君を憂懼する三白宵

 柔らかい表情と、いつもと変わらない声色を意識して問う。昴生がどう返答してくるのか想像がつかない恐ろしさを胸の奥に隠しながら、そろりと視線を動かす。

 疑問を受け止めた昴生は、階段の直前で足を止める。

 彼は体ごと振り向いて、菫と向かい合った。じわりと二の腕がひりつく。どうしたの、君、いつだって仕方なしに向けるのは、目とか顔だけなのに。境内の灯りが逆光になり影のかかった昴生の双眸が、レンズ越しに真っすぐ向けられる。


「……なるほど」


「え、な、なるほどって何が」


「君の優先順位が垣間見えた。夕昂さんに関わる事は重大か」


 笑顔は崩れずに済んだ。ああ、確かに、この状況だったらまず、お参りで何を願ったかを話題に出した方がきっと、『わたし』らしかった。


「まぁ、家族の事は優先するものじゃない?」


「そうだな。ああ、字については偶然知ったわけではない。織部の事を調べる過程で知った。家族構成も含まれていて、書面で確認した時に知った」


「あぁー、そう、なんだ……? なるほど……」


 目の前で直接、個人情報を探られたと暴露されて少しだけ反応に困った。やや不快な気分になったが、昴生が直接菫に対してあれこれ尋ねてくる想像が出来なかった。勝手にこっそりと調べてるほうがそれっぽい。

 それに、織部菫の軌跡を調べられただけなら、大した事ではない。菫は張り詰めていた気が緩んで安堵する。――白い息で零れたそれを、昴生の目は捕らえている。


「わたしの何を知りたかったのかわかんないけど、聞いてくれたら答えたのに」


「君の口から明確な答えが出てくるとは思わない」


「えぇ……? わたしの事なのに、わたしが説明出来ない事なんてないと思うんだけどなぁ」


「いや、君は誤魔化すだろう。今のように」


 ああ、『妙に口が回る』あたりを責められている気配を感じる。胸を張って茶化すように誤魔化すのを、何故だろう、許してくれなさそうだ。困ったように笑って見せても、目の前の彼の態度に変化はない。


「別に誤魔化してるつもりないんだけどな」


「君は本当に、妙に口が回る。真摯に正直者であるように立ち回り、話の趣旨をずらす。余程触れられたくないらしい」


 肌がひりひりする。逃げ出したい衝動が込み上げてくる。

 けれど、この場から離れるためには彼の横を通り過ぎて、階段を下りなければならない。そう考えたところで、逃げ道が塞がれているのだと気付いてしまう。


「うーん……昴生くんが何を言いたいのかちょっとわかんないけど、調べたなら、まぁわかる、よね? わたしの人生、聞いててあんまり楽しい話じゃなかったでしょ?」


「そうだな。平穏で順風満帆とは言い難い」


「そんなことはないよ!? 親が両方死んじゃうまではそれなりに普通の家庭だったと思うけど……まぁ、確かに積極的に触れたい話題じゃないから、うやむやにしちゃってるとこはあるかも。ごめんね」


「そうか。――そこは重要ではないのか」


 ああそうだ。織部菫にとって親の死は重大ではあるが、重要ではない。

 何故誤魔化されてくれないのだろう。せっかく魔術で温めてもらった体が、冷たい。


「これまで、君に対する違和感は錯覚の域を出なかった。今も明確な答えが出ているわけではないが、錯覚ではない確信は得た」


「えぇっと、ごめん。本当に何を言いたいのか……」


「君は隠し事が上手い。言葉巧みで、笑う顔も今、いつもと同じだ。あまりにも異常だ。僕ならまだしも、――片岡に対しても、そのように常に身構えたままなのか」


 それは違う。片岡アルカは織部菫を理解する姿勢を見せても、追求はしてこない。ここまで肩肘を張ってはいないと、そんな訂正するわけにもいかない。継片昴生の言葉を、肯定してしまう。

 誤魔化さなければ。否定しなければ。取り繕わなければ。


「そうか」


 織部菫の欲望を捕捉した継片昴生が、小さく呟く。


「君の隠し事は、命と引き換えにしても暴かれたくないものなのか」


「――――……」


 瞬間、ぞわりと怖気が走る。

 彼は一体どこまで何を調べて、何に気付いているのだろう。はっきりとした言葉が何も出て来ない事から恐らく、核心には届いていない。けれど、確実に輪郭は触れている。ほんの少しの問答で曖昧に濁らせた部分を削り取られ、触られてはいけない内側を撫でられている。


 怖い。

 心臓が、握り潰されそうな恐怖が蘇る。

 怖い、ああ、逆らえない。怖い、怖い、怖い!



 はらり、はらり。灰のような雪が二人の元にも降りかかる。地面に落ちた雪はじんわりと溶けて、積もる様子はない。


「……ねぇ、昴生くん」


「何だ」


「昴生くんは嫌だと思うけど、わたし、君のこと好きだよ。友達になれたらいいなって、今でも思えるくらい」


 笑顔は崩れない。いつもと変わりない様子で、荒れ狂う内心を織部菫は覆い隠す。内緒話をするように、人懐っこく笑う。


「どうしてだと思う?」


「理由があったのか」


「こうして話してて、何かこう、頭の出来が違う感じがすごいなぁとか、助けられてありがたいなってところとか、頑固で素っ気ないくせに面倒見が良くて、多分不器用なだけで優しいんだろうなぁとか」


「誰の話をしてる?」


「いや昴生くんの話だよ。そういう色々なところが好きだなって。仲良くしたいって理由は色々あるけど、その中で一番強いのは、一緒にいて安心出来たからなんだ」


 昴生は酷く怪訝な表情を見せる。性格も言葉遣いも柔らかさのない人間に、一緒にいて安心出来たなんて、適当な嘘をつかれていると疑われても仕方ない。

 別に、うそはついてないんだけどな。本心なんだけどな。


「昴生くんは、わたしに興味なかったでしょ?」


「……」


「あっ、嫌味とか、責めてるわけじゃないよ? 興味ないって言ったら誤解招くかな。んー……程良い距離を保てる、とか? お互い良いところと悪いところを知り合えて、楽しく話が出来る。そういう友達っていいよね。昴生くんは、そういう友達になってくれそうだなーって思って……んん、こんな説明で伝わる?」


「ああ……つまり、君はこう判断したのか。僕は他人の腹を探らない人間だ、と」


「おお、しっくりくる」


「それは、僕だけではなく、片岡に対してもそうか」


「そうだよ。アルカの傍も安心していられる。だから、昴生くんからわたしの話を振ってくるなんて、ちょっと驚いちゃった」


 にこにこと、まるで楽しい事でもあったように話し続ける菫に対し、昴生は無表情のままだ。彼が今、何を思っているのか読み取れないけれど、きっと失望しているだろうな、と菫は思った。

 継片昴生から見た織部菫は、友達のために命を張れる情の深い少女だと思われている。それを踏まえた上で今の菫の話は、彼の中の織部菫という人物像を容易く崩すだろう。でも、ちゃんと否定したのに。あの夜の事は偶然で、友達に対して命かけて頑張るとか、そういうの出来るタイプじゃないって言ったのに。ああでも、こっちが本当だと信じ続けるなら、たった今話した言葉を詭弁にされるだろうか。

 でも、いいか。仕方ない。そういう生き方を始めたのは、自分だ。


「わたし、人と仲良くするのはわりと得意な方なんだ。だから、今までもこんなことあったよ。君みたいに、踏み込んでくれる人はいた。わたしの事をもっと知ろうとしてくれた」


「…………」


「そう思ってくれる気持ちは嬉しかった。でも、気持ちに応えられなかった。そうしたら、なんだか気まずそうにされちゃって、距離を置かれて、多分友達じゃなくなった。……それは、仕方ないって思う。喧嘩したわけじゃないけど、拗れちゃったものだから。でも、隠し事の一つくらい、誰でもあるでしょ? 隠し事を隠したまま、友達でいるのって、そんなに難しいかな。面白くもない事を、話したくないって思うのは、そんなに、変かな。悪い事かな」


「悪い事ではない。何に重きを置くか、判断出来るのは君だけだ」


 星の名を持つ少年の、誤魔化しを許さない静かで公正な声が響く。


「だが、今の話の筋はそこではない」


「――……そうだね。でも、教えない」


「そうか」


「あれ、意外にあっさり」


「君の口から明確な答えが出てくるとは思わない」


「改めて言われるとネガティブな信頼だなぁ……あ、口が堅いって考えればポジティブかも」


 先程話した通り、これまでの友人関係で織部菫という人間に違和感を抱いた人間は昴生以外にもいた。親密になろうと真剣に向かい合う相手に対し、この通りひらひらと躱し続けていれば、拒絶と取られても仕方ない。己の身勝手で悲しませ、怒らせてきた自覚はある。そうだというのに、この少年は何もなかったかのように態度が変わらない。

 別に悲しませたり怒らせたいわけではないが、今までの経験と違って、調子が狂う。


 これまでは皆、菫との接し方に迷い、距離を置いたり、離れて行った。それは寂しさを感じつつも、必然的で、同時に隠し事を守り切れて安堵する結果だった。

 けれど、彼はどうなんだろう。

 そもそも彼とは友達だった事実すらない。それなのに、これまでの友人達が踏み込もうとした領域より遥か深いところまで、何の素振りもなく唐突に突っ込まれたのだ。友人達はもっと親密になろうという目的があった。だから拒否されて離れていった。しかし彼にそんな目的があるはずがない。退く理由が、ない。


 それはちょっと、いや、だいぶ困るな。菫はそこで怯んで、眉が下がり笑顔が情けなく歪む。


「ねぇ昴生くん、君がわたしを探る目的が本当にわかんないんだけど、正直知っても、あっそくらいにしか思わないような、何だそんなことかって拍子抜けするくらい小さい事だし、とにかくやめたりしない?」


「急に何だ。不要だと判断すれば、すぐに止める、必要以上に詮索はしない」


「もう結構充分過ぎる感じで詮索してると思うなぁ……いや、もうなんだろ、今の体重まで知られてそう」


「数値で確認はした」


 ひぇ、と思わず悲鳴が漏れた。


「ほらぁ! わたしの個人情報だだ漏れ! いつ、いつの体重!? いや今のも昔のも体重なんて知られたくないけど!」


「君の隠し事と計測情報を天秤にかけて、より重要なのは前者だろう。そこまで喚く話か?」


「そうだけども! 隠し事の方が知られてないならいっかって思わなくもないけど、それはそれ! もうそういうの嫌われるよ! き、嫌うよ! わたしも!」


「君が、僕を?」


「そっ、そう」


 彼を言いくるめる唯一の最終手段を咄嗟に出してしまった。しかしもっと別の言い方はなかっただろうか、これでは子供の常套句、絶交するとほぼ同じだ。友達ではないのに。しまった、うっかりした。


「――、なるほど」


 相変わらず無表情のまま、平坦な声が落とされる。それなのに菫は息を飲み、少しだけ後ろに逃げたくなった。

 当たりが強いわけではなく圧が強い、という言葉を不意に思い出す。もしかして今、彼から威圧されているのでは?


 昴生は喋る以外瞬き程度しか動きがないため、時間が進むのをさぼっているのではないかと錯覚してしまう。だが現実逃避を許さない雪が、変わらない速度でゆるやかに降り続ける。


「僕が行った所業を詳らかにしてなお、君の裁断はその程度か」


「さ、裁断?」


 いや絶対布を切る話はしてない。しかし菫が理解出来る類語を頭の中で探っているより先に、昴生の言葉が続く。


「君が未だ僕に対して嫌悪感を持っていない状態だというのが信じられない」


「ええと……そこはまぁ、個人差あるんじゃない、かな?」


 言い訳を口にしながら、もしも今自分の立場にいるのがアルカだった場合を想像した。

 こっそり片岡アルカの軌跡を調べましたついでに体重とかの数値も知ってます、と明かした瞬間、秒で激怒するだろう。思いつく限りの罵倒を浴びせて汚物のように睨み付けそうだ。

 ……しかし、織部菫について調べたなら、片岡アルカについて調べていてもおかしくはない。彼は何も言わないからただの憶測だが、これは気付かなかった事にしよう。


 やや思考がずれたが、多少個人差はあれど、嫌悪感が皆無だというのは、確かにおかしいかもしれない、と気付く。

 しかし困った。ずっと困り続ける一方なのだが、なお困った。


「アルカなら、多分ものすごく怒ったと思うけど」


「それが一般的な反応だろう」


「でもきっと、『昴生くんは無駄な事をしないよ』って言ったら、怒るのやめてくれるよ」


 昴生は眉根を寄せる。


「……確かに、僕は君達を指導する立場だが、買い被り過ぎだ。無駄な事をしないなら、君に余計な影響を与えたりしなかっただろう」


「余計な影響? ……あぁー、あれかぁ。あれはわたしのお守りのための副作用みたいな事故でしょ? 猫の時から特に何にも見かけなかったから全然大丈夫だよ。もしかしたら、見える影響が抜けちゃってるかもしれないんじゃないかな」


 幽霊猫の一件を忘れていたわけではないが、直後に起きた昴生の骨折の衝撃が強過ぎて一瞬思い出すのに時間がかかった。昴生の魔力の影響を受けているはずだが、日常生活に支障がないためすっかり頭の隅に押しやっていた。

 菫が思うよりも昴生は自責していたらしい。普段何事もそつなくこなす学年成績一位の彼にも完璧でない一面がある、と好感を覚えているほど脳天気なので、気に病まないで欲しいものだ。そう思って話を軌道修正する。


「わたしの事を調べたのは理由があるのは当たってる、よね? それはきっとわたしか、アルカのためになる事なのかなって、それだけはわかる」


「……そうか」


「まぁわたしの隠し事が、ためになるとは全然思えないんだけど」


「それを判断するのは僕だ。君がこの場で腹割って打ち明けるなら、すぐに是非を答える」


「うお、直球で来たね。打ち明けませんよーだ。わたしのお腹を開きたいなら、」


 言いかけた言葉を、笑顔で縫い留める。


「ううん、やっぱり開かないほうがいいよ。出てくるの血と内臓くらいだし」


「何故急に物理的な話になった。……だが、今の僕では君の隠し事を引きずり出すのは難しい事はわかった。保留にしておく」


「えぇ……? まぁ、止めないけど……知って楽しい話じゃないし、そんなに君がこだわる事じゃ、ないんだけどな」


 暴かれたくはないけれど、暴かれたところで何もない。

 良い事も悪い事も何も起こらない。ただ、聞かなければ良かった、そんな感想だけしか残らない。

 泣くしか出来なかった、まだ小学生だった織部菫のように。


「……僕がしていることは、分不相応だと自覚はしている。だが、誰もやろうとしなかった事態だと、薄ら理解もしている」


「ん?」


「それでも僕は、君の腹を暴く」


「――――……」


 菫は、一番怖いものを知っている。だから一番に比べたら、大抵の事は笑って耐えられる。だから一番怖いものを暴こうとする彼が、怖く見えるのも当然で。そのはずだが、ちょっとだけ、違う。知らない感覚がある。

 心臓を握られるようなそれではない。少しだけ、何故か体がむず痒い。これは、恐怖?


 昴生から視線を三白の宵空へ逸らしながら、後ろの拝殿を指さしておく。


「あー……上手くいきますようにってお参りしておく?」


「君の口は本当に妙に回るな」


「昴生くんには負けるよ」


 とりあえず、君なんか怖くないぞ、と強がって見せたが、なんだかぎこちない気がする。年明け早々こんな事になり、菫は波乱の年になりそうな漠然とした予感に、ひっそりと諦めのような覚悟を決める。


 まぁ、いいか。彼なら。

 彼がいいとか、彼だからいいというわけではなく、隠し事を暴いたとしても、きっとこの距離は変わらずに在るだろう。

 何せ継片昴生は、織部菫の友人になろうとしないのだから。


 でもきっと、気分は悪いだろうな。

 暴いた腹の中身を知るかもしれない未来の彼を、少しだけ憂う。


「……なんか、雪降ってるの見ると、アイス食べたくならない? 買ってから帰ろうかな」


「被虐の趣味があるのか」


「いや今じゃないよ!? 暖かい部屋の中でだよ!」




 何も起こらなかったように、変わらない距離で神社の階段を下りていく。


 心地よさそうに笑う菫を見据える昴生の瞳が、おそれを滲ませて、微かに揺れた。

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