魔術の話

 翌日。


「……お邪魔します」


「どうぞー」


 約束の時間より早く、三人は昨晩と同じ場所に集まった。

 じりじりと肌を焼くような日差しの下で話をするのは嫌だとアルカが不満を零し、第三者に話が漏れないようにどこか個室が望ましいと昴生が同意し、ならば近くてこの時間家族が不在の我が家はどうだろうと菫が提案した。

 昴生はやや難色を示したが女子の多数決に負けて、三人は菫の家へと移動することになった。


 織部家はマンションの一室。

 玄関には昨晩使われたスポーツサンダルとアルカの下駄だけが備え付けの靴箱の側に寄せられているだけですっきりと片付いている。手狭なため一人ずつ順番に部屋へ上がり、トイレ、浴室の扉のある短い通路の先にダイニングキッチンがあり、テーブルを挟んでキッチンの向かいの壁には二つ扉がある。

 四つある椅子を使うのだろうと目に留めていた昴生は、さらに奥の部屋の扉を開けて平然と自室に招こうとしている菫の行動にぎょっと目を剥く。逆に昴生の反応を見た菫はきょとんとしている。


「どうかしたの?」


「いや……」


「あ! 真面目な話するなら椅子とテーブルあったほうがいいよね。ご飯食べるとこなんだけど、ここでもいい?」


「……どこでも」


 あからさまにほっと息をついた昴生に対してアルカはからかうような眼差しを向ける。


「継片、まさか女の子の部屋に緊張したとか~?」


「緊張?」


「……ん?」


「ああ、なるほど。異性の部屋に招かれて緊張するという一般論は知っている。それではない。魔術師にとって個室は積み上げてきた技術の粋を詰めた金庫で……そうだな」


 昴生は自分の鞄の中から財布を抜き出すと、アルカの目の前で開いて見せつける。

 突発的で意味不明な行動をされたアルカはぎょっと目を剥く。つい中身の札の枚数を目で数えかけた。慌てて中を見ないように後ろに飛び退いて困惑の表情で睨み付ける。


「はあっ!? えっ何、何してんの!?」


「それほど親密ではない相手にいきなり財産を見せつけるとはどういう意図だ? 一体何を考えているの理解が出来ずに気味が悪い。盗まれても自業自得だ。僕にとって部屋に招かれる感覚がそれだ、理解してもらえたか?」


「全然理解できねえわ!! 根性から泥棒じゃん!!」


 財布を鞄に戻しながら昴生はわざとらしく呆れた溜息を吐く。


「はぁ……さっきも言っただろう。魔術師にとっての財産は技術だ。技術盗用、盗作という面では泥棒と同等だろうが金銭とは違い、魔術は法律の保護下にない。窃盗罪に問えない相違はある」


「もう、もうわけわからん……わからないけど継片が今まで友達の部屋に行ったことがない奴なのはわかった」


「まず前提として友人と呼べる人間がいないから当然だな」


「ねぇ自分で言ってて空しくなんないのそれ」


「学校で見る限り、君も友人と呼べるのは織部一人だろう。大差ない」


「一緒にすんな!! ゼロとイチの差はでかいんだぞ!!」


「はいはい、今からわたしが友達になるから二人は同じってことで仲良くお話ししようね」


 身振り手振りで荒ぶるアルカと、終始平静なままの昴生がやいやいと口論している間に、テーブルを拭き終えて椅子に乗せるクッションを持ってきた菫が軽く手を叩きながら話を終わらせる。


 アルカは唯一の友達が自分だけの味方になってくれなかった上に、嫌な男を同等扱いするという宣言にひどいショックを受けて硬直した。

 一方で突然の友達宣言に昴生は眉根を寄せる。


「……僕は織部の友人になるつもりはないが」


「ならアルカとはあるの?」


「いや、片岡とは尚の事、有り得ない。見ての通り、無理だ」


 よほどきついのか、一言ずつ強調するように言われてしまった。

 それを聞いたアルカはアルカで不服なのか、「こっちからお断りじゃ!!」と怒りを再燃させてしまう。まぁまぁと菫はアルカの背中を撫でながら宥める。


「難しく考えないで、せめて家にいる間だけとかでもいいから」


「……僕と友好的になったとして織部にどんなメリットがある。何か下心でもあるのか?」


 とんでもない高飛車発言である。

 自室イコール金庫だと豪語するだけはあるようで、部屋だけでなく自分自身の価値にも自信が溢れている。しかし菫はそれを否定出来なかった。


 継片昴生は入学後から、片岡アルカと同等の高嶺の花と呼ばれる存在だった。


 すらりと手足が長く、線の細い彼の仕草は洗礼された礼儀正しさがあり、一挙手一投足に品格すら感じられる貴公子然とした風貌。アルカとは違い、髪と瞳の色は菫と同じ一般的な黒で、重たいその色は彼の精悍な顔つきをより一層引き締めていて、たった今向けられている懐疑的に細められた瞳は理知的な鋭さを内包していて、きつい印象をより強めていた。

 見目麗しいだけの近寄りがたい美少年なだけでなく、彼は夏休み直前に成績学年一位という優秀さを見せた。運動部の面々と並ぶ程度の運動神経も普段の授業から証明されていて、何事もそつなくこなす文武両道、天は二物を与えずを真っ向から否定するような何もかもを持っていて、尊敬や妬みを向けられることにも慣れているような、孤高の人。


 本人に気付かれないように一部の熱狂的な生徒が『冬の貴公子』と異名をつけて、熱狂的なファン同士の交流としての暗号が出来てるしまうほどに人を惹きつけてやまない。ただそれも、アルカが『夏空のヴィーナス』なんて呼び名がついてしまった事への対抗という話もある。


 閑話休題。そんな彼がそれらをひけらかすような一面を見せたことはなかったが、そりゃ自覚がないわけがないだろうと菫は改めて納得する。


 昴生と仲を深めれば彼の才能の恩恵を受けたり、優秀な彼と肩を並べられることに誇らしく感じたりもするだろう。そしてそれが昴生にとって不快なことだというのは語られなくても拒絶反応から伺える。

 だから、図星を刺された菫は申し訳なさと少しの居心地の悪さを覚える。


「……正直、下心はある」


「へぇ」


「その、友達として……下の名前で呼ぶのを許してもらえたらと……」


 菫の言葉に昴生の据わっていた目が丸くなる。

 吊り上がった双眸がとぼけたように瞬きしている様子は、少しだけ同い年の男の子らしかったのに、彼は脱力したように冷めた表情に戻ってしまう。


「……名前を呼ばないようにしているのはわかっていた、が……そこまでか?」


「お願いします」


「わざわざ友人になってまで頼むほどの話か?」


「だってこれから大事な話するんでしょ!? また噛んじゃうかもとか考えながら聞きたくないよ! あと男の子の名前を無許可で呼ぶのはちょっとハードル高くって!」


「……僕は気にしないから、織部が呼びやすいようにしてくれ」


 面倒くさそうながらも了解を得られて菫はほっとする。一方でやはり昴生の態度が気に食わないアルカはギギギと奥歯を噛み締めて睨み付けていた。


「飲み物あったほうがいいよね。麦茶でいいかな? あ、二人は先に座ってて」


「氷いっぱい入れて!」


「おかまいなく、……」


 てきぱきと飲み物の準備をする菫と遠慮なく要望を付け加えながらさっさと椅子に腰かけるアルカを見た後、昴生は顎に指を添えながら思案するも何も口にすることなくアルカと向かい合わせの席に腰を下ろす。

 柄や大きさが不揃いのグラスに冷えた麦茶を注ぐ。一番多く喋るであろう昴生には一番大きなグラスを、アルカには本人の希望通り氷をたくさん入れて二人の前に置いた。菫は使い慣れた花の絵がついたグラスを片手にアルカの隣の椅子に座る。


 昴生は目の前に並んで座った二人の少女を見据える。


「まず、話の大前提から始めよう。僕が手にしていた盾、片岡が顕現させた矛、君達の元に現れた獣の形をした従者。あれは魔術によって作られたものだ」


 菫は少し緊張して何も喋っていないにも関わらず唾を飲み込む。アルカはやはり興味なさそうにグラスを揺らして氷を鳴らしている。


「まじゅつ……って魔法みたいな、やつ?」


「この国においては呼び名の派生が多い。魔法、呪術、超能力、霊能力、神通力、法力…それら全ての大元を、僕らは魔術と呼んでいる」


「ええと……こう、古着をドレスに変えたり、藁人形で人を呪い殺したり、物を浮かばせたり瞬間移動させたり、幽霊を見たり話をしたり……神通力と法力ってどういうものなの?」


「千里眼やテレパシー、未来視などがカテゴライズされる。わかるか?」


「千里眼はわかんないけど……テレパシーって電話みたいなことだよね? 未来視は……未来の事をわかることってことであってる?」


「あっている」


「……昴生くんは魔術を使える人、なんだよね? 全部出来るの?」


「織部が今言ったものの中では、物を浮かせる、幽霊を見る、会話をするあたりが可能だ。そうした神秘を技術として行使する者達を、魔術師と称している」

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