昼休みの反省会

 継片昴生の登校は早い。

 時間に余裕を持って登校する菫が教室に入るとほぼ確実に着席している一人だ。かなり早く着いたとしても、昇降口で上履きに履き替えている昴生と遭遇出来る程度。これまで彼より早く登校出来た事はなかった。


 だというのに、時間ギリギリに登校する事が多いアルカが教室に入った時、昴生の席は無人だった。


「おは、よ」


「おはよう、アルカ」


「……継片、まだ来てないの?」


「うん、珍しい……」


「ん、そっか。いないんだ……なんか覚悟して損した」


 溜息と共に吐き出すいつも通りの悪態も、どこかぎこちなく弱々しい。けじめをつけるため勇気を持って意気込み、消沈したアルカの様子に菫も眉を下げる。

 予鈴が鳴るが、昴生はまだ現れない。


 昨日、グループ『ask』内で菫は『無事に帰れた?』『病院に行った?』と案じるメッセージを送り、これまた『問題ない』のみで怪我の詳細を語られなかった。

 菫は学校に来ていない事を聞こうかとメッセージ画面を眺めて送る文章の推敲をしていると、教卓側の扉が開く。


 昴生が登校してきた。姿勢正しく涼やかに、三角巾で右腕を吊った状態で。


 菫とアルカは思わず声が漏れ椅子から腰を浮かせたが、彼の状態を間近で見た前の席のクラスメイト達が驚いて口々に声をかけたざわめきに掻き消えた。

 心配するクラスメイトの問いに曖昧に頷きながら昴生が席に着くと、ほぼ同時に本鈴が鳴り、間を置かずに担任教師がやってきて騒ついた教室は緩やかに静まる。


 ホームルームが終わり、担任が教室から出ていき一時限目の授業が始まる僅かな隙にアルカは逃さんとばかりに立ち上がって昴生の席に向かう。菫はその背を見送りながら、なんだか見覚えのある光景だなと少しだけ遠い目をした。


「継片ぁ!! バカ! めっちゃ大怪我してんじゃんか!!」


「はぁ……大袈裟に処置されただけだ。この程度で騒ぐな、早く席に戻れ」


「だ、だって、だってさ……私、」


 菫の席からはアルカの背中しか伺えないが、正面にいる昴生や彼の席の近くの生徒達はアルカが項垂れながら小刻みに震え出すと動揺したように困惑を浮かべる様子が見えた。強い口調で突っかかりに向かうも、耐えきれなかったらしい。

 静かに立ち上がってアルカの元に駆け寄り、手を掴むと青い瞳を菫の方へと向けた。潤んでいるがまだ零れてないようだ、とほっとしつつそのまま手を引く。


「アルカ、授業始まっちゃうから戻ろ」


「でも……」


「うん。わかる、でも話は長くなっちゃうから、あとで。ね?」


 優しく諭すように言えばアルカは渋々と頷いて、昴生はひどく不服そうに「あとで?」と言いたげな視線を菫に向けていた。

 「大袈裟に処置されただけ」なんて信用出来るわけないだろう。負けじと菫も不信の眼差しで対抗してアルカと共に教室端の席へ戻る。


 授業が終わり、昼休みになると今度は菫がにこやかに昴生の元に向かった。


「昴生くん、お昼はわたし達と一緒に食べよ。ちょっとお話聞かせてほしいな」


「必要な事は話したはずだ」


「知ってる? アルカってわたしを片手で運べるの。男の子でも両手だったら運んでくれそうだよね。あ、ちゃんと二人のお昼はわたしが持っていくから安心してね。アルカも今の昴生くんなら仕方ないなぁって抱っこしてくれるよ。ね、」


 どうしたい? と菫はすらすらと口から出てくる言葉から、自分がこの現状に対して思っている以上に怒っている事に内心驚く。自らの厚顔無恥は一旦目を瞑る。一方的でも彼を友人だと思っているのだから仕方ない。このくらい強情でなければ、この頑固は動かないのだ。


 これまでにない態度を見せられた昴生の表情は変わらないものの、明らかに困惑しているようで口を数回開閉しては黙り込む。

 笑顔で待っていれば、昴生も諦めて渋々と頷いた。


「……わかった、行こう。今の君と押し問答していたら休み時間が終わりそうだ」


「当たりー。お昼食べ損ねなさそうで良かった」


 虫一匹殺せなさそうな無害な笑顔と言葉遣いでここまで威圧感を出せるのかと昴生は目元をひくつかせ、少女の後ろについていく。


「アルカー、昴生くん引っ張ってきたよ。移動しよー」


「え、すご。なんて言ってオッケーもらったの」


「ん? えーとなんだっけ、こないだテレビでやってたドアなんとかってやつした」


「……ドアインザフェイスか?」


「何それ?」


 昴生の答えにアルカは首を傾げる。


「まず過大な要求をして、相手に断らせた後で本命の要求を通す交渉術だ。だが織部がやったのは違う、あれはただの脅迫だ」


「人聞き悪いよ! ちゃんと自分で歩くか、アルカに抱っこしてもらうか昴生くんに選んでもらったでしょ。交渉術だよ」


「え、継片抱っこするとかヤ、」


 反射的に拒否しようとしたアルカの目に映るのは右腕をギプスで固定された昴生。

 嫌な気持ちと、怪我をさせた罪悪感が目の奥でぐるぐると回る。そんな焦点の合わない目で標的を凝視しながら両手を突き出し、にじり寄っていくアルカに、昴生も距離を詰めさせないために足を早める。


「……、…………ダけど……しょ、しょうがないから運んでやっても、いいけど」


「妙な気遣いするな。待て、その手を下ろせ。片岡、冷静に……やめろ。やめろと言ってるだろう! 織部!」


「二人ともー、廊下は走ったら危ないよー!」


 最後は小走りで駆け出す二人を菫は呑気な注意をしながら追っていく。

 やたらと人目を引く三人組が口論しながら通り過ぎていく見慣れた光景を、同級生達は、今日も仲良しだなぁ、と見送った。



 菫が三人で昼食を取るために選んだのは、廊下の隅っこだった。ただの廊下なら多少目立つだろうが、その廊下は職員室、面談室、会議室、突き当たりに校長室という、生徒はほぼ近付かない穴場だ。

 菫とアルカはスポーツタオルを敷いて仲良く横並びに座り、昴生は菫からタオルの貸付を断ってそのまま隣に正座で腰を下ろす。

 菫は持参した弁当箱を開け、アルカはバターロールが入った袋を開封し、昴生も弁当箱を膝の上に器用に乗せる。蓋を開けたところで僅かに眉を寄せたのが見えて、菫は弁当箱の中身を興味本位で覗き込んだ。


「わ、かわいい」


「普通の弁当だろう」


「じゃあ、手が込んでる? 美味しそうだし、食べやすそう」


 かんぴょうと桜でんぶ、三つ葉と卵焼きの定番の四色だけでなく、レタスに包まった焼肉、白身魚のフライとタルタルソース、一つ一つ中身の違うメインの太巻き。半分に切られ茹で卵、挽肉の断面が食欲を唆る肉団子。飾り切りされた野菜の筑前煮は汁気がないのにしっとりしている。

 片手で食べられるように太巻きと、爪楊枝やピックが刺さっているおかず。弁当を作る側の目線で菫が見た彼の弁当は、手間をかけた愛情弁当に見えた。


 彼が『早く帰宅するメリットがない』と言う家への違和感がひっそりと増える。

 気遣いと手間を込めた料理をしてくれる家族がいて、昴生もそれを嫌悪もなく受け入れている様子で、しかし早く帰宅するメリットはないという。夜遅くに帰宅して心配をかけるデメリットのほうが多い気がするが、さすがに料理一つだけでは勝手な妄想だろうか。


「昴生くんってお弁当食べてる日多いけど、これが普通のお弁当なの? すごいな……わたし一面茶色の日とかあるのに」


「色鮮やかな方が一般的に好評なのはわかるが、固執するものではないだろう」


「えー、いいな美味しそー。継片、太巻きとパンと交換して」


「自分で取ってくれ」


 続いて覗き込ん出来たアルカの要望に昴生は小さく溜息を吐いて弁当箱ごと差し出した。

 二人に挟まれている菫は、目の前で肉の太巻きとバターロールの物々交換されているのを、少しだけ羨ましい気持ちで眺める。菫の手元には片手で食べられそうなおかずがない。くぅ。

 交換が終わった後、弁当箱が菫の目の前で小さく揺れる。


「織部も取るなら早く取れ」


「へっ、えっ」


「睨むように見ていただろう。どれでもいい」


「い、いい! 見てたけど、そういうのじゃないから! い、いただきます!」


 確かに羨ましく見ていたけれど、物欲しそうに見ていたと勘違いされるのは恥ずかしい。

 誤魔化すように食べ始めると両隣の二人は不思議そうな顔をして食事を始める。

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