頑固者の説得

「ところで、昴生くんのその手だけど」


「だから大した事じゃ……」


「うん。病院行ったんだよね? 昴生くんの感想じゃなくて、お医者さんの診断結果を聞きたいな。骨折?」


「……ヒビが入ってた」


 素直だ。そして意外と強硬な態度で挑むと折れてくれるらしい。菫が小さな感動を覚えていると、隣のアルカはパンを詰まらせた。


「骨にヒビぃ!?」


「折れなかっただけ良かっただろう」


「いや、なんか軽傷っぽく言ってるけどヒビって骨折だよ。一ヶ月はギプスつけてないといけないでしょ」


「どちらにしても治る怪我だ。腕がなくなったわけでもないんだ、大袈裟にするような……」


「昴生くん、アルカの顔を見て同じこと言える?」


 菫の誘導に昴生はぐっと言葉を飲み込んで、視線をこちらに向けようとしない。朝のアルカの反応を見ていれば、大した事ないから気にするなって言葉で収まらないと気付いているのだ。


「継片、ごめんなさい。骨折させて」


「……謝罪だけは受け取る」


「うん、それで、治療費なんだけど……」


「だから、謝罪だけで、」


「昨日バイトの面接して、受かったから、ちゃんと払う」


 え、と困惑の声が菫と昴生の口から同時に漏れた。


「週末、仕事に行けて、お金も次の日入るらしいから、ちょっとずつになっちゃうけど来週まで待っててもらえると、」


「待て、待て片岡。昨日? それは、君の元々の予定だったのか?」


「は? 全然予定どころか、バイトしようとか考えてなかったよ。私、バイトとか出来るとは思えなかったし」


「へ、変な、危ないバイトとかじゃないよね?」


「えっ、ティッシュ配りって危ないバイトじゃない、よね?」


 菫の心配にアルカも焦り、昨日の話をし始める。

 治療費を渡そうと思っても、アルカが動かせるお金は多くない。亡くなった養父母の遺産を管理している養父の妹、離れて暮らしている片岡アルカの保護責任者から毎月定額の仕送りのみだ。同級生に怪我をさせたと連絡すれば多めに送金してもらえるとは思う。だが、被害者である昴生がそれを受け取るかと考えて、答えは否。

 よろしい、ならば稼いだ金を渡せばいい。


「どうしてそうなるんだ……」


「でもほら、自分で働いたお金渡した方がお詫びの気持ちが伝わる、とか」


 その後、菫と遊びに行った繁華街に近い駅前でティッシュ配りをしていて、その人の横にアルバイト募集の看板があったのを思い出し、菫のように接客するのは難しくてもティッシュ配りなら出来そうだと早速駅前まで向かい、看板の前で電話をかけ、管理会社が近かったためそのまま面接に行き、履歴書がなかったため近くのコンビニで買って……と、とんとん拍子に週末のバイトが決まったという。


「そっか。昨日、帰った後で色々頑張ってたんだね」


「ちゃんと頑張るのは週末からだけど……」


「それは……うん、頑張って。仕事中だからって、気丈に対応するんだよ」


 文化祭でアルカが店番をしていた時の集客力を思い出した菫は、心の底から応援した。心配する気持ちは強いものの、菫もバイトのシフトが入っていて現地で応援は出来ない。

 即日採用の理由が顔採用だったら雇い主が対策を考えてくれるだろう、たぶん、きっと。大丈夫でありますようにと祈る。


 彼女の謝罪の姿勢と行動力に感動し、菫も箸を弁当箱の上で抑え、両隣に顔を向けてから頭を下げた。


「わたしも……わたしの我儘のせいで大事になっちゃって、ごめんなさい。それで治療費をアルカだけに負担させるのすごく悪いから、やっぱりわたしも払う」


「いや菫は全然悪くないでしょ!? 直接叩いたの私だし、私が悪いんだって」


「……昨日も言ったようにこの怪我は僕の自業自得だ。何故同じ話が何度も蒸し返されるのか、君達がそこまで自責するのか理解に苦しむ」


「いやいや、菫が悪くないのはわかるけど、私は違うじゃん! 現行犯じゃん!」


「でもアルカを現行犯にしたのわたしだし」


「根本的な原因の話になるなら、僕が軽率に織部に組紐を渡した事だろう」


「だけど昴生くんが組紐くれたのは、だって、わたしの体質のせいだし」


「まってまって、菫が今の体質になったのって私が原因なんでしょ? だったらやっぱり私が」


「――やめてくれ」


 これまで聞いたことのない昴生の声色に、二人はぴたりと止まる。

 ほぼ同時に教員室から教師の一人が顔を出し、「大丈夫? 喧嘩?」と声をかけてきた。声を抑えていたとはいえ、仲良く歓談とは呼べない騒めきとして教員室まで聞こえていたらしい。「大丈夫です、ゲームの話で白熱しちゃって」と菫が答えると、教師は煮え切らない生返事でそのまま廊下に出てその場から離れていった。納得はしないけど、見逃してはくれたようだ。


 その間、昴生は俯いたまま眉間に皺を寄せて目を伏せていた。

 苦悩や無念を押し殺すような、静かな感情が滲み出した彼の声のような表情で。


「……こんな怪我ごときで、君達が共に有る事を否定するなんて、おかしな話だ。仮に今回僕の腕を潰していたとしても、君達は一緒にいるべきだ」


「おァッ!? 何、はいィ!?」


「えっ、あ、え……と、もしかして、昴生くんは怒って、らっしゃ、る?」


「今は当たり前の話をしているだけだ」


「かなり特殊な話だと思うなぁ!?」


「クソ真面目な顔で何言ってんだよお前!?」


 先程まで少しだけ感情を覗かせていた彼の表情はいつも通りの鉄仮面に戻り、至極当然の常識を解くように無茶苦茶な理論を理路整然と並べ立てられる。大混乱、大困惑である。

 昴生の言葉を噛み砕いて簡略に組み直すなら、彼は嘘や気遣いなど一切なく自身の骨折を些細な事で済まし、そんな些末な事で菫とアルカが大きく責任を感じて自責しているのが理解不能、もしくは不服だと感じている。――という解釈で合っているだろうか? 菫は彼の無表情を見て謎を深めた。


「そりゃ……まぁ、さすがに話が飛んじゃったし、菫と仲良くなったから継片が怪我したとかめちゃくちゃな話だと思うけど、ごときってことはないでしょ」


「君のような猛獣をヒーローにすると決めた時から想定内の事だ。修復可能なら損失としても安い」


「安かろうと高かろうと怪我は怪我だし、悪いことは、悪いことで」


「片岡に害を加える意思がなかったのはわかっている。僕は罪を問うつもりもない、君達への罰も求めない」


 昴生の言葉にアルカは言葉を詰まらせた。二人の話を間に挟まった状態で傍観してた菫は、そりゃないよ、と怒りが込み上げる。

 だってそれは、こんな扱いは、対等ではない。

 菫の頭に一つの賭けが思い浮かぶ。うまくいけば話が丸く収まる可能性がある。だが菫がこの状況で把握した情報が間違っていた場合、とんでもなく恥をかく。


 ――ええい、恥くらいなんのその!

 顔が熱く、笑顔が引き攣るのを自覚しながら、首を軽く傾けて猫撫で声を絞り出し、菫は出来る限り、精一杯媚びた。


「こ、昴生くん」


「何だ」


「昴生くんの言いたい事はわかった。でも、やっぱり心苦しいから、わ……、わたしと、アルカのために、お詫び、させてほしいな? そうしたら、ええと、わたし達もほっとする、し」


 自分の怪我より、菫とアルカに対して重きを置いているならば、逆転させればいい。昴生の怪我のためではなく、治療費を受け取ることで菫達の心を軽くするためになると。

 心にもないこととはいえ、身勝手すぎる主張は言ってて恥ずかしい。この捨て身が空振りだった場合、午後の授業を放棄してすぐ校舎から飛び出し自宅に引き篭もるしかない。せめて気持ちを整えるために来週までは不登校したい。

 反応が怖い。恐る恐る薄めを開いて昴生の表情を伺うと、嫌悪の色はなく、やや眉を寄せているだけだった。


「そのために、時間を労働に費やすのは割に合わないと思うが」


「全然! お詫び出来ない方がとっても辛いし、ずっと心が重くてしんどくなっちゃうから! ね、アルカ!」


「え、うん、そうそう」


「そうか、では算出しておく。……君達は揃って、難儀な性格をしているな」


 今までの攻防は何だったのかと呆気に取られるほどあっさりと治療費の受け取りを承諾して、昴生は止まっていた昼食を再開する。

 鏡を見せてやりたい。そう強く思いながら菫は脱力した。


 まだ、怒りはある。けれど、『彼のこういうところ』への憤りの輪郭が掴めたため、やや燻っている。

 彼自身を蔑ろにしながらこちらに歪な敬意をはらうなら、こちらも敬意を持って、包むように丸め込んでしまおう。一方的ではなく、やられたらやり返す。対等な、友人らしく。


 菫も食事を再開する。何せ昼休みは有限なのだ。途中からぼけーっとしていたアルカも、ああご飯の時間だったなと無心にパンをもそもそと口に突っ込む。静かな昼下がりに早変わり。

 そうして昼休みは終わり、午後の授業も終えて、次の勉強会は三人の予定を擦り合わせて来週になるとメッセージを送り合い、菫とアルカは共に下校していた。

 とことこと、歩いて少し学校から離れたところで、ぼんやりしていたアルカの意識は大いに時間差を経て覚醒した。


「いや……いやわけがわからねぇわ! つまりどういう事!? あいつ元々何考えてんだかわかんない奴だけど、今日はめちゃくちゃ意味不明なんだが!?」


「本当それね……」


「会話出来てた菫がそれ言っちゃう!?」


「まぁ、お詫びを受け取ってもらえて丸く収まったからよしってことにしよう……」


 織部菫と片岡アルカがこれまで通り仲良しで心穏やかでいるために、継片昴生は快く治療費を受け取る。そういう話だ。いやどういう話だ。ただのクラスメイトに向ける感情とは到底思えない単純明快複雑怪奇さだ。飲み込み切れない。

 菫は首を横に振って、とりあえず目を瞑ることにした。彼を友達だと思っているけれど、彼の感性にまだまだ理解に苦しみそうである。


「でも怪我が治るまで、利き手が使えないと大変だと思うから色々手伝おう。お詫びも兼ねて」


「まぁ、荷物持ったりドア開けたりくらいなら……お詫びは兼ねる方なの?」


「だって友達が怪我したら手くらい貸すでしょ?」


「あいつ友達じゃないし! ……お詫びはするけど」


「ん、お詫びをしようね」


 素直で実直なアルカの反応に菫は笑みを噛み殺しながら首肯した。


「まずはバイト頑張ろう。バイト先は違うけど、一緒に」


「……うん、すっごく心強い。不安だし、怖いけど、菫も頑張ってると思って、踏ん張るよ」


 差し出された菫の手のひらの意図に気付いたアルカは嬉しそうに美しく微笑み、音も無いほどに優しく柔らかく、互いの手のひらを重ねた。ハイタッチとは思えないくすぐったさにほぼ同時に笑い出す。



 嘘吐きは笑う。ああ、笑うのはいい。

 向かい合って鏡写しのように笑っていると、まるでこの優しく真っ直ぐな友人と同じものであるように、麻痺出来る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る