文化祭準備期間

「昨日の文化祭委員会の会議で、一組の出し物はカレー屋ということで決定しました。今日は前日までの役割分担と、当日メインで調理と接客する人を決めようと思います」


 来たる十一月、学内一大イベントの文化祭が始まる。


 夏休みが始まる前にクラスによる投票によって『カレー屋』『自己責任ミックスジュース屋』『昼ドラ喫茶店劇場』の候補が上がり、文化祭実行委員が会議で提案し、委員会による公平な審議の結果、無難なカレー屋に落ち着いたらしい。

 良かった、本当に良かった。カレー屋に投票していた菫は他の二つが決定されるとは思わなかったが、納得の結果に安堵した。一年はクラス出展での模擬店しか許されなかった苦肉の策として劇場を強く推していた一部の支持者は嘆いていた。来年頑張ってほしい。


「では順番に読み上げていくので立候補者は」


「待ってくれ!!」


 文化祭実行委員おさげ眼鏡の言葉を、文化祭実行委員頭に鉢巻きが遮った。なお男子生徒が何故今鉢巻きで気合を入れているのかわからない。そんなことを言えば女子生徒も普段は別の髪形をしているし、固い口調でもないし、眼鏡に至ってはサングラスである。何故おさげ眼鏡でいるのだろうか、謎である。菫はうっかり文化祭の話を聞き流さないように気にしないようにしている。


「俺は『自己責任ミックスジュース屋』が良かった! 会議でも面白そうだインパクト絶大だと好感触だった! でも腹壊す客がいたらやべえって却下された! 俺は悔しい! 投票してくれた皆だって悔しいよな!?」


 投票したらしき支持者数人が頷いている。いや頷かないでほしい。ファミレスのドリンクバーで遊ぶのとは話が違うのだ。

 夏休み中、フロア担当として接客していた菫は、テーブルに残されたダークマターの入ったコップを何度か下げた。自己責任とついていても、体調不良や飲み残しが大量に出るのを想像して少し震える。ちなみに若きクラス担任はワクワク顔で見守っている。生徒の自主性を大事にしている良い先生だ。ほどほどに止めてほしい。


「だからさぁ! カレーもちょっと文化祭っぽくねぇ、すげーカレー屋作ってみねぇ!?」


 鉢巻き実行委員がとても楽しそうに提案してきた。抽象的ながらも心くすぐられる内容に反応したのは、ミックスジュース派と昼ドラ劇場派だった生徒達だ。


「ゲテモノは却下〜」

「違う違う! やべーやつじゃなくて、本格的なもん作ろうって思ってんだよ。クラスの内装もすげー本場って感じにして、うちのクラスの前通った客全員が、カレーの口になるようなすげーやつ!」


「そんなこと出来んのかよ」

「出来る出来る! つーかお前ら誰も本場のカレーとか食ったことないの? 駅の裏っ側にもあんじゃん。ああいう外国人がやってる店とか、もう匂いのレベルから違うからな」


「スパイスカレー作るってこと? 料理研究から入ってたら時間足んなくない?」

「皆で好きな市販のルー混ぜちゃえばよくね?」

「違うんだよな〜。まぁルーで作った味の方が好きなやつ多いのは当然だけど、やっぱ匂いが全然違う。今はカレーミックスってスパイスがあってレシピも色々あるから、ガチ本格派目指さなくても本格派っぽいもんって感じで参考に作れば一ヶ月もかかんねぇって」


 クラスメイトからの一問一答が始まり、彼の熱いカレー談義に突入しそうだった。


 菫もスパイスカレーにはこれまで縁がなかったが、スパイスの香り高さは自炊を通じて理解している。

 そういえばどこかで、かき氷のシロップは同じ味で、色と匂いで違う味にしていると聞いた。そう考えると、鉢巻きが鼻高々と匂いの違いを語るのはそれほどおかしい話ではない気がする。少なくとも菫は夕飯はカレーにしようと考えてしまう程度にはカレーの口になった。


 スパイスカレーの味を知らずとも、カレーの味と香り高さを知る人は多い。あの食欲をそそる香りのワンランク上。興味が湧いた人も、面白いことをしたかった人も、鉢巻きの意見に食い付いた。

 結果的に彼の提案は受け入れられ、この一年A組はスパイスカレーの模擬店を出す事となった。


「んじゃまず、カレーを作ってくれるやつ決めようぜ!」


「お前がやるんじゃねぇのかよ!」


「やりてぇけどさー、実行委員の仕事もあるんだわ。手伝うとかは出来るけど、そもそも俺も作ったことないし」


「すげえなお前! よく一ヶ月かからねぇとか堂々と言えたもんだな!」


 大物になりそうな面の厚さである。


 そんなこんなで調理班レシピ担当に立候補がいなかったため、くじ引きで決められる事となった。仕方ない、なかなか責任重大なのだ。

 〇から九の数字が書かれた十枚の紙片を二枚取って、出席番号で決めるらしい。もちろん本人が却下したら次を指名していく形式。菫も自分から挙手するほどの自信はないが、任せたいと言われたなら頑張ってみようかなとは思える。

 教卓に並べた十枚の中から実行委員二人がそれぞれ一枚ずつ手に取って掲げた。


「えーっと……七と、一! 七十一はいないから出席番号十七番、手を挙げてくれー! レシピ担当やってくれるかー!?」


 A組の生徒は全員で三十人。ちょうど真ん中あたり。窓際の生徒と、菫とアルカの廊下側生徒は中央の二列に視線を向ける。番号が近かった生徒はすぐに誰なのかわかったのか一瞬ざわめいたが、一人が挙手すると一瞬で教室内は静寂した。

 いや、静寂というより、無音。沈黙。先生も実行委員もクラスメイトも、菫もアルカも押し黙るしかなかった。


 出席番号十七番、継片昴生が選ばれた。


「承った」


 感情が読み取れない声が冷たく、鋭く、たった一言で静かな教室内を支配した。


「……ご、ごめんなさい……」


 鉢巻きがすごく申し訳なさそうに謝った。誰も声を出さないところから、それがクラスの総意のようだった。



 クラスの妙な空気に耐えられず、菫が手を挙げて「一人だと大変だろうから、わたしも手伝います。自炊で料理は慣れてます」と言うと、実行委員二人に即承認され、調理班に振り分けられた。

 そうなれば仲間はずれにされると思ったアルカも調理班へ立候補して、結果的に三人が同じ班として固まった。他にも二人と鉢巻き実行委員、計六人が調理班として決定した。


「というか、あの空気でよくオッケーしたよね。断ればよかったじゃん」


「断ったところで結局別の班に振り分けされるだろう。あまり変わらない」


「二人に客引きしてほしい人はいただろうから、裏方に回れてよかったね。店番の時間はあると思うけど」


 入学当初から美形で話題に事欠かない二人がそれぞれ異性を狙って陥落させていたら、良い売り上げが見込めただろう。当人達は望まない話だが。


 そんな三人は、並んでスーパーマーケットに到着した。

 文化祭当日までの役割分担が決まった放課後。織部家の本日の夕飯はカレーに決めていた。せっかくなのでスパイスカレーにチャレンジしようとアルカを夕飯に誘い、レシピ担当者として昴生にも声をかけた。昴生は最初誘いに対して渋る態度をしていたが、「昴生くん責任者だよ」「家で調理の練習とか出来る?」と揺さぶりをかければ首肯した。口には出さなかったが、勝った、と菫は密かに思った。


 ちなみにもう二人の調理班にも声をかけてみようかと思った時には既にいなかった。菫達は気付いていなかったが、三人の会話を聞いた二人はそれぞれダッシュで帰っていた。仲良し三人の中に単騎で参加する勇気はなかった。

 逃げ遅れた鉢巻きは誘われてしまった。歓迎の姿勢を見せる菫に対し、両隣の美形が「お前も混ざるのか」と言いたげな冷めた目を向けてきたのだ。適当な嘘で断って逃げた。


 そうして到着したスーパーマーケット。昴生はカゴを持ち、スマートフォンのメモ帳に並べられた材料の名前を確認しながら菫とアルカは先頭を歩いていた。


「とりあえずスタンダードにじゃがいも、にんじんと……玉ねぎは必須だから、ちょっと多めに買っとこうか」


「何肉使うの?」


「冷凍庫に豚肉あるからそれでもいいけど、予算抑えるなら鶏肉のほうがいいかなぁ」


「肉少なかったら文句言ってきたりしないかな。うちのじいさん、肉の少ないカレーしょっぺえなってうるさかったよ」


「そっか。昴生くんはどう思う?」


「どちらでも」


「バランス良くってことにしよう」


「継片、ちゃんとレシピ担当するつもりあんの?」


「計量と調理時間の記録は出来る」


「今更だけど、すっっごい不安しかない」


「大丈夫大丈夫、わたし達の他に三人もいるし、料理だからなんとかなるよ。……多分」


 野菜売り場、精肉売り場の客の視線を集めながら食材を選んでいき、調味料のコーナーにやってきた。普段から使う胡椒や粉末出汁などで何度か通るが、良く見るとスパイスも充実している。


「えーと、基本のスパイスはターメリック、クミン、コリアンダー……」


「なんか呪文みたい」


「馴染みがない片仮名はそうなっちゃうよね。コリアンダーは強そう」


「確かに。なんでだろ。やっぱダーかな。ダー」


「ふはっ」


「……君達は妙な話で盛り上がるな」


「昴生くんの楽しくなる話題ってどんなの? やっぱりまじゅ」


「話すならせめて言葉を濁せ」


 コリアンダーの小瓶を鼻先に突き出され、ついでに強い言葉を使われて菫はまた笑ってしまった。


「ひぃっ、コリアンダーに命令され、ふひゃ……!」


「……今のどこに愉快な要素があったんだ」


「菫の笑いのツボはよくわかんない」


 けらけらと笑っている菫を放置し、目的のスパイスをカゴの中に入れると会計レジの方向へ向かっていく二人に置いてかれまいとついていく。


 買い物を終えた三人は織部家へ。

 調理しやすいようにアルカの長い金髪は赤のシュシュで一つに纏められて、清楚な優等生の雰囲気から活発なお嬢さんに早変わりである。体育の時はよく見る髪型ではあるが、制服の状態だと初めてだった。可愛い。


「アルカ、せっかく髪が長いんだから結んだり編み込んだりしたらいいのに」


「うーん、動く時は邪魔だから結ぶけど、結んだままだと頭が重いし、ほっとくとなんかぐしゃってなるし、めんどいし、そのままのほうが楽」


「うー、わかるけどもったいない。可愛いのに」


「よく手を動かしながら喋れるな」


「泣かずに玉ねぎのみじん切り出来る昴生くんのほうがすごいと思うよ。わたしいつも号泣するもん」


「……織部。僕に玉ねぎを任せた事に他意はないと言えるか?」


「じゃがいもとにんじんの皮むき終了でーす!」


「はぁ……」


 雑談をしながら、途中開封して初めて嗅いだ各スパイスの独特の香りに不安を抱きつつ、スパイスと材料が混ぜ合わさった瞬間の香りに唸りつつ、レシピの工程通りに調理を進めていった。

 じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、鶏肉を具材にした想像よりも黄色いカレーが完成し、白米にかけた皿をそれぞれ置いて、三人は食卓に着く。菫は、そういえば三人で食事をするのは初めてだ、と思いながら「いただきます」と告げる。二人も遅れて告げてから、一口目を口に運ぶ。

 調理中から漂っていた食欲誘う、芳しいスパイシーな香り。


「……甘い」


「あっま」


 そして、味見した時から気付いていた優しい甘さ。


「今回使った食材はどれも加熱で甘くなるからな。スパイスも香りは強かったが辛味になるものはなかった。ベースに入れたトマトペーストと鶏ガラの塩味と塩胡椒だけなら……こうなるだろう」


 昴生の考察に菫は納得して頷く。スパイスの部分がなければ鶏肉と野菜のスープだ。香りは確かに普段使っているレトルトに優っている。しかし香りに対して味はかなりあっさりとしていた。まずいと食べられないほどではないが、物足りなく感じる。足りなさはわかっても、甘さを抑えたほうがいいのか、辛味を足せばいいのか、塩気も必要なのかはっきりとはわからなかった。


「これ、ご飯と一緒だと余計に甘く感じて、カレー食べてる感じしない」


「お子様向けカレーだねこれ……」


「子供は五感が過敏だ。香辛料が強い料理を好まないと思うが」


「刺激物に弱い方向けのカレーが出来てしまった……」


「なんか注文したくない名前じゃん、絶対売れない」


「唐辛子は必須だな。辛さの調整に関しては班全体で意見をまとめたほうがよさそうだ」


 レシピ通りに作って問題なく完成はしたが、想像していた味とは程遠いものだった。そもそもこれが本場の味というものなのだろうかと疑問すら残る結果となった。こんなスタートで果たして一カ月でどうにかなる味になるのだろうか、不安すら湧いてきた。アルカの「もう面倒だからレトルトでいいじゃん」の言葉に少しだけ頷きたくなった。


 その夜、夕昂に夕飯として残りのカレーを出した時に、「味薄くね?」の感想に再び不安を抱いた。

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