君と歩く夜

「……何故、君がここにいる」


 織部菫は継片昴生に睨み付けられていた。

 何故ここにいる、と聞かれても、ここは普通の道路だし、つい先ほどまで働いていたアルバイト先からの帰路である。そこでたまたま昴生の後ろ姿を見かけたため、自転車のスピードを落としながら隣に並び、「昴生くん、こんばんは」と声をかけたのだ。

 そして、この反応。菫は面食らいつつ自転車から降りた。


「えっと……駅前のファミレスでバイトしてて、帰ってる途中だったんだけど」


「君のバイト先は洋菓子屋の接客だったのでは?」


「うん。そっちはいつものバイト。ファミレスのほうは夏休みの間だけ入ってるんだ」


「……ああ、あそこは二十四時間営業だったか」


 昴生が苦々しい顔で納得したように溜息を零した。現在の時刻二十一時四十八分、『何故こんな時間に出歩いている』というのが彼の反応の真意らしい。

 歩き出した昴生についていくように菫は自転車を押していく。


「昴生くんこそ、こんな時間にどこに出掛けてたの? コンビニとか?」


「いや、…………散歩?」


「なんでそんな曖昧な」


「今まで聞かれた事がなかった。目的地があって外出しているわけではないなら、散歩が的確だろうと今考えたんだ」


「そっか。確かに昼とか暑いから、お散歩するなら遅い時間のほうがいいかも。なんか昴生くんがお散歩してるイメージなくて、ちょっと意外だった」


「散歩に時間帯も季節も関係はないだろう?」


「え? ……もしかして雨の日とかも散歩するの?」


「梅雨の季節なら雨も降るし、冬なら雪が降る日もあるだろう」


 まるで菫のほうが妙なことを言っているような反応は、紛れもない彼の本心で、疑問に対する肯定でもあるのだろう。

 優等生継片昴生に対する脳内イメージが室内でひたすら本の虫になっている様子から、台風の中でも強風に立ち向かうがごとく散歩に向かう元気いっぱいな犬に押し退けられた。全身びしょぬれになりながら、くりくりの目はらんらんと輝いて、尻尾を振り回す犬。目の前の不愛想な彼が、犬。違和感が凄まじい。


「……散歩、好きなんだね」


「別に好きではない」


「好きじゃないのに台風の日でも散歩するの!?」


 菫はうっかり口から零れてしまった言葉に、しまった、と焦った。

 台風の日はただの菫のイメージだ。しかも犬の。


「天候が悪い日は屋外にいる時間を減らせばいいだけだろう」


「出てるの!?」


「……君は、さっきから何に驚いているんだ」


「えー、あー……わたしも、特に散歩が好きってわけじゃないから、ちょっと天気が悪い日に行くのが想像出来なくて……」


 台風の日の散歩スタイルはやはり全身タイプのレインウェアだろうか。余計な疑問を心の中に押し込みながら笑顔で誤魔化した。少しだけ疲れた笑顔になってしまった自覚はあったが、アルバイト後だからだとどうにか見逃してもらいたい。

 昴生の横顔を見上げている菫とは違い、昴生は歩き出した時から正面を向いたままだ。こちらに視線を向けようともしない。時折眉を動かすだけで、表情の変化は乏しい。


「君は帰りたい家があるんだ。僕とは違う」


 能面のような顔で、いつもと変わらない調子で、常識を説くように、言う。


「……昴生くんが散歩してるのは、家に帰りたくないから?」


「…………」


「あ、ごめん、違ったかな」


「いや、今まで聞かれた事がなかった。帰りたくない、と考えるのはやや違和感がある。……早く帰宅するメリットがない、のほうが正確だ」


「そ、うなんだ」


 雨が降っても、雪が降っても、台風の日だとしても、早く帰るメリットのない家とは、どんな家なんだろうか。少なくとも、友達と認めてもらっていない間柄で興味本位で深く追求する話題ではない。好奇心だけで口を滑らせる勇気も無い。

 なんとも言えない気まずさから、話題を変えるか、このまま自転車に乗って自宅に帰るかの二択が頭に浮かぶ。

 サドルに跨り、じゃあ気をつけて帰ってね、と一言かければ彼は引き止めないだろう。とても簡単な逃げ道だ。だから、緊急脱出が容易なら、もう少し簡単ではない方の選択肢に挑戦したくなるのも仕方ない。ちょうど赤信号で足止めされたのだし、仕方ない。


「……話は変わるんだけど、ちょっと聞いてもいい?」


「何を?」


 素っ気ない、興味もなさそう、こちらを見向きもしない。だが、話は聞いてくれるし、返ってくる答えは真面目なものだ。


「えっと……昴生くんは、わたしのどういうとこが友達になりたくないの?」


「……は?」


 そこでようやく、昴生は怪訝な顔を菫に向けた。

 その反応を見た菫は質問内容が曖昧過ぎたのかと言葉を重ねる。


「あー……わたし、自分で言うのはあれだけど、人と仲良くするのはわりと得意な方で、だからはっきり友達にならないって言われたの初めてで……どういうとこが、友達になりたくないって思ったのか、ちょっと気になって」


「……」


「本当にちょっと! ちょっとだけ、悪いところとか教えてもらえたら自分のためになるかなって気になっただけで、その、アルカと一緒の時には聞きづらくて、だからってわざわざ聞かないといけないほど気になるって話でもないから、今ちょうどいいかなと思っただけで、えっと、どうでしょうか……」


「……、…………」


 言葉を重ねていくたびに、昴生の眉間の皺は深く深く刻まれていく。そして彼は口を結んだまま無言でいた。菫も黙り込めば、二人の前を車が数台走り去っていく音が大きく聞こえた。

 そして音も緩やかに止み、短い静寂の後、進行方向の信号機が赤から青に変わる。緊急脱出するなら今だろうかと、菫はハンドルを握る力を強めたところで、昴生が口を開く。


「まず、訂正がある。僕は君に対して友達になりたくないと言った覚えはない」


「……へ?」


「織部の友人になるつもりはないと言ったんだ」


 それは同じ意味だと思うのだが。

 菫は反射的に反論したくなったが、口を結んだ。昴生はこの答えの直前まで黙っていた。きっと雑な答えではない、きちんと考えた答えに対する前置きとして、必要な訂正なのだろう。


 歩き出した昴生の隣からの離脱を忘れ、再び並んで横断歩道を通る。


「織部は片岡と友人同士だろう?」


「え? うん、もちろん」


「君はあの祭りの日、逃げ出してもよかったはずだ。あれは君に見向きもしなかっただろう」


「へ? え?」


 何故いきなり祭りの日の話に。

 目を白黒している菫にお構いなしに昴生は言葉を続ける。


「僕は、君が一人で園内を走っている姿を見ている。片岡から離れていたあの時、君だけなら安全に逃げられただろう」


「そんなこと」


「そんな当たり前の事を出来なかったんだろう。君にとって、片岡は友人だったから」


「―――……」


「怪我を負うか、運悪く命を落とすリスクが頭から抜けていたとは思えない。君があれに対して対抗する術があったとも思えない。実際、君が何をどこまで考えた上で行動を起こしたのかは知らないが、結果的に君は片岡を捜して、片岡の元まで向かった」


「………………」


「『友人』のために自分を顧みない行動をする。僕から見た織部はそういう人間で、君はただでさえ面倒な体質を抱えている。そんな人間の友人になろうと僕は思わない。なれるとすれば、片岡のように君と対等であるべきだ。僕がなれるとは思えない」


「…………………………」


 今度は反対に黙り込んだ菫に、説明し終えたつもりの昴生は面倒そうに眉を寄せる。


「……どうした。どこから理解出来なくなった?」


「えっと……理解は、でき、出来たとおもうんだけど、ちょっと予想してたのと全然違う答えだったから、驚いて、なんか、反応に困る」


「理解出来たなら問題ないだろう」


 昴生は変わらず、正面を向いたまましれっと話を終えてしまう。


 本当にそうだろうか。問題ないんだろうか。なんだかとってもとんでもない事を言われた気がするのだけれど!

 一方で菫の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 個人への好き嫌いの理由はふわふわと曖昧で、気持ち悪いとか不快だとか、そんな感覚的なものだと思い込んでいた。だけどどうだ。昴生から出された回答にはどこにもそんなものはなく、軽率な行動だったと偽善的であったと詰るわけでもなく、友達想いであることをリスペクトされたように聞こえてしまうものだった。聞いてて恥ずかしくなった。

 そして、褒め言葉のような理由で友好関係を断られたのだとも思わなかった。深く追求するのが怖かった。二人の時にひっそりと聞くべき事だと判断したのが間違っていた。せめてアルカと共に辱めを受けたかった。


「……昴生くん。ちょっと……その、そういう言い方だと、わたしがすごく美化されてるみたいに聞こえるんだけど……」


「どこにも脚色された部分はないだろう」


 足元がふらついて、ペダルにゴッとなかなか豪快に脛を打ち付けた。痛い。


「そ、そんなハードルあげないで……そりゃ、アルカのことは大事だよ? 友達として助けたいとか思うけど、わたし、友達に対して命かけて頑張るとかそういうの出来るタイプじゃないし、アルカがそういうことしてきたからたまたま、今回偶然、昴生くんの目にそう見えちゃっただけで、昴生くんと仲良くなったからって同じことするとは限らないし」


「不確定な仮定を事実より重視する理由はない」


 つまり実際に菫が自分可愛さでアルカを見捨てるような出来事が起きない限り、昴生が菫への評価を変えることはないらしい。そんな予定は全くないし、菫としても別に評価を下げてほしいわけではない。ただせめて友達想い程度まで修正してほしい。羞恥心が凄まじい。


「織部が今回助かったのは、君と片岡が似た者同士で、互いを補い合ったからだ。自覚がないなら尚更、友人にする相手は選べ。片岡は警戒心が強い分まだいいが、君は危なっかしい」


「あ、あぶなっかしい……」


 わたし、友達になるのを拒否されているんだよね?

 少し混乱しながらも昴生の言葉を反芻する。間違いなく拒否はされている。友達になりたくない、ではなく、友人になるつもりはない理由としては納得出来る。ただ、その納得出来る理由には、『危ない事をしないでほしい』という身を案じる感情が含まれていないと破綻するものだ。果たして彼はそれを理解しているんだろうか。


 立ち止まった昴生に合わせて、菫も立ち止まる。数秒見つめあったところで沈黙を破ったのは昴生の溜息。


「……もう二十二じゅう時だ。早く帰ったほうがいい」


「へ!? あ、ああ、うん、そうする! 昴生くんも気を付けて帰っ、て……」


 言いながら自転車に乗ったところで菫は硬直する。

 バイト先から自宅までは自転車で数分という近所だ。彼と話しながら見知った街並みしかないのは当たり前で、全然気が付かなかった。先導していた昴生が、菫の家までの道を歩いていたことに気付けたのは、目の前の自宅マンションを見上げた、たった今。


「ほら、危なっかしい」


 家の前に着いたのに住人がぽかんと立ち竦んで、帰宅を促したら既に自宅だというのに自転車に乗る間抜けな行動をすれば、そう言われても仕方がない。

 言い訳をするよりも前に、昴生は来た道を戻っていく。来た道をわざわざ戻る理由を考えてしまって、菫は口をぱくぱくさせた。


 顔が熱くなるのを感じながら離れていく昴生の背中を睨み付けた。夜遅くなければ「たまたま! 今だけだから!」と大声で反論出来ただろうが、今、夜遅い。菫が大声を出さない事をわかっててさっさと離れていったんだろう。

 アルカが彼に対して苦手意識を持つ理由が少しだけわかった。後手後手ぐだぐだの菫は恥ずかしさと悔しさを噛み締めて、おとなしく帰宅した。

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