Up To You/君次第 ②

「ソフィアは治療のために来たのか。やはり目的は運命かい?」

「大体そうかな。もう結構進行してて、リスクの高い手術をしないと死んじゃうから」

「手術で失敗する運命を売りに来たと」

「うん。たとえ健常者だったら問題ないにしても、そんな運命を押し付けるのは、ちょっと申し訳ない気もするけどね」


 アプトフォルスでの運命の定義は、知らなければ確実に人の身に起こること。つまり運命を知ることができる──事故や病などの運命以外は観測が制限されるらしいが──ここでは、それに逸脱した行動を取ることでいとも容易く変化する。


 だがそれでも変えられない、不変運命というものがある。既に進行した病、大怪我でズタボロになった身体。もう手遅れなものはすべてそうだ。

 それを変える手段は、人同士の運命の交換か、システムの始祖であるフォルトゥナ家のみに許された、運命の書き換えのみ。


「そうかな。君は死を回避できて、ドナーは死ぬ可能性すらなく、君から報酬を貰える。ウィンウィンだと思うが」

「頭では理解してるんだけど、気持ちの問題だね。ここでは疑問に思うくらい、当たり前のことなんだろうけど」


 交換した運命は、ある程度の影響を互いに与える。例えば、同じ手術をして成功する人物と失敗する人物が手術の運命を交換すれば、結果は逆転する。当然だが、そんな交換がここで行われることはない。


 ソフィアがもし手術で失敗する運命であるとして、交換する相手は健常者──その手術をする可能性すらない健康な人物だ。

 ドナーは今後同じ手術をする際、失敗する運命を内在することになる。だが、アプトフォルスの住民は病の運命さえ知ることが出来るため、そもそも危篤な状態になることなんて有り得ない。つまり、ソフィアと交換した運命がドナーに牙を剥くことは一生ない。実質ノーリスクなのだ。


 不利益になる運命は、不利益になりようがない人間に金を出して押し付ける。それが運命売買の基本の仕組み。しかも買いに来るのは外国人になるのだから、本当によくできたシステムだと思う。


「死の運命から逃れられたら、どうしたい?」


 カメリアの問いに、ソフィアは首を捻った。考えたこともなかった。今の自分にとって、生きるか死ぬかはさして重要なことではなかったから。


 でも、それを正直に答えるのはつまらないし、変だろう。だからソフィアは、


「自由に、旅がしたい」


 夢を答えた。


 なんのしがらみにも囚われず、あいつらなんて気にせずに、自由に気ままに、世界を見て回るのだ。


「やっぱ、おかしいかな」


 変じゃない答えを選んだはずなのに、結局そうなってしまった。アプトフォルスのように、平和な国は少ない。どこもかしこも、戦争や紛争ばかりしている。そんな国際情勢の中、旅がしたいと望む女子はだいぶ変だ。


 それでも、何も背負わず、何も迷わず、思いっきり息が吸える場所で生きられたら。きっと。


「いいね」


 きっと、


「僕は好きだよ。その夢」


 陽が差し込んできた。カメリアのブロンドが反射して煌めく。眩しくって、ソフィアは俯いて目を瞑った。


「さて、着いたよ」

「ありがとう」


 タイミングが悪かった。震えを隠した言葉は、道案内のお礼として勝手にすり替わってしまった。わざわざ否定するのは気恥ずかしくて、だけどなかったことにするのは嫌で、


「本当にありがとう。助かったよ」


 もう一度、今度はちゃんと目を見て言った。多分カメリアは気づいてないだろうけど、それでいい。

 だけど、意地悪な顔で「どういたしまして」と笑うカメリアには、やっぱり全部バレていたのかもしれない、とも思う。


 どっちでもよかった。


「これから手続きとかあるから……じゃあね」


 どっちにしたって、お別れだから。


 足が重い。毒のせいだ。カメリアが焚く甘い香りに、たった十数分で全身を犯されてしまったのだ。

 もっと浸っていたいと思う。あわよくば、匂いのすべてが上書きされるまで。だけど、足りないのはわかっていた。カメリアの香りは優しすぎる。


 足にへばりつく未練を踏みつけて進む。大丈夫、役所はもう目の前だ。


 あと三歩。あと二歩。あと


「ねぇ」


 身体が痺れる。ソフィアの意志に反して、まるでこれが運命だと言わんばかりに、視線がカメリアの赤い目を求めた。


「手続きが終わった後、暇かい?」


 断れ。


「特に、決まった用事はないけど」


 嘘つき。


「なら、僕とデートはどうだい?」

「デート?」

「僕と一緒に美味しいもの食べたり、買い物したり、楽しいところに行って遊ぼうっていうお誘いだよ。どうだい?」


 変わるために、来たはずだ。


 だから、そんなことをする暇なんてないはずなんだ。役所で手術の手続きをして、それから、


「……いいの?」


 運命に意志が打ち勝てるアプトフォルスでは、運命は非常に軽いものとして扱われるようになったと聞く。


 そのなかで、たとえ自分がどうなるか知っていてもなお、それが駄目なことだと理解していてもなお、その道を望む意志のことを、本物の運命と言うのではないか。


「もちろん」


 深紅の瞳を見て思う。

 そして自分は、そんな運命と出会ってしまったのだろう。


 ◇


「これ美味しい」

「アプトフォルスの名物さ。実はこれ、食べると運命が良くなる効果があるとか……」

「すごっ!」

「迷信だけどね」

「えぇ……」


「このかんざしとか似合うんじゃないかい?」

「ちょっと私には可愛すぎない?」

「ソフィアは可愛いから大丈夫だよ」

「カメリアが言うと嫌味に聞こえる……」

「あまり自分を卑下してはいけないよ。ソフィアは可愛い。自信を持つべきだ」

「やめてよ、恥ずかしい」


「私、水族館というか、生きてる魚を見るのが初めて。綺麗なんだね」

「ソフィアはライベック出身だっけ?」

「うん。内陸国だし、そもそも海が近い国に来るのはアプトフォルスが初だね」

「あれ? ここに来るまでも色々国を回っていたのかい?」

「まあね。自由に、とはいかなかったけどね」

「僕、外の世界に興味があるんだ。良かったら聞かせてくれないかい」

「いいよ。あんまり楽しい話じゃなくてもいいなら、いくらでも」



「少し、休憩しようか」


 咳き込むソフィアの背中を摩りながら、カメリアがそう言った。展望台にあるベンチに座って、ソフィアの症状が落ち着くのを待つ。


「ごめんね、もう大丈夫」

「良かった」


 深呼吸する。これができるなら、もう大丈夫だ。

 二人は黙ったまま、アプトフォルスを見下ろした。これまでの思い出をなぞるように、上空から訪れた場所に視線を落としていく。


「こんな楽しいお出かけ、生まれて初めて」

「実は僕も」


 驚愕の一言を残したカメリアは、ちょっと照れたように頭を掻いた。


「嘘!」

「ホントさ」


 美人で、優しくて、気遣いができて、ちょっと口調は変かもだけど、一緒にいて居心地が良くて。


「絶対嘘でしょ!」

「ホントホント。僕、同年代の友達いないから。ソフィアこそ、ちょっと大袈裟やすぎないかい?」


 それは、絶対に違う。


「本心だよ」


 ソフィアはそう言った。自分でもびっくりするほど、声に力がこもっていた。カメリアが不意を突かれたような顔をしている。早く笑わないと。笑って、流さないと。


 なのに口は勝手に動いて、


「私の国じゃ、全部体験できないようなことばっかだったもん」


 黒い本音を吐き出してしまう。


 ライベック。アプトフォルスとは比べるのも烏滸おこがましい犯罪大国。血で血を洗うしか能がない紛争国。あそこの奴らはみんなみんな、穢れてる。あいつらだって。あいつらの血を引いてる自分だって。


「だから、本当に……あれ?」


 いつの間にか、買ったばかりの白いワンピースにシミができている。


「ごっ、ごめんね。嘘とかじゃなくって。ほ、本当に。本当のほんとうに、たのしかったから」


 拭っても拭っても、シミは大きくなっていく。駄目だ。決壊していた。拭うのを諦めた手で顔を隠す。せめて、見ないでほしかった。


「わかってるよ」


 だけどカメリアは受け止めてくれた。いつものこちらを見通すかのような目で。いつもの優しくて甘い香りで。ぎゅっと、ソフィアを抱きしめた。

 人間、驚くと涙なんて簡単に引っ込んでしまうらしい。


「だから、行こう」


 カメリアは立ち上がり、ソフィアの手を引っ張った。


「……どこに?」

「ナイショ。だけど約束しよう。これから向かうのは君が思いっきり泣けて、」


 そして彼女は悪戯げに笑う。


「とびっきりに笑えるところさ」

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