第4話 100%ロスヴァイセの遺伝子

 ここまでくると意地の世界だ。なんとしてでもクセルニヒに渡りたい。


 カールの中で手段と目的が逆転した。クラウスに会いたくてクセルニヒに行くつもりだったが、クセルニヒに行きたい、が先になってしまった。


 ラーシュの言うことが本当なら、行くべきではない。

 自分はもはや辺境伯の養い子ではない。ロイデン帝国の未来を揺るがす、帝室の一員だ。クラウスもヴォルフも、カールが害されることを警戒している。今ブルートを出ていくのは危険だ。


 しかし、言い訳はいくらでも思いつく。


 もし本当に皇帝になりたいなら、クセルニヒ女王の支持を取り付ける必要がある。そして彼女はクセルニヒから出てこない。ならばこちらから会いに行ってカールについて知ってもらう。


 ハインリヒ皇子とも会って話したかった。

 ツェントルムで少しやり取りしたが、彼は怖い人ではなかった。従弟であるカールの気持ちを慮り、優しく声を掛けてくれた。

 顔立ちや色合いはカールとよく似ていて、血縁関係があるのも明らかだ。いないものだとばかり思っていた父方の親戚と話す機会が欲しかった。

 また、彼はクラウスの少年時代を知っている。帝位継承争いの面からも、父親のことを知りたいという湿っぽい理由の面からも、クラウスの過去を把握しておきたい。


 ヴォルフはクラウスが何をしでかそうとしているか知っている。

 彼は間違っている。それは本来彼が持ち合わせている正義感には反する行いだろう。

 そういうところをカールが正しに行くのは、甥っ子として――息子に等しい存在として、当然のことではないか。


 前回のツェントルム行きはお供をしてくれた荷運び役がいたので、カールが自分で荷物を持つ必要はなかった。けれど、今回はカールとラーシュの二人旅だ。そしてラーシュは召し使いではなく、むしろカールにとっては年上の、つまり目上の人の感覚だった。そんな彼に荷物を持たせるわけにはいかないので、鉄血同胞団で巨大な背嚢はいのうを手配してもらった。自分の荷物は自分で背負う。


 背嚢に詰める荷物は最小限にする。小遣いをこつこつ貯めて作ったへそくりと着替えがあれば十分だ。あとは旅先でラーシュやクラウスにねだればいい。酒場の皿洗いでもして稼ぐ方法もある。


 何だってできる。

 カールはもう十三歳で、旅に適したいっぱしの男だ。


 しかし、荷物を詰め終え、いつでも出発できる状態になったところで、不安がむくむくと込み上げてきた。


 本当にヴォルフを説き伏せられるだろうか。ナンナやクラウスの前では気弱なヴォルフだが、ロイデン帝国において彼は偉大な辺境伯閣下なのである。ここぞという時は融通が利かない頑固な面もある。まして彼はブルートでは子供たちを守る父親の象徴だ。自ら危険に飛び込もうとしているカールを保護者として止めないか心配になった。


 ラーシュは、出発はいつでもいい、と言ってくれた。

 今は冬だ。傭兵たちも戦争には行かない。冬至からまだようやく一ヵ月という現在、太陽はようやく昼間の存在を思い出して、日中なる概念を取り戻しつつあるところだ。そんな中では鉄血同胞団はひまなのだ、と解釈していたが、本当はカールがヴォルフの説得に手間取ることを予想しているのではないか。


 背嚢の口をぎゅっと閉ざして、今日はもう開けない、という固い決意をもって部屋の隅に置く。


 勇気を出そう。

 何が何でもクセルニヒに行かないとならない。


 ヴォルフを説得するのだ。

 ここでヴォルフを説得できないようでは、クラウスの覚悟をひっくり返すこともできない。


 決心して、部屋の扉を開けた。


 カールはぎょっとした。


 すぐそこの壁にヴォルフがもたれかかっていて、カールが出てくると同時に顔を上げたからだ。

 その表情が硬い。


 もうばれているのではないか。


「……お、お疲れ様です」

「お疲れ様」


 ヴォルフがこちらに向かって歩いてくる。その一歩一歩が怖くて、後ろに下がってしまいそうになる。だが、ここはじっと我慢だ。本当に強いいっぱしの男ならこんなことでたじろがない。


「何をたくらんでいるのかな」


 たぶんもうばれている。


「お前が鉄血同胞団と悪だくみをしているのはわかっているんだよ」


 絶対もうばれている。


「ラーシュが報告したのですか?」

「ラーシュの口は堅くても、他の団員全員の口が堅いとは限らないということだ。いや、鉄血同胞団は全体的に情報漏洩を警戒している連中だから、秘密は秘密にしようと思う奴がほとんどだと思うよ。でも、悪意なしに、お前が心配でいろいろ言ってくる奴もいる」


 確かに、告げ口をする人間はいっぱいいそうだった。彼らもカールの保護者気取りで、保護者代表のヴォルフと連携して子育てをしているつもりなのだ。


「おでかけかな?」


 ヴォルフはまったく笑っていなかった。頭ひとつ分以上背の高い彼に見下ろされて、カールは子犬が尻尾を足の間に挟む時の気持ちを味わった。


 でも、負けない。


 自分を奮い立たせて、口を開いた。尻尾はぴんとまっすぐ立った。


「僕、クセルニヒに行ってきます」


 不思議なことに、言葉にすると勇気が湧いてきた。声という目に見えないものでも形になった気がするからだろうか、それとも、ヴォルフの前で隠し事しなくてもよくなったという解放感ゆえだろうか。


「絶対に行きます。止められても行きます」

「それさ、だめって言われるのはわかっているよね」

「もう絶対絶対行きます」


 拳を、ぎゅ、と握り締める。


「クラウスさんを止めないとならないのです。クラウスさんがハインリヒ皇子を死なせる前に、クセルニヒにたどりつきます」


 ヴォルフが溜息をつく。


「クラウスさんがクセルニヒにいるとは誰も言っていないじゃないか」

「僕の勘は絶対クセルニヒだと言っています」

「なんだかなあ」

「それに、ヴォルフさんにとっても悪い話ではないでしょう? イルムヒルデ女王と会って話をしたい、ハインリヒ皇子ではなく僕を支持してほしいと言いたい、と言ったらどうしますか」


 しばらくヴォルフとにらみ合った。


 負けない。


 カールは両足を踏ん張ってヴォルフの次の言葉を待った。


「カール」


 刑罰を告げられる罪人のような気持ちで、破裂しそうな心臓の音を聞く。


「お前は姉さんそっくりだね」


 予想外の言葉だった。


 ヴォルフは悲しそうに微笑んだ。


「止めたって無駄なんだろうね。一度言ったら絶対聞かないんだから。頑固だよねえ」

「はあ、そうですかねえ」

「ツェントルムの人たちはお前をクラウス皇子そっくりだと言うけれど、僕からしたらお前は十割ロスヴァイセ姉さんの子供だよ」


 カールの知らなかった母親の輪郭がそこにある。


「わかった」


 ヴォルフが、頷いた。


「行きなさい」


 カールの顔に満面の笑みが浮かんだ。


「本当は僕本人が直接ついていってイルムヒルデ女王と面会させるのが一番安全なんだけどなあ。戦争もないのにのこのこ出ていくと誰に何を言われるかわからないから難しい。お前を単独で外交政治の場に出すことになるのは不安だけど、ヴァランダンでできることは限られている」

「大丈夫です、僕は自分で自分のことができます!」

「イルムヒルデ女王に手紙を二通書こう。一通は正規の外交ルートで、もう一通はお前が持っていって直接渡しなさい。女王はそれで対応してくれる子かどうかは怪しいけど、クセルニヒ政府がまともに機能して彼女をある程度制御してくれることを信じて、そうしよう」


 思いどおりになった。嬉しくて飛び上がりそうになった。


「ただし、危ないことには絶対に首を突っ込まないんだよ。念のため鉄血同胞団の連中に何人か見張り役を頼むからね。本当に危なくなったらその見張り役を使って連れ戻すよ」

「はい!」

「あと、騎士団からもひとを連れていきなさい。護衛になるほど腕が立つ、カール自身が信頼の置ける人間を選びなさい」

「わかりました!」


 ヴォルフが苦笑する。


「聞き分けが良さそうに振る舞うけど、お前は今本当に、本当に本当に危ないことをやらかそうとしていることは自覚してね」

「もちろんです」


 次の時、ヴォルフの長くてたくましい腕が伸びてきた。


 強く、強く、抱き締められる。


「無事に帰ってくるんだよ」


 カールは力強く「はい!」と答えた。




 二日後、カールはさっそく背嚢を背負い、旅装に身を包んで、ブルートを出発した。


「準備、できました?」


 大きく頷いたのは、同じく大きな背嚢を背負ったマンフレートだ。


「俺はグレゴール兄さんを迎えに行くんだからな。カール、お前、ちゃんとついてこいよ」

「こっちの台詞ですよ。泣き言を言ったら置いていきますからね」


 こうして、カールとマンフレートのクセルニヒへの旅は始まったのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る