閑話 星は俯瞰を覆す

 継片昴生が初めて、片岡アルカという存在を視認した瞬間、その異常さに悪寒が走った。

 〈方舟遺物アークレガシー〉に選ばれた昴生は優秀な魔術師のうちの一人であり、豊富な魔力量に恵まれていた。そんな自分ですら比較にならないほどの魔力をその身に宿した少女の形をした何かを目撃した時、単純に恐ろしかった。

 あれはなんだ。本当に人間なのか。一体何故この学園にやってきたのか。

 自分に対する刺客か何かかと警戒していたが、アルカは昴生に対して何一つ行動を起こさなかった。クラスメイトに向けて自己紹介の際、名前を告げたところで『継片』の名に何も反応を示さなかった。


 昴生はアルカに対して警戒レベルを下げた。しかし接触しようとも思わなかった。これまで異種族を見たことない昴生ではアルカの正体は図れない。触らぬ神に祟りなし、あちらがこちらを認知しようとしなければこちらへの被害はないだろう。

 アルカに対して気味悪く思っているのは昴生だけで、クラスメイトを含めた大勢の生徒は一人の少女の関心を引こうと夢中になっていた。

 その光景は、とても不快に映った。


 入学から数カ月、片岡アルカは一人で居続けた。それは継片昴生と同じように。

 観察し続ければ自然と片岡アルカの性質は見えてきた。あれは完璧で美しい笑顔というシャッターを閉ざした要塞だ。寄ってきた人間を誰一人として陣地に踏み込ませない強靭な砦。人見知りや社交性の無さなんて言葉では隠し切れない、刀の一閃にも似た切れ味の拒絶。

 その頃にはアルカに対する人外疑惑も、もしかしたらあれは、本当にただの人間なのかもしれない、程度には変質していた。

 彼女の姓、片岡に通じる魔術師は存在を確認出来なかった。魔術師の家系からのみ魔力を持つ子供が生まれるわけではない。偶然にも素養がある子供が生まれ、その才に気付かれないまま育つ例も稀にある。

 もし異種族であるならば、わざわざ人間の形をして人間の学園に通っているにもかかわらず、人間との交流を拒否する理由がわからない。本質はともかく、当人は純粋に人間だと認知しているから、人間らしく何とか人間社会に混ざろうと努力しているのだろう。全く上手くいっていないが。

 本当に人間だとしたなら、人間だと思える程度の普通の人生を歩んできた彼女の幸運に舌を巻く。よほど巡り合わせに恵まれていたのだろう。


 けれど、彼女の幸運は留まることを知らなかった。


 梅雨の季節、学園中の生徒がたった一つの話題で沸いた。片岡アルカに友人が出来たのだと。暇なのか?

 アルカの拒否反応に気付いていたのは昴生だけではなく、積極的に話しかけに行き見事に玉砕した大半の生徒によって周知の事実だったらしい。嘆いていた生徒達は単純に嫌われたわけではないと喜んでいる派閥と、友達が出来たことを祝う派閥と、再度玉砕する勇気を得た馬鹿集団とさらに細かく細分化され、学園各地で衝突しあっていたらしい。全員暇だったのか?


「今日はどこ行っても大騒ぎになっちゃいそうだねー。お昼どうしよっか」


「うー、ん……どこも駄目そう。菫と一緒にご飯食べたいだけなんだけどな……」


「いっそお昼は校舎の外に出ちゃう?」


「えっ……」


「あ、楽しそうな顔してる。ふふ、抜け出しちゃおっか」


「うわぁ、うわぁ……菫がワルだぁ……」


「午後の授業はちゃんと出るけどね」


 話題の中心となっている少女達は静かなものだった。静かに穏やかに、あの入学の日に見た怪物は年相応の少女になっていた。

 彼女達は席が近い。アルカを観察しているとその前の席、織部菫のことも視界に入って把握していた。二人は顔見知り程度のささやかな交流しかしていなかったはずだが、教室外のことまではわからない。一体何のきっかけであの平凡な少女は難攻不落の砦を攻略したのか。


「…………」


 その日の昼、雨の中を一つの傘を共有しながら話題の少女達は本当に学校から飛び出したらしい。授業を終えた昴生が教科書やノートの筆記具を片付け終えて確認した時にはすでに教室に姿はなく、わぁわぁと騒ぐ生徒達の声を統合した結果知ることとなった。

 人間の喧騒も、雨音も昴生にとって雑音には変わらない。今日はいつもよりひどいと些細な感想が浮かぶ程度の事。その程度の話だった。

 毎日持参する弁当を食べ終えると図書室へ向かう。借りた本を返却した後、また適当に本を借りる。家に持ち帰ることは出来ないが、校内にいる間だけは魔術とは無縁の世界に触れられる数少ない機会だ。

 自分が生まれる前に発行された小説を手に教室へ戻る途中、昇降口の側を通る。既に購買に並べられた軽食は完売し片付けられていて、偶然にも人はいなかった。


「結構降ってきたねー、靴大丈夫?」


「靴はまぁ上履きに替えちゃえばいいけど、靴下は駄目かも。脱ご」


「ごめんね、つい思い付きでやっちゃって……今日は学校の中で食べたほうが良かったね」


「ううん! また行きたい! 今度はあんま天気悪くないほうがいいけど」


「そうだね」


 ころころと、笑う声が聞こえた。

 昇降口、下駄箱の死角から二人の少女が昴生の目の前に現れる。背を向けていた彼女達は背後にいる昴生には気付かない。


 そんな、何の変哲もない、些細な日常の一瞬。


 昼時とはいえ外は雨雲が覆われ、薄暗い。蛍光灯に照らされた廊下を生徒が走る光景なんて、新入生とはいえ昴生にとって見慣れたものだった。

 肩を並べて少女達が、片岡アルカと織部菫が笑い合う。教室へ向かうために階段へと駆けていき姿が見えなくなるまでの、ほんのわずか数秒の光景。取るに足らないただそれだけの、少女の形をした怪物が、ただ学生のように笑っていた。何の変哲もない、些細な日常の一瞬。

 その光景が、目に焼き付いた。

 熱く、まばゆいものを見たように思わず目を細めて、昴生は何故かその場で立ち竦んでしまった。

 ――奇跡みたいだと、思ってしまった。空洞の胸にひっかかった何かを形容することが出来ずに、ただただ浮かんだそんな感想が重く温かく、何もなかったがらんどうの中に残った。


 だからといって、継片昴生という在り方に変化はない。ただ、片岡アルカの警戒を最低値まで下げて監視を止めた。そして、強い魔力量を保有する少女の存在を可能な限り隠し通した。平たく言えば何もしなかった。

 自分以外の魔術師に見つかれば、碌な結末を迎えないであろう哀れな存在に起こった奇跡の一瞬を引き延ばす、そんな無意味な選択をした。

 何故、と思考を巡らせても答えに行きつかなかった。

 ただ、瞼の裏に焼き付いた二人の少女の光景を思い出すだけだった。


 だから、あの花火大会の夜。胸の内を暴れまわった嵐のような衝動が、絶望と呼べるものだとわかった。

 いつかは終わるだろうとわかっていた。自分の目の届かないところで、あの奇跡の一瞬は塵芥にされてしまうと、それは命がいずれ終わるのと同じように当たり前に思っていたことだった。

 片岡アルカは〈方舟遺物アークレガシー〉に選ばれた。

 継片昴生には、魔術師共から彼女の存在を隠匿する術がなかった。彼女が選ばれた物がよりにもよって、昴生の持つ盾にあだする矛であったことも軽視出来ない事態だった。

 己の脅威を排するのはあまりにも容易だ。隠し続けていた彼女という強大な魔力の器の存在を魔術師連中に明かすだけでいい。そうすればもう二度と、片岡アルカは昴生の前に現れることはなくなる。


 それだけの、簡単な話のはずだった。

 けれど、見てしまった。抱き合う二人の間であの美しい銀の矛が生まれる瞬間を。何故あの矛を作り出せたのか、矛に巻きつけられた鮮やかなヴァイオレットすみれいろを見て、気付いてしまった。

 そして思った。ああ、まだ間に合うなと。彼女達はまだ、自分とは違う。まだ魔術師に運命を捻じ曲げられていない。そんな些細な愚考に、何故だか身を任せてしまった。


 何故と問われても、明確な答えは昴生のがらんどうには無い。

 魔術師未満の危うい自分とよく似た少女と、巻き込まれただけの孤独を奪っていった少女が、たった二人が生み出したささやかな奇跡を見た。あえていえば、ただの気の迷いだ。

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