言い破った。
もう充分だろうか。
まだ言い足りないくらいだが、一秒でも早くこれを始末したい。
「ぶはは、あっは、あひゃはははガッ」「ぉ、ご……ッ」「たすけ」
綿毛茸の声は聞こえても、姿は見えない。雁字搦めに締め付ける茅の塊を少しずつ圧縮させるのと同時に聞こえる声が小さくなっていくのを目安に、確実に壊していく。
「おわる、おわるのか、我らは」「ひどい」「誰か何とかしろッ」「娘なんて放置しておけば」「責任、せきにんとれよおおお」
――弱い。
アルカの頭の冷静な部分が、綿毛茸をそう評定する。
生前の人間が集まり固まった『結合』。綿毛茸の内に抱え込んだ人数も大きさも速さも姿が見えないというイニシアチブも、単純な戦力差がたった三人のアルカ達よりも優っていた。だからこそ作戦を立て、武器を用意し、奇襲をかけた。そうしてようやく届く勝率だった。
実際、アルカが茅で拘束する発想と実行する反射が遅ければ、菫は助からなかった。恐ろしかった。今だって反撃を警戒して、全神経を使っている。
だが、綿毛茸は反撃してこない。人外の剛力を上手く行使しようとも、知恵を出し合おうともせず、各々それどころではないとばかりに狼狽し、消滅に怯えて打開策を出さない。
似た物同士で寄り集まって、強大な力を得て間違えてしまった烏合の衆。
そんな弱い存在が好き放題力を振り回した。そうして犠牲になった命がある。ひとかけらの慈悲も必要ないと、アルカは圧力を加えていく。決意の中にほんの少し、心にしこりを残して。
……この亡霊の生前が、織部菫にとってどれほど重大な存在であろうとも、片岡アルカはこの害悪を滅ぼさなければ、気が済まない。野蛮な本能が、抑えきれない。
己の怪物の一面を引き摺り出した綿毛茸に、アルカは再び吼える。
「ああああ!! もおおおお! ふざっけんなよほんッとう!! なんだって菫を殺そうとした! くそが! 絶対許さん!! これで菫から怖がられて嫌われたら、一生恨むからなぁああ!!」
「…………えっ!?」
アルカを怖がる理由も嫌う理由も全くなかった菫は、急な事に素っ頓狂な声を上げた。
嫌われるのは、菫のほうだろう。
弱くて役立たずのくせに、問題運び込んで、しかも蓋を開ければ身内問題で、無関係な二人巻き込んで、黙って隠して、騙し討ちのようにアルカに汚れ仕事を押し付けて、これが最善なはずだと思っている。
……こうして事実だけを並べると、あまりにも醜悪過ぎる。因果の残り滓は自己嫌悪で勝手に凹んだ。
グシャと何度目かの潰れる音の後、昴生が掴んでいた菫の手が解放される。
「――……消滅を確認」
「へ……?」
「片岡を止めてきたほうがいい。止め時を見失っている」
「あ、っうん、」
ぎちぎちと、壊すものが無くなっても磨り潰すために茅は動き続ける。
どこか現実味がなく呆け続けていた菫は昴生の言葉に従って、ややもたつきながら立ち上がり駆け出した。
「アルカ、アルカだい、大丈夫! もう大丈夫だって!」
「壊れろ、消えろ、死ね、いなくなれ、」
「終わった、終わったの! もう戦いは終わったの、わたし達が勝ったの! アルカのおかげで、みんな無傷で! だから、」
アルカはどこか上の空で、まるで菫の声が届いていないようで駆け寄った勢いのまま肩を掴んで、だからもう大丈夫だと呼び掛ける。
間隔の短い呼吸を繰り返し、アルカの目は迷い子のように揺れる。
「……きらいになった?」
「なるわけないでしょ!?」
「こわがらないで……」
「大好きだよ!! そんなこと言わないで!」
しおしおと弱弱しくなる一方のアルカを菫は抱きしめて、許容する。
不安と恐怖に苛まれた時、誰かにしてもらいたい事を織部菫は知っている。特別ではない、どこでもいる誰かが、誰にでも出来て、当たり前の事。
腕の中の片岡アルカはそれを惜しみなく堪能する。尊い温もりに満たされて……脱力する。
「菫…………なんか、きもちわる、めがぐるぐるする」
「えっ!? だ、大丈夫!? 吐く!? とりあえず横に、ベンチまで、あああ遠いぃ、頑張るけど、地面に倒しちゃったらごめん!」
魔力を急出力していたせいか、極度の緊張感から解放されてどっと疲れたのか、アルカは朦朧としながら菫に身を任せた。
吐き気を気にしつつもアルカの背中を労わるように撫でて、重みをかけられてもしっかりと抱え込んで離れようとしない菫の献身にアルカは口が緩む。
「あー……うん、ちょっとやすむから、テキトーにポイしといて……」
「しないよ!? あ、わわっ」
菫は気絶したアルカの体を支えきれず抱きかかえたまま、びしょびしょにぬかるんだ地面に一緒に倒れ込んだ。
べしゃ、と二人の少女が水音を立てながら地面に転がる光景を、離れた場所から見ていた昴生は小さく息を吐いて気を緩めた。さすがに疲労を感じる。濡れた地面でも構わず、まだしばらく立ち上がる気力が湧かない。
散らばっていた茅は一本残らず消え去った。綿毛茸の形を作っていたゴミの鎧も一つも残らず砂となり、深夜の静寂を取り戻した公園の中に、異物が一つ。
綿毛茸を作り出していた七つの魂、それらが融解してまざりあった粘液がまだ残っていた。
霊は勝手に存在して、勝手に消えていく。
貼りついていた核ごと粉砕した後、魂も消滅すると考えていたが、甘かったらしい。
直接害を与えるどころか触れる事も出来ないため、警戒する必要はなくなった。しかし再び鎧を調達する可能性もあるため、勝手に消えるだろうと放置するわけにもいかない。
命の色をした粘液をどう処理するべきか、昴生は頭を悩ませる。
「昴生くんー! アルカの足の方持って、手伝ってくれないかなー!」
「ッ……!?」
菫の応援要請に、昴生は動かない粘液から視線を少女達のほうへと向け、瞠目する。
力なく寄りかかるアルカを支えながら困ったように昴生を見る菫。
――その背後に、不自然な深紅の城門が音もなく、まるで初めからそこにあったかのように顕在し、観音開きの扉が今、開かれようとしていた。
「そこから離れッ」
「――――……ああ?」
昴生の言葉よりも先に、菫が反応してしまったのは背後からの地を這うような声。
全身総毛立つ恐怖に身が竦み、菫は逃げるのではなく、後ろを振り返ってしまった。
「……お前、俺が見えているのか?」
そこには、見上げるほどの大男がいた。
赤い肌、額から伸びた二本の黒い角、口から飛び出す鋭い牙を持つ――鬼が、そこにいた。
――――
おにきめ、おにきめ、おにじゃないよ。
『おにぎめ、おにぎめ』指差した綿毛茸は、鬼じゃないよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます