罪と罰

和泉茉樹

罪と罰

      ◆


 銃声、砲声、悲鳴。

 爆音が鼓膜どころか体を震わせ、地面を揺るがす。

 仲間たちが銃火の中を駆けていく。

 区別などできないが、敵の機関銃弾に当たらないことを祈るのと同時に、味方の支援の機関銃弾が当たらないことを願う。

 地面は砲撃と銃撃で徹底的に掘り起こされ、湿った色に変わっている。

 もちろんそこには、兵士の血と死が濃密に染み込んでいる。

 死体に蹴つまずきそうになる。

 踏みつけるしかない。

 罪悪感と嫌悪感。

 踏んだ感触に具合が悪くなる。吐き気をこらえるために、奥歯を嚙み締める。

 耳元で指揮官の声。敵の陣地に味方の一部が取り付いたという。このまま前進し、塹壕に飛び込めという指示に罵声を返したいが、そんな余裕はない。

 塹壕に飛び込んで銃弾をばら撒き、スコップで殴りかかるなど、地獄以外の何物でもない。

 しかしそれが俺に求められる役割だった。

 この終末戦争を終わらせるために必要なのは、兵士一人ひとりが血に塗れることだった。

 死神となることだった。

 俺は走り、走り、塹壕へ飛び降り、引き金を引いた。

 絶叫が響き渡る。

 それは倒れた敵兵の声だったか。

 それとも俺が発した声だったか。

 光が爆ぜ、血飛沫が吹き付け、ゴーグルが曇る。

 俺は引き金を引き続けた。


       ◆


 目を覚ますと、そこは狭い部屋だった。

 無人の寝台が目の前にある。この建物の構造に組み込まれている寝台で、しかし俺には無用の長物だった。

 上体を伸ばし、冷蔵庫の方へ移動する。扉を開け、果物の缶詰を取り出す。冷やしているのは熱帯性の気候の中では、涼味が心地いいからだ。

 すぐそばの流し台からフォークを手に取り、雑に手で拭っておく。缶の蓋を開けて、桃のシロップ漬けを口へ運ぶ。素朴な味だが、飽きることはない。ちゃんとした料理を食べるようにも言われているが、この気候では料理などする気にならない。

 壁の時計をチェック。午前五時五十分。すでに日は上がっている。

 缶詰のシロップも飲み干し、空になった器はゴミ箱へ。フォークは流しに放っておく。

 ウォーターサーバーから、汚れたマグカップに水を注ぎ入れ、これも一息に飲み干す。

 さて、仕事だ。

 俺は端末の前に移動し、画面をスリープ状態から立ち上げる。

 表示されるデータから問題点を探すが、今朝は大きな問題はなさそうだ。しかしいくつか、気にかかるところはある。見逃すわけにはいかない。

 端末を操作すると光学映像が十六分割で表示された。カメラを次々と切り替えていくと、目当ての場所が映り込み、やっと状況がつかめた。

 意外に原始的なんだよな。

 溜息を吐きながら、俺は身支度をして建物を出た。

 目の前に広がるのは一面の太陽光発電パネルだった。

 遠近感がおかしくなるようなすり鉢状の地形に、びっしりと太陽光発電パネルが敷き詰められている。

 俺は片手に下げた清掃用具の入ったケースを持ち直した。


        ◆


 仲間たちと俺は街道を進んでいた。

 敵部隊は撤退し、しかしどこに潜んでいるとも知れなかった。

 街道の両側はどこまでも続く田園で、見通しはいい。敵から俺たちの位置は丸見えだろうが、すでに制空権はこちらが握っている。地対地ミサイルだけは気にしないといけない。

 車列隊はまだ俺たちの後方に留まっている。俺たちの前方にいるのは地雷の有無を確認している工兵隊に所属する車両で、俺たちがそれを守っている形だ。

 もっとも、敵がいないのでは気が緩むというものだ。

 だから、俺はそれが起こった時、何も理解できなかった。

 足に不自然な感触。

 反射的に力を抜き。

 爆発。

 工兵が見逃した地雷だった。

 至近距離での圧倒的な衝撃に、俺は即座に意識を失っていた。


      ◆


 俺は失った両脚を補う多脚椅子に運ばれる形で太陽光発電パネルの間を抜けていく。

 この発電施設は「太陽農場」と呼ばれていた。

 ベンチャー企業である、インサイド・フロンティアが建造した巨大施設。

 すり鉢状の地形は天然のものではなかった。

 世界が二分された戦争において、ユニオン、イコールのそれぞれの陣営が、相手を威嚇するために行った核兵器の試爆場の一つがここだった。

 グラウンド・ベータとも呼ばれる、爆心地の一つ。

 放射能汚染は戦後五十年になろうとしている今でも残っており、俺は屋外で作業をするときは、宇宙作業用のスーツを流用した防護服を着ている。

 電力需給は先進国では逼迫した状態が続いている。原子力が有事の際には武力に変わってしまうという現実を突きつけられたがために、国際的に原子力が極端に制限されている結果だ。また二酸化炭素の排出による地球環境への影響も依然、議論の対象である。

 結果、再生可能エネルギーが重要視され、地熱、風力、太陽光が主軸になり、さらに水力までも技術改良の対象となっている。

 ともかく、俺が雇われ管理人となった太陽農場は、試験的とはいえ、次世代の電力供給の主軸になるかもしれない施設である。

 もっとも、問題は山積している。

 その一つが、グラウンド・ベータが広大な砂漠の一角にあることだった。

 砂が舞い上がり、太陽光発電パネルに降り積もってしまう。それだけのことが発電量に如実に影響を与えてしまうため、太陽農場では清掃ドローンが無数に稼働している。

 しかし、今度は清掃ドローンが砂にやられて動作不良を起こす。俺がやることは太陽光発電パネルの管理というよりは、清掃ドローンの管理というべきだ。

 端末から転送したデータがヘルメットの内側に表示されている。俺の体はスルスルと太陽光発電パネルの隙間を滑っていた。多脚椅子は改造されている特注品で、六本の脚で歩くだけではなく、施設に敷設されているレール網の上を走れるように作られている。

 俺の体はまさにレールを滑っているわけで、もうないが、両足で歩くよりはるかに効率的だ。

 目当てのパネルが見えてきた。ドローンが停止しているのも見える。

 たどり着くと、さすがにレールから降りる必要がある。椅子の脚が砂地に食い込む。

 背伸びするようにして、パネルの上のドローンを確認。エラーを示す赤いランプが点滅している。ドローンの管理システムにアクセスし、状態をリセットさせる。赤いランプが消え、緑のランプが点滅し始める。

 手を伸ばすが、届かない。一度、姿勢を戻して椅子に装備されているアームを両手に装着する。

 この機械式のアームは自分の手のように扱えるし、何より伸縮が自在なのがありがたい。

 アームを伸ばしてロックが解除されたドローンを掴み、持ち上げるが、二十キロはあるので慎重にいかないと転倒の危険がある。細心の注意でそばまで引き寄せ、一度、太陽光発電パネルから降ろす。

 ドローンも専用のレールの上を走って太陽光発電パネルの上を清掃して回るので、レールを走る駆動部分に砂を噛むことが最も起こる故障である。

 今も自己診断プログラムはそう訴えている。

 一度、アームを外して、持ってきた清掃器具をグローブで掴み、素早く砂を取り除いてやる。さすがにこの作業をするにはアームは長すぎる。

 エアブラシで仕上げて、またアームをつけて元のレールに戻してやる。スタンバイの表示の緑のランプが点灯する。

 両手のグローブを動かして、管制ソフトに再始動を指示。

 俺がヘルメット越しに見ている前で、ドローンが小刻みに動き、元どおりの作業へ戻っていく。太陽光発電パネルの上の砂が綺麗に取り除かれていく。

 さて、次は。

 端末からのデータを再確認。ドローンが五台ほど、動作不良を起こしている。深刻なものはなさそうだ。ここへ至るまでの太陽光発電パネルやレールの様子を見たところ、昨夜のうちにちょっとした砂嵐があったようだ。

 気象予報は精密な情報が俺の元へ伝えられているが、知ったところでどうしようもない。砂嵐が来ます、と言われて、砂嵐を止めます、などというのはありえない。できることといえば、整備に追われるぞ、と構えておくくらいだった。

 清掃道具のケースを手に、多脚椅子を動かし、次なる現場へ向かう。レールに跨り、椅子がレールの上を走り始める。

 太陽がいつの間にか周囲に照りつけている。

 防護服は快適で、外気の影響はほとんどない。寝起きしている建物の方が不快なほどだ。防護服の中では汗を掻くこともほとんどない。密閉されていることで精神に影響を受ける者もいるそうだが、俺はそういうことはこれまで、一度もない。

 次の現場が見えてきた。


       ◆


「あなたがグリーンさん?」

 俺は地元の酒場でビールを呷っているところだった。

 背広を着た若造がやってきたな、とは思っていたが、俺を訪ねてきたとはすぐそばに奴が立つまで考えもしなかった。

「義足で、年寄りで、酒に溺れている奴は、グリーンくらいだな」

 俺がそう答えてやると、若造はいかにも人好きのする笑みを見せ、バーテンダーに「トマトジュースをください」と注文した。冗談だったのかもしれないし、本当にトマトジュースが飲みたかったのかもしれないが、ともかく、毒気を抜く効果はあった。

 俺の隣の席に腰を下ろすと、若造は真剣な顔で言った。

「グリーン・スパイダーという方の伝説は僕も聞いています」

 冗談はよせ、と俺は思わず口走っていた。

 若造は若いとしても三十代だ。俺がスパイダーなどと呼ばれたのはもう三十年は前になる。俺のことなどもう忘れ去られて当然のはずだ。

 しかし若造は本気だと言わんばかりの表情で言葉を返してきた。

「また聞きですが、伝説は伝説です。両足を戦争で失い、しかし義足の開発で勲章を貰った」

「お前、勘違いしているぞ」

 俺が言い返すと、若造はちょっとだけ首を傾げた。

 だから俺は言葉を付け足してやった。

 親切に、しかし、そっけなく。

「義足の開発じゃない。傷痍軍人を再び戦場に出す兵器開発で、だ」

 これには若造も面食らったようだが、しかし至って真面目だった。

「僕が聞いたところでは、あなたが開発に関係した義足や多脚椅子で大勢が社会復帰したと聞いています」

「そうだろうよ。ただ、再び戦場へ送られた奴もいる」

 戦場。

 その言葉だけでも、俺は背筋が冷える思いがした。

 両脚を失った場面、地雷が炸裂して両脚を吹き飛ばしながら俺の体を跳ね飛ばす場面を思い出すことより、戦場というものを想像する方が恐ろしい思いさえするのだ。

 話を終わらせるつもりで、俺はビールジョッキを傾けた。口の端から雫が零れ落ちるが、構わなかった。

「グリーンさん、あなたにぜひ、やっていただきたいことがあるのですが」

 若造は俺の態度など歯牙にもかけず、言葉を向けてくる。

 うんざりだ。

 さっさとどこかへ失せろ。

 そう言ってやることもできたはずだ。

 しかし俺は疲れ切っていた。

 自分の人生に、自分の不自由な体に、自分の罪に、つまり全てに。

 黙っている俺に、若造は話をやめない。

「僕はとある企業で働いているのですが、発電事業を展開することになりました。そこで、管理人が必要なんです。工学にある程度通じていて、忍耐強い人物が」

 管理人、などという表現が不自然だったが、俺はジョッキをカウンターに叩きつけるように置いて、若造の胸ぐらを掴んでいた。

 引っ張り寄せて、顔を近づけてやる。

「俺が何歳に見える?」

「事前の情報では六十代ですよね」

「六十を過ぎた男に仕事をさせる奴がいるか、阿呆め」

 突き放してやるが、力がこもっていたはずなのに若造はわずかに背を逸らしただけだった。

 そこへバーテンダーがトマトジュースを差し出してくる。若造は、ありがとうございます、と丁寧に応じ、受け取った。これにはさすがにバーテンダーも興が削がれたようで、すぐに離れていった。

「もちろん専門の医者と技術者がサポートします。場所が少し辺境地帯なんですが、物資も滞りなく届きます。建物も狭いですが、用意させます。どうでしょうか、グリーンさん、興味はありませんか」

「ないね」

 俺にはやる気など全くなかった。

 このまま、この地上の片隅にある集落で、酒に溺れる。そしていつかは寝台の上で冷たくなっている。誰にも看取られず、それどころか腐敗するまで誰にも気づかれないような、そんな死に様が俺にはおあつらえ向きだ。

 そのはずだった。

 若造が妙なことを言わなければ。

「先の大戦での罪滅ぼしを、してみませんか」

 罪滅ぼし。

 馬鹿げている表現だった。

 俺の罪は償えるようなものではない。

 俺のせいで死んだものが、大勢いるのだ。

「帰れ、若造」

 俺の声はひび割れていた。そして、殺気立っていた。

 それを察知したのだろう、若造は「名刺を置いていきます」と言ってカウンターの上に小さな紙を置き、トマトジュースを飲み干すと電子通貨で支払いをして店を出て行った。

 奴が消えてから、俺はジョッキの中身を飲み干し、店を出ることにした。

「グリーン、忘れ物だ」

 背後からのバーテンダーの声に、俺はゆっくりと振り向いた。

 バーテンダーの手には名刺があった。

 俺は義足とは見えない動きで引き返し、名刺をひったくった。

 若造にこちらから連絡したところだけ見れば、俺は「罪滅ぼし」という表現に釣られたことになる。

 俺の罪は、決して許されるものではない。

 しかし俺は、罪を償いたかったのだろう。

 償えないとしても。

 償わなければいけないのだ。


       ◆


 医師であり、技術者でもあるリーナがやってきた。

 彼女が普段はどんな業務を請け負っているかは俺の知るところではないが、少なくとも老人介護の現場ではない。自分で言うのも変な話だが、七十歳に手が届かんとする俺に、この医者兼技術者はまったく容赦しない。

「グリーンさん、あなた、まさか足がないから痛風とは縁がない、などとは思っていませんよね」

「よくそんなことが言えるな」

「あなたこそ、偏食で寿命を縮めたいのですか」

 口調こそ最低限に丁寧だが、足でゴミ箱を蹴りつけているあたりが悪質だった。

 彼女は他にも、洗濯をしろ、掃除をしろと口うるさいが、それにはサービスとして聞くふりをしてやる俺だった。彼女の役目は俺の生活に関する諸設備を整備することであり、この砂漠の果てでは彼女の整備した設備が是非、必要だった。

 仮に浄水設備が故障したならば、俺はあっという間に飲み水に困ってしまう。

 多脚椅子の整備くらいなら自分でできるが、俺が門外漢の装置はここでは事欠かない。

 あの若造、イースターが責任者である太陽農場プランには、宇宙開発に関する技術が盛り込まれている。放射能を防ぐ防護服は宇宙服の流用品だし、俺が寝起きする拠点である小さな建物も、月面開発向けの住居ユニットの試作品だ。

 太陽農場のあるグラウンド・ベータの放射能汚染の影響を避けるには、悪くないアイディアだ。おそらくインサイド・フロンティアは宇宙開発事業に関する他の企業と連携しているのだろう。

 俺の存在は地球にいながら、月面その他で生活することになる人々の日常を、再現していることにもなる。砂漠の果てで一人きりと言うのは、月面で集団生活を送るよりはるかに厳しい面もありそうだ。

 ともかく、日々を孤独に過ごす俺が接触する数少ない人間がリーナだった。

「体重が減ってますよ、グリーンさん。しかし血圧も高い。あまり数値が悪いと、ここにいられませんからね。病院に送られて、あなたの年齢ならもうそれきりでしょう」

 俺の洗濯物を洗濯機に投げ込みながらの話としては、実に心温まる内容だった。

「体重が減っているのは忙しいからだ。血圧は高齢者にはよくある変化だ」

 勢いよく洗濯機の蓋が閉じられる。まるで汚いものでも触ったように、リーナが手をひらひらさせる。

「忙しいのは知っています。それでも、食べるものを食べてください。あなた、ここのところの補給でどれだけの食料品が廃棄されているか、知っていますか」

 インサイド・フロンティアは豪勢なのか質素なのか、それともこれも何かの実験なのか、施設や装備には金を惜しまない割に、俺に必要以上の物資は渡さない。リーナが来ることも数ヶ月に一度で、物資の補給は二ヶ月に一度だ。そして物資の中でも食料品は、賞味期限が限られている。

 もしかしたら俺を使って、月面などで食料が底をついた時の様子をモニタリングする気か、とも思うが、仮にどこかの誰かが俺を見張っているとしても、缶詰だけの朝食などを見せられては、実験結果に疑義を持たずにはいられないだろう。

「腹は満ちているんだ、気にするな」

「食料品が手に入らない人もいるんですよ」

 まるでとっくに死んだお袋のようなことを言いやがる。

 結局、彼女は俺に血圧の薬を処方し、食事を摂るように念を押して去って行った。

 彼女の経歴を俺は知らない。とにかく若いが、まさか二十代ということはないはずだ。

 大戦の終結後に生まれた世代は、アフターエイジなどと呼ばれるが、リーナも、そしてイースターもその世代だ。戦争を知らない世代。俺が見た地獄を記録の中でしか知らない世代だった。

 何より、彼らには何の罪もない。

 一人きりになると、不意に彼らの原動力が気になることがある。

 彼らにはそれぞれに仕事があるが、それは何のための仕事なのだろう。彼ら自身の満足のためか。彼ら自身の生活のためか。国家のため、人類のため、とイースターあたりはぬけぬけと口にしそうではあるが、一般的ではない。

 戦争は全てを破壊し、全てを奪った。

 俺は両脚とともに、人生と、本来の俺を失ったと言える。

 しかしそれよりも、健常的な発想を奪ったのではないか。

 罪の意識。苦悩。それが常に頭を離れない。

 俺が生きているのは、罪があるからであり、罪から逃げてはいけないと思うからだ。

 俺が引いた引き金で、倒れたものがいる。

 俺が引けなかった引き金で、命を奪われたものがいる。

 大地は荒廃し、国は疲弊し、血が流れ、涙が流れ、恨みが世界に満ち、絶望が世界を覆った。

 それら全ての償いが、俺を動かしている。

 リーナにはそれはない。少なくとも彼女自身には何の罪はない。彼女が生まれた国家に罪があったとしても。

 いつか、誰も罪を背負わない時代が来るのだろうか。

 清浄な世界がやってきて、本当の調和と安寧がやってきて何もかもを洗い流してくれるのか。

 もちろん、その時代に俺は生きていないだろう。

 リーナのため、イースターのため、などということはとても言えない。

 俺の行動は、どこまでいっても俺の個人的動機から始まり、個人的な行動に過ぎない。

 リーナが来て、去って行ったその日の夜、俺は乾燥まで終わった洗濯物を適当に引っ張り出し、それだけで汗をかいた。防護服を着ての作業の方が快適というものだ。

 新しいコーラの瓶の栓を抜いてから、窓の外を見た。すでに日が暮れているが、夜空はよく晴れて月明かりが砂漠を照らし出している。

 太陽光発電パネルはキラキラと光っている。

 それ以上に、砂漠には無数のきらめきがあり、地上にも夜空があるようだった。

 核兵器の炸裂による超高熱は、瞬間的に砂漠の砂を融解させ、それはガラス粒のようにして今も残っている。ガラスの粒一つひとつが、今も月光を反射しているのである。

 綺麗だ。

 コーラの瓶を傾ける。

 ビールの味が恋しいときもあるが、こんな夜はアルコールの力はいらない。

 ただの炭酸飲料で、心に涼しい風が吹き込むのがわかる。

 その冷たさは、何もかもを明瞭に、歴然とさせる。

 俺は生きている。

 まだ、やり残していることがある。

 生きなければならない。

 最後の瞬間まで。


       ◆

 

 ユニオン連合軍は独自の兵器工廠を持っており、ここでは新世代の兵器の試作が主に行われていた。

 俺が両脚を失ってから数年に及ぶリハビリの後にここに参加することになったのは、いくつかの幸運からだった。

 一つに俺のリハビリの結果が特異だったこと。

 もう一つは、実証実験も兼ねた最新のセンサーが俺の体に埋め込まれたこと。

 俺は右足を膝、左足を太ももの辺りで失っていた。両脚が義足での歩行は容易には習得できるものではない。しかし俺はリハビリに没頭した。他のことは考えたくなかった。特に脚を失ったという事実から逃げたかった。

 リハビリをすることで、俺は自分の足がないことを認識する。しかし、いつかは歩けるという一念でその認識を無視する。気が狂うような捻れ、歪みの中でも俺はひたすら体を動かした。

 医者が言うには「驚異的な速度」で俺は義足を自分のものにした。それでも普通に歩くようにはいかない。左足はもちろん、右足も膝が機能していないので、どうしても不自然に足を送るしかない。それに医者に驚かれた段階でも、俺は両手に杖を持っていた。歩行器からは卒業していたが、五十歩百歩だ。

 ともかく、俺は義足の扱いにおおよそ慣れたところで、医者に一つの提案を持ちかけられた。

 首筋から後頭部にかけてセンサーを埋め込み、そのセンサーを介することで自在に動く義足の開発に貢献しないか、という提案だった。

 断ることはできただろう。しかし、それを断れない理由はいくつもあった。

 一つは俺が治療を受け、リハビリを施されている施設は、軍の病院だった。俺は傷痍軍人として治療されているわけで、軍からの提案はほとんど強制と言ってもいい。

 もう一つ、俺は「貢献」という言葉に強く惹かれた。

 もう俺は兵士としては役に立たない。走るどころか歩くのに苦労するものが、戦場に立ったところで無駄に死ぬ。それどころか仲間を危険に晒すだけだ。

 両脚がなくても軍に貢献できるのなら、文句はない。

 俺はあっという間に用意された複数の書類にサインし、あっという間に手術を受けた。

 最初こそ違和感があったが、試作品だという義足は動くことには動いた。しかしまるで自分の足のようにはいかない。試作品なのだ、仕方がない。というわけで、俺は自分のリハビリのはずが、感応式義足の調整を同時に行う羽目になった。

 科学者が常に俺に張り付き、ありとあらゆる計測をし、俺に質問をぶつけた。義足は何度も交換され、その度にデザインどころか装着してみての感触さえもが変わったのには、難渋した。

 そうこうしているうちに数年が過ぎ、俺は義足でジョギングができるまでになった。センサーも何度かアップデートされたが、義足で歩くと、まるで空中を歩いているような錯覚がある。それでも走れるのだ。全力疾走すると転倒の危険があったが。

 俺に声がかかったのは、その頃のことだ。

 ユニオン軍の最先端兵器研究所、というようなところからで、次世代型の義足を開発に参加してほしい、というのだ。俺は言ってみれば、テストパイロットである。

 義足のおかげで、俺は人並みに生活できるようになった。出歩くことができるようになり、周りに義足だと悟らせないこともできた。

 意気揚々と、俺は研究所に参加した。

 ただ、俺を待ち受けていたのは予想とは少し違う研究だった。

 義足は戦闘用義足であり、さらには多脚戦車を小型化したような椅子、多脚椅子の軍用版も開発されていた。どんな悪路でも走破し、頑丈で、整備が簡単、が売りである。

 この多客椅子の最大の難点であり、唯一のハードルが、十全に使いこなせるものがいないことだった。

 俺はいきなりそこに放り込まれた。

 義足は外し、その日から俺は多脚椅子を自分の足として、日々を過ごした。

 新しいモデルをテストし、レポートを書き、またテスト、そしてレポート。

 終末戦争は終結していた。平和が戻ってきた。

 戦場で片足、両足、下半身を失った者が大勢いた。そういうもののために、俺の仕事は役立つ。彼らが日常へ戻った時、少しでもその生活を楽にする。

 そのはずだった。

 ユニオン内部の内戦が勃発し、戦場の映像が報道された。

 そこには、多脚椅子を自在に操り、機関銃を撃ちまくる兵士が映っていた。

 俺は仕事を辞めた。

 すでに年齢は四十をいくらか超えていた。

 俺は自分が罪に罪を重ねたことを、思い知らされた。


      ◆


 気がつくと、寝台に乗せられ、両足が焼けるように痛んだ。

 叫ぶしかなかった。

 すぐに看護師がやってきて何かを俺に注射した。しかし灼熱が俺の体を、思考を焼いている。

「殺してくれ! 殺して!」

 そう叫ぶ俺の頬を、看護師が強く叩く。

「生きなさい! みんなそうしている!」

 俺は叫び続けた。

 疲れたわけではなく薬の影響だろう、意識が曖昧になり、体から力が抜けた。

 ただ足は燃え続けている。

 いつの間にか夜になり、周囲は変に静かだった。何もかもが死に絶えたようだった。

 死んだ方がマシだ。

 頭の中にはそれだけがあった。

 敵を何人も殺してきた。味方を何人も見捨ててきた。

 その代償だ。

 俺は罰を受けているのだ。

 もういいだろう。

 命を消して、償いとすることは、許されるはずだ。

 気づくと朝になり、医者がやってきた。

「あなたにはまだできることがあるはずです」

 診察の後、医者は疲れた顔で俺にそう言った。

 まるで説得力のない様子だったが、俺は無言で頷いた。

 できること。

 貢献すること。

 人に。

 社会に。

 死の気配は俺を取り巻いているが、朝日の中でそれは薄まっていくようだった。

 できることをする。

 この死に損ないの、人の形をした悪魔にできること。

 生きること。

 誰かを、幸福にすること。

 知らず、俺は涙を流していた。

 


(了)

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罪と罰 和泉茉樹 @idumimaki

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