仲良しだってよ

『明日は朝から夜までバイト入ってる』

『明後日はどうかな』

『場所はまたうち使う?』


『問題ない』


『オッケー』


 魔術に関するあれこれと危険性に関する勉強会の後、無事アルカにメッセージアプリの便利さと使い方を説明し、無事三人だけのグループを作成した。

 グループ名は『ask』。三人の名前のイニシャルを並べた単純な名付けだが、聞く、問う、尋ねるといった意味の単語としても教える側、教わる側の関係に合っていると名付け親の菫はささやかな達成感を密かに味わっていた。


 グループ内でメッセージのやり取りをした翌々日。前日から泊まり込んでいたアルカと指定の時間より数分早く到着した昴生が織部家に集まった。

 週に二、三回、今回で四回目となる魔術勉強会は今日も今日とてアルカと昴生の口論が勃発し、少し慣れた菫がアルカがヒートアップする寸前で取り持とうとタイミングを見計らっていた時だった。


「ただいー……ま?」


 施錠していた玄関が開き、戸惑ったように小さくなっていく男性の声がリビングにいた三人の耳に届く。住人の菫と入り浸りのアルカは少し驚いている。しかし緊張感のない反応から昴生は織部の家族かと警戒を一瞬で解いた。

 若い男性の声。菫の兄だろうと推測して昴生は近づいて来る足音のほうに視線を向ける。リビングに顔を出した男性は焦茶の瞳を丸くしながら三人を順番に見回していた。


「菫? アルカちゃん以外にも友達が来て、んの、か……」


「お邪魔して……」


「おおおおお邪魔してましゅ夕昂ゆたかしゃん!!」


 この時、動揺した三人のことを冷静に見ていられた菫だけが気付いた。そして、笑うのを堪えた。


「ッふ、おかえり、お兄ちゃん。こちらクラスメイトの継片昴生くん。先週美味しいって言ってたカステラのお土産の子。昴生くん、こちらうちの兄の夕昂」


「ご挨拶が遅くなりました。継片昴生です。僕は二人のクラスメイトで、夏休みの期間、二人の学業のサポートのためご自宅をお借りしていました。また何度かお邪魔致しますので、よろしくお願いします」


 初日では麦茶のみだったテーブルの上は、図書館で借りた本や教科書、開かれたノートに筆記用具、スマートフォンや開封された菓子などが広げられていて雑然とした状態になっている。

 兄と同居している織部家を使用する場合、第三者がやってくる事を想定して準備しておくべきだと昴生が提案し、賑やかなテーブルになっていた。アルカが持参した菓子がつい先ほどまで和やかに勉強会をしていたような演出に良い味を出している。全部嘘だが。

 学生達が集まっている光景に、着回されて体に馴染んだシャツとスラックスを身につけた社会人の夕昂は、自宅だというのに居心地の悪さと、学生らしからぬ丁寧な挨拶をする妹の友人に面食らいつつもにこやかに対応する。


「お、おお、いらっしゃい……ってカステラの子って、他にもクッキーとかお茶も持ってきてくれたよな? どれも美味しかったよ、ご馳走様。狭い家だけど、ごゆっくり」


「今日はラスク持ってきてくれたよ」


「昴生くん、もう次からは手ぶらでおいで。俺全然気にしないから。むしろもらいすぎて俺からお土産渡したくなるレベルだから」


 帰宅した兄、夕昂が硬直したのは単純に昴生の存在に驚いたのだろう。菫が今まで自宅に招いた初めての異性なので、思うところはあるのだろう。菫も兄が女性の友人を連れて帰ったら無粋な想像する自信がある。

 帰宅した家族へ挨拶をしようとした昴生が腰を浮かせた状態で固まったのは、単純に側で自分より大きな声で挨拶をしたアルカの挙動に驚いたせいだろう。学校内でも菫と昴生の前でも見せたことのない一面だったから、仕方のない事だ。

 和やかに二人の紹介と挨拶が落ち着き、夕昂がアルカの方へと顔を向ける。頬を真っ赤に染めた美少女がびくりと跳ね上がった。


「アルカちゃんもいらっしゃい。今日も泊まっていくの?」


「ひゃっ、い、いえ、きょ、今日は菫がバイトだから、きゃえります!」


「そっか。じゃ、ごゆっくり」


「は、はい……!」


「あ、お兄ちゃん。お昼食べてく?」


「いや、三十分くらいしたらすぐ出るから気にすんなー」


 そう言って夕昂は菫の自室の隣、夕昂の自室のほうへ入って行った。扉が閉まったのを見送った菫と昴生が椅子に腰掛ける。


「……三十分は本当に勉強の話とかしよっか」


「……そうだな。どちらにしても、身に入らないだろう」


 二人は小声で作戦会議のあと、まだ立ったままのアルカを見上げる。

 会話した時間はほんの僅か。たった数秒の出来事で、アルカの顔の紅潮は増し、瞳はまるで海のように潤んでいた。堪えるようにぎゅっと引き締めていた唇から悩ましげな息を吐き出しながら静々と着席した。

 そして、にまにまと緩み切った笑顔で隣の菫の肩にしな垂れて全身を揺すり始める。為されるがままに一緒に左右に揺れ始める菫の表情は寛容で、この駄目な酔っ払いのダル絡みに慣れたものだった。


「今お仕事の時間なのに、夕昂さんに会っちゃった……ふへへへ、喋っちゃったふふふふ」


「うんうん、良かったねぇ」


「うふ、ふふふ〜……ん? 何、継片。変な顔して。なんか文句でもあんの?」


「君の起伏の激しさに驚かない人間のほうが稀だろう」


「あははっすごくわかる。わたしも最初は驚いたもん。あーあ、わたしだけ知ってたアルカの秘密がバレちゃった」


「へっ!? バレ、バレたって、まさか」


「昴生くん。わかってると思うけど、アルカはうちのお兄ちゃんのことが」


「待って待ってやめてやめて!! わー!! わ―――!!」


 わざとらしく残念そうな声色で菫がからかうと、熱中症を疑うくらいアルカが真っ赤になる。先程までのしおらしさは霧散し、内緒話をするような菫の小声を含めて何もかもを誤魔化そうと大声を張り上げた。

 賑やかな二人とは逆に、昴生は二人の動向を静観し目を細めた。


「片岡、それ以上喚くと近隣に迷惑だろう」


「だって菫が!!」


「その声量では、夕昂さんにも届いていると思うが?」


 アルカ、撃沈。


「織部、君が騒いで君自身が謝罪するならまだいいが、矢面に立つするのは成人している夕昂さんの可能性が高いと僕は考えているが、君はどう考える?」


「おっしゃる通りかと……」


 菫、萎れる。

 大騒ぎしていた二人の沈静化を確認して昴生は息を吐いた。


「……ところで、もうすぐ休みが終わるが課題は滞りなく進んでいるか?」


 本日、八月二十三日。夏休み終了までほぼ残り一週間。

 これまで最低限の連絡以外は魔術に関する事ばかり話していた昴生の口からごく一般的な学生らしい言葉が出てきて、菫は新鮮さに「おお……」と唸りかけたところを内頬を噛んで自制した。これは兄の耳に届いても違和感を持たれないための勉強会らしい会話のふりだ。


「うん、大体終わってるよ。昴生くんは『読んだつもり感想文』とか、やった?」

「図書館で適当に手に取った本を読んで書いた」

「えっ? それだと普通に読書感想文になるんじゃ」

「参考資料にしただけだ。先生は面白い読み物を要求しているなら充分だろう」

「わざわざ参考資料って……ガチじゃん」

「課題内容は奇抜だが、真面目にやらなければ成績に影響が出るぞ」

「昴生くんの成績なら夏休みの宿題やらなくても、学費免除になると思うけど……」

「慢心する理由にはならないだろう」



「学費免除か……ちょっと頑張ってみるかなぁ」

「えっ、アルカひょっとして全然やってなかった?」

「えーっ!? 菫もやってたの!? 出さなくてもいいって先生が言ってたから、普通に忘れてたよ……」

「そっか…うーん、あと一週間で出来そうな課題あるかなぁ」

「『身近な社会人インタビュー』、とか……」

「……片岡が?」

「……アルカ、ごめん。わたしもアルカには荷が重い課題だと思う……」

「……はい」



「あっ、じゃあ『来年の面白そうな宿題提案』とか」

「その課題はグループディスカッション用だっただろう。片岡には不向きだ」

「……はい」



「ってか継片、さっきから否定しかしてないじゃん!」

「事実のみを言っているだけだ。『夏休みの日記新聞』にしたらどうだ。紙面構成の参考に新聞とパソコンを借りれば一日で作れるだろう。図書館でもネットカフェでも、今から申請すれば学内のパソコンも使える」

「……、うん! 昴生くんみたいに一日は普通に無理だと思うけど、一週間もあれば一日分作るのは出来るんじゃないかな」

「……夏休みに一番印象に残ったこと、新聞に書いたらダメだと思うんだけど」

「……そうだね」



「他に何か、あったっけ。一週間くらいで出来そうなもの……」

「……アイデアさえあれば、自作項目とかか?」

「中学、もしくは夏休み前までの全授業で学んだ知識を応用した工作・開発作品の提出って、すごい難しいとか言ってなかったっけ……評価は提出先の先生の一存されてるって」

「あー……数センが『最高に面白いの提出してこい』とか言ってたやつ……継片はなんか作ったの?」

「何も。要求されているものが曖昧で、作るのはまだしも、先生が満足いくアイデアを出せるとも思えない。最初から候補から抜いていた。……それで、片岡はどうだ」

「……授業で学んだことって、テストが終わったら忘れていいもんじゃん……」



「……もう諦めて、自分の成績を受け止めたほうがいいだろう」

「もうちょっと頑張ってくれない!?」

「アルカ、今ちょっと『夏休みのしおり』持ってくるから、宿題一覧見てみよ」



 そう言って菫が椅子から腰を浮かしかけたところで、自室にいた夕昂が出てきた。思わず三人がそちらに目を向けると、夕昂は堪え切れずにこぼれた笑みを咳き込むように誤魔化しながら。


「おまえら、ずいぶん仲良しだな」


 菫とよく似た柔和な顔立ちをさらに緩めて、安心そうにそう言った。

 にこにこと上機嫌に家を出ていく夕昂を見送った三人は、想像もしなかった言葉を投げられて放心していた。


「……」

「…………」


 確かに、魔術に関する話題を避けていたが、三人の会話は特別なものはなかった。学校側の夏休みの宿題がへんてこであるのを除けば、普通の学生らしい会話だっただろう。それを、部屋まで漏れ聞こえていたらしい第三者の夕昂が聞いて、『仲良し』と判断した。確かに、険悪ではなかっただろう。確かに、仲良く勉強していると思われたのは成功だろう。


 しかし、仲良し、か。

 アルカと昴生は歯に物が挟まったような表情を浮かべ合う。

 なんとも言えない沈黙が流れ、耐えきれなくなった菫が噴き出すように笑い出した。

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