第10話 父と呼べたら、それだけで満足なのに
夏至祭が来た。
ブルート城の周りを囲む林の中、少し開けたところで巨大な焚き火が燃えている。炎を嫌がるクラウスは近づきたがらなかったが、多くのブルート市民は毎年焚き火を囲んで輪になって踊っていた。
祭は若い男女が恋の相手を探す日でもある。飲み食いする既婚者や子供たちを放って、若者たちが手を取り合って踊り、見つめ合う。
その様子を見て、カールは、クラウスとカールの母もあんなふうに踊ったのだろうか、と考えていた。
自分の両親はどこでどうやって出会ったのだろう。どんな会話をして、どんなふうに愛をはぐくんだのか。
正式な結婚をしなかったのは、クラウスが生きていることをツェントルム政府に知られたくなかったからだ、というのはなんとなく察した。
ヴァランダン辺境伯は貴族なので、その姫君が結婚するとなると、皇帝の許可がいる。その皇帝はクラウスを殺そうとした兄だ。兄に結婚を願い出るわけにはいかない。
周りのみんなが言うように、父親であるクラウスが無責任だからロスヴァイセと結婚しなかった、というわけではなかったのだ。むしろ、自分が帝室の人間であるせいでロスヴァイセに危害が及ぶことをよくよく考えた結果の、責任感ゆえのことだったのだ。
それを一言言ってほしかった。
木陰で膝を抱えて座り込む。この時間は夏至でも少し肌寒い。
「よお、坊」
不意に肩を抱かれた。
顔を上げると、ラーシュが隣にしゃがみ込んでいた。
「なんだ、景気の悪い顔をして。祭なんだから、お前も酒を飲めよ。こんな日にまでイイコチャンしなくていいんだぞ」
カールは首を横に振ってまたうつむいた。
「……なんだ、本当に元気がねえんだな」
ラーシュが「どっこいせ」と言いながら完全に腰をおろした。
「何かあったのか?」
「クラウスさんが旅に出てしまいました」
「そうか。お前にもちゃんと挨拶して行ったのか」
その言葉を聞いて、今度は弾かれたように顔を上げた。ラーシュは何でもなさそうな顔でカールを見つめている。
「俺にも挨拶して行ったぞ。何かあったらカールを頼む、ってな。騎士団の連中はクラウスをとことん嫌ってるから、同胞団しか頼れないんだろ」
「クラウスさん、どこに行くか言っていました?」
「ずいぶん長旅になる、みたいな言い方だったな。具体的に、ここ、というのは言わなかったが、南のほう、っつってたから、たぶんザイツェタルクじゃねえの」
「何のために?」
「さあな。そこまで俺たちを信頼してるわけでもねえんだわ」
小型の樽のようなジョッキから、ビールと思われる液体を飲む。
「これは俺の予感だが。あいつ、帰ってこない気かもしれねえなあ。覚悟が決まった、据わった目をしてた」
ヴァランダンに、帰ってこない。
それは、もう二度と一緒に暮らせない、ということではないのか。
鼻の奥が、つんとする。
「さみしいか」
「もちろん」
ラーシュの大きなごつごつとした手が、カールの頭を抱えた。
「ラーシュはクラウスさんと僕の母のことを知っていましたか?」
「クラウスがお前の父親だっつう話か?」
「知っていたのですね」
「みんなうすうす勘づいてる。なにせロスヴァイセのほうもクラウスにご執心だったからな」
左手でカールの頭を抱えたまま、右手でビールを飲み続ける。
「どこから流れてきたのかわからねえ、怪しげな傷だらけの男によ。火をつけられるなんて普通のことじゃない。クセルニヒかどこかで魔女狩りにでもあったのかもなあ。そんなヤバい過去の持ち主を受け入れるなんてな、よっぽどのことよ」
実の兄に殺されかけたのだ。
言えない。
「クラウスはそんな話をしていったのか」
「はい」
「やっと言えたのか。奴のほうはすっきりしただろうな」
そして、「でも」と鼻で笑う。
「いまさら、それもこんな別れ際に言われても、お前の側は心の整理ができねえよなあ」
ラーシュの言葉が優しくて、心に染み入る。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったのでしょうか」
声が、震える。
「クラウスさんは、ブルートに流れ着く前にしていたことを僕に継がせたいみたいなのです。僕にすべてを相続してほしいと。でも僕は、そんなものはいらなくて」
涙が次から次へとこぼれる。
「どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。僕はただ、実のお父さんに会いたかっただけなのに。会って、よくがんばっているねと褒めてほしかっただけなのに」
父親がずっとそばにいたことを知らなかった。
カールだけが気づかずにいた。
クラウスはきっとカールの成長を見守ってくれていたのだろう。
あの時も、この時も、その時も、振り返ればカールの人生の節目節目に彼がいた。誕生日は毎年盛大に祝ってくれたし、父母を思って途方に暮れた夜は抱き締めてくれた。
カールはクラウスが大好きだった。
家族だと、思っていた。
血がつながっていなくても、大切な存在としてともに暮らすことはできるのだと、信じていた。
「知っていれば」
心から、さみしい。
「クラウスさんを、お父さんと呼べたら。僕はそれだけで満足なのに」
嗚咽を漏らして泣き始めたカールを、ラーシュは強く抱き締めてくれた。いつかの夜はクラウスが同じように抱き締めて慰めてくれたものだ。
「ひでえ奴だな、あいつはよ。お前から父親を奪ったんだ」
カールはラーシュの腕の中で何度も頷いた。
「クラウスさんの――お父さんの話をもっと聞きたかったし、お母さんの話ももっと聞きたかったです。僕がどこから来て、どうしてここにいるのか、教えてもらいたかったです」
「でも奴はもう帰ってこない」
「帰ってきてほしいです」
ずっと一緒にヴァランダンで暮らすのだ。
「帰ってきてほしい……」
クラウスとヴォルフが画策していたのは、カールを帝位につけることだったようだ。カールの出自が明らかになったら、ヴォルフの一家も危険だと判断したのだろう。だからヴォルフはナンナたちを遠ざけたのだ、と思うと、すべてがカールのせいのように思えてきてつらい。何もかもなかったことにしてもらいたい。
しかし、逃れられない宿命がひたひたと忍び寄ってきているのも感じている。
クラウスがこのタイミングで出ていったわけがわかった。
先日、ルートヴィヒ帝が意識を失って倒れたのだそうだ。その情報が昨日ブルートに届いた。
ルートヴィヒ帝はまだ正式な後継者を決めていなかった。
これから三人の息子たちが骨肉の争いを始める。
その三人の誰も指輪を持っていない。
服の上から首に掛けた指輪を握り締めた。
この指輪がある限り自分は命を狙われ続けるのかもしれない。この指輪をカールが持っている限りロイデン帝国は揉めるのかもしれない。
この指輪をしっかり相続させるために、クラウスは従兄たちを殺す気だ。
巨大な不安が足元に広がっている。
クラウスには、そういう不安からカールを守ってほしかった。
なんにも知らずに、修道士でも騎士団の事務でも、ヴァランダンのどこか戦闘には参加しなくてもいいところで大人になっていい、と言われたかった。
父親なら、そうして守ってくれてもよかったのではないか。
子供の人生に責任を持つ、ということは、どういうことなのか。
今は、ただただ、大丈夫だと言って、笑ってほしい。
「ツェントルムに行きたくないです……。ヴァランダンとみんなで過ごしたい……お父さんも一緒に」
泣き続けるカールを、ラーシュはずっと抱き締めてくれていた。
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