「キャナルよ。よろしくね、大樹の魔術師のお孫さん」


 驚く隙も間髪を入れず、主人は自らを名乗った。


「あれれれ、違ったシャミー?」


 だとすれば、大変失礼なことをした。いや、待った、あれだけのフリで、違うなんてこと、あるのだろうか? 縁を冗談で使う神様に、文句の一つも言いたい。


「ふふ、眠りの魔術師は夢の中にいるのよ? 私はただのキャナル、眠りの魔法が唯一の自慢の魔法使い」

『おそらく、我が見ているアレ……キャナルと、お前の見ているキャナル、コロン女史の見ているキャナるんは別の姿をしている。我には魔界の美姫・ゴモリーのような恐ろしくも蠱惑的な容姿に見えている』


 いつになくハルパスが早口でまくし立てる。


「シャミーには小動物だっこしそうなおっぱい大きいお姉さんに見えてるよ」

「ああ、そういうことかー、さっきからビクビクしていると思ったら。キャナるんって見る人によって違って見えるジャン? だから手配書に顔載せらえないっていう、ね」

「本人としては名乗ってないときはノーって答えているの。一応ね。私をそういう風に呼ぶ人って討伐に来ているわけだから」

「まあ、確かに実際のキャナるんと眠りの魔術師って別物だしね」

「じゃあやっぱりあなたは通称・眠りの魔術師さんで相違ないシャミ?」

「んんー。魔女ちゃんって、嘘をつけないんだっけ?」

「そうですね」

「じゃあ、私がハイっていったらそれが真実になっちゃうかな?」

「まあ、そうですね」

「ふふ、やっぱり。じゃあ、ノー。キャナルって呼んでね? 魔女さんはそうね、シャミちゃんって呼んでいいかしら」

「あ、はい……キャナさん」

「うん、よろしい」


 これは二人だけの話、とばかりに口の前に人差し指を立てた。

 魔女は一礼をして、コロンさんの隣のソファーに掛けた。


「初対面の、たまたま訪れただけのキュートな魔女にも、警戒を?」

「キュートかは知らないけど、まあ、キュートなのかしらね? まあまあ、存在を確定されたとしても、仮にそれが私の討伐につながる道としても、その事象ごと夢に落としてしまえばいいだけのことだけどね。ふふ、一応負けたら領地ぜーんぶとられちゃうらしいから、負けるわけにはいかないの。これでも慎重派なのよ」

「えーとおー、お話し中ゴメンだけどー、ウチらキャナるんに飯をたかりに来ただけなんですけどー」


 コロンさんが不貞腐れるように言った。お腹が空いていることも手伝って声が今までで一番低いトーンだ。


「そうね、ごめん。ハトさんも、懐から出てきたら? 止まり木と仙人の住む山の湧き水より透き通ったお水をご馳走するわよ?」

『……』


 ハルパスが懐から顔を出す。

 すると気配もなく女給が現れ、銀の台車に乗せた蜂蜜がたっぷりかかったスコーンと水差しを机に並べた。入口の執事と同じく、会釈の後すぐに消えた。


「さっきの緊迫は何だったシャミ? なんとイヤしい悪魔……シャミシャミ」

『水にも蜂蜜にも罪はない』


 投げやりに答えると、差し出された止まり木にハルパスは移った。


「いただきまーす」


 遠慮なくコロンさんが手を伸ばし、ほおばった。


「シャミちゃんもたくさん食べてね」

「ぜひとも、いただきますハイ」


 香ばしく甘く、中がほどよい歯ごたえ。


「うっま……」


 思わず、口がびっくりしてスコーンを吐き出さないよう手でガード。


「食べながら、旅の話を聞かせてくれる?」


 喉を詰まらせつつも、魔女はいきさつを話し始めた。

 水兵、カイルの語った、ラジウス砦のこと。


「砦? ああ、北のディラン様の守護されているところね」

「カイルという若い水兵さんから聞きました」

「夢の中で五回ほど崩壊させたわね。でも、残した現実は、ディラン様が温情で北からの貿易のルートを戻してくださったことにしたはずよ。このとき、ウルスの町にいた竜の翼の国の商人ギルドの長、ハルコンさんを紹介してもらって、今では家令(ここでは家督を管理し、家の会計・事務を担い使用人の監督に当たる職務を指す)として町の運営にお力を貸していただいているの」

「あの銭ゲバには気を付けなよー? キャナるんに結婚を迫っているそうじゃないのさ」

「ハンサムな方だけど年齢差が気になるかしらねー、ふふふ」

「キャナるん、なんかえろい意地悪されたらすぐ言ってよ? 撲殺するから」


 びしっとスプーンをキャナさんに向けた。

 いけないな、どうもコロンさんがいると真面目な話に転がらない気がする。


「カイルさん、夢の中でのことが心に傷を残したのか、兵士から水兵になられてそして」


 悩んでいた、苦しんでいた、と続けた。


「なるほどね。彼は、元々もっと上の、教皇庁つきの竜鱗騎士だったのよ」

「そうなんですか」

「それってもしかして」


 食べる手を止めて、コロンさんが切実な表情を見せる。


「この国を治めていた‘夢幻の魔術師’‘幻想の魔術師’のことはご存じ?」

「飛空艇団が島に根を下ろし、もっとも古い遺跡、ドラゴン・サクラム、通称・桜の夢の楼閣の遺跡を調査するために、ここを治めていた夫婦の魔術師さんだね」


 コロンさんが補足した。


「実験中に消滅してしまい、娘の私が残された。後見人として教皇庁でも最も徳の高い四人の竜鱗騎士と、疫病竜を倒した第一席の竜殺しの騎士が派遣されたのだけど」

「キャナるん」


 コロンさんが何度も目を配らせるが、キャナさんは気にせず続ける。


「治める力なしと私が判断して、四人を最も深い眠りに落とした。それで、報奨金をかけられることになったんだけど」

「もしかしてアオギリさんもご存じですか」

「ああ、南からの遠征の時の果物屋さん? 確か彼もその時の四人の中の一人ね。お嫁さんと死別して息子さんがいたと思うけど」

「その、息子さんと会いました」

「そう。お二人ともきちんと人生を歩めておられるようでなによりだわ。後のお二人もご健勝であればよいのだけど」


 上品に笑う。

 ずっと表情を伺っていたが、キャナさんはずっと同じ、穏やかな微笑みのままだった。


「ちなみに、第一席の竜殺しの騎士は、私の見張りとして町の教会に置いてくださっているの。教皇様の温情に感謝しなくてはいけないわ」

「それを温情って取っているのはキャナるんならでは、だねえ」


 コロンさんがあきれ口調で言う。


「『お前が世界を夢の世界に落とすなら一番に私を落とせ』って。そんなの言われたら惚れてしまうわよね。かっこよすぎるわ。さすが竜殺し」

「シグリーズはその……責任を感じているんだと思うよ。キャナるん」

『シグ……シグリーズか! 不死身の竜殺しシグリーズ! 疫病竜に最後の刃を通しその身に血を浴び、不死になったという。これまた大物の名前が出てきたぞ』


 興奮気味にハルパスがまたもやまくしたてる。


「シグにゃんは教会を拠点に、町を守る正規兵を育成してくれているわ。とてもいいひとなの。シャミちゃんにも紹介したいわ」


 少し考えを纏めてみよう。

 冒険者の座の長、コロンさん。

 商人の座の長、ハルコンさん。

 かつての四騎士、本来、温和にこの地を治めるように派遣された。シグリーズ、カイル、アオギリ。あと、だれかひとり。 何らかのトラブルで破綻。

 共に来た第一席の伝説の竜殺しの騎士シグリーズは現在、治安の維持に尽力。


「コロンさんも、シグリーズさんも、あと、ハルコンさんも。もしかしてキャナさん討伐のために内から攻略していこうとしてませんか?」

「異議あり一つ。あたしがキャナるんの大親友であることには変わらないからね」

「もう、大好き! コロンちゃん!」


 やっぱりそういうことなんだ。


「でね?」


 キャナさんはこれまでにない、満面の笑顔を見せた。


「もちろん、シャミちゃんもそのためにきてくれたのよね?」

「いえ、違いますけど」


 即答した。さっきのおかえし……ではありません。


「じゃあなんで大樹の魔女がわざわざ私に会いに来るのよ」


 キャナさんがプレゼントをすっぽかされた子どものように、頬を膨らませた。


「私が来たのは、キャナさんの願い事を叶えたくてです。押しかけ魔女のお仕事なのです」

「それはまた、変わった用事ね。ふふ、それはそれで、面白そう」


 そう言って浮かべた笑顔は、子どもそのものだった。


「それにしても……願い?」


 キャナさんが首を傾げ、聞き返した。


「願い事を持っている人の願いを叶えることが魔女のお仕事シャミ」

「ふーん、お仕事ってことは、それってお給料とかどこかから出るの?」

「願いを叶えると、千年樹にそれが栄養として貯まっていくシャミ。私達の魔法はそこを根源にしていますから、生きていくために樹を維持しているわけシャミ」

「なるほど、蜂が花の蜜を集めるようなものなのね」


 足を組みなおすと、キャナさんは何かを思い出そうと汚れたハンカチを引っ張ったり折って動物の形にしようとする。


「お醤油は切らしてなかったわよねー」

「物入りなら空港にハルくんの船が来てたから、後で見に行こう」


 コロンさんが暢気にお買い物を誘った。


「マニで買えるものは大抵買えるものね。願い……願い……あらっ、これ結構難しいかも。そもそも、私って自分で何でもできちゃうし!」

「そういう方から生まれる願いこそ、値打ちがあるシャミー」

「押し売りっていうだけあって、けっこうぐいぐい来るわねえ。はてさて」


 言葉に合わせるように魔女が前傾姿勢になる。

 窘めるようにコロンさんが魔女の肩をトントン、と突ついた


「あのねシャミちゃん、お仕事もいいんだけど、それより町に置いてもらえるか確認しないとじゃない?」

「は! そうだったシャミ!」


 あまりにサクサクと核心に迫りすぎて目の前のことがおざなりになってしまった。


「キャナるん、かくかくしかじかでまともにはこの子入国できないの。なんとかならない?」

「ふんふむーん」


 手慰みのハンカチが、ウサギの形で完成された。


「ウチ付きの魔女でよければ、家においてあげるわよ? お店を出したいなら庭にテントなり建てていいわ。いかが?」

「おいおいおいおい」


 コロンさんが眉をしかめドン引きしている。なぜ。


「えと……ゴメンナサイ、意味が分からないシャミ」


 コロンさんも謎だし、キャナさんの意図もわからない。


「面白いじゃない? まったく願い事のない私から願いを引き出し、叶える。これも形をかえれば勝負ってことにならない?」

「そんなつもりはないですよ?」

「私の願いを引っぱり出すまでお手伝いさんで雇うわ。小さな願いを叶え続けてちょうだい。心からの願いを叶えてくれたら、解放してあげる。いかが?」

「キャナるん、さすがにそれは……願いを百個にしてくれ、的なやつでは?」

「あら、魔女に過ぎた願いをすれば破滅が待ってるんじゃない? 面白そう」


 笑顔の裏にある挑発の声が聞こえた気がした。


『破滅させられるものならやってみろということか』


 ハルパスが代弁した。


「ちなみに私をぎゃふんと言わせることが出来たらこの国丸々、魔女の国にしてもいいのよ?」

「まるで討伐されるのをお望みのようですが?」

「コロンちゃんは物理的に討伐を、ハルコンさんは経済的に討伐を、シャミちゃんは私を養分……もとい願いを叶えることで討伐。ふふ、いいわね、私もどうすれば負けられるか知りたいわ。眠りの魔法使いの倒し方ってわけね」


 ハンカチのウサギの鼻先に手を近づけると、本物のように鼻のところが動いて、耳もぴこぴこ動いた。


「えっ」

「泥水に魔力の残り香があったわ。シャミちゃんを襲った追いはぎの物でしょう」


 ウサギは机から飛び降りると、ドアの隙間を通って外に出ていった。


「コロンちゃん、大切なハンカチなの。追っかけて欲しいな」

「ええー? 仕方ないな」


 大儀そうにコロンさんが立ち上がった。

 空いた器を女給の思念体が回収し、またもやすぐに消えた。


「シャミちゃん、返事はすぐ出さなくていいからね。私のそばにいるってだけで大変だもの」


 大変。いや、それどころかいましがた起きた出来事すら理解できていない。


『もうすでに、夢の魔法の手の内か。お前さん、せめていつ発動したかもわからねば、手の打ちようがないぞ』 


 魔女も席を立った。直前にハルパスが肩に乗る。


「ああ、シャミちゃんは私の傍にいてね。危ないから」


 キャナさんも立ち上がった。


「危ない? どういうことシャミ?」


 言われるまま、ひとまずキャナさんの隣につく。


「コロンちゃん、気を付けてねー」

「はあ? なにをさ?」


 扉を押そうとしたところで、両に大きく扉が解放された。

 その先には、木々。森が広がっていた。


「うえぇ? なにこれ!」


 驚きの声と共に、コロンさんの頭のあったところを矢が通った。

寸でかわしたが、髪先を掠めた。


「マジか」


 コロンさんは毒づき、手甲をはめた腕が小剣の刃を弾く。

 そのまま、すり足で後ろに下がった。刹那、二の矢、二の刃が彼女を裂こうとするが紙一重で当たらない。対抗でコロンさんも小さい動きでジャブを打っているが、相手もまた躱しているようだ。


「森の番人!」

 

 部屋の中に、コロンさんと交戦しているのは森の回廊のエルフ。後から現れた、姉のほうだ。

 キャナさんがガウンの裾を魔女の前でふわりと翻す。放たれていた矢がその布地の中に消えていった。


「流れ矢に気を付けないと」


 魔女はいつの間にか、ガウンの内側に引き込まれていた。


「あいつ、はっやいわねえ、コロンちゃんの攻撃当たらないじゃない。もっとしっかりー、がんばれえー」

「キャナるん!」


 こちらには向かず、コロンさんが吠えた。


「残っていた彼女の魔力を追いかけて、空間を繋いでみたわ。『夢渡り』といって、歩みの過程を夢の世界に落とすことで、道のりを短縮できるってわけ!」

「その説明でわかるかあ! デタラメも大概になさいっ!」


 話す暇があることが驚きだった。目で追うこともできない攻撃を撃ち合いながら、足元の靴と絨毯の擦れる音、矢の風を裂く音に会話が割り込む。


「殺しちゃダメだよ? 血は嫌いなの」

「むちゃいうな!」


 コロンさんの背が窓際に追い込まれた。窓に小剣の先が当たっているが、当たった瞬間に‘割れたことを夢に落として’戻しているのか、割れることなく鋭い金属音だけが残る。


「向こうも突然の対峙だったはずなんだけどねえ、すごい適応だわー、エルフって凄いわね」

『まずい、後方の射手の意識がこちらを向いた』


 ハルパスが殺気を捉えた。

 まったく弾道は見えないが、コロンさんは弓の狙いをずらしながらあの嵐のような攻撃をさばききっているのか。目がいいとか、反射神経という世界ではないらしい。

 埒が明かないと判断したか、エルフはその姿を消した。


『エルブンマントか! 厄介だぞ』

「わざと消えさせてやってんのよ」


 コロンさんの声が殺気を含んだ戦士のそれに変わった。床を蹴って跳躍。


「キャナるん狙ったら私がそっちに行くってことでしょ、はい、正解!」


 宙を裂き、キャナさんの心臓を狙った矢をコロンさんが掴む。

 矢、って掴めるものなのか。

 へし折った瞬間、見えない相手からの小剣がコロンさんの脇腹を抉らんとした。


『射手の必中の矢は、矢除けの魔法を無視して狙いを貫く。必中に対しては弾道を予測し、中途で叩き落とすしかない。獲物を捕らえれば、連撃で刃が通る』


 落とされる事を見越して、水でできた不可視の第二の本命の矢が放たれていた。


『失礼を、レディ』


 ハルパスは瞬時に己の姿を、ヒトを抱えらえる人間の男性の姿に変化させ、キャナさんを胸に抱き部屋の端に飛んだ。羽根帽子の縁に一瞬だけ鋭い眼光がのぞいたが、すぐに鳩の姿に戻ると倒れたキャナさんの腿の上に乗った。


『いい判断だったぞ、お前さん』


 その体は魔女の影を変化させて即席で作ったものだった。魔女が目で追えないのなら、ハルパスに任せる。使い魔と主、合図は必要ない。一人と一羽の意志は疎通させられる。


『さてコロン女史は、透明になったあやつの位置を、己の斬られた位置から判断するだろう。一手こちらの勝ち。詰みだ』


 空中で身を反転、回し蹴りが何かを捉え、キャナさんの倒れた側の窓に何かがぶつかった大きな音。細身の姿が仰向けで現れた。

 早送りのような応酬が終わり、コロンさんが着地した。

魔女の横、すい、と風が凪がれた。


「よっと。捕まえた」


 あれほどコロンさんの攻撃が当たらなかった相手の両の二の腕に、水の流れがそこに行きつくようにいともたやすく、キャナさんの手がかかった。


「お姉ちゃん!」


 射手の声を発するとほぼ同時、距離を一瞬に詰めてその首元にコロンさんの手が手刀の形で添えらえていた。


「……瞬きもシャミならなかった」


 棒立ちの魔女が呟く。



 まあ――ハルパスの姿を人の姿に変えるくらいの助力なら気づかれないでしょう。

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