第2話 夢と魔法の国クセルニヒへの招待

 さて、どうやってクセルニヒに渡るか。


 言い訳はいろいろと思い浮かぶが、カールの頭の中で考えただけのことで話がすべて円滑に進むほどこの世は甘くない。


 まして今はロイデン帝国が皇帝決めの動乱のさなかにある。

 冬のヴァランダンにひきこもっていると大きな変化は感じないが、楽観主義者のカールもさすがにヴァランダンの外に行ったら誰に何をされるかわからないのはわかっていた。


 ツェントルムのおじさんたちが言うには、自分の顔は火傷する前のクラウスに相当似ているらしい。つまり顔をさらしてツェントルムに行くと氏素性を隠すことができない。ロイデン人にしてはさらさらの黒髪も、エメラルドにたとえられる碧色の瞳も、このままでは身分証明書になってしまう。


 だが、それはツェントルムのような大都会の話であり、帝室の人間と常日頃接している貴族たちの間での話だ。


 ツェントルムまで行かなければ――少年時代のクラウスが行ったことのないところを経由して移動すれば、なんとかなるのではないか。


 いずれにせよ、ヴァランダンとクセルニヒの間には海がある。

 そして、ヴァランダンの海は風が強くて波が荒く、特に冬の間は危険だ。

 クセルニヒの王都ゲルベスに行くには、ブルートから見て南西、ツェントルムから見て北東にあるニーダーハーフェンという小さな都市国家に陸路で行き、そこから船に乗るのが常道だった。


 ニーダーハーフェンはひとつの港町がそっくりそのまま自治州になったような都市国家で、帝国北東部で最大のハブ港になっている。ニーダーハーフェンからはありとあらゆる航路の船が出ている、と地理の授業で聞いた。


 どうにかして、ニーダーハーフェンに向かわなければならない。


 城の玄関ホール、窓際に座ってニーダーハーフェン行きの馬車の運行表を眺めていたところ、声を掛けられた。


「よっ、カール、何を見ているんだ?」


 顔を上げると、背の高い少年が立っていた。カールは運行表をたたんで「マンフレート」と呟いた。


 マンフレートはヴァランダン騎士団の騎士見習いの少年だ。

 年は十五歳で、カールよりふたつ上である。

 身長はこの二、三年でぐんぐん伸び、頭の位置はほとんど大人の騎士と変わらないが、体重はまだ身長に見合うほど増えておらず、妙に縦長な印象だ。

 短いアッシュブロンドの髪、少し垂れ目ぎみの目には青い瞳と、ヴァランダンの圧倒的多数を占めるような色味をしている。

 強いて言えばそこそこ整った顔立ちをしており、明るく真面目な性格も相まって、城の若いメイドの間では人気がある。


「野暮用で船に乗りたいのですよ」

「何だよ、野暮用って。どこか出掛けるのか?」

「ちょっとそこまで冒険の旅です」

「ヴォルフが心配するようなことするなよ」


 カールは唇を引き結んだ。

 ヴォルフの許可を取るのは最大の難所である。

 いいと言うはずがない。

 クラウスは手紙でクセルニヒに来るなと言っていた。そしてヴォルフはクラウスに全面的に従えと言っている。クラウスがだめだと言うものをヴォルフがいいと言うわけがない。


「マンフレートは何かあったのですか?」


 気を取り直して顔を上げ、逆に質問した。

 マンフレートが「ああ」と頷く。


「兄貴がヴォルフに呼び出されて、おともで来たんだ。でも、子供は出ていけというからさ。ぶらぶらして時間を潰してた」


 マンフレートは五人兄弟の五番目で、四人兄がいる。そして全員騎士および騎士見習いである。ヴァランダンの典型的な武門の家だ。


「兄貴? どの兄貴ですか?」

「一番上のグレゴール」


 どことなくおっとりとした、ヴァランダン男性のわりには物腰が穏やかで心優しい、いかにも長男という性格の男だ。年齢は確か二十三歳でマンフレートの八つ上のはずだ。それほど華やかな美青年というわけでもないが、凛々しい顔立ち、均整の取れた体躯と真面目な性格で、女性にたいへんな人気がある。現在はまだ独身で、結婚したらブルートじゅうの女が泣くと言われている。


「珍しいですね、グレゴールが呼び出されるようなことをするなど」

「悪いことをしたとは限らないだろ」

「そうですね、グレゴールに限ってそんなことはないですよね」

「なんでも、秘密の任務を拝命してクセルニヒに行くらしいぞ」


 ここで弟が宣伝塔になっているのに秘密の任務もへったくれもないと思うのだが、それにしても、クセルニヒだそうだ。


 カールは、これだ、と思って飛び上がった。


「僕も行きます! 僕もグレゴールとクセルニヒに行きたいです」

「何だよ、急に」

「グレゴールはヴォルフさんと一緒にいるのでしょうか」

「ああ、そのはずだけど」

「僕もヴォルフさんの執務室に行きます」


 小走りで城の中に移動し始めたカールを、マンフレートが「待てよ、落ち着けよ」と言いながら追い掛けた。




 辺境伯の執務室にたどりつくと、ちょうど部屋の扉が内側から開いた。そして、グレゴールが顔を出した。カールはその胸を叩くようにして彼を執務室の中に押し戻した。グレゴールが「なんだなんだ」と言いながら部屋の中に下がっていく。


「グレゴールがクセルニヒに行くと聞いて!」

「えっ、誰から聞いたの?」


 部屋の真ん中に立っていたヴォルフがぎょっとした顔で訊ねてきた。カールの後ろでマンフレートが「え、言ったらだめでした?」と聞いてきた。グレゴールがマンフレートの頭を小突いた。


「まあ、そんなにすごく隠したかったわけではないし、遅かれ早かれみんな知ることになると思うから、別にいいんだけど……」


 ヴォルフが険しい顔で溜息をついたことで自分が失敗したことに気づいたらしく、マンフレートが「ごめんなさい」と呟く。


「実は、女王陛下の誕生日パーティの招待状が届いたんだよ」


 カールは「ふうん」と頷いた。国家元首の誕生日のお祝いに外国人を招くとは、豪勢な国家だ。クセルニヒは夢と魔法の国だと聞いたことがあるので、きっと華やかな舞踏会が開かれるのだろう。にぎやかそうで、うらやましい限りだ。


「それで、グレゴールが行くのですか?」

「そう」


 ヴォルフが眉間にしわを寄せたまま、また、大きな溜息をついた。


「どうしてそんな暗い顔を? 楽しそうではありませんか」

「これがツェントルム帝室から来た招待状ならまだ有意義だったかもしれないけれど、クセルニヒだよ? ルートヴィヒ帝やローデリヒ皇子がお亡くなりになった上にザイツェタルクでは戦争があったという今のこのご時世にゲルベスにひとを集めるなんて、不謹慎にもほどがある」


 外交下手なヴァランダンで育ったカールは、そういうものか、とうなだれた。言われてみれば確かに、こんなに人死にが出て喪に服すべき期間中に国を挙げてのパーティはまずいかもしれない。


「こういうことをするのはまず次の皇帝の戴冠式からが礼儀でしょうが」

「そうですねえ」

「それに――」


 ヴォルフがずっと片手に持っていた文書を開く。クセルニヒ王室の薔薇の模様が刷られた文書である。


「妙なことが書かれていてね」

「妙なこととは?」

「参加条件に二十歳から二十五歳までの容姿端麗な独身男性、と書かれていて……」


 それは不気味だった。さすがのカールも、そういう時には国を代表する人間としてある程度のキャリアを積んだ者が行くべきではないかと思う。いくら実力主義のヴァランダンと言っても、二十歳では正式に騎士に叙任されて一、二年といったところだ。その上容姿端麗とは、外見にいったいどんな価値を見出しているのか。


「こういう時にクラウスさんがいてくれたら相談するんだけど……あの人は各国の王室に詳しいので……」

「肝心な時に役に立たない人ですね」


 今思えば、彼は皇子なので各国の王室と横のつながりがあるのだろう。クセルニヒ王室にも顔見知りがいたかもしれない。


「とにかく、条件を満たしているのは、うちではグレゴールかなあ……と。下手に逆らって条件に合わない人を送り込むよりは、信頼の置ける若手を選んで行かせたほうがいいかなあ……と」


 どうも尻込みしている様子だが、こんな不気味な手紙が来て尻込みしない人があるだろうか。


「僕も行きたいのですが……」


 カールは十三歳なので条件に合わない。顔はよく可愛いと言われるので及第点ではないかと思いたいが、グレゴールのような大人っぽい男性美はまだなかった。


「グレゴールのおともでいいので……小間使いとして……騎士見習いとして……」

「だめ」


 一刀両断だった。ヴォルフに一瞬で却下され、カールはうつむいた。


「自分一人で行くから。カールはマンフレートと留守番していてくれ」


 グレゴールが身をかがめて、カールの顔を覗き込んだ。彼の優しい笑顔を見ていると、自分の都合を押し通してクセルニヒに行こうとしている自分がちょっと情けなく感じるのだった。


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