3

 キャナさんが姉エルフに顔を近づける。

 互いに逆さに相手の顔が見えているはず。

 ああ、気の毒に。あの森人にはキャナさんがどう映っているのだろう。

 細腕を払い除けられないことからもお察しする。

 射手も動けないでいた。声をこれ以上出せないのだ、呼吸もままならぬ。

 微々たるきっかけで即、首を落とされる。

 コロンさんの殺気は呆けている魔女にも感じられるほどだった。


「ね、お名前を教えてくださる?」


 静寂の刹那を破り、キャナさんが呼びかける。


「あなた、お名前は? 本当にきれいな顔。これがエルフなのね? ふふ、素敵。切れ長の目に通った鼻筋、ああ、体も無駄な肉が一切ついてないのね。でもちょっと痩せすぎかしら? いいえ、きっとどんなお洋服も似合うわ」


 興奮冷めやらぬという感じだが、表情は例のにんまり笑っている顔だ。

 声の一つ一つに、背中をくすぐられるような艶があった。

 森人は歯を食いしばると、一筋涙を流した。


「え、どうして泣くの? さっぱりわからないわ」


 キャナさんはとぼけたように森人から目を放し、うーん、と考えるしぐさを見せる。


「もしかして見方によっては私が彼女に乱暴しそうな感じになってる?」

「こっちからは“あ、パンツみえそう”って感じシャミ」


 魔女はこれ見よがしにしゃがんだ。


「シャミちゃん、見えてるわよ」

「キャナさんのは見えませんね。はいてます?」

「おいふざけるなニンゲン!」


 たまらず森人が抗議の声を上げた。


「いやー、エルフのお姉さん金縛りみたいになってたから。お話進まないシャミ。和ませようと思って」

『我が相棒ながらお前さんはなんという』


 ハルパスは羽根帽子を深くかぶった。


「あんまり意地悪がシャミ過ぎると、そちらも限界っぽかったのでつい」


 コロンさんの方に目をやる。


「ナイスだよ、また先手の取り合いをこの子としなきゃならないところだった」


 森人の妹の手が、さっきより深く弓の弦を引いていた。


「け、けっこう限界。は、はよ、おさめて」


 コロンさんの声がとても怖い。ブチギレ寸前の震え声に変わっていた。


「ふふ、ごめんね。さて」


 ひゅう、と風が凪いだ錯覚があり、キャナさんは組み敷いた森人の鼻先まで顔を近づけた。


「……アコナイト。妹は、アネモネ」


 観念したように、姉エルフは名を明かした。


「お花の名前なのね。私は眠りの魔術士、キャナルよ」

「あ、眠りの何某って。いま、名乗ったシャミ」

「それは、あとでね?」


 目の端で一瞥された。

 優しいお姉さんの顔ではなかったのでドキリと胸が跳ねてしまった。


「まずはお互いの立場を伝えないといけないわ。サクラムの領主として、領内の旅人を襲った。治安を乱したということで今、私はアコを拘束しているわ。コロンちゃんはそのお手伝い」

「森は我らの領域だ。後から来たのはお前達、ヒトだ」

「そうなんだけどね、うん、私達のほうが悪い。認める。そりゃ戦いになるわよね」


 一切の取り繕いもなく、キャナさんは怖がらないでと言わんばかりに微笑む。

 アコナイトは絶句している。


「シャミちゃん、奪われた荷物があると思うの。まずはそれを取り返してきなさい」

「は、はい」


 不意打ちに指示され、従った。

 扉の出口、森人の野営地らしきところに風呂敷があった。

 はっさくは食べられたらしく、皮が地面に落ちていた。


「あの、ゴメンナサイでした、エルフさんのところに踏み込んだのはシャミーです……許してくださいシャミ」


 首筋に手刀を当てられて身動きのとれないアネモネにその謝罪は意味があるものか。


「許してあげてくれないかなあ、許してくれたらすぐ放すから」


 コロンさんの声に怒気がこもる。


「シャミちゃんを攻撃したあなたたちの罪一つ、領域を犯したシャミちゃんの罪一つ。ここらで手打ちにしてくれると嬉しい」

「あなたたちはいつもそう、ヒトさん。自分から火を放ち反論すれば今度は剣を手にする」


 アネモネが言い返した。その瞬間、火花が散ったような錯覚。一言発する都度、かたや首をひねり落とすか、当て身を食らわせるか、かたや間を取り、矢を放つか、前蹴りでけん制するか。


「相容れないから、我らは森にこもった。そうしたら今度は踏み荒らす。あまつさえそこは自分の場所だと主張する。話し合いになるはずもない」


 アコナイトの声は冷静だった。


「そうよね、まるきり破落戸の理屈ね」


 キャナさんの声に相変わらず反省のトーンはなかった。


「私も世界中にフルボッコにされている身だからねえ、すっごくわかるわ。そこで、よ。ねえあなた、一緒にそういうのに反抗しない?」

「はあ? わからない。お前は何を言っているんだ」

「執事と女給が欲しかったのよね。ふふ、貴方達姉妹ならどこに出しても恥ずかしくないわね」

「ふざけるなよ!」

「え? 本気も本気よ? これからたっぷり、仕込んであげるわね」


 言い終わる前にアコナイトの目が、ゆっくり閉じた。


「夢の中は、悠久の時間が流れているわ。話にならないなら根気強く、じっくり説得しなくてはね」


 アネモネもまた、頭ががくりと下がり、体のバランスを崩す。


「あぶねっ!」

 

 コロンさんが受け止め、体を支えた。

 魔女が目を白黒させ瞬きしたその瞬間、部屋が寝室に変わり、アコナイト・アネモネの姉妹はベッドで寝息を立てていた。


「ようこそ私の、微睡の世界へ」


 眠りの魔術師がお決まりの台詞とばかりにそう宣言した。


『今のが対抗不能の眠りの魔法か。なんということだ、我もいま、眠っているのか起きているのか、判断がつかぬ』

(ハルパスの意識はシャミーとつながっているから、仮説だけど私たちは起きているシャミ)

『いつ使われたのかも、いつから使われていたのかも結局わからぬか。厄介な』


 百識の魔術師が普及させた魔法の中にも眠りの魔法は存在する。

 獣を鎮めるのに使われることがほとんどで、おおよそは霧を吸い込んだものや、匂いを嗅いだものを遅効性で眠らせる。深い眠りに落とす魔法は失われている。というより、百識の魔術師が人に使えぬよう残してないとされている。なお、医術で使われる場合の麻酔は薬剤投与にて行われている。


「あら、アコ……心的障害がみられるわ。お母様かお父様を連れ去らわれた? それともどちらかが人間に無茶苦茶にされた? 或いはあなた達姉妹が何かひどい目に?」


 思考を奪えるのか、アコナイトの髪をなでる顔は医者の問診のようだった。


「それ以上は、や、やめて欲しいシャミ!」


 魔女は思わず声を上げた。


『馬鹿、お前さん』

「……ん? なに?」


 キャナさんは訝しげに首を傾げた。


「まず、その……なにをしようとしているか教えてほしいシャミ」

「わからないのに制止めたの? それこそよくわからないわね。……そうね、痛ましい記録は私が救ってあげて、なかったことにする。それから、執事のすばらしさを徹底的に仕込んで、あとは、かっこいい服とかわいい服を用意してー」


 わくわくした様子で指折り数える。


「それ、お願い、やめてほしいシャミ」


 喧嘩を止めるように嘆願した。キャナさんはコロンさんに目をやった。コロンさんは首を横に振り、魔女と向き合うよう促した。


「さっきの問答でヒトとエルフ、互いの言葉が届かないのはわかったと思うけど」

「だからって! ……だからこそ、考えをいじるとか、あのその、操って思い通りにするのはよくないシャミ。きっと、それをしてしまったら、二度と、お二人と分かり合えません」

「ふむふむー、アコの意思を尊重して欲しいということね。わかったわ」


 ふ、と体に階段を踏み外した時のような感覚。寝室から先ほどまでの客間に変わった。テーブルには作りかけのてるてる坊主が転がっている。魔女とキャナさんが席で向き合っていた。

 まるでこの部屋では何も起きていなかったよう。


「夢に落としたのね」


 コロンさんが問う。


「少し経ったら、夢を覚えていないように、無かったことになるわ。正直想定の外。あのままだとシャミちゃんに嫌われそうだったから。嫌われたくないから私が折れることにした」


 辺りを見渡して、コロンさんはため息を一つ。


「あたしゃ少々へこたれたよ。あとは任せてよい? 寄港してる飛行艇にハルくん迎えに行かなきゃいけないし」

「ええ。またあとでね」

「朝ご飯、ご馳走様。闇魔女ちゃんのこと、よろしくね」


 コロンさんが開けた扉の先は屋敷の廊下に戻っていた。


「あ、あのあのっ」


 危うく呆然とお見送りしてしまうところだった。


「おホネ折り、ありがとうございました、コロンさん!」

「うんうん、またねー、闇魔女ちゃん」


 ひらひらと手を振ってくれた。ばたん、と扉がしまる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

眠りの魔法使いの倒し方 浜中円美 @mios3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ