Up To You/君次第 ③
7両目停止位置
淡くそう光っている地面の電光板をしげしげと踏みつけながら、ソフィアはカメリアを問いただす。
「ねぇ、どこに向かうの?」
「だからナイショさ」
「どこで降りるかぐらいは教えてくれたっていいじゃん」
連れ込まれたのは近くの駅だった。この国の公共交通機関は基本無料。当然切符なんてものはなく、ホームに来ても行き先はわからず終い。
「ねえってば」
ソフィアのしつこい懇願に折れたようで、カメリアは悩むように「うーん」とひとつ唸りながらも、答えを教えてくれた。
「パルツェ駅」
電車が目の前を横切るのを見ながら、思案する。
知ってる名前だった。地元民ではないソフィアでさえ聞き覚えがある。おそらく相当有名な、たとえば首都レベル……
「って、ここじゃん!」
「うん」
堂々と嘘を教え込んだのに、少しも悪びれないカメリアは電車に乗り込む。ソフィアも仕方なくついていき、向かいのドアの前を陣取ってからカメリアを睨んだ。
「はぐらかさないでよ」
「はぐらかしてない。今にわかるさ」
含みのある言い方に首を捻ってると、頭上から機械音声が飛んできた。
『車内点検のため停車します。発車までしばらくお待ちください』
「車内点検?」
「隠語さ。今のは
「かーす、プリテーター……運命犯の一種?」
「そう。事故に遭う運命を持ちながら、それを回避しない運命犯のこと。ひとりでもそういう輩がこの車両に乗っていると、乗客全員にその運命が感染する。まあ本人に自覚がなくとも、一種のテロ行為だね」
「事が起きる前に裁く。それが《フォルトゥナ・システム》の理想であり基本だ。だが、直前で運命が変動したせいで起きた犯罪は、対処が間に合わないケースが多い。だからこの国にも、治安部隊は必要なんだ」
システムも完璧ではない。犯罪率は非常に低いがゼロにはならない。そして、それを補うために警察がいる。それも知ってる。ちゃんと勉強した。
「じゃあ、今警察が逮捕しに向かって来てるってことだよね」
「そうだね。だが気をつけた方がいい」
「それは……」
どういうこと?
そう問う前に、何かが肩にぶつかった。閉まっているドアの真ん前に立つソフィアと座席との、僅かな空間。その隙間に、誰かが強引に割り込んできたのだ。アプトフォルスでは失礼にあたるだろう行動にソフィアは眉を顰め、その場を離──
「追い詰められた人間は、何をしでかすかわからない」
まずは右腕を掴まれた。
本能的にそれを取り払おうとするが、体格差がそれを許さない。無理に動かした肩が悲鳴をあげ、
次に腹を抑え込まれた。
自由だった方の腕も同時に死んだ。それでも必死になって身を捩る。こんな時、諦めたら終わりだってことをソフィアはよく知っていた。
やがて、最初に掴まれた腕の拘束が解けた。
活路だ。そう希望を見出した時には、
もう、遅すぎた。
髪にかかる荒い鼻息、痛いぐらいに抱き込まれた身体、首筋に冷たい感触が走り、ヒリヒリと柔い痛みが遅れてやってくる。
男だ。錯乱状態だと一目でわかる男が、ソフィアを人質のように──否、人質として背中から捕らえ、首元にカッターを押し当てたのだ。
誰かが情けない悲鳴を上げた。それを皮切りに、出来の悪い輪唱のような叫び声がこだまする。一気にパニックが感染する車内。雪崩るように安全を求める有象無象。世界一の平和の代償が、まさに目の前で体現しているこれだった。暴力の、犯罪への不慣れ。知識で終わるはずだったことが、突然目の前で実践される恐怖。
対照的にソフィアは冷静だった。この手のトラブルに慣れていることもあるが、何よりも心を鎮めたのはカメリアだ。彼女は今、男から少し距離を置いて佇んでいる。乗客たちのように逃げ惑うこともなく、友人として男に立ち向かうこともなく、まるでこれが予定調和だと言うように、ただただそこに立っている。
だが彼女は傍観者にはなり得ない。少なくともソフィアにとっては、決して。一言も発さず、そこにあるだけなのに、ソフィアはカメリアにこう告げられてる気持ちになるのだ。
──これは最後の
「武器を置いてその子を解放しろ」
来た。
警察と思わしき男が、正面から見慣れない銃器を構えて姿を現した。
──本当に警察?
だが牽制としてのその外見は満点に近く、男の緊張が背中を通して感じる。この場合、興奮剤にしかならないだろうが。
「おお、お前がそれ下ろせよ! こ、この女がどうなってもいいのかっ⁉︎」
震える男の手とともに、カッターが大きく揺れる。致命傷には程遠い、チクチクとした痛みが量産されていく。警官の男はひとつ舌打ちをした。
「はっ、早く下ろせぇっ! 電車も今すぐ発車させろ‼︎」
金切り声で叫び、カッターを振り回して男が威嚇する。拘束は甘い。力は強いが、ただただ抱き込むだけのど素人だ。首が解放されている今なら何とかできるかもしれない。
それでも行動に移さなかったのは、警官と目が合ったからだ。
「事故なんて知るか! どうせ……どうせ何も起きねぇくせに、どいつもこいつもビビりやがって!」
奇妙だが、どこか既視感のある瞳。そう、確かあれは山羊の
──違う。
山羊なんて生やさしいものじゃなかった。あれは、紛れもなく悪魔の目だ。だって。その奇怪な目が、口が、顔が、
「嬢ちゃん、ケツ穴しっかり締めとけよ」
悪魔のような獰猛な笑みを浮かべたから。
察する。この男、自分ごと撃つ気だ。ソフィアに向けられた銃から、起動音のようなものが鳴り始める。
二択だった。首が裂けようとも照準から逃れるか。目を瞑ったまま悪魔を信じるか。
警官の指の動きが、すべての一挙一動が、スローモーションに見える。
ゆっくりと、
ゆっくりと、
人差し指がトリガーに吸い寄せられていく。
瞼を閉じる。
走馬灯は見えなかった。
銃声。
背後からくぐもった声が聞こえて、ソフィアは目を開けた。
宙に放り出されたカッター。反動で上に向いた銃口。
「ルーク!」
「ハイっす!」
悪魔の背後から飛び出してきた赤毛の男。動き出したカメリア。
そして、呆気なく地べたに倒れた
胸を両手で触る。次は腹、顔。
「大丈夫かい」
カメリアが傍に来た安心感も相まって、すっかり腰が抜けてしまった。失神した
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