閑話 星は未知に惑う

「織部、おはよう」


「えっ、昴生くんから話しかけてくるなんて珍しい。おはよう、どうしたの?」


「以前話していた物を用意した。これを」


「わ、ぁ……綺麗な組紐。え、えぇー、これがお守り? うわ……ありがとう、嬉しい。とってもうれしい。本当にもらってもいいの?」


「……そこまで喜ぶ理由が理解出来ないんだが」


「もうちょっと別の言い方なかったのかな。そんな引かれるほど……でも、あったのかな。うぅん、まぁいいや。大事に持ち歩かせてもらいます。ちなみにおいくらで」


「いらない」


 それはまだ、文化祭まで残り一ヶ月を切った準備期間の頃。


 八重樫発案により、昴生の魔力を菫が持ち歩く事となった。菫の希望を汲んで持ち歩きしやすい装飾として選んだのが、シンプルな組紐のストラップだった。

 求める条件を満たした既製品を見つけられなかったため、材料を集めて一から作る事にした。必要な道具が少なく、紛失の可能性が低く、持ち歩きに支障のない物として昴生は初めて組紐を編んだ。白い絹糸を魔力で染色するのは身支度ほど容易であり、取扱説明書の通り糸を組んでいくだけで材料を集めて当日には完成していた。


 そうして渡された物に対する菫の反応に、昴生は納得していなかった。

 手触りの良さそうなマスコットや缶バッジのような愛らしく華やかな、同級生の少女達が好んで持っているような物とは全く違う。ただの色がついた紐だ。心躍るような物ではない。

 それでも織部菫は、まるで思いがけないところから欲しかった物を手に入れたような困惑と、抑えきれない喜びを噛み締めて照れ臭そうな笑顔で真っ直ぐな感謝を、昴生に向けてきた。


 ……何故か妙に居心地が悪い気分になった。

 そのタイミングで登校してきたアルカが、菫の様子を確認した後に貫かんばかりに睨み付けてきたのも理由として考えられるし、静まっていた教室内で打撃のような謎の騒音が上がるのを背後から感じた事も原因に含まれている気がした。



 そんな経緯で作られ渡った組紐の効果が、思わぬ副産物を生んだ事に気付いたのは翌日以降。

 菫の居場所がわかるようになった。正確には彼女が持ち歩く昴生の魔力の位置が、校舎内であれば離れている距離から大体推測出来るようになった。その効果は屋内だけでなく、屋外であっても一定の距離まで接近した時感知出来た。

 結果として、二人を避けやすくなった。学内で二人はほぼずっと共に行動していたため、菫を避ければアルカとも会わない。学外では彼女達が利用しそう道を予測して避けてきたが、それでも偶然見かけて道を引き返す事がいくらかあった。それらが全く無くなった。

 夏休みが明けた頃から気がかりだったが、あまりにも距離が近い。文化祭は同じ担当として関わる理由が増えた事で頻度も増していた。対策を考えていた時に転がり込ん出来た副作用。利用しない手はなく、接触を必要最低限まで落とした。


 継片昴生は片岡アルカに魔術を教え、身を守るための知識を叩き込む事が出来ても、織部菫のために出来る事は何もなく、もどかしさを抱えていた。だからこそ、自分の魔力が牽制になる可能性を聞いて一も二もなく行動に移し、組紐もすぐに用意した。思わぬ副産物も昴生にとって良い効果を出したため、都合の良い事が続き、やや思慮が足りていなかった。


 随分と快適になった、と適切な距離を保てた昴生は暫しの平穏を手に入れる。

 少女に対する護りの効果を実感しないまま、自分の利益を甘受し、落とし穴を見落とした。あまりにも愚かしい己の過ちに気付くのは、文化祭が終わった後。




 文化祭二日目。その日も昴生は二人を避けていた。昨日も充分歩き回っていたのに今日もか、程度に活発すぎる動向が気になっていたところに、メッセージが届いた。


『どこにいやがる』

『近くにいるのはわかってんだ』


『本日三度目の自称卒業生にナンパされたアルカの我慢が限界寸前です』

『ヘルプー!』


 探し回られていたらしい。しかし緊急性はないと判断してスマートフォンの画面を消灯する。


 確かに感知している位置は近い。ふと窓の外を見下ろすと目立つ金髪頭が長い髪を暴れさせていた。今昴生は三階にいて、彼女達は地上にいて壁と窓ガラスで隔てられているが、アルカが悪態を叫んでいるのが見てわかる。菫は宥めながらたこ焼きを与えている。

 赤と黄色の紅葉が足元に散らばる少女達の笑う声が聞こえてきそうで、目が反らせない。無意識に指先で窓を撫で、吐息が漏れた。


「ぐぅ……ッ!」


「!」


 いつの間にかすぐ横にい女子生徒が胸を抑えながらしゃがみ込んだ。

 急病人かと症状を確かめるために昴生も屈むが、目の前に手を差し出される。それは昴生に心配をかけまいと問題ない意志を示すような手のひら、――ではなく、震える拳と天を指す親指。サムズアップであった。


「いい、ものを見ちまったぜ……!」


「…………」


 ああ、この人もか。この高校は変わり者が多過ぎる。恍惚とした笑顔を向ける女子生徒、前生徒会長に昴生は半目になる。


「急に崩れ落ちたから何かと思いましたよ、前会長」


「あれっ知ってるの? すごいね、どっちかというと前副会長が強すぎて、ああ……そいえばお前のほうが生徒会長だったっけ、とか言われてたのに」


「山の雄大さと海の広大さを比較するのが間違いかと」


「主語強くない?? やはり同類??」


「……いえ、申し訳ありませんが、先輩と面識はないのでわかりません」


「アッもしや無自覚ッッあざまッッッ」


 長い黒髪を振り乱し悶絶し始める三年生の対処に迷った。ごくごく健康そうに見えるが、何かどうしようもない病気を抱えて発作を起こしやすいのかもしれない。


「ア、いやちがくて、ごめん早とちった。そうだね初めましてだもんね。生徒会ヘルプとして、継片くんとかの事は話として聞いてたんだよそしたら話そのままな感じで目の前に現れたもんだからちょっと荒ぶってしまってだからストーカーとかではないんです」


「別に何も言っていませんが」


「大丈夫? 通報されない?」


「どちらかと言えば、要するのは救急車の方だと考えてはいました」


「あっこれは定期的に患わないと逆に死ぬ不治のやつなんでそこは大丈夫です」


 それは何かの依存症なのでは。昴生は一瞬考えたものの、たった今知り合ったばかりの相手に言うべきではないかと口を噤む。

 話している間に落ち着きを取り戻した前会長は佇まいを直し、窓の外の下に視線を向ける。


「行かなくていいの? 下の二人のとこ」


「……何故、そんな事を?」


「美人の目力つっよコッワ! だからストーカーじゃなくて、ここの生徒で君達三人の事知らない人ほとんどいないから! まぁ噂は色々ありすぎて、どれが本当なのかまではわかんないけど……文化祭一緒に回ったりしないの?」


「する必要がありません」


「あぁ〜なるほどですね〜」


 前会長が満面の笑みを浮かべる。涎を垂らしそうな勢いで口を緩ませて頬を両手で抑え、「やはり、あたしの見立ては間違ってなかったなぁ」と独りごちる。

 先程、前会長が昴生の眼光に怖気付いていたが、今は前会長の達観と愉悦と狩人が仕事に没入するような視線に昴生のほうが寒気を覚えていた。


「継片くんにとってあの二人はそう、推しなんだね!!」


「…………推し?」


「そう! 見ているだけで幸せになれて、頑張っている姿を応援したくて、笑っているその一瞬が堪らなく尊く見守りたい! 存在してくれてありがとう! 世界が色鮮やかに煌めく! 素晴らし過ぎてどんな賛辞もチープになっちゃう! あの時救われた命がそう俺です! 新作発表は生きる糧! SNSで情報拡散お任せあれ! 全人類見てくれ推してくれ! あたしの推しが今日も輝いているッ!! みたいな感じ」


「ちが、」


 あまりの熱量に思わず否定の言葉が出かけたが、ふと浮かんだ疑問によって声が詰まる。

 そこまで違うか? 前会長の熱弁は凄まじく過剰表現ではあるが、内容は全否定出来ない。ではどこまでが当てはまり、どのあたりは違うのか。とりあえず命を救われた記憶はなく、SNSによる情報拡散はしないし、新作発表に心当たりもない。それ以外は……おや? それ以外が思い当たらないなら前会長の言葉がほぼ該当することになるのでは?

 瞬時に頭の中を雑然とした情報が流れ込み反応が鈍る。


「やっぱりそうなんだね! 推す先は違えど志は共に! 推しを推す同志の輝きであたしも元気になピャギァァン!!」


「こら迷惑。二階の踊り場まで声が響いてんだよ迷惑騒音」


 語る事に夢中になっていた前会長は背後から近付いてきた男に気付かなかった。スパーンッと小気味良い音と共に丸められたポスターで後頭部を叩かれて飛び出た奇声を聞いて、昴生は正気を取り戻す。

 前会長の暴走を止める男子生徒にも見覚えがある。前副会長だ。色素の薄い茶色の目と視線が交じり、昴生の顔を確認した前副会長は同情するように


「ん? あぁー……絡まれてるの誰かと思ったら、あの継片くんか。一年ならこの迷惑騒音馬鹿と遭遇する確率、かなり低いはずなのに……運が悪かったな」


「いえ……」


「うーわ……おい、迷惑騒音馬鹿非道。後輩くんが畏縮してんじゃねーか。謝れよ女子ぃ」


「あたしの名前がどんどん不名誉な寿限無に! ごめんなさい!!」


「いえ、やや戸惑ったのは事実ですが……見識を深める貴重なお話でした」


 継片昴生にとって彼女達は、正しさそのもの。それが前会長の語る推しに該当するのか審議途中ではある。だが――……。

 土下座をする前会長とそれを見下ろす前副会長から、視線を窓の外に向ける。紅葉の中にいる菫とアルカが、二人の男に詰め寄られているのを確認する。昴生の視線の先を辿って同じことに気付いた前副会長がトラブル回避に動き出すより先に、昴生は窓を開いて腕を伸ばす。

 窓際まで伸びた枝から軽く引っ張れば抵抗なく黄色い葉は離れ、指でつまんだ三枚の葉を垂直に落とすように腕を振り下ろした。


 まぁ、これくらいならいいか。彼女の救助要請に応える結果にもなるだろう。

 ひらひらと風に乗りそうな軽い葉が、三階から二階部分を落ちる間に丸い盾に変わり、重力を得て垂直に落下する。


「いだッ!!」


「ってぇえ~……! な、なんだ? 頭に何か……」


 固いものが頭に直撃した男達が痛みに悶絶する。上を見て足元を見て、爪程度の小石や紅葉しか見当たらずにひどく混乱しているようだ。目の前で目撃していた二人の少女が上を向き、驚きで見開かれた目と目が合う。


「ああ――!! 継片いた! やっぱ近くにいたな!! いいか、そこから動くなよ!」


「わっアルカ待って! 昴生くん、ありがとうー!」


 標的を指差してから走り出すアルカと、落ちて一瞬で消えた盾の意味に気付いた菫が手を振って感謝しながら追いかけていく。男達は呆気に取られてその場から動けないらしく、走り去る彼女達を見送っていた。


「すみません。今すぐ離れなければならなくなったので、失礼します」


 あの様子ではすぐこの三階までやってくるだろう。窓を閉め、二人の先輩に一礼してから昴生も早足で階段を目指す。





「……あいつ一体何したんだ? 俺からは葉っぱ落としたようにしか見えなかったんだけど、マジックかなんかか? お前からは何か……おい、いつまで土下座してんだ。つーかさっき顔上げてなかったか? 後輩はもういな、」


「ナンパ救出イベントにリアル遭遇、とか、うそ、じゃん……ごふっ」


「あ、駄目だ。死んだ」


 土下座の状態から廊下に倒れ込んだ前会長は、恍惚の笑顔とサムズアップの手で胸元を抑えて気絶した。前副会長は慣れた様子で首根っこを掴んで引きずって回収していった。

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