記憶喪失の俺と、自称・彼女の後輩と

澤田慎梧

記憶喪失の俺と、自称・彼女の後輩と

 ――放課後。

 ホームルームが終わって早々、部室という名の空き教室へ向かうと、既に後輩の姿があった。

 いつも通り、窓際に置いた椅子に座りながら、文庫本に目を落としている。


「よう。早いな、桶川おけがわ

「……どうもです、七海ななみ先輩」


 挨拶を交わすが、後輩はこちらを一瞥もしない。いつものことだが、実にそっけない。

 仕方なく俺も愛用の椅子を引っ張りよせ、腰かけた。


「今日は、何を読んでるんだ?」

「見て分かりませんか」

「うん。カバーかかってるからな」

「……三毛猫が殺人事件とか、解決するやつの一作目です」

「赤川次郎か」

「……」


 ――しばらく待ってみるが、返事はない。どうやら正解だったらしい。

 赤川次郎の「三毛猫ホームズ」シリーズ。刑事の飼っている三毛猫の「ホームズ」が、難事件の解決に一役買う風変わりなミステリだ。

 第一作は確か、俺達の親世代が子供の頃の作品だったはず。


 「相変わらず古いのが好きなんだな」と思いつつ、俺もカバンから文庫本を引っ張り出す。

 こちらは先月出たばかりの新刊だ。ミステリ小説なのにゾンビが出てくる、なんだかユニークな作品らしい。


『……』


 そのまま二人で、無言で読書を続ける。

 別に部活動をサボっている訳じゃない。これが俺達の部活なのだ。

 その名も「読書部」という。読んで字の如く、ただ本を読むだけの部だ。


 部員は俺と桶川の二人、プラス数名の幽霊部員のみ。実質二人きりの部だ。

 うちの高校は部に関する決まりが緩い。なので、本来なら同好会としてすら認められなさそうな部が沢山ある。読書部はその内の一つ、という訳だ。

 他にも「呪術部」とか「鬼ごっこ部」とか、色物部活には事欠かない。はっきり言って変な学校だ。


 もちろん、まともな部活も多い。

 外からは野球部やサッカー部の練習の音が聞こえてくるし、階下の音楽室では吹奏楽部のパート練習の音がカオスに鳴り響いている。

 どこからともなく聞こえてくる「あーえーいーうーえーおーあーおー」だとかいう奇声は、おそらく演劇部の発声練習だろう。


 そんな人々の営みをBGMに、ただひたすらにお互いがページをめくる音だけが部室に響く。

 ……そこはかとなく映画的な光景じゃないだろうか?

 等と、無意味な自画自賛をしつつ、そっと桶川の姿を盗み見る。


 身長は推定で150センチ弱。おまけに華奢なので、下手をすると小学生に見える。

 髪型もシンプルな二本結びで、それを体の前側に無造作に垂らしてある。そのせいで、ますます幼く見える。

 けれども、縁なし丸眼鏡の下に隠された顔立ちは、意外にも美人系。切れ長の目がクールそうな雰囲気を醸し出している。


「……なにか?」

「いや、なにも」


 流石に視線に気付いたのか、桶川が怪訝そうな視線を向けてきた。

 慌てて弁明すると、桶川は再び俺への興味を無くしたかのように文庫本に目を落とした。

 相変わらずの塩対応だ。


(やっぱり、何かの冗談としか思えないよな。この子が俺のだなんて)


 ――そう。

 この美人でちっこくてそっけない後輩は、自称・俺の彼女なのだ。


   ***


 一ヶ月ほど前のこと。俺は体育の授業中に頭を強く打ち、意識を失った。

 生まれて初めて救急車で病院に運ばれたそうだが、残念ながら覚えていない。

 その後、無事に意識を取り戻し、検査などでも「脳や骨には」異常なしとなった。


 ……のだが、残念ながら少々問題があった。

 日常のなんでもないことや、受けた授業の内容など、所々の記憶がすっぽり抜けていたのだ。


 とはいえ、覚えていることの方が多かった訳で。日常生活を送るのには問題ないと判断され、あっさり退院となった。

 もちろん、部活動のことも桶川のことも覚えていた。二人きりなのにろくな会話もない、可愛いがとっつきにくい後輩として。


 けれども、俺が学校に復帰して、部に顔を出した最初の日。

 一部の記憶が飛んでいることを伝えると、桶川はいつもの無表情のまま、とんでもないことを言い出した。


『先輩。もしかして、私が先輩の彼女だと言うことも、忘れてしまいましたか?』


 最初は彼女なりの冗談だと思った。なにせ、相手はあの桶川だ。

 美少女ではあるし、俺も桶川のことは嫌いではない。むしろ好きだ。

 だが、そもそもがそっけなさを人間の形にしたような女の子だ。万が一にも、俺の彼女になるなんてことは、無いと思った。

 だから俺は、自然とこう答えてしまっていた。


『桶川でも、そういう冗談言うんだな』


 俺が自分の失言に気付いたのは、ただでさえ色白な桶川の顔が、白いを通り越して真っ青になってからだった。

 その日以来、桶川の塩対応はその深みを増して、今や古漬けキュウリ並みのしょっぱさになっていた。

 前はもう少し雑談にも応じてくれていたのだが、今はご覧の通り。最低限の返事しかしてくれなくなった。


(言うても、そんなの信じられないじゃないか……)


 本に目を落としたまま、心の中で愚痴る。

 俺が桶川の言葉を冗談だと思ったのには、他にも理由があった。彼女と俺が付き合っていたという「証拠」がなにもないのだ。


 俺のスマホには、桶川のケータイ番号も登録されている。メッセージをやり取りした形跡もある。

 けれども、恋人同士らしい内容は欠片も残っていないのだ。スマホのメモリーには、二人で撮った写真すら存在しない。


 そのことを桶川にも尋ねてみたのだが。


『うちの親、スマホの中身とかチェックするんで。下手なものは残せないんです』


 そんな言葉が返って来た。

 なるほど、それならば恋人らしい愛の言葉の一つも残ってないのも分かる。

 俺のスマホにさえ、一緒に撮った写真などが残っていない理由についても、


『先輩は覚えてないかもしれませんが、そもそも私、写真撮られるの苦手なので』


だそうだ。なんというか、取り付く島もない。


 かといって桶川に、「じゃあ、俺達が付き合っていた証拠を見せてくれ」等という訳にもいかない。

 もし俺が彼女の立場だったら、とても傷付くと思うから。


 もちろん、「彼女だった」という桶川の言葉が真っ赤な嘘である可能性もある。

 しかし、それだと桶川の今の態度に説明が付かない。そっけない女の子だけれども、冗談をつっぱねられたくらいで、いつまでもへそを曲げる人間ではないのだ。


(どちらにせよ、今のままってのは良くないよな……)


 気付けば、ページをめくる俺の手は、すっかり止まってしまっていた。

 桶川の塩対応が始まって、既に一週間。それは、「時間が解決してくれるかも?」という俺の希望的観測を否定するのには、十分な期間だ。

 付き合っていたかどうかは置いておくとしても、このまま仲違いしたままでいたくはなかった。


「なあ、桶川」

「……なんですか」

「俺の記憶喪失さ、どうやら思ってたより酷いらしいんだ」

「……それはそうでしょうね。彼女のこともすっかり忘れてるくらいですから」

「うっ」


 冷たい苛立ちのこもった言葉を返され、思わず怯む。

 だが、これくらいでくじけてはいけない。


「それだよ。そんな大事なことを忘れてるなんて、かなりの重症なんだよ。それで、診てくれた先生に相談したんだけど――」

「その話、長くなりますか?」

「頼むよ、最後まで聞いてくれ。……ええと、だから先生に相談したらさ、『忘れていることと同じ体験をすれば、思い出すかもしれない』って言われてさ」


 ちなみに、これは口から出まかせである。

 実際に言われたのは「何かきっかけがあれば思い出すかも」だった。


「同じ体験、ですか?」

「うん。だからさ、桶川。協力してくれないか。俺達が付き合ってた時にやってたことを再現すれば、それがきっかけになるかもしれないんだ」


 この方法ならば、失われた記憶を刺激しつつ、桶川から話を聞き出すことが出来る。

 我ながら名案だと思ったのだが――。


「な、何考えてるんですか先輩! そ、そんなこと、出来る訳ないじゃないですか!」


 桶川は何故か、顔を真っ赤にして激怒していた。


「ええっ!? な、なんでさ?」

「だって、学校であんな……恥ずかしいこと……出来ません……」


 今度は消え入るような声で呟く桶川。

 その顔にあるのは、怒りというよりも恥じらいだった。陶磁器のように真っ白な彼女の頬は、今や桃色に染まっている。


 ――というか、待て。

 学校で出来ないような恥ずかしいことって、なんだ?

 何をやったんだ、過去の俺!?


 俺から視線を外し、なんだかモジモジしている桶川を見やる。

 その小さく色づきの良い唇が、次いで、冬服に包まれた折れそうなくらいに華奢な身体が目に入る。

 まさか。いや、まさかそんな。俺達は、高校生にあるまじきフケンゼンなお付き合いを、既に済ませていた……?


「先輩、目つきがいやらしいんですけど」

「ばっ!? だ、だってお前がそんなこと言うから……」


 気まずくなり、お互いに視線を外し頬を染めて俯く。

 いつしか階下からは、吹奏楽部による見事な演奏が流れてきていた。どうやら全体練習に移ったらしい。

 何度も止まっては進みを繰り返しながらも、曲が進んでいく。


「その、さ」

「はい」

「……もう、キ、キスって、したのかな?」


 意を決して、一歩踏み込んだ質問を投げかける。

 桶川は無言のまま、真っ赤な顔で小さくコクンと頷いた。


 なんてことだ。俺はファーストキスの思い出まで失っていたのか。ショックだ。

 俺がこれだけショックなのだったら、忘れられた方である桶川の悲しみは、一体どれだけのものだろうか。

 事によると、俺は更に重大な「初めて」を忘れている可能性すらあるのだ。思わず、胸が締め付けられそうになる。


 ――と。


「先輩」


 やけに近くから桶川の声が聞こえた。見れば、彼女はいつの間にか立ち上がり、俺のすぐそばまで来ていた。

 椅子に座った俺の方が目線は低い。俺が見上げ、彼女が見下ろすという、いつもとは逆の立場になる。


「試してみますか?」

「な、何をだ?」

「……同じ体験」

「えっ、それって」


 桶川が両手で、俺の顔を挟むようにして押さえつける。

 彼女の目は潤み、唇は朱を引いたように赤くなっていた。


「おけ、がわ……」

「目を、閉じてください」


 魅入られたようにまぶたを閉じると、顔の両側から桶川の手の温もりが離れていった。

 薄暗闇の中で感じられるのは、段々と近付いてくる桶川の吐息だけ。

 そして――俺の唇に何かが触れた。


(……ん?)


 すぐに違和感を覚える。

 唇に触れた何かは、思いの外に固い。しかも明らかに、唇の感触ではない。

 思わず目を開く。すると――。


「ひっかかりましたね? 先輩」


 目に飛び込んできたのは、ちょっと照れたような、それでいてイタズラ小僧のような顔をした桶川の姿。

 それと、俺の唇に押し付けられた彼女の握りこぶしだった。


「まさか、こんなに見事にひっかかってくれるとは思いませんでした」

「えっ? えっ? ええっ!?」


 事態が呑み込めず、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。

 桶川はそんな俺のことを、今までに見せたことがないような艶っぽい表情で見つめている。


「嘘ですよ、全部」

「全部って、どこからどこまで?」

「私が先輩の彼女だったという話が、全部です」

「ええっ!? じゃ、じゃあ、ここのところ不機嫌だったのは?」

「あれも演技です」

「……マジかよ!」


 ようやく理解が追い付く。

 どうやら、俺が復帰してからこれまでの間の桶川の言動は、全て俺を騙す為のものだったらしい。

 俺の記憶喪失を利用した、壮大なドッキリといったところか。


「お前なぁ……俺がどんだけ悩んだと思ってるんだよ!」

「可愛い後輩を心配させた罰です」

「どんな罰だよ」


 ――等と愚痴りながらも、俺は少しだけ嬉しくなってもいた。

 長期入院ではなかったこともあって、桶川は一度も見舞いに来てくれていなかった。安否確認のメッセージが何件か届いたくらいだ。

 だから、俺が入院したことも、あまり心配していなかったのではないかと思っていたのだ。


「先輩って案外チョロいですよね。さっきも、完璧にキス待ちでしたよね? 将来、悪い女に騙されないでくださいね」


 俺を騙せたことが余程楽しかったのか、いつになく饒舌じょうぜつに語る桶川。

 一方の俺は、そんな桶川の姿を微笑ましく思う反面、少しだけムカついてもいた。

 特に、男の純情を弄んだ罪は重い。ここは少しだけ、反撃しておくとしよう。


「安心しろ。桶川以外にあんなことされても、受け入れたりしないから」


 俺の言葉の意味を測りかねたのか、桶川がリスのように可愛らしく首を傾げた。

 その顔が今日一番の赤に染まるのは、それから数秒後のことだった。



(おしまい)

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