第7章 カール少年の初めての冒険の旅

第1話 国際的に無視されてきた子供

 今年の一月七日に、カールは十三歳になった。


 例年では、この日は城を挙げて祝ってもらっていた。大きなクリームケーキと鶏の丸焼きが用意され、誕生日プレゼントを与えられていた。


 父親がいなくても、母親がいなくても、カールは大勢の人に生まれてきたことを祝福してもらっていた。誕生日を祝われること、清潔な服、おいしいご飯、暖かい家、何ひとつ不自由のない暮らしだと思っていた。


 ところが、今年の誕生日はひとりぼっちだった。厨房に来た菓子職人は大きなケーキを焼いてくれたが、小さく切り分けて城の使用人たちに配り、一人前だけひとりの食卓で食べた。


 耳の奥で、去年の夏のクラウスの声がよみがえる。


 ――俺も、ローゼも――父上も、母上も。息子であるお前のことを世界で一番愛している。


 本当にそう思うのなら、ここにいて一緒にケーキを食べてほしい。


 クラウスは跡形もなく、カールの前から消えてしまった。


 最近はヴォルフも忙しい。

 この前ザイツェタルクでオグズ帝国の軍隊と戦ってからずっと片づけに奔走している。


 いつもなら今頃戦争相手からの賠償金や略奪品を得てふところが潤っているところだったが、今回は逆にザイツェタルクに復興支援金を出したので、国庫ががつんと減った。


 この分をノイシュティールンが補填してくれるとのことなので、年が明けてすぐ、ヴォルフはツェントルムの銀行にノイシュティールンの資産をヴァランダンの口座に移してもらうよう依頼しに行った。


 ところが、渡された小切手がフリートヘルム大公の個人口座だったこと、そしてそのフリートヘルム大公が海賊との戦闘で一瞬行方知れずになって預金の引き落としの許可の確認を取れなかったことから、ツェントルムの経済界で大問題になってしまった。


 ヴォルフとその側近たちのこのへんの事務能力の低さは目も当てられない。


 しかも帰ってきたと思ったら、ザイツェタルク王になったジギスムントと大公の妹エレオノーラの婚約をツェントルムで知ったとかで、やれ祝い金はどうするだのそもそも婚姻を認めるのかだのと揉めている。


 ヴァランダンの外交政治は基本的にいつもめちゃくちゃだ。

 わかってはいたが、この惨状はもう少しどうにかならなかったのか。


 カールは皇帝になどなる気はなかったが、こういう状況のヴァランダンを救うためには偉くなる必要があることを感じていた。


 ヴァランダン平原ではたまに地吹雪が起こり、ブルートが陸の孤島と化す。


 その地吹雪がやむと、止まっていた人の往来が再開される。といっても、冬のヴァランダン平原を渡ろうなどという心意気のある者は屈強な男子に限られる。ただし、ヴァランダンまで来ようという心意気のある各国の使節はその屈強な男子に当てはまる。


 誕生日から数えて数日後、カールに山ほど手紙が届いた。


「外交文書に、しかも子供あてに変なことを書いてくる国はそうそうないと思うけど、念のため後で僕にも読ませてね」


 そう言って、ヴォルフはカールに封を切っていない手紙を渡した。このへんの律義さが良くも悪くもヴァランダンらしい。外交文書ならまず外交官たちやそのトップにいる国家元首のヴォルフが目を通すべきだと思うのだが、カールの個人名が書かれているものは最初にカールが読むべきだと思っているようである。


 カールは嬉しかった。

 カール個人に手紙が来ることはそんなにないからだ。

 過去には慈善事業に携わった病院や孤児院からお礼の手紙を受け取ったこともあるが、今回は見ず知らずの人たちからの誕生日祝いである。カールからは何もしていないというのに、みんな親切なことだ。当然これも一種の外交だとわかってはいるが、なんとなく幸せな気持ちになる。この国々はカールの誕生日をおぼえていたわけである。


 カールは去年まで国際的には存在しない子供だったが、今はロイデンじゅうが一挙手一投足を見つめている。


 ひとつひとつ、封を切って中身を確認する。

 どれもこれも紋切り型の、礼法の教科書に載っているのと同じ例文、構文の文面だ。

 それでも、この手紙を書いた人たちはカールの存在を知っている。


 ひときわ豪勢な金塗りの手紙が出てきた。

 封蝋に使われているのはザイツェタルクの国章だ。

 あんなすごい大国が国書でカールの誕生を祝ってくれるとは、と思うと興奮した。

 最後にはジギスムント王の署名が入っている――が、その下に、「代筆 リヒャルト・グルーマン」という署名も入っている。あの混血の青年がみずから書いたわけではなさそうである。これもまたグルーマン一族という連中の政治的手腕ということか。

 リヒャルト・グルーマンの顔はおぼえている。女性的な細面の美しい青年だった。ノイシュティールンのフリートヘルム大公の子分だという双子の兄弟にいじめられていたところを助けてもらったので好印象だ。彼が手紙を書いてくれたらしい。ありがたいことだ。


 その一通を読み終えて次の手紙に手を伸ばすと、ノイシュティールンの国章の封蝋がついた手紙が大量に出てきた。どうやらノイシュティールンは国の要人が全員てんでばらばらにカールあての手紙を送ってきたようだ。フリートヘルム、エレオノーラ、エヴァンジェリン、総理大臣に外務大臣に国防大臣に――しつこい。

 しかし、エレオノーラからの手紙からはいい匂いがする。しかも便箋には押し花がすき込まれている。なんておしゃれなのだろう。あの綺麗なお姉さんが、カールに個人的に手紙をくれた、と思うと、たいしたことのない文章なのに異様に興奮した。


 最後の一通に手を伸ばした。


 これは、見たことのある筆跡だった。


 封筒には、差出人の名前がない。封蝋はロイデン帝国の郵政省のもので、ロイデン人なら誰でも使える無難な矢車菊だった。


 焦る気持ちを抑えて、割り開いて中の便箋を取り出した。


『カールへ


十三歳のお誕生日、おめでとうございます。

この日は私にとって間違いなく一年でもっともすばらしい日です。

十三年前、あなたの母が私にあなたを授けてくださった時のことを思い出します。

私は今でもあの時の気持ちのままであなたのことを思っています。


あなたの父より』


 十三年間、ずっと欲しかった言葉だった。

 これだけの文章が、どんな美辞麗句よりも嬉しい。


 でも、直接言ってくれたら、もっと嬉しかった。


 差出人の名前も住所もない。返事を書くことができない。半年ぶりに生きていることを確認できた。得られた情報はそれだけだった。


 ただ――続きを読む。

 その手紙には、こんな物騒な追伸が書かれていた。


『追伸

誰かに何か恐ろしいことを言われても、決してクセルニヒには近づかないように。

ザイツェタルクやその他の小国と交流を持つことは許可しますが、クセルニヒだけは関わらないように。

ノイシュティールンも好ましくありませんが、クセルニヒよりいくらか良いでしょう。』


 半年前となんら変わらない生活を送っているただのヴァランダンの子供であるカールに外交的な決定権はない。したがってそんなに心配されなくても、クセルニヒはおろかノイシュティールンやザイツェタルクと関わることもないと思う。


 けれど、こんなに念押しするということは、と考える。


 クラウスはクセルニヒにいるのではないか。


 彼は、クセルニヒで何かを見聞きしている可能性が高い。クセルニヒ本土にいるわけではないかもしれないが、クセルニヒに関して、何か重大な情報を持っているのだ。


 帝国の郵政省の支所はロイデンじゅうの主要都市にあるので、クセルニヒからではない、とは、断定できない。ゲルベスから手紙を出した可能性は、否定できない。


 カールの中に、むくむくと反抗心が湧いてきた。


 そこまで言うなら、クセルニヒに乗り込んでやろうではないか。


 クセルニヒでクラウスと会って、直接自分の口でカールの誕生日祝いを述べるようにと迫るのだ。


 そしてヴァランダンに帰ってくるように言う。一緒に暮らすためだ。


 そもそも、カールはクセルニヒをそんなに恐ろしいところだとは思っていなかった。

 ザイツェタルクはオグズ帝国と隣接していて戦争したし、ノイシュティールンは海賊の猛攻にさらされている。だが、クセルニヒではそういう話を聞いたことがない。漠然と、そんなに治安の悪いところではない気がしていた。

 海の向こう側、というのもなんとなくロマンがある。

 なにより、可愛い女の子が女王をしている。十三歳のカールにとって、美しいエレオノーラや可愛らしいイルムヒルデはあこがれの年上の女性だ。


 ヴォルフはカールに皇帝になってほしいと言っている。

 クセルニヒ行きも立派な外交政治だ。もしも皇帝になることがあったら、クセルニヒとも渡り合う必要がある。

 そう言えば反対はしないだろう。


 この時のカールは、そんなふうに楽観視していた。


 なにせ、国際的に無視されていることが当たり前だったカールは、この時、クセルニヒから手紙が来ていないことに気づいていなかったのだ。


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