名前の話

「昴生くん、こんばんは。明けましておめでとう、今年もよろしくね」


「……明けましておめでとう」


「よろしくはされたくないんだ……」


 年が明けた翌日、一月二日の夜。菫は夜の街をのんびりと歩いていたところで、こじんまりとした開けた公園内のベンチに腰掛けていた昴生を見つけた。恐らくほぼ毎日長時間出歩いているはずだが、行動範囲が被らないのか彼の夜散歩と遭遇するのは夏以来だ。

 いそいそと彼の前に向かって声をかけてみれば、新年も変わらない対応に苦く笑う。


「君の場合、よろしくの前に『仲良く』が含まれているだろう」


「わたしの場合というか、ごく普通の含みだと思うんだけど」


 と口にしつつも、言われてみればそうかもしれないと唸る。友達同士ではないなら一般的な意味合いからずれるのも仕方ない。「あ、じゃあ、こうだ」と考え直した新年の挨拶を仕切り直す。


「今年もアルカ共々、たくさんお世話になるので、よろしくお願いします」


 菫は昴生の真正面になるよう立ち位置を調整し、礼儀正しく頭を下げる。どうだ、と言わんばかりに自信満々の笑顔を向けられた昴生は、白い息を吐き出した。


「……笑いながらそんな事を言える君がよくわからない」


「そうかな?」


「よく知らない人間の世話になるのは居心地が悪いだろう」


「んんー、なるほど? ところで昴生くん、わたしの事はどういう人間だと思ってる?」


「急に何だ。織部は……自己主張が少ないながらも社交性は高く、おとなしい印象が強かったが……最近は、へりくだって対応が丁寧なだけで意志も主張も強いし、妙に口が回る人間だと思っているが」


「えっ、最近のわたし、そんな印象になってたの?」


 ちょっとショックだ。一瞬だけ自省しかけたけれど、直近の出来事を思い返してすぐに気持ちが切り替わる。


「いや待って、最近の話だよね? なら、骨折を大した事ないとか昴生くんが意固地してたからだよ。そりゃ当たりもきつくしちゃうよ」


「当たりが強いとは言ってない。君の物腰は柔らかいが、圧が強いという意味だ」


「昴生くん、言い直すなら話の齟齬を減らすためじゃなくて、摩擦を減らすために使おうよ。減っちゃうから」


「何が減るんだ」


「わたしの心が擦り減っちゃう」


「そうか、なら改善する」


 何も間違った事は言ってないとばかりの頑固さから、驚きの速さで主張が切り替わる。友達でもない少女を引き合いに出すと、コロッと聞き分けが良くなるのだ、このよくわからない少年は。

 菫は呆れたように肩を竦めた。


「……まぁ、うん。そんな感じかな」


「何が?」


「よく知らない人間同士なら、こうやってお互いの事を話せないし、話も弾まないって話」


 関わりを持ったのは夏。長い時間を一緒に過ごしたわけではない、知らない事の方がきっと多い。それでも、よく知らない間柄なんて言われれば水臭く思う。

 菫の反論に昴生は返す言葉が見つからないのか、一度口を開きかけただけで、沈黙が落ちる。下から睨め付ける視線が『妙に口が回る』あたりを責められている気配を感じたので、胸も張ってみた。えっへん。


 彼は一瞬眉を顰めて、立ち上がった。菫は一歩後ろに下がって昴生を見上げる。


「ところで、君はこんな時間から出かけるのか?」


「こんな時間って……まぁ、二十はち時過ぎならこんな時間になっちゃうか。これからあそこの神社に初詣に行こうかなって」


 菫の家から十分ほど歩いたところに、住宅街の中にこじんまりとした神社がある。普段は人がほとんどいない静かな場所だが、季節ごとに子供向けの祭りを催しがあるため寂れた印象はなく、行けば落ち着けるような神社だ。


「初詣……昨日、片岡と行ったんだろう?」


「行ったんだけど、行列がもう本当にすぅっごくって。お参り諦めて、初詣の空気を味わいに行っただけになっちゃったんだ」


 元旦の朝、菫はアルカと待ち合わせをして電車に揺られ、近場で一番大きな神社に初詣に行った。電車に揺られてる最中に新年の挨拶とついでにお出かけ報告をして、また感謝された。

 良い一年になりそうだと意気揚々と向かった大きな神社は参拝客が収まりきらず、外まで続く、それはそれは長い行列が出来上がっていた。想像以上の混雑に呆然としたものの、とりあえず最後尾に並び、話をしながら待つ事一時間弱。目的地まで残り半分とまだまだ先が長そうな状況で菫はげんなりとした気分で見通しが甘かった事を悔いた。大きな神社に初詣が初体験だとうきうきしていたアルカもやや疲れが見えていた。恐らくもう一時間かそれ以上かかる。菫は自分も含めてアルカを鼓舞しようとした時、アルカの空腹が悲鳴を上げた。

 何もかもを諦め、出店で朝食を済ませ、おみくじを引いて、鳥居の傍にあった茅の輪をくぐり帰宅した。不完全燃焼ながらも、アルカと一緒に出かけたのは普通に楽しめた。


「まぁアルカと初詣行ったのとは別で、今晩行く予定だったんだ。そこの神社に毎年参拝してたから、習慣というか、新年のご挨拶みたいな? 年越し前後は混んでるけど、次の日の夜とかは人がいないから、狙い目なんだ」


「そうなのか」


「昴生くんは初詣とか……行ったことなさそう、興味もなさそう」


「当たっている」


「そっかぁ。もし暇だったら一緒にどうかなって思ったんだけど、どう?」


 昴生の目が困惑するように瞬く。


「そろそろ帰るところだった?」


「いや……」


「じゃあ一緒に行こうよ。昴生くんと行きたいな、わたし」


 友達にならない少女を引き合いに出してみれば、昴生は渋々といった様子で頷いた。便利に使っている自覚はあるものの、なんだか弱みを握って脅しをしているような錯覚を覚える。彼に弱みがあるのかどうかすら、菫は全く見当もつかないのだが。

 立ち止まって話をしていたからか、歩き出すと体が冷えて強張っていたのを実感して少し体が震える。吐き出す息はずっと白い。


「夜は冷えるね。昴生くんは座ってて寒くなかったの?」


「……」


 些細な雑談に対し、昴生は片手をあげて菫の肩にかざすように寄せた。ぽつぽつと何かを唱えた声が白い息と共に零される。彼の行動の意味がわからず首を傾げるが、腹部から少しくすぐったさを感じた後、体の奥からじんわりと熱が広がり、肌寒さが薄れていく。

 なるほど、体が温まる魔術があるのか。便利だ。


「あ、ありがとう。わかりやすいけど、わざわざしなくても」


「冷えていたんだろう」


「え、うん……ありがとう」


「実践して見せただけで、礼を言われる事はしていない」


 彼は感謝アレルギーでも抱えているのだろうか。溜息が零れた。


「昴生くん、ありがとうって言われたら、どういたしましてって返せばいいんだよ」


「急に何の話だ」


「温かくしてくれてありがとう。はい!」


「……どういたしまして?」


 手袋をつけた手を叩き、拍手と比べ物にならないパスパスと抜けた音で焚きつければ、慣れない様子で応えてくれた。両手を握り親指を立てて「ばっちり!」と喜びを浮かべるも、昴生はよくわからなそうなままだ。

 冬空の下、爪先まで温まるのは稀だ。快適さのあまり踊れそうなほどの気分の良さに空を仰ぐ。


「これだけ寒いと、星がよく見えそうなのに、今日は曇ってて見えないね」


「雪の予報が出ていたからな」


「あーそういえば。せっかくだから今降らないかな、星が見えないなら、雪が見たい」


「星も雪も、見ていて楽しめるものか?」


「楽しいよ。わたしは星の方が好きかな」


 星空を見上げる時としんしんと降り注ぐ雪は、どちらも時間を忘れてしまえるほど思わず眺めてしまう。雪はどちらかというと触れる楽しみ方が強いため、見て楽しむのを重視するなら星の方にやや傾く。

 隣で小さく「星か……」と呟く声が聞こえて、見上げていた顔を横に下ろす。


「昴生くんも、実は星が好き?」


「あまり」


「えっ、なんか思い入れとかあるんじゃないの?」


「いや、今、少し思い出しただけだ」


「何を?」


「……前置きしておくが、これは文句ではない。織部が僕の名前を間違えて覚えていたな、と思い出したんだ」


「えぇっ!?」


 興味津々に追及したら、まさかの自分の失敗談に菫は素っ頓狂な声が上がる。名前を間違えるのはなかなか失礼だろうと焦り、誤りを頭の中で探るが何も思いつかない。謝ろうとするが「謝罪は不要だ」と先回りされ、咄嗟に抑え込んだ呻き声を漏らしてしまう。


「うぅ……な、何を間違えてたんでしょうか……?」


「以前メッセージで送ってきた名前の漢字が、昂るの『こう』になっていたんだ。だが織部に過失はない。僕の名前の読み方としてはそのほうが一般的だし、君の兄の名前に使われているから、勘違いしても仕方ない」


「え、ええぇ……えと、どんな字だったっけ」


「昴星の昴の字だ。読み方が『すばる』の他に『ぼう』とかがあるんだが、『こう』の読み方はないんだ。変換で出てこなかったのも当然だろう」


 思わず立ち止まってスマートフォンで漢字を入力し、『昂』と『昴』を並べて見る。


「しょ、小学生の漢字テストより意地悪すぎる……」


「意味は全く違うものなんだが、実際間違えられやすいらしい」


 昴生は少しだけ止めていた足を神社のほうに向ける。がっくりと項垂れておいて行かれてしまった菫は顔を上げのろのろとついていく。


「そうなの? 意味知ってたら覚えやすかったりする?」


「あまり期待は出来ないと思うが、……僕の名前に使われているのはさっきも言ったように星の名前に使われている字で、夕昂さんの字は日を仰ぐ事から太陽の意味を持っている」


「へえぇ……昴生くんが星で、お兄ちゃんが太陽かぁ」


 古典に美しいものとして記されるほど長い歳月、人を魅了する星。プレアデス星団の別名、昴。

 いくつもの星が集まった銀河の一つが彼の名前の一部だと考えると、菫は少しだけ違和感が覚えた。星の名前は似合うけれど、孤高の一匹狼のような彼は銀河より一等星が合いそうだ。


 兄、夕昂の名前に太陽の意味を持つと聞いて、こちらの方はとてもしっくりときた。兄個人は決して熱く情熱的でエネルギッシュな太陽が似合う男ではないけれど、菫にとって優しく世界を照らし、温もりを与えてくれる唯一の家族。太陽のような存在と言っても過言ではない。

 ―――花は、太陽がなければ、生きられない。



 取り留めのない事を考えながら辿り着いた神社は、予想通り誰もいない。神社の裏の大きな道路を通る車の走行音が遠くで聞こえるくらいの静かさで、賽銭箱の中を小銭が転がる音が鳴る。二拝二拍手一拝を終えて、拝殿に背を向ける。


「――ねぇ、昴生くん」


「何だ」


 微笑みを携えて、静謐せいひつを破る。


「お兄ちゃんの名前の字を、どこで知ったの? 一応手紙とか置きっぱなしにしないように気を付けてるし、通販の段ボールとかもちゃんと宛先剥がしてたと思ってたんだけど。……どうして?」

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