Up To You/君次第 ④
「わっ、私生きてる⁉︎ お腹に穴とか空いてないよね⁉︎」
「生きてますし、空いてませんよ。そういう銃ですからね」
カメリアの代わりに、あの不良警官が答える。被害者への対応としては当然のはずだが、敬語が浮きまくってる。
「巻き込んでしまい、本当に申し訳ございません。首が怪我しております。すぐに医務室に向かいましょう」
目を細めて柔和な笑みを浮かべ、「立てますか?」と手を差し伸べる姿は不覚にも悪くないと思ってしまった。ガラはこの上なく悪いが、よく見ると整った顔立ちをしている。
だが、これだけでこの男に好感を持つのは無理な話だった。たとえソフィアの身体に風穴が空くことがなかったにしても、本当にあれは肝が冷えたのだ。恨めしげに不良警官を一睨し、手を借りるのも癪だから自分の足で立った。
「僕もついて行っても? 友人なんだ」
「大丈夫ですよ。ではご案内します」
警官が先導し、カメリアが続く。ソフィアも追いかけようとするが、足が動かなかった。
『車内点検が終わりましたので、まもなく発車いたします』
駅員とアナウンスに促され、伽藍堂だったこの車両にも人が乗り込み始めた。
乗客は不可解げな顔を浮かべ、ソフィアを避けて中に入ってくる。警官が車両から出ないソフィアに気づき、怪訝そうな声で「どうしましたか?」と尋ねてくる。
岐路に立っている気がした。このままパルツェを離れる箱の中に紛れれば、ソフィアは一体どんな運命を辿るのだろう。
軽快な音楽が鳴る。
それでも足は動かない。
扉の開閉音がし始める。
それでも足は動かない。
世界がまたゆっくりになる。
それでも足は動かなくて。身体のどこも動かなくて。
ソフィアは、唯一動かせる顔を上げた。
両側から視界を遮ってくる扉。その隙間に、
少女は赤い運命を見た。
血に濡れた、罪の運命。
手を伸ばす。足が動く。
そうだ。
そうだった。
「すみません、ボーッとしてしまって」
変わるために、来たんだった。
「……辛いようでしたら、担架を呼んでお運びしますが」
「大丈夫です。こんな傷、慣れっこですから」
この弁解は不味かったかもしれない。そう思ったが、警官は眉ひとつ動かさなかった。さすが不良。いや、さすが警官か。
「わかりました。何かありましたら、なんなりとご申し付けくださいね」
「じゃあ、色々聞いてもいいでしょうか。私、観光客なので」
「どうぞ。答えられる範囲なら、何でも聞いてください」
警官が先導し、カメリアが続く。今度はちゃんと足が動く。
「あの銃って、なんなんですか」
「ああ、あの時は驚かせて申し訳ありません。あの銃は特殊スタンガンのエンフォーサーです。運命観測機能がついているので、
「それは、私みたいな外国人相手にも使用できるんですか?」
「
「なるほど。この腕輪はそのためでしたか」
「それだけではありません。国中にある監視カメラはそれを通して運命を監視してますし、運命交換や書き換えの際の媒体である、僕たちの紋章の代わりも担っています」
足を止めた警官は、振り返って黒手袋を脱ぎ、左手の甲を晒す。山羊の頭蓋骨を模した黒の紋章。
お似合いだと思うが、それを言葉にするつもりはない。この話題はそこそこに、ソフィアはひとつ深呼吸してから、次の質問に移った。
「
「……ええ、まあ。その通りです」
「それは……たとえば殺人のような大罪でも、可能なのでしょうか」
警官が足は止めずにまた振り向く。瞳に宿る温度はひどく冷たい。ライベックで培った勘が警鐘を鳴らす。
多分、地雷を踏んでしまった。
猫の前の鼠のように、ソフィアの足が再び固まった。
しかし、警官は無表情で前に向き直す。
「どんな残虐な人間でも、まともになる。それがこの国です」
手先が震える。これからソフィアが犯す行為は、きっと彼が触れられたくないであろう深層を、土足で踏みにじることになるはずだ。今日の楽しかった思い出も、まとめて一緒に。
本当に、いいのだろうか。
いつまで経っても煮え切らない意志が、いまだにそんな弱音を叫んでいる。
でももう、逆向きの電車は行ってしまったんだ。
──これでいいんだよ、ソフィア。
駅内でも外れにある医務室へと続く通路は、人っ子一人いない。警察がすぐそばにいるだけでなく、環境だってソフィアの味方だった。
──いいんだよ。
一緒に歩みを止めてくれていたカメリアの方を向く。
「ごめんね、カメリア」
「いいとも」
カメリアが笑う。その顔で、やっぱり全部バレていたことを悟った。
カメリアの背後に回る。無抵抗な彼女を抱き寄せる。あの男のように甘くはしない。
終わったら、片手で髪から簪を引き抜いた。カメリアが似合ってると言ってくれたやつ。
それを大事に握り直し、
鋭利な方を突き刺す形で、
丁寧に、
優しく、
殺意を込めて、
カメリアの首に当てがった。
「何が目的だ」
すぐに異変を察知した警官がエンフォーサーを構える。銃口がソフィアを睨む。
「私はこれから、カメリアの喉元に簪を突き刺し、この子を殺す」
「落ち着け」
「本気だ‼︎」
声を張り上げる。きっと今、ひどい顔をしている。それは構わなかった。
「本気、なんだよ」
だけど泣いてはいけない。泣いたら、みっともなく思われるから。ソフィアの決意が、覚悟が、勝手に哀れみに殺されちゃうから。
「やめろよ、無駄だってわかってんだろ、さっき見ただろ。なんで、」
「なんでもいいからさっさと撃ってよ!」
涙腺を機能不全にする気で、叫ぶ。
「撃てばいいじゃない! 何? ちょっと会話したくらいで情でも湧いちゃったの? とんだ腑抜けね。あなた本当に警察? さっさと責務を果たしなさいよ! じゃなきゃこの子を殺す。だって、」
あの起動音が鳴る。
「だって私は、変わらなきゃいけないの」
変えなくてはならない。この運命は。どんな手を使ってでも、矯正しなくてはならない。
そのために、ここに来たんだ。
「そんな撃たれてぇならお望み通りぶち込んでやるよ。スリーカウントだ。覚悟はいいか?」
悪魔と目が合った。地雷をぶち抜かれたような、そんな目。
もう見たくなくて、目を閉じた。
「
そうだ。
「
これでいい。
「
これでソフィアは、
「BANG!」
右手首に温もりを感じた。大きくて、ちょっと角張っていて、かさついている。
「……え?」
いつの間にか左手首にも同じことが起きて、段々と足が地面につかなくなっていく。身体が宙に浮いていく。
目を開く。
悪魔の笑顔。
「ちっと説教が必要みたいだな? クソガキ」
身長差が二十センチ以上あるはずの不良警官の、清々しいほどのいい笑顔が眼前にある。
「なんで……なんで撃たないのよ⁉︎」
「撃たねぇし撃てねぇよ。トリガーがロックされてた。お前、はなから殺す気なんてなかっただろ」
「嘘よ!」
「嘘じゃねぇ」
「嘘だ、嘘だ嘘だっ‼︎」
両手は拘束され万歳状態。ぶらんと垂れ下がった身体には力が入らない。だけど唯一稼働できる足で不良警官に蹴りを入れる。
「ちょっ、暴れんな。地味にいてぇから」
「私は
「違うっつってんだろ」
「ここじゃなくて‼︎」
毎夜見る願望の夢。辛いことがあったら、何度も思い浮かべる血生臭くてドス黒い妄想。そうやって溜飲を下げなきゃ、呼吸もできなかったあの日々。
「私はきっと……きっと、故郷で大罪を犯してしまう」
ライベック。アプトフォルスとは比べるのも烏滸がましい犯罪大国。血で血を洗うしか能がない紛争国。
煙の匂いが染み付いたドラッグ大国。
「親を、殺してしまう」
もうちょっと気合を入れて叫ばなきゃ駄目だったようだ。
不良警官がようやく手を離し、ソフィアはその場でへたり込んだ。歯止めが効かなくなった感情は、
カメリアがすぐそばで屈んだのがわかった。体勢を低くし、俯いているソフィアと目を合わせる。
「監視には、アプトフォルスで起こす犯罪行為しか引っかからない。だから君が泣こうが叫ぼうが、たとえ君が親を殺す運命にあろうが、ここではソフィアは
カメリアの声は静かだった。なのに、ぐちゃぐちゃのソフィアの心を揺らすほどの力がある。
「だから、君がこの国に来た最大の目的も叶えられない。君の運命は矯正できないよ。でもね、」
俯いていた顔を強引に上に向かされた。優しそうな笑みを浮かべるカメリアと、無愛想な不良警官がボヤけて見える。
「話を聞くぐらいはさ、僕たちにもできるよ」
いつも独りだった。
弱みを見せたらつけ込まれ、頼ったら利用され、信じたら裏切られる世界で、そんな言葉、なんて、
「きいて、ぐれる?」
信じていいのだろうか。
当たり前だと言わんばかりに大きく頷くこの二人を。ソフィアは信じていいのだろうか。
「もちろん」
違う。いいか、悪いかなんて、もうどうでもよかった。
信じたい。
そう、思えたから。
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