第7話 カール少年と皇帝の指輪 4
その日の夕飯の席には久しぶりにクラウスがいて、カールは楽しかった。ナンナと子供たちがいないさみしさが紛れたような気がした。ヴォルフも久しぶりに表情を崩していて、ナンナとの十六年には及ばないとはいえ、クラウスとも十五年の積み上げがあるのだと感じた。
しかし、ふとした時に、クラウスはカールの父親と親しかったのだ、というのがよぎっていくのがつらかった。カールの父親は何を思ってクラウスに指輪を託していったのか。クラウスは彼のことをどこまで知っていたのか。
カールの父親はカールを愛しているらしい。愛していた、とは少し違う。つまり彼は今もどこかにいてカールのことを見守っているのではないか。愛憎半ばする感情を覚える。見ているなら出てきて殴られてほしいと思う気持ちと、見ていてくれて嬉しいと思う気持ちとでぐちゃぐちゃになる。
いずれにせよ、彼は母を愛していたのではないか、と思えたのは嬉しかった。何か特別に深い事情があって、カールやロスヴァイセをごみのように捨てていったわけではないらしい。それなら連れていってくれと思わなくもないが、カールにはヴァランダンの外で生きる未来を想像できないので、それはそれでいいのかもしれない。
カールの父親はツェントルムから来た。ツェントルムに帰っていったのだろうか。ツェントルムに行けば会えるのだろうか。
ヴォルフもクラウスもカールの前では二人の秘密の計画については微塵も触れなかった。カールもだんだん考え方が変わってきて、今度もっとちゃんとした時に話そう、と思うようになっていた。安易に踏み込んではいけない。これには国とカールの将来がかかっているらしいので、もっと慎重にならなければならない。
カールはずっとブルートにいたかったが、いつかはツェントルムに行かなければならない気がし始めた。とはいえそれは旅行程度のもので必ずブルートに帰ってくるつもりだが、いつだか男の子は冒険するものだと言っていたのはナンナだったか。カールも近々冒険の旅に出ないといけないのかもしれなかった。
夕飯の後、クラウスがちょっと出掛けてくる、と言って出ていった。鉄血同胞団の溜まり場に行くらしい。クラウスとラーシュは親しくて、たまに酒を酌み交わしているようである。どうやらクラウスも一時鉄血同胞団にいたことがあるようだ。ああ見えてクラウスも剣の達人だと聞いた。機敏に運動できるイメージはないのだが、あの傭兵軍団でそれなりに認めてもらえるのであれば事実なのだろう。
カールはクラウスに何度も飲みすぎないようにと釘を刺したが、今回もきっと無駄だ。また酔っ払って帰ってくるに違いない。しかしもう構ってやらないと誓って、カールは風呂に入って寝支度を始めた。
寝間着姿で城内をうろついていたところ、ヴォルフに呼び止められた。だらしないと怒られると思ったが、彼は怖い顔はしていなかった。
「首の、どうしたの」
カールは自分の首元に視線を落とした。そこに銀のチェーンがかかっている。
「クラウスさんにいただきました」
服の合わせ目からチェーンを引っ張り出してきて、ペンダントトップのようにぶら下がっている指輪を見せた。
「どうやら僕の父親の私物らしいのですが、なぜかクラウスさんが持っていたとかで。これがあれば僕の父親の身分が証明できると聞いたのですけれど、ヴォルフさんは見覚えがありますか?」
カールは今回クラウスに渡されたことで初めてこの指輪の存在を認知した。クラウスが人前で服を脱ぐことはないので、彼が首にペンダントを下げていることも知らなかったのだ。
「どうして父はこれをクラウスさんに預けたのでしょうか。クラウスさんはとても大事にしていたようですが……いったいどういう関係があってなのか、ヴォルフさんは知っていますか?」
こうしてカールがしゃべっている間、ヴォルフは一言も発しなかった。唖然としたまま、カールの指先でぶらぶらと揺れている指輪を見つめていた。その反応が奇妙に思えて、カールも口を閉ざした。
「それは……、すごいものをもらったね」
ヴォルフが手を伸ばし、「ちょっと触ってもいい?」と呟くように言う。カールはチェーンをはずそうと思ったが、「いい、そのままで」と言うので、顎を突き出すようにしてヴォルフが指輪に触れるのを待った。
「重い」
ヴォルフが小声で言う。
「重いね。これは、重い」
カールはきょとんとした。確かに指輪のわりには重量があるが、しょせん指輪である。首から下げていても特に異物感はない。
「クラウスさんに何度か見せてもらったことがあるし、姉さんからも話は聞いていたけれど……、そうか、これがとうとうカールの手に……」
なにか感慨深いものがあるらしい。
「これ、そんなに特別なものなのですか? クラウスさんはとても価値があるものだと言っていましたが、ただの指輪ではないですか」
「それはただの指輪ではないんだよ。ロイデン帝国で一個しかないものだ」
どうやら特注品のようだ。
「僕の父親はお金持ちの家の人だったのですねえ」
となると、ロスヴァイセとカールを養う金のゆとりがなくて逃げたわけではないのだろうか。
ヴォルフが吹き出した。
「そうだね、とてもお金持ちだったんだけど、家庭内でいろいろうまくいかないことがあって、追い出されてしまったようだよ」
「へえ」
そういえば、ヴォルフもカールの父親と面識があるはずだ。なにせ彼の姉の恋人である。十二歳になったカールはとうとう愛がなくても子供は作れることを知ってしまったが、クラウスの様子を見た感じでは、カールはそういう経緯で生まれたわけではなさそうだ。つまり、ヴォルフは姉がカールの父親と愛をはぐくむところを見ていたはずだ。
もっと教えてほしい。けれど、教えてくれない。
この指輪だけが、父と自分をつなぐ唯一のよすがのように思われた。
ヴォルフが指輪から手を離したので、カールは指輪を強く握り絞めた。
「とにかく、それはなくさないように。肌身離さず持っているんだよ」
「はい」
服の合わせ目から皮膚の上に落とすようにして隠した。
「もう、時間が迫っているんだねえ」
ヴォルフがしみじみと言う。
「カール、逃げないでね。お前は運命の子。そういう宿命なんだ」
「何が?」
「まだ子供のお前にこんなに重いものを背負わせるのはどうかと思うけど。お前は良い子だから、期待に応えてくれると信じている」
「はあ」
それこそ、父親もいない、母親もいない少年に何を求めているのやら、という話だ。
だが、カールは求められることは嫌いではなかった。それに、無理なことは無理と言える性格だった。この叔父がカールに無茶を強いるとも思えない。
自分が何かをがんばったら、ナンナと子供たちを城に呼び戻して、またみんなで楽しくにぎやかに暮らせる。
「僕は何をしたらいいのですか?」
ヴォルフは優しく微笑むだけでその質問には答えなかった。
「いい? カール」
彼の大きな手が、カールの二の腕をつかむ。
「今、ツェントルムでは皇帝陛下がご病気らしい」
突拍子もない話に、カールは面食らった。
何がどうつながって皇帝の話になったのだろう。
ツェントルムにいる皇帝ということは、ロイデン帝国皇帝ルートヴィヒの話に違いない。
だが、カールからしたら会ったこともない、話も噂や学校の授業でそれとなく聞く程度の人だ。
しかも存在感の薄い皇帝だ。ヴァランダンの国家元首であるヴォルフのほうがよっぽど有能な君主である。
ロイデン帝国はよっつの大きな国とたくさんの小国からなっている。ザイツェタルクのオットー王、クセルニヒのイルムヒルデ女王、ノイシュティールンのフリートヘルム大公、そして我らがヴァランダンのヴォルフガング辺境伯、この四人のほうがよっぽど政治的にインパクトのある人物だ。ルートヴィヒ帝など、吹けば飛ぶような人間だ。
「皇帝陛下に何かあったら、僕はお前をツェントルムに連れていく」
「なぜ?」
「お葬式に出るためだよ」
「なるほど」
辺境伯は帝国の重鎮だ。その辺境伯が皇帝の葬儀に出席するのは当然のことだ。その甥としてついていくというのはありえるかもしれない。
それに、万が一今ヴォルフに何かあった時は、辺境伯の座が空白になる。それは甥のカールが一時的に埋めないようないけない気もしていた。フォルセティが立派な大人の騎士になる前にヴォルフが倒れるようなことがあれば、カールはつなぎの辺境伯となるのだ。
そういう流れを考えれば、自分が皇帝の葬儀に出るのもそんなにおかしなことではない。
「でも、縁起が悪いですよ。まだ亡くなられたわけではないのでしょう? それなのに、お葬式だなんて」
「ご危篤になってからでは遅いこともある」
「たとえば?」
「相続とか、後継者の指名の話だよ」
「ふうん……」
カールはそれを一般論として受け止めた。
そういえば、皇帝にはどんな家族がいるのだろう。カールの祖父にはヴォルフしか息子がいなかったし、ヴォルフにはフォルセティしか息子がいないので、ヴァランダン辺境伯家では相続は話題にならない。
「帝室のこと、勉強しておきます」
「そうだね、それがいいよ」
また、頭を撫でられた。カールは、なめられっぱなし、と思ってむくれたが、カールの世界ではこの温厚な叔父が世界最強なので逆らわなかった。
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