おまけ

閑話 方舟は沈む

「いや聞いてねぇ! 娘いたなんて聞いてねぇよゴミ兄貴!! というか晴子ちゃんの病気まで隠しやがって!! ふざけんな! バカバカ! ヴァ――ッカ!!」


「まじかよ爺さん……」


 アルカがほぼ不登校のまま小学校を卒業し、中学校に進級しても制服に袖を通す機会を作らないまま、たまに思い出したように教科書を開いて文字を目で追ってはすぐに閉じる、一年以上安穏な時間を過ごしていた。

 そんな中、養父との死別はあまりに唐突だった。


 初めは軽く咳き込んでいるだけだった。大した事ないと仕事に行き、帰ってきた頃はふらふらでとんでもない高熱。救急車を呼ぼうとしたアルカを止めて、一人で大丈夫だと車に乗って向かってしまった。

 それを最期に、病院の霊安室で再会する事となった。


「はー、スッキリした……で、アルカちゃん?」


「ぁ、はい」


「あたしの馬鹿兄貴、顔がボッコボコなの何で? 喧嘩にでも巻き込まれたわけ?」


「え、と……警察の話だと、野生の鹿を車で撥ねた後、車から出たところで野生の熊と戦って瀕死の状態で道路に倒れたらしい、です」


「あー……熊相手にしたなら、まだマシな見た目か。エンゼルケアのおかげかもだけど」


「いや、熊には勝ったみたいで」


「……え?」


「死んじゃったのは、水たまりの上で気絶してたから、みたいで」


 ブレーキ痕、轢かれて死んだ鹿、衝突したらしき大破した車、血の痕、鹿の物とは違う動物の毛、熊の足跡、水たまりに頭を突っ込んだまま俯せで倒れている男性、近くにはハンマーが落ちている。事故現場を発見して通報した人も、実況見分のためにやってきた警察も驚いただろう。

 状況から鹿を追っていた熊が道路に出てタイミング悪く通りがかった養父の車が突っ込み事故、鹿は死んだが熊は生きていて、車から下りてきた養父を襲うも緊急脱出用ハンマーによって撃退されて逃走、そうして養父は倒れた。運悪く、夕方近くまで降った雨で出来た水たまりの上に。話を聞いただけのアルカも、どういう事なのかと情報を噛み砕くのに時間を要したのだ。

 そして今、同じ内容を聞いた目の前の女性、片岡行光の妹、岡田奈津美も兄の死因に呆気にとられていた。


「……つまり、色々あったけど、水死ってこと?」


「爺さん、朝から風邪で、帰ってきたら熱出してて……そのあと事故したり、車が動かなくなったり、熊に会ったり、怪我もしたから、倒れちゃったんだろうって」


「そりゃそうだわ、それで倒れなければ兄貴は人間じゃないわ……なんていうか、ああもう、ツッコミどころ多すぎて出てくんの文句ばっかりじゃない。素直に悲しめないわ、馬鹿兄貴……」


 警察や医者から家族として話は聞いたが、アルカは未成年だ。連絡のつく親戚について尋ねられ、養父からもしもの時に連絡するようにと教えられていた養父の妹の電話番号を答えた。その時、もう翌日になろうとする時間だったが、養父妹は兄の訃報を聞くや否やすぐ病院に駆けつけた。

 そこで養父の死の他に養母が既に亡くなっていて、片岡夫婦の元に見知らぬ外国人の風貌を持つ娘がいるという話まで怒涛の展開だった。時刻は深夜を過ぎ、あと数時間で夜も明ける。


「……ごめん、なさい。ちゃんと家で救急車呼んだり、一緒に行ってたら、」


 養父妹がやってくる数時間、アルカはベンチに腰を下ろしたまま力なく項垂れていた。薄暗く静かな場所でひたすら自責し、憔悴するには充分過ぎる時間、一人きりだった。


「アルカちゃんは悪くない」


「でも」


「兄貴は絶対、娘が悪いなんて思わない。そうでしょ?」


「……は、い……」


 片岡行光は、一度も片岡アルカを否定しなかった。口が悪いだけの、優しい父だった。


 その後、アルカが出来る事はなかった。

 ぼんやりと意識がぼやけ、ぽろぽろと涙を零している間に気付いたら結構な時間が過ぎて、葬儀も火葬も終えて、分骨袋に向かい合いながら、こんなに一緒にいるのは休みの時くらいだったと思い出したりしていた。

 よくわからないまま、アルカは養父妹に引き取られる事になった。


「とりあえず、子供を一人にしておけないから連れてくけど、いい? いいでしょ? ちょおーっと葬式に来た奴らがかわいそぉーなアルカちゃんのこと、引き取りたぁいとかアホな事言ってたけど、まさかそっち行きたいとか言わないでしょ? ありゃ駄目よ、あんたの父ちゃん母ちゃんが遺してくれたお金とあんた自身もどうにかしそうなケダモノ揃いだわ。うちのほうがぜぇーったいマシだから、いいでしょ?」


「いいの?」


「いいよ! まぁあたし以外は夫と息子がいるし、他人の家だから居心地は悪いだろうけど……とりあえずうちで我慢しな! 学校とか通わないとでしょ!」


「学校、は……いい、です」


 緩く首を振って拒否するアルカの前に養父妹は膝をついて目線を合わせる。


「アルカちゃんはこれから、どうするとか考えてたの?」


「山に、帰ろうかと思ってた」


「山に帰る? アルカちゃんは、山に住んでたの?」


「わかんない。ちっちゃい頃山の中にいて、爺さんが見つけてくれて、ここに連れてきてくれた。だから、ここに居ていいって言ってくれた爺さんも婆さんもいなくなったから、いた場所に、帰ろうかなって」


 養父妹の優しく穏やかだった顔が歪む。怒っているのかもしれない。血の繋がりを大事にしているなら、養父と血の繋がりのない自分を嘲るだろうか。

 どうでもよくて、ぼんやりとしていると、強く抱き締められた。


「アルカちゃんの親は、あたしの兄貴と晴子ちゃんだけ。でもおばちゃんはアルカちゃんを助けてあげたい。おばちゃんちにおいで」


「……うん」


 そうしてアルカは片岡アルカのまま、山の近くの片岡家から遠く離れた岡田家に身を寄せる。転校し、中学二年生として見知らぬ土地で新生活をする事になった。


 岡田家はアルカのために部屋を一室用意して、温かく迎え入れた。養父妹と年の変わらない夫は穏やかで、アルカを見るたびに同情するように目を充血させていた。成人して新社会人となった息子はアルカに部屋を提供するため追い出された事に文句を言いつつも、彼女と同棲する良いきっかけが出来たとこっそり感謝を耳打ちしてきた。

 転校先の学校にはやはり馴染めず休みがちではあったが、岡田夫婦に応援されて何度か踏ん張って登校はした。引きこもりの間、少しずつ経験を積んだ掃除を手伝えば喜ばれた。住む場所を村から街に変えても、人目を惹く容姿の効果は変わらず、むしろ見る人間が、黙ってスマートフォンを向けてくる人間が増えた。けれど、養父妹が近所でも学校でも笑顔で武装しながら声を張り上げて滾々こんこんと非難し、アルカを守ってくれていた。


「いやぁ本当失礼な奴だなあって思わないの? しょうがないねぇうちの子可愛いもんねぇ。えぇ? 可愛いからって何されてもしょうがないとか、本気で思っちゃってますぅ? じゃあこれからおまわりさん呼んで、白黒はっきりつけよーか? な? ならとっとと写真消して謝ってあっちいけ」


 何度も撃退していく姿を見て、感動を覚える。そうか、ああやって怒ればいいのか。でも練習しないと難しいかもしれない。とりあえず、嫌だなぁって思った時に笑顔にする練習から。

 人といると疲れて山に帰ったほうがいいと考え直したりする。だけど、人といるとやっぱり少しだけ安心もする。どちらが正しい居場所なのか、アルカには判断出来なかったが、それでももう少し、頑張ってみようかとも何度も思い留まる。


 けれど、片岡アルカが岡田家の居候になるのは、一年で終わる。

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