怪物≒ヒーロー

 昴生の口から語られる内容を、菫は信じられない気分で聞いていた。

 魔法がある、タネがあるマジックとは違う超能力の肯定、霊感などないから見たこともない幽霊を実在するものという前提の話。

 昨晩の出来事がなければ、優等生は随分と変わった冗談を言うもんだと真摯に受け止めなかっただろう。


 枝が矛に、石が盾に、見えない獣がぬいぐるみに。

 菫が有名人であればドッキリや撮影の仕込みなんて思えただろうが、悲しいほどの一般人を騙すだけで大掛かりなことをする理由がない。

 まともに聞いて己の常識を揺さぶられて困惑している菫とは違い、アルカは意味が分からないとばかりに口を半開きのままだ。


「私、魔術なんて知らないんだけど」


You can use magic君は魔術が使える


「へ……?」


「いやだから、使える使えないとかじゃなくって知らないんだって!」


「え、えっ」


已经和我建立了对话。这是证据僕と会話が成立している。これが証拠だ


「は? 証拠って何? こんなの会話が成立してるなんて言える――」


「ま、待って、待って!」


 アルカはわけがわからないとばかりに詰め寄ろうとするのを菫に止められて口を噤んだ。


「アルカ、昴生くんは今なんて言ってたの?」


「え?」


「いや、最初はまだ……貴方は魔法、じゃなくって魔術か、魔術を使えますって言ってるのは聞き取れたけど、次は全然……」


 突然外国語を話し出した昴生にも驚いたが、何事もなかったように会話を続けようとするアルカにはもっと驚かされた。アルカの成績が悪いのを知っているから尚更。

 本気で困惑している菫の様子にアルカは目を丸くしていたが、キッと鋭く細めて昴生を敵意を込めて睨み付ける。


「何、どういうこと? まさか菫に、魔術ってやつを使ったの?」


「違う。片岡が魔術を使っていたから話が成立してたんだ」


「だーかーらっ使ってないってば!」


「なら君は、自覚をもってあの矛を作り出したか? 一体どういう仕組みで作り上げたか、理解しているか?」


「は、はぁ? 何、何が言いたいのかさっぱりわからない……教えるっていうならもっとわかるように言ってくれない?」


 理解に苦しんでいるアルカの様子を見て、体感させたほうが理解が早いだろうと推測し、あえて別の言語で話しかけた。それが正しかった、と昴生は静かに納得する。

 昨晩自身に起こった出来事、目の前で菫が困惑する姿を見て何かを察しているのだろう。何もしていない、何もわからないとしきりに口にしているのに、表情から読み取れる感情は困惑ではなく、不安の色のほうが強い。嘘をついているわけではなく、すっとぼけているわけでもない。

 アルカの拒絶の本質は、身の内に抱えるものについて何もわかりたくない、がより正確だろう。

 だが、理解してもらわなければならない。昴生は無情に話を続ける。


「片岡。君は尋常ではない量の魔力を保有している。あまりにも膨大過ぎて、基礎どころか魔術の存在すら知らないはずの君が、常に魔術を使い続けるなんて常識外れの無茶を通してしまうほどに」


「……えっと、はい。昴生くん、魔力って言うのは電気とか、魔術のために使うエネルギーみたいなもの?」


「そうだ」


 片手を挙げて質問を挟んだ菫に、昴生はテーブルの端に置かれていたエアコンのリモコンを手に取り、裏側の蓋を開けて二つ収まっている電池の一つを取り出す。

 電池と、電池が一つ抜けたリモコンを手渡された菫はまじまじと見る。


「例えば……電池が意志を持ってエアコンの電源をオンオフ、冷暖房設定を変更しないだろう。電池はあくまでリモコンを正常に動かすためのエネルギーだ。だが電気は勝手に機械を動かさない」


「う、うん。そうだね」


「本来であれば接続しなければ動かないこの状態で、触ってもいないリモコンが動いていれば、どう思う」


「え、故障したのかなって……ああでも電池が入ってないんだよね。んん、信じられないとか、ありえないと思うけど……」


「僕から見た片岡の状態がそれだ」


 片手に収まるリモコンは遠隔操作のシステムが詰まった技術の結晶。電力というエネルギーを得て、作動する仕組み。昴生の説明通りなら魔術もそれに近しい原理なのだろう。

 何となく想像出来るような、出来ないような。

 菫の中の魔術という神秘がほんの少し身近なものに感じられて、昴生の口にした『常識外れの無茶』の輪郭が浮かんでくる。確かに電池がエアコンを動かしたら、常識外れだ。


 電池を元に戻しながら妙に静かになっている隣へ視線を向けると、アルカは固まっていた。


「ち、が……しらない、知らな……私、私……? 私のせいじゃ、なかった……?」


 元々色白の肌は青褪め、震える唇からは独り言のように支離滅裂な言葉を発し続ける。

 一目で酷く動揺しているのが見て取れて、菫はそっとアルカの背中に手を当てた。過剰なほどびくりと体を震わせたアルカは怯えるように、縋るような眼差しを菫に向ける。

 まっすぐに向けられた涙を浮かべた青い瞳が、怖いよと雄弁に語っている。菫はそれを、笑顔で正面から受け止めた。


「……大丈夫、大丈夫。深呼吸出来る? 吸うんじゃないよ。風船を膨らますみたいにゆっくり息を吹いて」


 とんとん、と背中に何度も手を浮かせては当てて静かに声をかける。

 過呼吸になりかけていた息遣いが正常に戻っていくと、アルカの体の強張りも若干緩んでいく。

 アルカは菫にしがみつくように抱き着いて肩に顔を埋めたまま昴生に問いかける。


「……継片。……魔術って、動物が何を言いたいのかなんとなくわかったり、なんか全然痛いのがなくなったり、怒った時に触ってない窓ガラスをいっぱい割ったり、嫌いな奴の……具合を、悪くさせたり、出来るの……?」


 質問の意図を察した昴生は眉を顰める。

 絞り出すように並べられた質問は、もしもの出来事、仮定ではなく、アルカの経験から抜き出したものだろう。

 どれも偶然として片付けていた、目を逸らしていた出来事が、無意識のうちに魔術という力が働いた結果だった可能性に行きついて、拒絶していたのだ。

 一番最初はまだいい。特殊な感性を持っている程度で済む。

 二番目もやや不審に思われるだろうが個人差による体質だと誤魔化しが効く。

 だが三番目と四番目は、どんなにオブラートに包もうと加害行動である。


「可能だろう」


「……そっか」


 アルカは納得したように、小さく吐き捨てる。

 菫の肩から離したアルカは泣いてはいなかった。無表情に近い、暗く濁った曇り笑いを浮かべていた。

 それを間近で見てしまった菫はぞっと背筋が冷たくなる。


「……なんだ。あいつらの言ってたことが合ってたんだ。私って化け物だったんだ」


「ば、ばけもの……?」


「うん。動物と話せるなんて気持ち悪いとか、なんかそこから、色々、何でもかんでも気持ち悪がられて……色々、あって、ガラスで怪我した奴がお前が割ったせいだって言ってきて……何言ってんだ、馬鹿なのかなとか思ってたんだけど」


 ぞわりぞわりとアルカの口から語られていくたびに菫の寒気が増していく。

 ほんの数カ月の短い付き合いの中でアルカが自身の話をするのは好きではないのだろうと菫は察して、深く追求してこなかった。

 酷く追い詰められたような顔をしているのに、色々、なんて曖昧に誤魔化すせいで、彼女の身に何があったのか煙に巻かれてはっきりと見えてこない。

 けれど、色々という言葉で隠された過去の化け物扱いを受けたアルカが、幸せなだけの時間を過ごせなかったと、菫は確信していた。


「……あー、全部私がやってたんだ。そりゃ……化け物にも見えちゃうか」


「違うよ!!」


 反射的に否定してしまう。

 アルカは少しだけ驚いて瞬きをするが、自嘲するような笑顔のままだ。


「ありがとう。でも本当の事だから、」


「だったら! 昨日、アルカがわたしを助けてくれたことだって本当だよ! 化け物なんかじゃない! 昨日のアルカは、わたしのヒーローだった!!」


 菫には、アルカについて語れることなんてほとんどなかった。

 それでも彼女の好きなところを並べられるし、自慢出来ることだってある。昨夜の出来事なんて、一生忘れられないほど鮮烈な思い出になった。


 抱き上げて逃げてくれた。

 身代わりになろうと守ってくれた。

 矛を構えて獣と対峙した小さな細い背中が頼もしかった。


「アルカの魔術は、もう化け物じゃなくて、ヒーローとしてのものなの、だから……」


 自分を責めないで。自分を嫌いにならないで。苦しそうに笑わないで。

 いくつもの感情が渋滞して菫は言葉を詰める。どう言えばアルカに伝わるだろうか。

 傷つけてしまうだけの力じゃない、たった一人でも救う事が出来たんだと、声高に証明したかった。気付いてほしい。知ってほしい。


 淀んでいた青い瞳が揺れながら、菫を映す。


「君は化け物ではなく、ヒーローとして在りたいか?」


 不意にかけられた言葉にアルカはハッと息を飲む。

 静かに二人の会話を聞いているだけだった昴生の問いかけが、アルカの根底にあった燻りに形を与えた。


 ヒーローなんて柄ではないけれど、そう在りたいと思った。

 少なくとも、ヒーローだと言ってくれた友達の前だけでも。


「……そんなこと、出来るの?」


「僕に教えを乞う覚悟があればの話だ。君を魔力を暴走させるだけの化け物から、魔術師に変えてやろう」


 この上から目線の物言いはどうにかならないだろうか。

 アルカは無意識に眉間が寄るが、もう昴生を敵視することは出来なかった。ジト目は向けるが。


 アルカは深く息を吐いて、静かに覚悟を決める。

 人間を軽々と持ち運べる少し力持ちで怪我らしい怪我をしたことがない頑丈な体質なことも、おおよそ一般的なものから逸脱している自分を受け止めよう。受け止めてくれる友人と、いけ好かない師が現れてくれたのだから。

 よろしく、と頷こうとしたところでアルカは止まった。

 

「それと、魔術師になれば、織部の怪我を楽にさせてやれる」


「は?」

「えっ」


 正確に言えば菫も同時に固まった。

 昨晩アルカと共にこの家に無事帰宅して、お互い怪我をしなくてよかったと安否を確かめ合って安心していたのだ。

 獣に突撃した時ちょっと肩を痛めたけど折れても腫れてもないし、誤差だろうとついた些細な嘘を、あっさりと暴かれたのだ。

 ぐるりと首をひねってこちらを向いたアルカから目を逸らすように菫は顔を背ける。


「すーみーれー? 昨日帰った時、怪我は無いって言ってたよねー? どういうことかなぁ」


「こ、昴生くんの気のせいじゃないかなぁ」


「肩から二の腕にかけて魔力に触れた痕跡が残っていた。それとグラスを取り出す時と氷を入れた時に都度一度、麦茶を注ぐ時に二度不自然な硬直が見れた。昨日あの使い魔に体当たりをした時に痛めたんじゃないか? 腕に変色は見られないから、軽度の打撲あたりだろう」


「怪我してるとこあったらバンソコでも湿布でも貼るって言ったじゃん!!」


 魔術師って超能力者だったんだろうか。いやそういえば超能力も魔術の中の一つとか言っていたような。


 菫は痛みを感じた瞬間を正確に当てられて冷や汗が出てきた。

 なお魔術による判定は接触箇所のみで、あとは彼自身の洞察力なことを今はまだ知らず、菫はアルカの怒りを受け止める事となった。

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