容赦ない師

「魔術師が初めに教わる基礎魔術は五つ。そのうちの一つが〈緩和アジェーヌ〉。対象の痛みや苦痛を和らげる鎮静効力がある。体だけでなく精神にも効果が見られる研究結果もある」


「あじぇーぬ……もしかして覚えないといけない?」


「魔術の発動には必須だ、方法は問わないが意地で覚えろ。行き詰まりそうなら手は貸す」


「うへー」


「基礎魔術は術名を唱えるだけで発動するからまだ覚えやすい。追従魔術のほうは長い呪文を唱える定型の術もあれば、その都度術式を組み替えて応用力や柔軟性が役立つ術もある。興味は?」


「まったく湧かない」


「ならまずは基礎のみ。〈緩和アジェーヌ〉から実践する」


 菫は二人の魔術師に挟まれて身を小さくしていた。

 二人は椅子から立って、さっきまでの不和は一体何だったのかとばかりに真剣に菫の頭上で話し合っている。

 一人だけ座って蚊帳の外にされている菫は口を尖らせて視線だけで横を見上げる。


「……昴生くん、わたしを魔術の被験者にするためにわざと黙ってたの?」


「片岡のやる気のなさはわかりきっていた。モチベーションの向上に役立つだろうと織部を利用したのは事実だ。怪我に関しても手段の一つにしたが、君からそんな非難の目で見られるいわれはない。片岡に黙っていたのは君自身の判断だろう」


「ぐぅぅ」


 暗にそれは逆恨みだから八つ当たりはやめろと言われてしまえば正論すぎて菫はぐうの音しか出せなかった。悔しい。

 言い負かされてる菫を見てもっと言ってやれとばかりに頷いているアルカにも同様の眼差しを向ける。被験者の感情に寄り添ってくれる味方はいない。


「本来であれば自身の内側から魔力の存在を感知し、扱いやすい形にコントロールすることから始める。無自覚で魔術を使う片岡にこれは必要ないが、頭の片隅に残しておけ」


「魔力、魔力かぁ……改めて言われてもピンとこないな。大声出すために腹に力入れるみたいな感じ?」


「その感覚で言うなら君に必要なのは逆だ。鼓膜が裂ける声量で耳打ちしているのが君の通常状態だ」


「私めっちゃ迷惑な奴じゃん」


「だから君は化け物呼ばわりされていたんたろう」


「お前本当嫌な奴すぎない? そりゃ友達いないわまじ無いわ」


「悪態は以上か? なら話を戻す。君は小声で話す時、体のどこに気を使う?」


「えっ、う〜ん…気にしたことないな……喉か、お腹?」


「呼吸であれば肺が一番動くはずだが、どうだ」


「あぁ――、ぁー……うわ、そうかも」


 昴生が胸に手を当てるのを見たアルカも倣い、自分の胸に手を当てて大声と小声をそれぞれ発声し、目一杯息を吸い込んで膨らむ胸の動きや僅かに残った息を絞り出すような肺の収縮する感覚の違いに驚いて納得する。

「ならお腹は間違いだったか」とガッガリするアルカに対して「間違いではない」と昴生は否定する。


「腹筋も声を張るために必要なものだ。力が入りやすい箇所、振る舞いによって生じる些細な異常を感じ取れるのは君だけだ。君がどう感じ取ったか、力の流れを感覚を意識して自覚し、理解する、この行程が重要だ」


「……継片ってもうちょっとわかりやすい喋り方出来ないの? なんかこう、わかるんだけど、すっと入ってこない」


「すっと入っていく言葉の大半はすっと抜けていくものだ。聞き流さない訓練だと思え」


 立て板に水である。

 けれどぶっきらぼうな言葉遣いだが先程から昴生はアルカの言葉を否定していない。わからないことを揶揄する様子も蔑む気配もなく、丁寧に順序立てて話を進めてくれるため、全くわからないものから何となくわかるかもしれないものに変化していた。


「では早速……」


「その前に一つ聞きたいんだけど」


「どうした?」


 こうして話を中断されても嫌な顔せずに聞く耳も持ってくれる。

 だからアルカは昴生のことがよくわからなかった。


「どうして面倒見てくれるの? 継片は私を魔術師にして、なんか得でもするの?」


 聞き手に回っていた菫もアルカの問いかけを聞いて、確かに、と気になって彼のほうを見上げる。


 彼の態度もやり方も好意的とは素直に言えないものの、気にかけてくれている。その一点においては実感していた。

 先程菫と友人になることを拒否していた彼の言葉をそっくりそのまま返したいくらいだった。ただのクラスメイトに指導して、メリットでもあるのか、何かしらの下心でもあるのかと。それも友好関係を拒否した菫ではなく、関係を築くのすら無理だと拒絶したアルカに対して。


 昴生は一度何かを言おうとして薄く開いた口を閉じる。そして数瞬、顎に指を添えて思案顔の後再び口を開く。


「……。その疑問は君が魔術を覚える過程には不要だ。邪魔になる」


 そんな答えを聞いて菫もアルカもぽかんと口を開く。


「え、えぇー……」


「昴生くん…それは、ちょっと……」


「ああ、何か企みを持っているのなら信用出来ないと? 立派な自衛精神だ。常にその姿勢でいるといい。魔術師にまともな人格を求めるべきではないからな」


「えっと、違う……何で信用出来ないって話に飛躍しちゃったのかわかんないけど、昴生くんは信用出来る人だと思ってるよ。わたしも、多分アルカも」


 言葉を失っているアルカから何とも言えない困惑顔でヘルプの眼差しを向けられ、菫も同じような表情のまま何とか言葉を続ける。そして同意を求めればアルカは少し控えめに頷く。

 二人の少女の反応に昴生まで眉を潜める。嫌悪ではなく、困惑のほうで。


「……気が狂ってるのか?」


「なんでそうなる!?」


「ああ、僕が想定していたより君達の物覚えが悪かったのか。いいか? 僕は片岡に対して一度、盾を投げつけている」


「いや覚えてるわ! それに関してはすっごくむかついたし未だに許してねーわ!!」


「は? それなのに信、……待ってくれ、僕は魔術師の気狂いには慣れているが、一般人の気狂いの対応は学んではいない。今日〈緩和アジェーヌ〉の術を教え終わるまでは一般常識の範囲で……いや、もう余計な質問もせず黙っていてくれないか」


「もー、もおお! 魔術師って継片みたいなのばっかなの!? そりゃまともじゃないわ!」


「お、落ち着こう。二人とも落ち着こう。皆で麦茶飲もう、麦茶」


 三者三様の大混乱は各々の主張大会となり、最終的に飲まれたのは菫の提案で、一度椅子に座り直した三人は麦茶を飲んだ。

 静寂が戻った部屋にカラカラと氷が転がる音、ゴクリと飲み下す音、コンとコップが置かれる音、そして魔術師二人の溜息が重なった。


「えっと。多分魔術を使う人と、使わない人の考え方ってきっと違うんだと思う。ほら、部屋に招待する意味だって全然違ったでしょ? 昴生くんが教えてくれてたやつ」


「そういえばそんなこともあったわ。駄目だやっぱ分かり合えない」


「アルカ、頑張って。わたし達側が理解を諦めたらもう手に負えなくなる」


「もう既に手遅れの間違いだろう」


 はぁ、と昴生は溜息を重ねる。


「そもそも僕達は理解し合う必要がない。繰り返すが、僕は君達と友好関係を築こうと思っていない。君達は精々僕に利用されないよう警戒しつつ、魔術師として必要な知識を得るため僕を利用すればいい」


 少し疲れたように語られる言葉は、菫の胸をひどくもやもやさせた。

 何故ここまで自分達は拒絶されるのだろう。何故拒絶するような自分達に知識を与えようとするのだろう。

 彼が何をしたいのか何が目的なのかわからず、語らず、深く踏み込ませさせまいと止められる。

 利用すれば、と本来嫌悪される行為をごく自然に推奨してくるのも、理解し難い。


 それが彼にとって、魔術師にとっての当たり前の感覚であれば。確かに、相互理解の難しさを実感せざるを得ない。


「昴生くんにとっては、友達とか信頼とか、きっとすごく難しいことなんだね」


「……僕の価値観の話は、魔術を覚えるためにそこまで必要な情報なのか?」


「ううん、多分昴生くんの言う通り、いらない、と思う」


 アルカは納得出来ないとばかりに顔を顰めているが、肯定を口にしている菫も同意見である。

 昴生が抱える事情は曖昧なままだ。それでも彼は彼なりに、理解出来ないこちら側へ譲歩の姿勢を見せてくれている。本当はものすごく気になる。気になるが、そんな彼に追及するのは失礼だと、菫は好奇心を飲み込む。

 信頼関係を築けないならば、誠意には誠意で返すべきだ。


「わたし達にとって魔術が難しいことだから昴生くんは丁寧に教えてくれてたのに、逆にわたし達が無理強いしちゃってごめんね」


「……この話はもういいだろう、随分脱線したが本題に戻す」


 果たして伝わったのか、疑問はあったが彼の提案に菫は頷いて、話を聞き手に回っていたアルカも同意した。渋々とした表情から、こちらは菫の言葉の意図を理解したらしく、ちょっとだけ気まずそうに視線を落とした。

 再び椅子から立ち上がった昴生は菫の正面から腕を伸ばし、肩に触れないように手のひらをかざす。


「まず、僕が織部に対して魔術を施す。効果は一分ほどで切れるから、痛覚と触覚を確認してくれ。〈緩和アジェーヌ〉」


 魔術を施されたらしい菫は何も感じられなかった。ただ痛みが残る肩に彼が手を近付けただけに見えた。

 昴生が手を戻したところで終わったのだろうと恐る恐る肩から腕を回してみると、引き攣るような痛みが無くなっていた。


「……わっ、ほんとだ。全然痛くない」


「麻痺している箇所は?」


「んー……触ってて変なとこはないよ。痛みがなくなっただけ」


「では片岡、実践だ。〈緩和アジェーヌ〉と唱えながら患部に魔力を注ぐ。君の場合は織部の肩に意識を向けていれば魔力を流せるだろう。僕のように手をかざしてもいいが、君のやりやすい方法で問題ない」


「なんだ簡単じゃん」


 少しだけ顔色を明るくして得意げに笑ったアルカに、昴生は首を横に振る。


「君の場合、問題は魔力にあるとまず言っていただろう。基礎魔術は簡単だが細かな調整が出来ない。適量以上を注げば効き過ぎる」


「それって、さっき昴生くんが気にしてた麻痺?」


「そうだ。〈緩和アジェーヌ〉は痛みや苦痛を和らげる、感覚や神経を麻痺させる術だ。痛みの原因を取り除くわけではない。そろそろ術の効果が切れただろう」


 そういえば効果は一分ほどと言っていた。

 菫は信じられない気持ちで腕を上げると先程まで消えていた痛みが再発した。


 魔法が解けて全て元通り。けれど魔法にかかった事実は変わらない。

 ボロボロの服しか持たなかった少女がドレスを身に纏って舞踏会に行った事実が残ったように、魔術をかけられる前と後では菫の痛みに対する認識は変わり、痛いのに思わず感動してしまった。


「……本当だ。すごい」


「織部はこれから片岡の術を受けて、今のように体が楽になった時点で止める役割だ」


「なんだか体力測定みたいだね」


「君はこれから人体実験の被験者になるんだが、その心構えでいいのか?」


「確かに」


 魔法にかけられて少し夢心地になっていた。菫は眉をきりりと吊り上げて気分だけでも真面目を取り繕う。


「ちなみに効き過ぎた場合って、わたしどうなっちゃうの?」


「過去に研究してた魔術師が結果を残している。研究というより手記に近いものだったから、資料としてはやや杜撰だが、結果的に実験台は死んだらしい。ショック死のような状態もあれば、心拍は問題なくとも体を動かすことが出来ず衰弱死のケースも」


「し、死……!?」


 最悪死ぬという結果には被験者である菫は当然驚く。しかしひっくり返ったような怯え声で菫以上に慄いたのはアルカのほうだった。ちょっと前の自信ありな表情はどこへやら。嘘だと言って欲しいとばかりに青い瞳が訴えている。


「君は化け物と呼ばれる理由を理解していなかったようだ」


 しかしそんな視線を向けられていた昴生は無情にも振り払うように言葉を続ける。


「君の持つ力はそういうものだ。魔術師として力をコントロール出来なければ、遅かれ早かれ君の傍にいる織部は、君の犠牲者として最悪死ぬ。だがこの場においては問題ない、僕という監督役がいる。織部の命に係る事態にはさせない。それは、君が魔術を学ぶことを諦めなければ永続的に保障出来る」


 この時点で菫は察した。

 彼はひょっとしたらこの席についた時点でここまでの筋書きを書いていたのではないかと。

 化け物として呼ばれた過去があったことを差し置いても、やる気のないアルカに魔術を学ばせるための説得材料、アルカのために負った怪我の対処で責任感を煽り、なおかつ暴力的な魔力量を抑えなければならない人質。全て菫一人で賄っていた。むしろ、今この瞬間のために菫は招かれたのではないかと思った。

 そうだとしたら、この同級生あまりに恐ろしい。


「では片岡。実践だ」


 さらにこの冬の貴公子、とんでもなくスパルタである。

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