ネコトデュエル Cat has nine lives

埴輪

ネコトデュエル Cat has nine lives

 決闘場。二体の人型戦闘兵器ギア・ドールが、決闘デュエルを行っている。

 白いギアが機関銃を乱射。それを、黒いギアが滑るようにかわし、地面を蹴る。

 一閃。黒いギアが抜き放った刀が、白いギアの頭部を切り捨てた。

 勝負あり。勝者は天国エデン決闘者デュエルリストサギリ。

 この瞬間、アーマン家の一人娘、ジェシカの嫁ぎ先は決まった。 

 刀を納めると、ギアの双眸が赤から青に切り替わる。

 バサッと純白の翼を広げ、飛び立ち、決闘場を後にする。舞い散るは、天使の羽。


※※※

 

 決闘場から数キロ離れた町マイア。

 民間の決闘代行機関「シュバリエ」の支店。カフェ兼バーが併設された店舗。

 受付嬢兼ウェイターのアンミラは、放映の終わったテレビを見上げて立ち尽くす、スーツ姿の男の背中に眉根を寄せつつ、店主のオリヴィエに話しかける。


「……お客様、固まっちゃってますねぇ」

「気に入らないね」


 オリヴィエは吐き捨てる。老いてなお、皺にすら気品のある淑女。


「惚れた女をものにするのに、他人の力を借りようってのがさ」

「相手はエデンの決闘者ですから。ダグザさんでも歯が立ちませんでしたし」

「ダグが弱いだけだ」

「酷いっ! あねさんっ!」


 一仕事終えて一杯やっていたダグザが、抗議の声を上げる。


「いっぱしの口を利くなら、結果を出しなっ! ……ったく、こう一方的じゃ、的中しても儲かりゃしない」

「いいんですかぁ? 関係者なのに」

「元締めがよく言う」


 アンミラはペロリと舌を出す。


「……でも、ちょっと変でしたよね」

「何が?」

「エーテル、使ってなかったじゃないですか? 故障……の割には、終わったら飛んでたし。何かの縛りプレイでしょうか?」

「使うまでもなかったんだろう」

「酷いっ! 姉さんっ!」


 ダグザが再び抗議したが、オリヴィエに睨まれ、すごすごと引き下がる。


「あれも、中身の消耗が激しいみたいだからね」

「猫、ですか?」

「奴らにとっては消耗品だろうが、どこにでも変わり者はいるものさ」

「身寄りのない不良少女を雇うとか?」


 オリヴィエは黙って煙草をふかし、アンミラはくすりと笑った。

 ──悲鳴。窓越しに見える、広場の雑踏が慌ただしくなる中、それは降り立った。

 ドシンっと、振動。アンミラとオリヴィエは顔を見合わせる。


「……私、ちょっと見てきますね」


 アンミラは駆け足で店外へ。それを目視すると、引き返し、店内に声を投げる。


「ギアですっ! さっきの、黒い奴っ!」

「……エデンのギアが、何の用だってんだ?」


 店内の客が続々と外へ出て行く中、スーツ姿の男は「ジェシカ」とだけ、呟いた。


※※※


 非公開空域を飛ぶ、天空の国エデン。

 学園のコントロールルームには、横倒しになった卵状のコックピットがずらり。無制限の遠隔通信技術が確立した今、ギアの操縦者はどこからでも戦場に立てた。

 使用中ランプが消灯し、コックピットの一つがぱかりと上に開く。コックピットの中では、黒髪の少女が流れ落ちる汗をそのままに、荒い呼吸を繰り返していた。

 白い手が水筒を差し出す。黒髪の少女はそれを掴むと、口をつけて一気に傾けた。


「んーんっ!?!?」


 ──炭酸飲料だった。しかも、強めのやつ。吐き出すこともできず、涙目になりながら、ええい、ままよと、最後まで飲みきる。だが、直後に「ゲフゥ!」と、女の子が出してはいけない音が出た。空になった白い手は、録音停止ボタンに触れる。


「うふふ、ゲフゥですって、ほら、ほら!」

『ゲフゥ!』『ゲフゥ!』

「録るな! 再生するな! リピートするな! ……シャルぅ、あんたねぇ!」


 シャルと呼ばれた金髪の少女は、少し困ったように微笑んだ。


「また、エーテルを使わなかったのね」

「……私の勝手でしょ」

『ゲフゥ!』

「人のゲップで相づちを打つなっ! 消せっ」

「せっかく録ったのに……ぐすん」

「……差し入れは、ありがたかったけどね」 

「ふふ、ちょろい、ちょろいわね、サギリ」

「ちょろいとか言うな」


 サギリは水筒をシャルに押し返す。シャルはその水筒に、桜色の唇を近づける。


「か、間接キス……」

「やめれ」


 サギリは立ち上がり、シャルの頭をスパンと叩く。黙っていれば、天使を地で行く美少女なのに……と、サギリは思う。生粋の天上人は、地上人には理解しがたいのかもしれない。シャルはふわふわな髪を手櫛で整えながら、サギリを見返す。


「そんなに、猫が大事?」 

「……まぁね」


 シャルにはわからないだろうけど、とサギリは心の中で付け足す。

 天上人にとって、猫……エーテリアンは消耗品だ。ギアの備品、エネルギー源だとしか思っていないし、事実、そういう存在である。

 それなら、もっと効率のよい姿にすればいいのに、それができたらやっているのが天上人だからして、やむにやまれぬ事情があるのだろうと、サギリは思う。


「今回で、何度目の出撃だったかしら?」

「七回」

「あら、凄いわね。一度か二度で駄目になる子が多いのに……ミケちゃん、だったかしら? 頑丈なのねぇ。私も貸してもらおうかしら?」

「断る」


 シャルに貸し出したら、一発で使い尽くされてしまうだろう。だましだまし、ここまで命を繋いできたのだ。このまま、少しでも、長生きして欲しい。


「じゃあ、あと2回はいけるんじゃない? 猫は9つの命があるっていうし」

「……だと、いいんだけどね」

「そうだ! あの子のクローンを作ったらどうかしら? 使い放題よ!」


 無邪気なシャルに、サギリは何も言うことができなかった。

 ──ピピピ。端末に通知。故障。町に不時着。復旧には、1時間ほどが必要。


「いつもの故障?」


 ギクリとするサギリ。シャルは冷たい眼差しから一転、にぱっと笑顔を見せる。


「そんなに驚くこと? エデンのギアが、あの子の出撃時に限って故障するなんて不自然、見逃されるはずもないでしょう?」

「じゃあ、どうして……」

「もちろん、私のお陰よ! 感謝しなさい! 崇めなさい! 愛しなさい!」

「感謝もするし、崇めてもいいけど、愛はちょっと……」

「いけず!」


 シャルは頬を膨らませる。……全く、この子はどっちが本当なのだろうか。サギリは端末を操作し、ミケに了承の旨と、必ず竹輪を買ってくるようにと記載したメールを返信する。


「竹輪って何?」

「ナチュラルに私信を覗き見するな」

「ふふ、愛する人の全てを知りたいと思うのは、乙女の──」

「竹輪は地上の食べ物。ここじゃ手に入らないからね」

「あら、リクエストしてくれればいいのに」

「合成はしてくれるけどね、そういうんじゃないんだよ」

「……この回りくどい指示も、地上の流儀なんですの? 必ず戻ってくるようにぐらいは、書かれているかと思ったのに」

「……地上にいる頃、猫を飼ってたんだ」

「あら、地上人がエーテリアンを?」

「本物の猫だよ。クロっていう黒猫でね。可愛がっていたんだけど、ふらっとどこかに行くこともあってさ。でも、必ず戻ってきてねって私が言うと、クロもニャーって返事をして、そうやって、長いことやってたんだけど、いつの間にか、ね」

「幼き日のトラウマですわね。竹輪を買ってくるようにと指示しておくことで、それが果たされなかった場合、戻ってくるという約束を反故にされたのではなく、あくまで命令の不履行であると、自分を慰めることが──」

「人の心情を、事細かく言語化するの、やめてもらえる?」

「では、今日もこれからミケちゃんの帰りを待つのですね?」

「……まぁね」

「私もお付き合いしますわ」


 シャルがスカートをたくし上げると、お菓子やジュースがボトボトと落ちた。


「あんたの制服、どうなってるの?」

「女の子スカートの中身は、小宇宙ですから」


 サギリは溜め息をつくと、散らばったお菓子やジュースに手を伸ばした。


※※※


 ──マスターからのメールを受信。ちっかの文字を見て、頷く。

 ミケはちっかが大好物だった。帰投中に1本や2本つまみ食いしても、マスターなら笑って許してくれるだろう。3本や4本は、際どいかも。5本は……死ぬかも。

 ミケは眼下を見下ろす。大勢の野次馬。そんなに、ギアが珍しいのだろうか? 制服を着た地上人が、拡声器を持って叫んでいる。目立つのは好きじゃない。静かで、狭くて、暗いところが好きだ。路地裏とか、押し入れとか、箱の中とか。

 ミケはぴょんと、ギアから飛び降りる。悲鳴が上がる。くるりと身を捻り、着地。駆け寄ってくる制服を着た地上人に、端末を突きつけた。天国の文様は、ギア及びギアの存在に必要な空間は治外法権であることを高らかに示していた。ミケは小さな胸を張って見せる。


「この紋所が目に入らぬかぁ!」

「し、失礼しましたっ!」


 制服を着た地上人は敬礼し、踵を返して走り去っていく。だが、野次馬は相変わらずだったので、ミケはパチンと指を鳴らした。ギアは飛び立ち、その姿が空に紛れて消えた。野次馬はしばし空を見上げていたが、やがて夢から醒めたように、思い思いに歩き始める。

 ミケは周囲を見渡し、コーヒーカップに湯気という看板に目を留め、歩き出した。


「はい! ご注文のホットミルクです! 熱いから、気をつけてね!」


 アンミラから紙コップを受け取ったミケは、ぺこりと頭を下げて、店を後にした。その姿が見えなくなるまで、アンミラはそよそよと、手を振っていた。


「……オリヴィエさん、見ました? 今の! なんて可愛いんでしょう! 猫耳に、尻尾、あれって、本物のエーテリアンですよね! はふぅ……」

「猫とはよく言ったもんだね」


 オリヴィエの視線は、ふらふらとカウンターに向かうスーツ姿の男に止まった。敗北者。名前は確か、アントニオだったか。


「……包丁をください」

「は?」


 アンミラは目をぱちくり。アントニオはこくりと頷く。


「包丁をください」

「……オリヴィエさ~ん! お客様、壊れちゃいました~!」

「もっといいもんをくれてやるよ」


 オリヴィエは懐からナイフを取り出し、放り投げた。タンッとテーブルに刺さる。


「あーっ! 傷がーっ!」

「買い換え時だって言ってただろ?」

「えっ、いいんですか? それならいくらでも──」 


 アントニオはナイフを抜き取ると、ふらふらと店を後にした。


「……いいんですか、あれ?」

「さて、どうなるかねぇ」

「どうって……いいのかなぁ?」


 アンミラは小首を傾げながらも、内装のカタログを求めて、事務室へと向かった。


※※※


 ミケはホットミルクをちびちとやりながら、散歩を楽しんでいた。

 至福の時間。自由な時間。自分の時間。

 いつもは、エデンの中で、飼われている。ギアのエネルギーとして使われる以外は放し飼いなので、天国は隅々と探険し尽くしてしまった。

 ギアに乗っても、現地までの輸送、戦闘中のエネルギー供給、戦闘後は帰投と、ギアを出る機会はなかった。一応、故障の歳には修理のために許可は出るが、ギアが戦闘以外で故障するなんてことはなかった。そして、戦闘で壊れたギアは、猫もろとも破棄されるのが常だった。ギアも、猫も、地上人に渡すことはできないから。

 だから、猫の死亡率は高かった。でも、猫は半年ほどで生産できるので、問題はなかった。ただ、ミケはこれまで六度生還し、今回も戻れば、七度目、異例の事態だ。

 ミケと同年代の猫は、もう誰もいない。最後まで一緒だったタマは、ミケなら伝説を叶えられるかもねと言った。

 九回生き残った猫は、人間になることができる。猫の間で、語り継がれている伝説。一生のサイクルが短い猫の世界にあって、それは神話、あるいは宗教として、連綿と、受け継がれていた。とはいえ、ミケ自身はそんなの夢物語だと思っていた。でも、ここまできたら、目指してもいいかもしれない。限界も近いけれど。深呼吸。まだ、生きている。今は、まだ。

 ──ちらちらと、視線を感じる。猫の存在は、地上では珍しい。だから、捕獲して死ぬまで飼おうとする地上人もいるらしい。その方が、存外、長生きできるかもしれないけれど、自由がなければ意味がないと、ミケは思う。私は今、確かに自由を生きているから。

 ミケはふと足を止めた。路地裏。狭い。どこまでも通じていきそうな、細い路地。

 ──うずうず。ミケは足を進める。薄暗く、妙にすえた臭いもする。それでも、心が安らぐ。狭ければ狭いほど、いい。ギアの中も落ち着く。人工子宮の中にいる時も、同じ安らぎを感じていたのだろうか? 人間のように、お腹の中にいられたら、さぞ快適だろう。


「お前のせいでっ!」


 ミケは驚いて、カップを落とした。フタも外れ、ミルクが路地裏に流れていく。

 迫る足音。ミケは振り返る。スーツ姿の男がナイフを構えて走ってくる。そして、転んだ。びしゃっと水溜まりに倒れ込み、跳ねた泥水がミケにかかる。スーツ姿の男はよろよろと立ち上がり、唾を吐く。


「……臭っ! なんか、ヌルヌルしてるし……げほっ……おえっ……」


 ミケはカップを持ち上げ、スーツ姿の男に向けて突きつける。


「ミルク!」

「え?」

「ミルク!」

「え、あ……ご、ごめんなさい」


 スーツ姿の男は視線を泳がせる。ナイフは水溜まりに溺れていた。


※※※


「まったく、情けないねぇ!」


 オリヴィエはきゅっきゅとナイフを磨きながら、悪態をつく。


「てっきり、恋敵でも刺しに行くのかと思ったら、猫の嬢ちゃんを狙うなんて、お門違いもいいとこじゃないかっ!」

「……いや、オリヴィエさん、あの流れ、ミケちゃんがもろターゲットでしたって」


 アンミラは乾いた清潔なタオルで、ミケの顔をごしごしと拭っている。


「本当に、申し訳ないっ!」


 アントニオは汚れた顔をハンカチで拭いつつ、何度もミケに頭を下げる。


「ミルクを貰ったから、許す」

「ああ、なんて寛大なの! いい子! いい子ねぇ!」

「僕は本当に情けない男です。愛する女性を自らの力で獲得することもできず、あまつさえ、こんな女の子を手にかけようと──」

「ごちそうさま」

「あら、もう帰っちゃうの?」

「そろそろ、時間だから」

「そっか。よかったら。また来てね!」

「……うん」

「あ、何かお土産をもってく? お姉さんが奢ってあげる!」

「じゃあ、ちっかを」

「あ、あの!」


 アントニオが声を上げる。注目が集まり、アントニオはごほんと咳払い。


「……僕はどうすればいいんでしょうか?」

「好きにすれば?」

「ミケちゃん、ちっかって何?」

「あのっ! ですから──」

「だから、好きにしろって言ってんじゃないか」


 オリヴィエはナイフをしまうと、煙草をふかした。


「あんた、今の状況が納得できないんだろ? 決闘して、負けた。あんたの想い人は、他の男のものになる。それが現実だ。だが、それが納得できない。だから、悩んでるんだろ?」

「……そうです。もう結果は決まってるのに。おかしいですよね?」

「うん、おかしい」

「おかしいですね」

「おかしいよ」

「……容赦のない同意、ありがとうございます」

「そんなに好きなら、さらっちゃえばいいのに」


 ミケの言葉に、アンミラはうんうんと同意した。


「そうですよ! あなたの一方的な横恋慕なら死んだ方がいいですし、あなたのような人を好きになる女性がいるとは考えにくいので、その可能性が高い気がしますが、万が一、両想いだとしたら、やるべきことは一つでしょう?」

「あの、オブラートに包んで頂けますか? けっこう、ザクザクいってるんで」

「まぁ、決闘が成立するなら、横恋慕ってこともないだろう。あたしらだって、あんたの全てを知ってるわけじゃないし、ダメなところが好きって女もいるもんさ」

「ええー、私は嫌だなぁ」

「……自信が揺らぎましたが、僕とジェシカは愛し合っていた……はずです。身分違いではありましたが、一緒に町を出ようと考えたことは何度もあります。でも、ジェシカは持病があるんです。治療を受けている限り、命の心配はありませんが、治療費は莫大で……」

「駆け落ちして貧乏にでもなったら、恋人は長生きできないってことか」


 オリヴィエの言葉に、アントニオは苦しそうに頷いた。


「そうです。ヘンリー……決闘の相手は金持ちで、町で見かけたジェシカを見染め、婚約話をもちかけたんです。それをジェシカが断り、ヘンリーは僕に決闘を申し込んだ。僕が勝てば、ジェシカとの結婚、そしてその治療を全面的にサポートするって」

「そんなの、完全に罠じゃないですか! 決闘なんて、金持ちが勝てるようになってるのに! こんな下町の代行決闘者に運命を託すなんて、馬鹿ですよ!」

「酷いっ! アンミラちゃんっ!」


 ダグザの抗議を、アンミラはガン無視する。


「うん、よく分かった」


 ホットミルクを飲んでいたミケが、唐突に口を開いた。


「マスターが勝ってよかった。あなたの恋人のためにも。うん、絶対に」

「ミケちゃん、それはどういう──」

「私は戻らないと」


 椅子を降り、歩き出すミケの長い尻尾を、アントニオがむんずと掴む。


「ギャーッ!」

「ミケちゃん、教えてくれっ! なんでそんな、断言できるんだいっ!」

「尻尾を掴むなっ! この馬鹿っ! 変態っ!」

「ご、ごめん、でも、気になって!」

「わかったからっ! 離せっ!」


 ミケは解放された尻尾を涙目でさする。アンミラとオリヴィエの冷たい視線を受けても、アントニオは引き下がらなかった。ミケはアントニオを見上げる。


「長生きするって、そんなに大切なの?」

「え?」

「誰でも必ず死ぬ。それなら、生きている間に何をするかが大事じゃないの?」

「それは……でも、ジェシカはまだ20歳なんだよ?」

「15歳」


 オリヴィエの言葉に、アントニオは首を傾げる。


「あの、それは……」

「猫、エーテリアンの平均寿命だよ。ミケ、あんたの年齢は?」

「15」


 アントニオは絶句する。アンミラも口元を押さえる。


「じゃあ、君は……」

「ギアに乗ると命を使うから。でも、まだ生きてる」

「ど、どうして? 君のご主人様は、なんで君を……」

「私が望んでいるから」

「そんな、君は死が怖くないのか?」

「怖い。でも、自由に生きられない方が、もっと怖い」

「自由……」

「私は生きるために生きてるわけじゃない。私は猫。ギアのエネルギーになるのがお仕事。マスターのために働くのがお仕事。それは嫌いじゃない。役に立ちたい。マスターはこうして自由時間をくれる。大切にも使ってくれている。だから、私は幸せ」

「でも、君を想っていたら、とても──」

「辛いだろうよ。だが、それがその子のためになる、幸せになるってんなら、それを叶えてやるってのが、愛するってことの責任じゃないかね?」


 オリヴィエはふぅーっと、煙草の煙を吐き出す。


「責任……」

「あんたの恋人だって、人形じゃないだろ? 自分で考え、行動する。それは、命の使い方を選べるってことさ。彼女が望んでいることはなんだい? 長く生きることか? それ以上に大切なことはないのか? それが全てだというなら、あんたは正しいことをした。正しく負けたんだ。これ以上、何も思い煩うことはないさ」

「……ジェシカ、僕はっ!」


 アントニオは駆け出すと、店を飛び出していった。ミケもその後に続く。


「さて、どうなるかね」

「ミケちゃん……また、会えるでしょうか?」

「わからんが、また会いたいもんだね」


 オリヴィエは空になったコーヒーカップを見詰める。


※※※


 ジェシカ! ジェシカ! ジェシカ! 僕は何もわかっていなかった。君が、生きていて欲しいと、それが君の幸せだと思っていた。でも、まだ聞いていなかった。聞くのが、怖かったのかもしれない。でも、それを聞かずに、お別れするのは嫌だ!

 アントニオが辿り着いたのは、病院。呼吸を整え、入り口に向かう。すると、そこに不審な人物がいた。帽子にコート。サングラス。全身は包帯に覆われている。

 透明人間……いや、違う、あからさまに目立ち、不審極まりないが、それが精一杯、身を隠そうとしている姿だということを、アントニオは知っていた。子供の時と同じ……そう、あの時も二人で、駆け落ちしようとしたことがあったのだ。未遂で終わった、淡い思い出。


「ジェシカ!」

「アントニオ!」


 不審人物はアントニオに駆け寄ろうとするが、そのまま転倒。ぴくりとも動かなくなる。慌てて、不審人物……もとい、ジェシカを抱き起こすアントニオ。


「ジェシカ……」

「アントニオ……どうやら、私はここまでみたい……」

「大丈夫、包帯をしていてよかったね。止血いらずさ」

「私、あなたが決闘に負けたって、でも、私はあなたと一緒にいたいの。だから」

「……それが、命を落とすことになってもかい?」

「当たり前じゃない! あなたと一緒にいられないなら、今すぐ舌を噛み切って死ぬほうがマシよ! こうやって……」

「ああ、実演はしなくていいから。それに、痛いばかりで、致命傷にはならないっていうよ」

「そうなの? よかった、博識なアントニオがいて……」

「ジェシカ……」

「はいはい、お二人さん。馬鹿な語らいも、そこまでにして貰おうか」


 病院の入り口には、高級スーツで全身を着飾った優男と、その背後には、大勢の黒服の男達が立ち並んでいた。


「……ヘンリー」

「アントニオ。俺の妻をどうするつもりだ?」

「わ、私は、あなたの妻にはなりません! 妻になるぐらいなら……」

「ジェシカ、舌はダメだ、舌は」

「まぁいいさ。俺と一緒になって、めくるめく豪遊生活を送れば、すぐに貧乏人の男なんて過去になるよ。さぁ、今すぐ結婚式を挙げるとしよう!」

「くっ、そうはさせるかっ!」


 アントニオはジェシカを持ち上げる。だが、動けない。


「……ジェシカ、太った?」

「だって、特別室のお料理、美味しいんですもの」

「いいさ、どんな君でも、僕は支えてみせるよ!」

「馬鹿が、そこまでだと言っただろう!」

「それは、こっちの台詞」


 天から声が降り注ぐ。ヘンリーが見上げると、空に腕組みしたミケが浮いていた。


「な、なんだお前は!」

「猫だよ。何よりも自由が好きな、ね」


 ミケがパチンと指を鳴らすと、空に漆黒のギアが姿を現した。天使の翼。


「ギアの周囲は治外法権。邪魔するなら、エデンとの戦争を覚悟してよね」


※※※

 

「遅いですわねぇ」


 シャルはポテトチップスを口に運び、ポリポリと食べた。

 ギアの格納庫。そこで小さなテントを張り、サギリとシャルは、ミケの帰りを待っていた。だが、帰投の予定時間から、もう5時間が過ぎ去っていた。


「これだけ待ってこないってことは、もう亡くなったんじゃないかしら?」


 ロッキングチェアに揺られていたシャルは、テントの中を窺う。返事もないから眠ってしまったのかと思ったら、何のことはない、サギリは膝を抱えて泣いていた。


「そんなんじゃ、これからもちませんわよ? ミケちゃんがいなくなっても、新しい猫が補充されるだけ。その子に対してもこれだけ想っていたら……」

「……仕方ないじゃない」

「パイロットもやめてもいいんですよ? 後のことは、私に任せて」


 ふるふると、サギリは首を振った。


「私は、私ぐらいは、あの子たちを大切にしたいの。一人でも、多く」

「……そう。なら、あなた自身も、長生きしなくてはね」


 ポーンとランプが点灯。ゲートが開き、漆黒のギアが帰投した。シャルが声をかけるまでもなく、サギリは立ち上がり、駆け出していた。

 コックピットのハッチが開き、飛び降りてくる猫を顔面で受け止める。暖かく、毛深いそれは、口に一本の竹輪を咥えていた。三毛猫。


「……何、このもふもふ?」

「ただいま、マスター」


 猫が口を開くと、竹輪が地面に落ちた。三毛猫は地面に降り立つと、足を上げて、毛繕いを始める。それを呆然と見下ろすサギリ。竹輪と三毛猫を何度も見比べる。


「あらまぁ」


 歩み寄ってきたシャルに、サギリは口をぱくぱくして見せる。


「省エネモードよ。相当、力を消耗しちゃったのね」

「消耗って、あんた、何をしたの!?」

「命をあげた」

「命を!? そんな、竹輪を一本みたいに!? 誰に!?」

「……なんか、女の人」

「名前も覚えてない人に!? どうして!?」

「……なんとなく?」

「もう、そんな気軽に、自分の命をあげちゃだめでしょ!」

「大丈夫。多分、きっと」

「全然、大丈夫じゃないじゃない! ああ、こんなに可愛くなっちゃって、もう!」

 サギリは身を屈めて手を伸ばすと、三毛猫……ミケを持ち上げる。

「……もう、どこにも行かなくていい! ずっと、一緒だよ!」

「大丈夫よ。休めばまた元に戻るし、あと1回ぐらい──」

「シャルは黙って!」

「マスター、私は死なないんじゃないかな?」

「疑問形じゃないの!」

「ちっか食べて」

「もうとっくに、三秒ルールは無効よ!」


 本当にこの子は……サギリは笑ってしまう。もう、いいか。今は。


「ミケ、おかえり」


 この先、何がどうなるかわからない。だからこそ、生きていることに感謝しよう。


『ゲフゥ!』

「消せって言ったでしょうが!」

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