あと三六三日

「そういえば、昴生くんはどうして夏祭りの時、アルカに盾を投げたの?」


「あれは片岡が手にしているものが『槍』なのか『矛』なのかを判断するためだ」


「槍と矛? あんまりピンと来ないけど、投げたらわかるものなの?」


「……ああ、そのあたりはまだ話していなかったな。少し話はずれるが前提として、魔術は土地の影響を受けやすい。国によって様々な影響があるが、世界的には人が多く住む都市であればあるだけ魔術の性能が一割程度上がるとされている」


「自然の中で修行して強くなるとかじゃないんだ」


「そう信じる魔術師もいるが、裏付ける結果を見た事はないな」


「へー、私ここに引っ越してくる前だいぶ田舎だったけど、あんま実感わかないな」


「効果は個人差があります、が魔術師にもあるのかもしれないね」


 菫はさくさくテーブルを片付けて拭き、アルカは菫の部屋から段ボールを持ってくる。


「その人口密度より魔術に影響を与えるものがある。伝承や言い伝え、大まかに言えば『言葉』だ。織部は矛盾の意味を知っているだろう」


「え? もちろん、というか説明するのも難しいくらい普通に使って、るけど……えっ、何でも貫く矛と何でも防ぐ盾はどっちかが嘘って意味が影響を受けたって話?」


「そういう話だ。辻褄が合わない、筋道が通らない、結果として同時に消滅した。槍だったなら、そうはならない」


 アルカは不満げに箱の中身を取り出し、菫は折り畳みの脚立を出してきて開く。


「でも投げる必要あった?」


「確かめるためには突かれる必要があると思ったんだ。飛来物なら突くなり薙ぎ払うなりするだろう。実際は接触しただけで消滅だったが」


「いやいや、当たったらガチで怪我だったからなあれ! 盾突くだけでいいなら口で説明しろよ口で!」


「片岡の体は魔力に包まれている。〈反発フリッカ〉が作用すれば緩衝材みたいなものだ。それだけ厳重に保護されていれば、車相手でも擦り傷くらいだろう。僕の盾が当たったとしても怪我らしい怪我もしない」


「アルカすごいね」


「いやすごいかもしれないけどめちゃくちゃ失礼なこと言ってるからね!? さすがに車に轢かれて無事確定は大袈裟過ぎない!?」


 アルカは不満を吐き出しながらセロハンテープを輪っかにして脚立の上に乗った菫へ渡し、菫は受け取ったテープで壁にモールを等間隔に貼っていく。


「大袈裟ではない。魔術ではなく、物理に近い話になるが」


「三歳が聞いてもわかるような話?」


「何故幼児を引き合いに出す。……具体的な数値や条件は省こう。人間と車が衝突した場合、どちらの被害が大きい?」


「ん? そりゃ、人でしょ」


「なら、自動販売機と車であればどちらだ?」


「へっ? ええ〜、考えたことないな……自販機かなぁ、倒れたりしそうだし。でも車だってさすがに凹むよね、ん〜」


「具体的な数値を割り出して計算するか?」


「しない」


「では次だ。このマンションに車が衝突した場合は?」


「車の方じゃない? 車がペシャンコになっても、一階のとこは大変かもだけどマンションがペシャンコにはならないでしょ」


「では片岡、君とこのマンションの場合は?」


「は? はあぁっ!? 急に何!? 私がぶつかったところでマンションなんてびくともしないでしょ!」


「僕が見た限りではそうは思わない。だが試そうと考えるなよ、さすがに君でも瓦礫に潰されたら圧死はするだろうから」


「やるわけねーわアホ!」


 モールを貼り終えた菫は油の入った鍋に火をかけ、慣れた二人の掛け合いを聞きながら冷蔵庫の中を覗く。


「ところで、僕はいつまで縛られていればいいんだ?」


 ビニール紐で両足を椅子に固定され、今の今まで身動きが取れずにいた昴生が不満げに問う。菫とアルカは一瞬お互いを見合った後で止めていた作業を再開する。


「あと飲み物とケーキ出して、唐揚げ揚げたらかな」


「急にどしたの? トイレ?」


「いや、急も何もなく、当然の疑問だろう……」


 本日十二月二十六日、冬休みが始まった本日、織部家でいつも通り勉強会が行われていた。

 午前中に始まり、昼前に一区切りがつくといつも通り帰宅しようとした昴生をアルカの馬鹿力によって制された。椅子に座った状態で「動くな」と掴みかかられ、その間に菫が「このくらいで大丈夫かな、痛くない?」と不安そうに聞きつつ不慣れな手つきで彼の足をビニール紐でぐるぐる巻きに縛り付けてきたのだ。

 彼女達が何を企んでいるのかわからず、とりあえず拘束を放置して静観していた結果、室内がやや煌びやかに飾られ、昼食とは思えないちぐはぐな食事が用意されているらしい。

 テーブルにケーキの入った白い箱、人数分の皿にコップ、シャンメリーの瓶が並べられる。キッチンに立ったままの菫に対し、アルカの仕事はなくなったのか椅子に座って揚げ物の完成をわくわくと待ち始める。


「君達が何かしようとしてるのはわかるが……何故僕が引き止められたのか理解が出来ない」


「え? だって継片、強制参加ねって言っても私達が準備してる間に帰っちゃいそうだったし、勉強前からこの状態にしてても回れ右で帰っちゃいそうだったから」


「……なら、今度は足だけではなく手も拘束しておかないと無意味だろう」


「え、だってギプス外れてるけど腕とか触るの怖いし……あっコラ! ちょっ、ほーどーくーなー!! 菫ーッ、継片が逃げようとするー!!」


「これから揚げ物するから頑張ってー」


 沸騰した油に肉を投下していき、じゅわっと油の弾ける音と香ばしい湯気が上がる。手を離せないのもあるが、この瞬間は堪らなく楽しい。

 背後で魔術師二人の攻防を聞きながら、揚げ終わった唐揚げを取り出す。菫の予想通り苦戦しているらしい。


「……なん、これは……なんて結び方をしてるんだ」


「普通の固結びだけだと解かれちゃうかと思って、勉強したんだ。ビニール紐も細くて硬くて解きにくいでしょ? 終わったらハサミで切ってあげるね。ふふっ」


 正面固結び、裏側もやい結び、また正面固結びを二重にして、裏側かます結び、と何度か繰り返した非常に解きにくい面倒で厳重な拘束をしていた。しかも、両足に。

 紐を切れそうな道具が手元にない昴生は諦めて上体を起こす。眼鏡のレンズ越しに非難の眼差しを向けている事に菫は優越感から笑みが溢れた。


「……それで、僕は何に強制参加させられているんだ?」


「なんちゃってクリスマスパーティ慰労会だけど」


「…………そうか」


 名前も、組み合わせも、今日が十二月二十六日だということも、もうどこから指摘すれば良いのか分からず何もかもを諦めたように昴生は受け入れた。

 彼女達が正しいと言うなら、正しいのだろう。わけがわからないが。


「あとでプレゼント交換もあるよ。ちゃんと昴生くんの分もあるからね」


「僕から渡せる物がないから、交換として成り立たないだろう……」


「えっ、交換してくれるの!? ……あっ、いやいや、昴生くんのは普段のお礼的な物であり、慰労会の贈り物でもあるから気にせず受け取ってさえくれたら」


 驚いた声を出しながら振り向いた菫の顔は喜びと期待にきらめいていた。

 二人の物珍しそうな視線に慌てて取り繕ってみるものの、凪いだ瞳に変化はない。アルカはつまらなそうに頬杖しながら嘆息する。


「……継片、すっっごく癪だけど、菫になんかあげてもいいよ。多分ものすごく嬉しそうだし」


「アルカ!?」


「検討しておく」


 とんでもなく偉そうなアルカの物言いに対し、さも当たり前とばかりに昴生は頷く。菫だけが油の前から離れられずおろおろするしか出来ない。


「お気持ちだけ! お気持ちだけで!! ぅあっち!」


「……危なっかしい」


「! あ、ぁぶ……おっ、おやめください!!」


「菫、大丈夫? 油気をつけてね?」


 跳ねた油に悲鳴を上げれば妥当な言葉だとはわかるが、菫にとってはほぼ地雷だ。過剰な反応の理由を知らないアルカは首を傾げて心配そうな眼差しを向けてくる。

 居た堪れなくなった菫は、二度揚げのために油の温度を上げる事に意識を逃避させた。


「ああ……慰労会が特に意味がわからなかったが、僕の怪我に対するものか。君達は本当、妙なところにこだわるな。過ぎてみれば、大した事ではなかっただろう?」


「いや普通に不便そうで見てるだけでめちゃくちゃ大変な事しちゃったってず――っと思ってたけどぉ? ギプス外れただけで、その後も体育は休んでたじゃん! なーんだってそんな態度なのかねぇ継片はさぁ!」


「あ、昴生くん。アルカの言い方はちょっと乱暴だけど、普通に心配してるだけだよ」


「してない! してない!」


「わかっている……」


「してねぇっつってるだろ聞けや!! 顔と言動くらい合わせろし!」


 コンロに向かい合っている菫には見えないが、アルカと昴生は互いに解せないと言いたげな顔で睨み合っていた。


「わかった。いい、君達の思う通りにしてくれ。慰労会でもクリスマスでもすればい……いや、やはり僕がいる必要はないだろう、慰労会はともかく、クリスマスは不要だろう」


「わかる、いらない。でもしょーがないじゃん。継片、お詫び受け取らなかったし」


「プレゼント交換をこじつけるためのクリスマス会か……」


「誕生日いつー? とか聞いてもまーた、不要だぁ、とか言って教えないんでしょ。じゃあクリスマスしかないじゃんってなった」


「誕生日は一昨日だ」


「へっ?」

「えっ?」


 菫は掬い上げていた唐揚げをうっかり油に落とした。幸いにも跳ねた油は掛からずに済んだ。

 二人の視線が集中する中で、昴生は肩を竦める。


「ほら、教えたところで何の意味もないだろう。不要でしかない」


「え、えっ!? 本当に一昨日が誕生日だったの!? えーっ、おめでとう!」


「えぇぇ……一昨日って、クリスマスイブじゃん。似合わな〜……おめっと〜」


 昴生は、静かに息を呑んで、見開いた瞳を揺らす。


「…………、あり、がとう?」


「何その微妙な返事」


「おめでとうと、祝われるとは思わなかった」


「いや誕生日は祝うもんでしょ。家の人とか祝ってくれたんじゃないの?」


 三度揚げしてしまった唐揚げを慌てて掬い上げ焦げずに済んだが、アルカの疑問の声を聞いてまた気が逸れる。菫は彼の弁当箱の中身を思い出し、日常的な一食からさぞ豪勢な誕生祝いをされるのだろうと当然のように考えて、しかし昴生の反応の鈍さから違和感を覚える。


「…………」


「え、こっわ、何、何で黙るの」


「ああ、いや……、一昨日、君達とはまた違うものだが、祝われていた、とは思う。僕の家は魔術師としての気質が強く出ていて、世間とずれている傾向が多々見られる。だから、妙なところは仕方ない事だ、仕方ない、重要ではなく……だが、」


 昴生の言葉が途中から、回答から独り言へ、気の抜けたような、たどたどしいものに変わる。顔は真っ直ぐアルカを向いたままだが、焦点の定まらない目は声色同様ぼんやりと意識だけがどこか遠くにあるようで、異常な反応に気付いたアルカの表情は強張る。菫も突然張り詰めたような空気の中で困惑し、無意識に息を止める。

 ゆっくりと、彼の右手が自身の頭に添えられる。


「子供の頃、に……」


 口を開いたまま続く言葉は無く、手はテーブルに下ろされた。


「織部」


「はっはい!?」


「少し焦げた匂いがするが、大丈夫なのか?」


「へっ!? あ、あああっ」


 不意に話を振られて慌てて鍋の中を見れば、きつね色を通り越した濃い色の唐揚げがいくつも浮かび上がっていて菫はすぐさま取り出す。これは自分の夕飯か明日のおかず行きだ。

 これからテーブルに出す分とは別の皿に分けてコンロの火を止め一息ついたところで、菫は昴生のほうを見る。彼はいつも通りの落ち着いた少年に戻っていた。


「だ、大丈夫?」


「そうか」


「いや唐揚げが大丈夫だったって話じゃなくって、その、昴生くんが、大丈夫、かなって話で」


「? 特に問題はないが」


「も、んだいないって、そんな」


 明らかに様子がおかしかったはずの彼が怪訝そうに眉を寄せる。質問の意図が理解出来ないと言いたげな反応に、菫はもやもやとした。恐らく昴生が本心から問題ないと言っている言葉を否定したくて、けれどどこに問題があるのかもわからずに言葉が詰まる。

 異様な空気を裂くように、アルカがわざとらしく声を上げる。


「あーあぁー! おなかすいたなー! 継片の話なんかほっといて、唐揚げ出しちゃおうよ! 唐揚げ冷めちゃうし、ケーキもぬるくなっちゃう!」


「ぁ、あ、うん、そうだね、うん、待ってて。ビニール紐も切っちゃわないとだね」


 彼女の物言いはいつも通りでも、そこに彼に対する嫌悪感はなく、不安と困惑が綯い交ぜになった雑然とした表情を浮かべている。話を流そうとする精一杯の気遣いに便乗する形で菫も気を取り直し、無理矢理笑顔を咲かせた。




「ところで、ケーキはクリスマスだから用意されたのはわかるが、慰労会には唐揚げが出てくるのが定番なのか?」


「うっ、いや……本当は、クリスマスに合わせて骨付きのローストチキンとかがいいってわかってるんだけど、こちらの唐揚げ、安い胸肉を使わせてもらってます……」


「文句あるなら継片は食べなくていいから!」


「ただの疑問だろう。何故文句になるんだ」



 ぎゃあぎゃあ、わぁわぁと、夏に繋がりを得た子供達が、ささやかで温かな食卓を囲みながら、深まっていく冬を過ごしていく。まだ、何も、誰も知らない。

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