一章 始まりの夏休み

本編

夏祭りの日

 継片昴生との出会いは、正確に言えば片岡アルカと同じ、高校の入学初日だ。

 しかし、それはあくまで顔と名前を一致させただけであり、彼と正しく対面を果たしたのは夏祭りの夜、八月十一日の事。




「アルカ、来週に公園でお祭りあるんだけど一緒に行かない?」


「祭り! もちろん行くよ! 公園ってあそこだよね? すごく広いとこ」


 季節は八月、夏休みのゆとりある生活に慣れ始めたある日。

 これまでと同じように遊ぶ誘いをすると、アルカはきらきらと青い瞳を輝かせながら食い気味に頷く。


「そうそう。アルカってこっちに引っ越してきたのは入学前って言ってたでしょ? あそこの祭りはね、打ち上げ花火も上がるよ。結構立派なの」


「わあああ……! 花火、本物初めて見る!」


「そうなの? 前に住んでたとこはあんまりお祭りするとこじゃなかった?」


「私が前に住んでたとこ、すんごい田舎で、山と畑ばっかりで人もそんなに住んでなかったから、ちっちゃい空き地で大人にはお酒と焼きそば配って、子供にはお菓子みたいなお祭りだったなぁ……その次に住んでたとこは、音だけは聞こえてた」


「……なんか、そこのお祭りは子供には退屈そうだね」


 アルカと親密になったのは、梅雨の季節。だからこそまだまだ知らない事が多くて、よい意味でも悪い意味でも驚かされる。菫は丸く見開いていた焦げ茶の瞳を優しく細めて笑う。


「ね、せっかくだから浴衣着ていこうよ」


「ゆかた?」


「あ、そこから? えーと、こんな感じの」


「ああ! 花のワンピースみたいなやつか! これお祭り用の服なの? って高ッ!!」


「そんなことないよ。こっちはセットで安い。浴衣については……せっかくだから一緒に勉強してみよっか。わたしも詳しく知らないし」



 そうして訪れた、八月十一日の土曜日。

 片岡アルカという人を惹きつける美貌の少女が、神の傑作と言われても納得いく和装の美少女になった。


 ピンクと赤の朝顔が散りばめられた紺色の浴衣、全体的に色素の薄い透明感のある彼女との対比が芸術的に美しかった。編み込みでまとめ上げたブロンドヘアも相まって、気品のある淑女のような仕上がりに。菫は大満足していた。夏休み明けに機会があればクラスメイトに見せて自慢しようとスマートフォンに写真にも残した。

 一方、菫の髪は肩に少しかかる程度の長さしかなかったためハーフアップで簡単なお団子を作り、水の中を金魚が泳いでいるような淡い水色の浴衣を着ていて、二人分の貴重品を入れたがま口のポシェットを肩から下げている。


「アルカ、足大丈夫そう? 絆創膏持ってきてるから言ってね」


「ありがと。よゆーよゆー、歩きにくいけどそれだけかな。靴擦れとかしたことないし」


「すごく羨ましい……気になった靴あっても、これ絶対履いてたら痛くなるなぁって諦めたりしないなんて羨ましすぎる……」


 アルカはセット購入した下駄を履いて足元まで完璧に揃えてきたが、菫は普段から履き慣れているスポーツサンダルを選んだ。

 履き慣れない下駄では存分に楽しめないと判断した結果で、その判断が間違っていないと実感しているものの、解せない。肌のきめ細やかさなら諦めもつくが、頑丈さにおいてもアルカに敵わない事実には悔しくも思う。強靭な皮膚、欲しい。

 羨望の視線を受けたアルカは得意げに胸を張った。可愛い。


「さて、端っこから見ていこうと思うんだけど、先に見たいところある?」


「そうだなぁ……」


 川沿いに作られたこの公園は大まかに三つのエリアに分かれている。砂場や遊具のあるエリア、フェンスで囲まれたテニスコートと小さな野球場のスポーツ施設が並ぶエリア、そして草花や木々に囲まれた遊歩道と開放感のある広場のあるエリア。祭り会場に使われているのはそのうちの一つの広場だ。

 木々に囲まれた砂地の広場を囲うように並ぶ屋台を眺めるアルカは夜の暗闇の中、提灯や屋台の明かりによってその輪郭を柔らかく温かく照らされている。何を食べようか吟味しているだけだというのに、周囲の視線を見事に集めている。


「とりあえずざざーっと全部見てから決めていい?」


「いいね。あ、お財布持ってるのわたしだからはぐれないようにね」


「ん、はーい」


 素直な返事と同時にアルカは菫の左手を掴む。突然手を繋がれて菫は面食らってしまった。離れないようにしっかりと握って動き出さない菫の様子をアルカは不思議そうに見つめている。

 その光景に既視感を覚える。まだ幼い菫に対して、年の離れた兄は迷子になるなよと言いながら手を引いてくれていた思い出が目の前の少女に重なる。


「どうしたの? 行こうよ」


「……うん。ふふっ、なるほど、これがお姉ちゃんの気持ちみたいなものか」


「えっ、まさかこれも? はぐれないようにするために手を繋ぐのもなんか変なことだった!?」


「ううん、全然。わたしがちょっとびっくりしただけ。でも友達同士では、そんな当たり前の事じゃないかも」


「ええー……じゃあ普通ってどうするの」


「お互いを見失わないようにちょくちょく見ながら、なるべく近くで歩く、とかかな」


「それだと露店見て回りにくくない?」


「じゃあ来年までに考えておこう。とりあえず今日はこれで」


 繋ぎ合った手を軽く揺らし合うと菫の先導でゆっくりと歩き出した。


 焼きそば、たこ焼き、ソースの香ばしい香り。カラフルなチョコスプレーで彩られたチョコバナナに、キャラクターの袋が並んだ綿あめの屋台。行列の出来ている屋台からは景気の良い声が絶えず発されていて、盆踊りの歌が会場を包んでいる。




「菫、次はお好み焼き食べたい! 焼きそば入りのやつもあるって!」


「いいねーモダン焼き! すみません、二つください。あ、ラムネは飲み終わったら捨てないでさっきのお店まで持っていこうね。ビン代返してもらえるから」


「ええっそうなの? うーん……持って帰りたかったんだけど、荷物になっちゃうかなぁ……」


「ちょっと汚れちゃうかもだけど、浴衣の袖とかに入れとく?」


「袖? お、おわっ、入った! ほんとだ! 落ちない! でもなんか重い!」


「あははっあんまり振ると落ちちゃうから気を付けてね。お好み焼き食べてる間は入れておこ」


 賑やかで鮮やかな祭りの中を手を引かれながら歩くアルカは空色の瞳に祭り中の光を貯め込んだように煌めかせ、心の底から楽しんでいるその顔を見ながら、菫は誘って良かったと顔を緩ませた。


 かき氷をそれぞれいちごとメロン、六個入りたこ焼きを半分こ、フランクフルト、ラムネを飲んで、そしてお好み焼き。祭り会場から抜けてやや薄暗い遊歩道の隅で腰を落ち着けると二人は食事を始める。

 食べ歩きの最中は射的で何も当たらずに残念賞の駄菓子をもらったり、水中を流れるスーパーボールの中で一際大きなサイズを掬おうとするが失敗したり。

 祭りを満喫した二人は喧騒から離れたところで、お好み焼きと共に充足感を噛み締めていた。


「んー! 美味しい!」


「美味しいね。でもちょっとおなかいっぱいになってきちゃった。アルカはまだいけそう?」


「うん、いけそう」


「すごいなぁ。アルカってわたしと食べる量そんな変わらないのに、たまーにいっぱい食べれるよね。りんご飴も食べたかったけど、買ってお持ち帰りかなぁ。んんー、でもみかんかあんず飴なら……」


「そういえば花火までの時間大丈夫?」


「えっと、二十はち時からだからまだ大丈夫だと……思ったけど、あんま余裕はないかも」


 二人は食べる箸を一度止めてそれぞれ、菫はポシェットの中のスマートフォンを、アルカは首から下げたままの紐を付けた折り畳み携帯電話を開く。

 時刻は一九時三十二分。

 慌てるほどでもないが、食べ終えて軽く食休みをしたら花火を見る場所に移動してもよさそうな時間だ。


 少し急いで食べようと半分ほど残ったお好み焼きを食べるのを再開する。菫は少し大きめの一口分を口に運んだところで、隣で落ちる音がした。

 視線を下に向ければ、残り少ないお好み焼きと、かつおぶしと青のりのついたパックと割り箸、アルカの手元にあったであろう全てが足元に散らばっていた。


「……? アル、」


 口の中のお好み焼きを急いで飲み込み、名前を呼びかけるも阻止するように手首を強く掴まれ、その力強さに、指先の震えに、尋常ではない様子を感じ取れてしまい、声どころか息すら引っ込む。

 ゆっくりと顔を上げていくと、アルカは菫をまっすぐ見つめていた。だが、その視線は交わらない。


 目が零れ落ちそうなほど見開いて、アルカが凝視しているのは菫の背後だ。

 背筋にぞわりと悪寒が走る。

 後ろに何を見つけてしまったのか、菫は豪胆な友人の動揺につられて強張った体をゆっくりと捻って、アルカの視線の先を辿った。


「――――……っ!?」


 祭りの明かりの対比のような夜の薄暗い遊歩道に、獣がいた。

 暗闇の中のシルエットだけなら迷子の大型犬かと思えただろう。だが、鋭い爪を持った四つ足の獣は全身の青い毛を逆立たせて、ごうごうと燃え盛る青い炎を首に纏い、真っ黒な眼球をこちらに向けていた。






「はい」


 同日。賑やかな祭り会場から離れた閑静な住宅地の道路を一人歩いていた少年のスマートフォンが通話を受信する。『八重樫やえがし』と登録されている名前の通知を確認して応答する。

 少しだけ耳元から離した状態で。


『ああ――!! 昴生ちゃん出てくれてありがとーう!! 本当に助かるわぁ!!』


 案の定、耳をつんざくような男の猫なで声が響く。

 昴生と呼ばれた黒髪の少年はスピーカーから聞こえてくる音量を調整し終えてから画面を耳に当てる。


「まだ僕は何も聞いていないし、何も了承していません。今外なので切りますよ」


『待って待って! 先週魔術師がアル中で死んだって話してたでしょ? 事後処理してたんだけど、その子の使い魔が逃げ出しちゃったのよー!』


「先週? それならバッテリー切れ寸前でしょう。放っておいても問題はないのでは」


『そうなんだけど、なんだか妙な感じだったのよ。最後に力を振り絞って……みたいな。ね、お願い、アタシ今いるところから離れられないのよ。多分アナタのところに行くとは思うんだけど、念のため魔力を辿って見つけておいてくれないかしら。なんでだか昴生ちゃんの住んでるところの近辺をうろついてるの』


「……この周辺を、うろついている?」


 電話口の焦燥感を滲ませる八重樫の声に昴生は眉を顰める。魔術師が使役する使い魔は魔力で動く幻想だ。魔力を注ぐ魔術師がいなくなれば、電池が切れるように魔力が尽きれば消滅する。

 そうなる前に別の魔術師の元へ訪れ、魔力の供給を受けて延命を試みる個体も稀に存在する。生み出した魔術師に尽くそうとする使い魔の本能だ。


 ならば、八重樫から魔力の補給出来ないならば、次は魔術師である昴生の元に現れると予測するのは正しい。だが昴生には一人、己とは別の候補の存在が頭をよぎる。


「……非常に不本意ですが、承ります」


『ありがとう~~!! お礼は今度弾むわ~!』


「はい。では」


 通話を終了して彼はまた一つ溜息を吐く。

 仕えるべき主人を失った使い魔の奉仕の精神も、もういない魔術師のために片付けを請け負った八重樫の献身も、彼にとっては理解出来ない無駄なものだった。

 八重樫への借りを得られただけ無駄働きにはならないだろう、瞼を下して頭を切り替える。


 空に打ち上げられた花火の弾ける音が響く。

 昴生は夜空に広がる色鮮やかな火花を眼鏡のレンズ越しに見上げる。無感情に、無感動に。


「ああ、今日は祭りか」


 八月十一日。

 五〇〇日後に起こる『大災害』に至る、始まりの日。

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