頑張るしかない弟子

「うっうぐっ、えぅ……」


 アルカは滂沱の涙を流す。

 突然降りかかった魔術という才能、自覚なく才能を振り回してきてしまったらしい過去、ほぼ無理矢理向き合う事となった現状、加減を誤れば死ぬかもしれない自分の恐ろしい力を友人に向ける初めの第一歩。

 無知の状態からここまで一時間も経っていない。情緒はしっちゃかめっちゃかだろう。菫は同情した。


「わたし、アルカって何しても綺麗だから、泣いてる時もきっとそうだと思ってたんだけど、意外とくちゃくちゃに泣くんだね」


「それ今言うことかなぁ!?」


「ふふ、ごめんごめん。リラックスしてくれないかなと思って」


「む、無茶、言うなよもおお……菫がし、死んじゃったら私、私無理、むりだよぉ」


「死なない死なない。わたしも止めるし、昴生くんも止めてくれるから、大丈夫だよ」


 ね、と目配せした先の昴生が、信じられないものを見るような目を菫に向けていた。

 これはきっと、何故そんな平然と自分を信用出来るんだという非難の目だな。彼本人の言葉を繰り返しただけなのに何が駄目なのか。解せない気持ちと、まだよくわからない彼に少し慣れた気もした。

 アルカはでもでもと泣きながら弱音を吐いて、菫は根気強く同じ回数大丈夫だと繰り返し彼女の涙が止まるまで励まし続けた。


「……やって、みる」


「うん。一緒に頑張ろう」


「うん、一緒に……」


 こくん、と頷いたアルカの表情は不安が滲み出ているが覚悟を決めたものに変わる。

 良かったと安堵の直後に菫は自分の覚悟がまだ決まってなかったことを不意に膨れ上がった不安感で気付いた。アルカを励ましておきながら、もし止める間も無く心臓の方が止まったらどうしようと恐怖が込み上げてくる。


 緊張を悟られないように息を吐き出す。少しだけ呼吸が震えてしまった気がする。

 まずい、アルカには伝わらなかっただろうか。顔色を伺うと、アルカはアルカで引き締まりすぎて破裂しそうなほど強張っていた上に、真冬の寒さに耐えているような荒々しい呼吸を隠そうとする余裕もなさそうだった。別の意味で心配になってきた。

 アルカは慎重に菫の方へと手を伸ばす。小指だけを立てた状態で。爪先がギリギリ触れない位置で止まりプルプル震えている。


「い、行くよ、行くからね! ちゃんと止めてね菫! 継片!」


「あっうん」


「……始めろ」


 なんだか間抜けな光景だ。

 当の本人は至極真面目にやっているので茶化さないけれど、神秘性は皆無だった。


「〈緩和アジェーヌ〉」


 菫も気持ちを入れ替えて自分の肩に触れる。痛みはなくなっている気がする。


「痛くなくなったよ」


「片岡、その調子であと二十五秒ほど続けられるか」


「結構長くない!?」


「出力が弱すぎる」


「えーと……アルカ、二十秒タイマー回したから、ん……あと十七秒。頑張って」


「ううう、頑張るけどおお」


 空いてる片手でスマートフォンを操作して、秒数を刻んでいく画面をアルカにも見えるように表にしてテーブルに置く。腕に集中し続けて二回ほど横目で残り時間を確認していればあっという間に十数秒は終わる。

 タイマー音が鳴るとアルカは瞬時に手を引っ込め、胸の前で手を握り締めながら菫に不安げな顔を向ける。


「す、すみれ……大丈夫? どっか変なとこない……?」


「うん。痛くなくなったし、体も触った感覚残ってるよ」


「良かった……よかったぁぁ……」


 心底安心したアルカは菫の手を両手で握り締めてまた泣きそうな顔で笑う。先程の不安でいっぱいの泣き顔とは違って、朝露を纏った花のような美しい濡れ顔だった。

 想像を上回る愛らしさに菫は小さく唸る。こんな美少女からめちゃくちゃ心配されて無事をこんな笑顔で喜ばれたら、恋に落ちない男子はいないのでは!

 菫を挟んでアルカとは反対に立っていた昴生を見上げれば、据わっていた目がさらに細められた。


「……。どうした」


 あっ、これはもしかして呆れていたところを、妙に期待の籠った目で見られて困惑、もしくは訝しんだ事で睨み付けたとかそういうやつかな。夢見がちな妄想をしてしまった菫はちょっとだけ気まずくなった。

 漫画みたいな話に巻き込まれているけれど、漫画の中の出来事じゃないんだから、現実なんてこんなもんである。美男美女が揃ってもロマンチックな展開が起こるとは決まらないのだと実感した菫はどうにか誤魔化そうと今までにない速さで頭を回転させた。


「あっんっえっと、あー……何で、痛くなくなった後も二十秒くらい続けたのかなーと思って」


「あそこで止めていれば、おそらく三時間程度で効果が切れていた。伸ばした分、一日は持つだろう。片岡の言う通り湿布を貼って、おとなしくしていれば、効果が切れた後も強く痛まないだろう。気になるようであればまた練習台になってみればいい」


 そっかありがとうと言いながら、何とか誤魔化せたと菫は内心ほっとする。

 テーブルの上にあったティッシュを使って雑に顔を拭いたアルカはついでとばかりにズビビと鼻もかんだ。


「んん~……さっきまでの感覚で三時間分か、でそのまま二十五秒で一日くらい……」


「そうだ。注ぎ込んだ魔力量は把握出来たか?」


「ん、わかるような……でも絶対このくらい! とまでは言えない感じ。そもそもまだ魔力がよくわかんない……なんだろ、体がびりっとする、みたいな?」


「その感覚はどちらかというと、過剰に神経を尖らせた所為だろう」


 そうだな、と昴生は何かを考えるように二人から視線を逸らして先程まで座っていた椅子に戻る。

 礼儀正しく腰を下ろした昴生と再び目が合った瞬間、菫は背筋に寒気が走った。彼の瞳は真剣そのものである事には変わらないはずだが、剣呑さを含んだ何かが菫にはわからなかった。


「昨夜の矛を具現化させた感覚を覚えているか? あの瞬間、相当な魔力が体から噴き出したはずだ」


 アルカは目を瞬かせ、そして顔を歪めた。

 無意識に自分の胸元に手を当ててシャツの襟元にシワが付くほど強く握り込む。


「……あんまり、覚えてないかも。あの時、菫が殺されると思ったらすごいむかついて、なんかこうカーッと、頭とか、体が燃えるみたいに熱くなって……あれが、あれが魔力なの?」


「僕は君自身でないから正確な断言は出来ない。ただ魔力は感情の機微によって発露されることはないとされている、本来ならば」


 昴生がテーブルの上に出した右手には、ノートの切れ端。

 均一な行が印刷されたごく一般的なノートの一ページをハサミで綺麗に八つ切りしたような小さな紙片をテーブルの上に放った。ふわりと風の抵抗を受けて浮いた一瞬、真白のページが光を放ち膨れ上がる。そうして、ゴトリと確かな重量を持って金属製の光沢のある立派な盾がテーブルの八割を占拠しながら現れた。


 菫は咄嗟に自分とアルカのコップを端まで避難させようと持ったが、昴生は大きさまで制御していたらしく、菫はコップを同じ位置に戻す。

「話を切り替えよう」と、昴生は盾から視線を上げる。


「現代の魔術師が、魔術と呼称する叡智に関して知っている事は恐らく少ない。特に魔力の源泉はどこにあるのか、何故基礎魔術が作られたのか、誰が作った物なのか、何故魔術で武器を作ることが出来ないのか。長年の謎だった」


 聞き慣れない単語をつらつらと並べられ、菫もアルカも話についていけなくなりそうになる寸前で彼の言葉がおかしいことに気付く。というより、目の前に用意されていた。


「……武器、作ってるじゃん。私もそうだけど、継片のこれだって武器でしょ」


「そうだ。これは魔術師にとって例外、未だに解明されていない太古の魔術。魔術師の始祖から認められた証とされている」


「シソ」


 アルカは焼きおにぎりに海苔の替わりに巻かれていたシソの葉が思い浮かび、香ばしい醤油と爽やかな独特の香りが混じった味わいの記憶も呼び起こされて口の中が潤った。


「始祖、だ。元祖とも呼ぶ」


「元祖魔術師」


 菫もなんだか味にこだわりを持ってるラーメン店みたいだなと思考がぶっ飛びそうになった。


「ってことは、基礎魔術を作った人? ……あれ? でも基礎魔術を作った人も不明だったんだよね」


「そうだ」


「そんなことってあるの?」


「魔術に限った話ではない。人間の生活に火は必要不可欠だが、火の起こし方や、暖を取るため、調理に使う発想をした個人や集団が何者なのかわかっていないだろう。それでも当たり前に存在している」


 確かに。現代で火の起こし方はそれこそたくさんある。菫自身がいつ誰に教わったかはっきり覚えていないが、親や身近な大人だろう。そしてその親もまた、幼い頃に火の起こし方と恐ろしさについて学んだのだろう。

 脈々と受け継がれていった技術という面で、基礎魔術も同じように現代まで受け継がれ、そして生み出した存在が忘れられてしまったのだろう。


 つい気になってスマートフォンで火起こしの歴史を調べてみたら、そりゃ始まりの人の名前なんて残らないだろうレベルの古く不確定な話だった。


「魔術ってそんな古くからあるものだったってこと?」


「火起こしの歴史に比べれば、新しい技術だろう」


「なんか随分曖昧だね」


「これまで魔術師は後世に技術を残そうとしなかった。血縁者にのみ技術を継承させることが多いが、血が途絶えれば技術も途絶える。結果的にいつから始まり、どのように変容していった歴史であるのかは不明確だった。閉塞的で相互理解も薄く、不明確な部分が多く、周囲には認知されない。掘り下げるための歴史の跡もなければ、力を持つことで生まれる可能性も、強い使命感もない。魔術師達はこの力に意味を求めながら、緩やかに消えていくのだと、そう考えられていた」


 事態が動いたのはおよそ一〇〇年前、戦時中の出来事だった。

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