秘密を共有する三人

「継片にあげる、矛あげる」


「〈方舟遺物アークレガシー〉は他者に継承できない。所有者が死ぬ事で同時に消滅する」


「うわっウオォ嫌だいらねぇ! すげーいらねぇ!! どう考えてもトラブル呼び込んでくるもんじゃんコレェ!!」


「君が求めたから与えられたんだろう。喚いてもどうにもならない」


 アルカは頭を抱えテーブルに突っ伏しながら嘆いていた。金色の後頭部に呆れた眼差しを向けていた昴生は深々と息を吐いて麦茶を飲む。長々と説明していたから喉も乾くのだろう、グラスが空っぽになったのが見えた菫はおかわりを用意しようと腰を浮かしたが、昴生が片手をあげてそれを制した。


「一通り説明し終えたところで、織部の判断を聞きたい」


「ふェッわ、わたし?」


「ここまでの話を、聞かなかった事にしたいか?」


 カラン、と解けた氷が音を立てた。外からじりじりとセミの鳴く声が響く。


「聞かなかった事にしたら、どうなるの」


「昨晩の出来事やこの場で話した魔術に関する内容が曖昧になる。具体例が必要なら、そうだな……君は昨晩、脱走した大型犬に襲われて、捜索していた僕が犬を保護し外傷はなし、今日は僕が謝罪のために訪れた……あたりだろうか」


「魔術で記憶を変えることは出来るの?」


「可能だ。しかし実際どれほど曖昧になるかは君の脳の働きに委ねられる。襲われた事実すらなかった事になる可能性もある」


「おお、すごいね。ちょっとその魔術はかけてほしいかも」


 昴生の説明を興味深そうに、しかも魔術をかけてほしいとまで口にした瞬間、隣でテーブルにへばりついていたアルカが椅子をがたつかせながら起き上がった。

 下がった眉、動揺で揺れる青い瞳は何度も瞬き、口は何かを言おうとしてはくはくと開閉させ、今にも泣きそうな顔で立ったままの菫を見上げる。


「す、菫は、忘れたいの……?」


「え? ……あっ違う違う! 忘れる魔術というか曖昧になる魔術は気になるけど、魔術そのものを忘れたいとかじゃないよ! まぁ二人にとって忘れたほうがいいとかなら、そうしてもらったほうがいいのかなーとか」


「忘れないで!」

「どちらでも」


 哀願するアルカは曖昧な返答をする昴生をギッと睨み付ける。美人の目力はすごい。


「適当なこと言わないでよ! 菫が『じゃあ忘れておこうかな』とか思ったらどうすんの!」


「僕は知る必要がなければ、知らないままでいいと思っている。それが織部の望みになるなら、君が諦めるべきだ」


「うっ……! ぐうううう……!!」


「……まぁ、織部が忘れないほうを選んでくれて良かったとは思っている」


「え? なんかちょっと意外」


「さすがに片岡の隙をついて、織部を失明させるのは骨が折れそうだ」


 魔術に関して話せる人が増えるのが嬉しいのかな、とか一瞬でも考えた呑気な思考ごと頭を殴られたような衝撃を受けて菫は言葉を失った。唸っていたアルカも同様に。


「え、えぇ……わたし、魔術に関して忘れたいって頼んでたら、記憶どころか視力もなくすところだったの?」


「そのつもりだった」


「な、な……おま……ッ」


「魔力を持たない人間は、魔術を視認することすら出来ない。例外は無い。無かった。君という例外が魔術師に見つかった時、どうするつもりだ。君は、片岡とは違う。いくら僕が教えようと何も得られない。魔術師に対抗する力なんてない」


「私が! 菫が危ない目に合わないように私が守ればいい!」


「……そう、君はそうなるだろうな。君達を少し観察する余裕がある魔術師であった場合、織部の命は〈方舟遺物アークレガシー〉の魔術師を脅す材料としては充分だ」


 アルカは再び言葉を失ったが、菫は「うわぁ……」と納得したようなドン引きしたような間抜けな声が漏れた。

 望まない力を手に入れてしまったアルカがとんでもない事態に陥って、たまたま傍にいただけだと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

 これまでにはなかった例外というネームバリューに加えて、魔術師達の念願である空中都市に繋がる〈方舟遺物アークレガシー〉の所有者への恐喝にも使える上に、本人は無力な少女。

 そこまで思考が至った菫はどこか他人事のように、心の中でうわぁと呟いた。そして、アルカの枷になるのは嫌だなぁ、と歯がゆかった。


「……もちろん、すぐ失明させるつもりはなかった。織部の目は恐らく片岡の魔力に影響を強く受けた事による一時的なものだろう。魔術に関する知識を失い、片岡と距離を置くことで影響は薄れて元に戻るなら、片岡に対して織部に接触するのを控えるよう警告するだけで済ませる予定だった」


「わたしは忘れてもいい。アルカは何も知らないままは駄目。そして、わたし達が友達で居続けるならややこしい話になる。……うん、昨日昴生くんが言ってた事情はわかった気がするよ。ややこしいね」


「その通りだ」


 やや疲れ気味の肯定に、菫は思わず笑ってしまう。

 ただのクラスメイトという顔見知り程度の薄い繋がり。面倒だと切り捨ててもよかっただろうに。菫には魔術師の常識とやらは理解出来ないが、そんなものは関係ないような気がして、外見にそぐわず面倒見がよさそうな同級生に対して気が緩んでしまう。

 彼にはそれが大変不可解らしく、また怪訝そうな視線を向けられてしまうのだが。


「わたし、忘れるつもりないよ。普通に目が見えなくなるの困るし。……アルカと友達じゃなくなるのは嫌だから。昴生くんには面倒かけちゃうかもだけど……」


「いや、織部は忘れる事を拒むと想定していたし、そちらのほうが僕の手間もない」


「そうなの?」


「何か現実的ではないものが見えた場合、見えないふりをするだけでいい。僕が出来るのは、君にそう警告するだけだ」


 例えば昨日のように、突然現れた怪物が近づいてきても気にせずお好み焼きを食べ続けたり、アルカがとんでもない武器を振り回してたとしても枝を持ってごっこ遊びでもしてるのかなと思えばいいという事か。どうしよう、普通に難しそうだ。菫はパニック系のホラーで音に過剰反応して体が跳ねるタイプだ。不安はあったが、菫は笑顔で誤魔化しながら「……頑張ってみる」と頷いた。

 こればかりは『代案:失明』の彼に頼るわけにもいかない。アルカが頑張っている分、自分も鋼の心を手に入れるトレーニングを頑張ろう。ひとまずホラー映画から。


「片岡はなるべく織部の傍にいるのを意識してくれ。君の強すぎる魔力の傍にいれば、織部が魔力を持たないことを多少は誤魔化せるだろう」


「あー、牛小屋の側に花が咲いてても牛小屋の臭いしかしないのと同じか」


「……木を隠すなら森の中とか、もう少しわかりやすく例え話が出来ないのか」


「通じてるなら問題ないじゃん」


「……知能に差があると会話が成立しないなんて眉唾だと思っていたが、信じてしまいそうだ」


 凡人が密かに目標を決めている中、そりが合わない魔術師同士は互いの相性の悪さを再認識していた。


 菫は冷蔵庫に磁石でくっついていた小さなホワイトボードとマジックペンを取りに行き、ここまで開示された魔術と自分達の状況を自分なりに簡単に書きまとめる。

 『盾』『矛』の字を囲った四角の上に書いた『アークレガシー』の字から伸ばした矢印の先に『方舟/空中都市』。少し離れたところに『魔術師』と『一般人』を〇で囲いながら隣に並べて書く。

 書き終えた一覧を二人に向けながら、キャップを閉じたマジックペンの先で文字を指し示しながらこれまでの話の概要をなぞる。


「わたし達、『一般人』は魔術の存在を知らない、見る事すら出来ない。知っているのは『魔術師』だけ。『魔術師』は『方舟』を元に『空中都市』を作ることを目標にしている。そして『空中都市』の魔術に近いのは『方舟』に乗っていたアーノルドさんから渡された『アークレガシー』で、『盾』も『矛』も『魔術師』が欲しがってる。でも『アークレガシー』は持ち主以外が使える者じゃないから、脅迫とかで言う事を聞かせようとしてくる危険がある。……どうかな? わたし、ちゃんと理解できてる?」


「……、一度聞いただけとは思えないほど、要点を押さえてよく理解している」


「よかった、ありがとう。それで、わたし達が警戒する『魔術師』に特徴とかってある? 昴生くんが魔力を持たない人がわかるなら、アルカも持つ人と持たない人の違いがわかったりするのかなって」


「この国の魔術師は本当に少ない。君達がこの地域の外に出なければ、危険は少ない。片岡も魔術の訓練を重ねれば、自然と魔力の流れを感じ取れるようになるだろう。織部は……見えないふりを徹底し、特に外国人に気を付けるんだ」


 菫は「わかった!」と元気よく、アルカは「うい」と面倒そうに。それぞれ返事を聞いた昴生は疲れを吐き出すように溜息を零し、ゆっくりと立ち上がった。


「今日はここまでにしよう。長期休暇が終わるまでにあと何度か時間を空けてくれ。魔術の授業をする」


「……私は特にやることないからいいけど」


「織部の都合は?」


「あ、わたしは明日から連続でバイトがあるから……というか居てもいいの? 実験体として?」


「どちらかと言えば、片岡を奮起させるために」


 その言い方ではアルカを応援する役目が九割だったとしても、一割ほど実験体として役目がある可能性を否定しないと言う事だろうか。だけど、秘密を共有した三人で一人だけ省かれてしまうのは寂しい。菫は余計な茶々を入れるのを止めた。

 詳しい日時と場所は連絡を取り合おう、と連絡先の交換をするために各々が取り出しあったのは、スマートフォン、スマートフォン、折り畳み携帯電話。


「……片岡、その携帯はメッセージアプリを使えるのか?」


「メッセ……アプリ? 何、急にアプリってゲームの話? 私の携帯じゃ遊べないみたいだけど」


「……織部」


「あぁー……アルカは通話以外で使ってなかったみたいで、電話番号は交換してたけど、学校で毎日会えてたし、夏休み入ってからも次の約束も直にしてたから、まいっかと思ってて……とりあえずわたしはメッセージアプリ入ってるよ」


「……なら、これで」


「え!? 何で菫と継片だけ連絡先交換すんの!? 私だけ使えないの!?」


「あとでわたしがアプリの入れ方からグループまで作って教えるね」


「今度は携帯の勉強!?」


「大丈夫大丈夫、慣れれば簡単だから」


 昴生がQRコードを表示された画面を差し出してきたので、菫はそれを読み込んで連絡先の登録を済ませる。アルカはそのやり取りがわけわからないものように不安げに見ているだけだった。

 スマートフォンの上部に表示された時刻は昼時。やることは終えたと玄関へ向かおうとする昴生を追いかけて菫は引き留めるために声をかける。


「手間だろうが片岡のことは織部に任せる。ではまた」


「ちょうどお昼だから、よかったら昴生くんも食べていかない?」


「君達と食卓を囲むつもりはない」


 あ、やっぱり? 菫は零れかけた言葉を込み上げてきた笑いと共に飲み込んだ。

 だが律儀に「お邪魔しました」と振り返った昴生に、半端なはにかみ顔を見られたことですぐにばれてしまったらしい。怪訝な顔で帰っていった。


 扉の施錠をして戻ろうとした時にダイニングキッチンから顔だけ出して見送っていたアルカが菫の表情に不思議そうに首をひねる。

 

「……菫、にやにやしてどうかした?」


「なんか昴生くんってアルカに似てるかもしれないと思っちゃって」


 けして好意的ではない彼の態度が、途中から些細に感じていた理由を改めて口にしてみると、想像以上にしっくりきた。


 初めて会った時、笑顔で拒絶し続けていたアルカ。

 ずっと迷惑そうな態度のまま、それでも面倒を見てくれる昴生。


 高校の高嶺の花。対のような『夏空のヴィーナス』と『冬の貴公子』の異名。魔術師の中でも特別な〈方舟遺物アークレガシー〉の所有者。少し考えただけで少なくない共通点が思い浮かぶ。なんだか面白いなと笑いを堪える菫に反してアルカは思い切り顔を歪めた。


「えっ嫌すぎる」


「ぷはっ! そ、それ、似たようなこと言いそう!」


「え――やだ――――!!」

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