茅
一月一日、元日。
菫とアルカが、少し離れた大きな神社に初詣に行った、その時の事。
「……ずっと動かないの疲れた」
「わかる……。でも頑張ろ。せっかく一時間も並んだんだから、あと半分くらいで」
ぐうぅ。
菫の言葉の途中でアルカの腹が返事をした。「お腹が文句言い出した」とひぃひぃ笑った後で「ごめんごめん」と菫が笑いを引きずりつつ謝ってきた。
仕方ないじゃないか。夏祭りぶりの出店があると聞いたから、朝から何も食べてなかったんだから。
そうして長い長い参拝の列から離れて、二人で出店を回った。
冷たい風が吹く今の季節はかき氷もラムネもなくて、お好み焼きも売ってなかった。だけど、温かい焼きそばと熱々のたこ焼きは、夏に食べた時よりも美味しく感じた。
冬と言ったらこれだよ、と菫が言ってもらってきた甘酒は、甘辛くて驚いてたら「これ生姜も入れてくれてるから、体あったまるよ」と教えられて、本当に温かくなった。
引いたおみくじが大凶で気落ちした時、「数が少ないから逆にラッキーなんだって。悪い事が起きないように気をつけてれば、あとはどんどん良くなっていくんだよ」と慰めてくれながら、一緒におみくじを結んだ。
菫は、些細な事でも大丈夫大丈夫と言って、本当に大丈夫な気持ちにしてくれる。
助けてくれた人には感謝を、嬉しい事をしてくれた人は大切に。養母の言葉を思い返して、アルカはこの半年を振り返っていた。
自分は、菫を大切に出来ているだろうか。面倒見てもらって、我儘を聞いてもらってばかりな気がする。
「菫は、どんなお願い事するつもりだったの?」
「んー、普通に健康に過ごせますように、とかかな」
「うう、それだと私が叶えてあげられない」
「え、何か叶えてくれるつもりだったの? それじゃあ一つだけ、アルカなら叶えられるお願いあるんだけど……」
何? 何? と食い気味に尋ねてみれば、菫は少しだけ意地悪く笑う。
「お兄ちゃんと末長く仲良くしてね」
「そういうのじゃない! そういうのじゃないよ!! もう!」
「えー、本気なのに。あはは!」
顔が熱くなるのを感じながらアルカは怒って見せたけれど、菫は楽しそうに笑って、結局願い事は教えてくれなかった。
もしも、からかうためじゃなくて、本心からの願いだとしたら、それはそれで、寂しかった。
そういうのじゃなければ、どういう願いだったら、胸の寂しさが無くなったのだろう。
「アルカ、
聞きなれない単語に首を傾げていると、菫はやたらと大きな草の輪を指差していた。
「なにこれ?」
「ええと、これにくぐると心身を清めて厄災を祓って無病息災で過ごせる……なんか縁起の良いものだよ!」
茅の輪の横に『茅の輪について』『茅の輪のくぐり方』が書かれた看板をそのまま読み上げて、ざっくりとまとめた菫も、あまり詳しくはないのはわかった。
二人で並んでくぐり方について読んでいた時に、菫は不意に「あっ」と少し嬉しそうな声を上げて看板を一文字を指差した。
「見て。今まで気付かなかったけど、
これは死んだ。
そう覚悟してから一回、二回、三回目、息が苦しい。目と鼻の距離だったとはいえ、筋肉が悲鳴を上げる無茶な全力疾走をしたのだ、呼吸も乱れる。四回目、自分の荒い呼吸音が今も聞こえて、……何故普通に息が続いているのかと、疑問に気付く。
菫は恐々と目を開けてみた。
「はぁ、っはぁ、君は、っ……気でも、狂ってるのか、はぁ……」
「あ、ぇ……うわ、ぁあわわごめん! 重くなかった!?」
「何故真っ先に確認するのがそんな事なんだ……」
昴生を突き飛ばした右腕を掴まれ、彼の上にのしかかる状態で目を瞑っていたらしく、菫は慌てて飛び起きた。
手首は思いの外強く掴まれていたようで、離れたあとも圧迫される感覚が残っている。
状況的に、恐らく昴生が綿毛茸に噛み付かれる前に菫を引っ張り出してくれたのだろうが……もうほとんど閉じかけたあの隙間から、無傷で脱出出来たなんて信じられない。
溜息混じりに起き上がった昴生が緩く首を振る。
「いや、悪い。君の行為は無謀だったが、助けられた」
「あ、いやいや……」
と、普通に相槌をしかけて、無謀な行動の元凶がまだ背後にいるはずなのに、やたらと冷静に会話を続けている状況のおかしさに固まる。
尋ねるよりも見るほうが早いと振り返って、言葉を失った。
「…………」
「……昴生くん、これ、何が起きてるの?」
「わからない。だが、これは……」
綿毛茸の全身は緑の植物が雁字搦めに巻き付いている。地面から伸びる草は編み込まれ頑丈なロープとして下部は押し潰し、上部は重なるように不自然に折り曲げられた状態で固定、完全に制圧されていた。
菫が駆け出した時はなかったので、ほんの数秒で巨躯を縛り上げたことになる。
一体どうやって、と疑問に思っていると視界の端で、綿毛茸を締め上げているものと同じ植物が菫の周辺にも散らばっていた。
葉ネギのように見える細長い葉っぱ。それを持ち上げようとして、手の中から消えた。
「えっ、あれっ?」
「……ああ、やはりこれは、矛だ」
「ほこ、」
そういえば〈
矛だと言われても、植物にしか見えない。そもそも、これが矛だとしたら一体どれだけあるのか。
目の前に散乱する植物だけで三十本以上はある、――と考えて視野を広げた時、公園全体に植物が撒かれているような状態に気付く。
地面に散らばる以外にも綿毛茸を拘束している分を含めたら、百では足らない。千本以上はあるかもしれない。
「恐らく、
「茅?」
「茅葺き屋根や、
「あ……っ、茅の輪!」
そこでようやく、年始の些細な会話に思い至る。菫達が神社で見た茅の輪は冬の季節らしく茶色に褪せていたけれど、綿毛茸を捕らえるみずみずしい緑の縄を改めて見て、類似したものだとわかる。
いや、菫には違いがわからないだけで、恐らく同じものなのだ。
これ、全部。アルカが作り出した矛。
視線を向けた先で、アルカは両膝に手をつきながら前傾姿勢で呼吸を整えていた。猛烈な疲労を堪えている、そんな様子だ。
「あっ……アルカだいじょ、いや全然大丈夫じゃなさそうだけど! 大丈夫!?」
「……….ねぇ、そいつ今何してた?」
姿勢を変えないまま上目で向けられたアルカの両目は剣呑さにぎらついていて、菫は驚いて硬直してしまった。
問いに回答を得られず、アルカは苛立ちを抑えるような声色で静かに重ねて問う。
「ねぇ、急に菫の体が見えなくなったの。足は見えた。でも上が、上の方が急にみえなくて、ねぇ。そいつがなんかしたんだよね。何してたの? 菫は無事に見えるけど、無事なの?」
「ぶ、無事! ええと、あの」
「今、僕の代わりに織部の上半身が綿毛茸に粉砕されかかっていたな」
「きゅ、九死に一生を得まして、アルカのおかげで! ありがとう! 助かったなぁほんとう!」
どうして感情が昂っている相手に過激な言葉をかけてしまうのか!
慌てて両手を振り回して元気アピールをしてみせるが、アルカは感情が抜け落ちたような真顔で眼光ばかりが鋭くなっていく。
普段の感情を爆発させる怒り方とは全く違う。
「うん。わかった。それで、コレ、矛で取っ捕まえてるのは綿毛茸で間違ってない?」
コレ、とアルカが指差した茅によって強固な拘束された綿毛茸は、抵抗する意思が残ってるらしく、僅かに動く様子は伺える。
「公園全部矛で確認して、見えないけど触った感触あったのここだけだけど、まだある?」
「な、ないよ。分裂とかはしてないから捕まえてるとこが全部だけど……その、ごめん。わたしが目の仕事、放り出しちゃったから……」
「そんなの、いいよ。無事ならなんでも、いいよ」
公園全域に散らばった茅は、菫の指示がなかったせいだった。
緊急事態だったとはいえ、何も見えないアルカを放ってしまった事を謝罪するが、アルカは何も気にしてないようで首を横に振る。
「……一体、どういった理屈でこれを矛として認識しているのか、理解に苦しむ」
「は? これは矛みたいな草だから、草の中では矛はこれだけじゃん。今は土も水もいっぱいあるから、いっぱい作れたんだよ。何がおかしいの」
ほんの一瞬の間、片岡アルカは地面につけた足の裏から公園全域に魔力を行き渡らせた。細長い形状の似た枝から矛を作り出したのと同じように、水を含んだ土から命が芽吹くように茅を作り出した。
難しい理屈などなく、ただ草冠を乗せた矛だから、これは矛である。
そんな目玉が飛び出しそうなとんでもない理論とも呼べないこじつけを、膨大な魔力で強行した。昴生は理解は示しつつ飲み込み切れない話に頭を抑え、溜息を溢す。
「……僕が理解出来ないだけで、片岡の中で筋道は通っていて、力で道理を通したのはわかった。よく、ここまで魔力を消費して立っていられるな」
「ごらんのとーり、ギリッギリだよ。だからもう、終わらせちゃうよ」
腹立たしそうに、吐き捨てるように宣言した直後、綿毛茸を拘束している茅の縄がさらにきつく締め上げる。
全体をまんべんなく覆っている縄は強く、綿毛茸に食い込んでいく。その力は容赦などなく、綿毛茸の体を圧縮し、変形させ、抵抗する隙も与えられないまま潰されていく。
「なぁ、なんだ、これは」「何が起きてるの」「いやだいやいや、あああ」「壊される壊される壊される」
「ぁ…………」
これでようやく脅威から解放される。
殺される不安がなくなると安心した顔をしなければならない。
それでも、菫の口から零れた声はまるで嘆くようなもので、粉々に破壊されていく異形に、意味もなく手を伸ばしてしまう。
これが物語だったなら、生前伝えられなかった言葉を交わしたり、悲しくも美しい別れを出来たのだろう。だけど、現実はただ殺意を向けられて、生きるために返り討ちにした。
特別良い父だったわけでもない。良い思い出より悪い記憶ばかりを掘り起こすような、そんな親だった。好きだったかと聞かれたら、あんまり、と濁した答えしか出せないような、嫌な大人だった。
それでも。
そんな大人だったとしても、父自身が菫を娘と認めなくても。
菫にとっては唯一の父だった。
せっかくまた会えたのに。
こんな形の別れしか、出来なかったのかな。お父さん。
「耐えてくれ」
菫の手が伸び切るより先に、昴生に手首を掴まれて止められる。
「どんな心残りがあろうと、姿かたちが変わっただけだと思ってはいけない。死者に縋ってはならない。君が縁者なら尚更、見送らなければならない」
「――――……、」
「引き留めてはいけない。引きずられるな。片岡が君を守ろうとしている、耐えてくれ」
「ごめ、ん……ごめん、ごめんね。わかってる、わかってるから……」
ああ、やっぱり。菫が綿毛茸を止めるために「お父さん」と呼んだ声は、彼の耳には届いてしまったようだ。
昴生がどこまで把握して菫を止めているのかわからなくても、娘が父を引き留める声がアルカの攻撃の妨害になる可能性を危惧しているのだろう。もしこの状況から父が奮起したとしても、娘のためにという親心ではなく、復讐心の再燃だろうけれど。理由は違っても結果が同じならば、どちらにしても起こしてはならない。
そう考えると、菫は体から力が抜けていき、だらりと伸ばした腕が落ちる。
感謝と、無念と、申し訳なさと、感情がめちゃくちゃで言葉にならない。菫に出来るのは、この激流のような感情をただ耐えて、父の二度目の死を見送ることだけだ。手首を掴んだままの彼が、どんな表情をしているのかさえ見れない。
「ひぃ、ひいい」「おのれ、おのれ、おのれ」「すぅちゃんは悪い子」「クソ女の産んだゴミ」「壊れる、壊される」「我らが終わる」「おまえさえいなければ」「悪い子、悪い子、最悪のガキ」
「………………ああ?」
怨嗟の断末魔を上げる綿毛茸の言葉に反応したのはアルカだった。地を這うような限界の声と共にねめつける。
「すぅちゃんって何、……菫のこと?」
綿毛茸を討伐するまであと一手という、この最終局面において、今まで雑音としか認識出来なかった異形の声を、アルカは言葉として理解出来てしまった。
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