第5話 父親のいない子供たち
鉄血同胞団は、一回情報の切れ端をつかむとその後の行動が早い。
メンバーの一人がカールを訪ねてきて、ナンナの居場所を教えてくれた。
カールはいてもたってもいられずにナンナに会いに行った。
城を出たナンナが子供たちを連れて身を寄せたのは、ある宿屋だった。そこで若女将として働くというのである。
宿屋というのは良くない。いくら夏で気候がいいとはいえ、ヴァランダンを通過する旅行者はだいたい戦功を挙げたい無鉄砲な若者か大きな街道を堂々と歩けない訳ありの人間だ。ほとんどが男性の一人旅で、そういう中で独り身の女が働くというのは、十二歳で世間のことがわかるようになってきたカールには怖いことのように思う。
そんな中で働かせるわけにはいかない。一刻も早く連れ戻して、安全で安心な生活を送ってほしい。
ヴォルフが言うには、ヴォルフのそばはもう安全な場所ではないということだが、十二年間ブルート城内で暮らしてきたカールにとって一番安全なところといったら今も昔もそこだ。
まだ昼間なので、宿屋街は閑散としていた。普通の旅行者は昼間外で活動して寝るためだけに宿に戻ってくるものである。この時間帯ならゆっくり話ができるはずだ。
宿屋に入ると、玄関のカウンターに女将がいた。すでに中年の女盛りを過ぎた女性だったが、重みに負けそうな胸を寄せて上げてあだっぽく仕上げている。結い上げた髪のおくれ毛がしわの多い首にかかっていた。強い香水の匂いがする。
「おや、坊や。よく来たねえ。社会勉強かい?」
カールはすぐ「いいえ」と答えた。
「ナンナさんに会いに来ました。ラーシュたちがここにいると聞いたと言っていて」
「あのごろつき傭兵どもがそんなことを」
「ナンナさんと話をさせてください。お願いします」
ぺこりと頭を下げたカールを、女将はむげにはしなかった。
「こっちに来な」
そう言って、奥の厨房に案内してくれた。
厨房に入ると、ナンナは調理台に向かってじゃがいもを切っていた。夕飯の仕込みらしい。彼女はヴォルフと結ばれてからもメイドとしてこういう下働きをしていたので、そんなに不自然なことではない。
ナンナのすぐそばに子供たちがいた。
流し台でじゃがいもを洗っているのは、娘のエイルである。父親譲りのライトブラウンの髪は母親譲りで癖が強く、上半分をまとめている。きつい目つきは母親そっくりだ。
そのそばでしゃがみ込んで人形遊びをしていたのが、息子のフォルセティだ。彼は何から何まで父親を写し取って小さくしたような子供で、不安げに人形を握り締めているところにまで面影があった。
二人はカールの姿を見つけると持っていたものを放り出して駆け寄ってきた。
「おにいちゃん、むかえにきてくれたの」
正確には従兄なのだが、二人はカールを実の兄のように思っているようで、自然にお兄ちゃんと呼んでいる。一人っ子のカールは嬉しくて黙ってそれを受け入れていた。
「やっとおしろにかえれるのね! エイル、ほんとうにはやくかえりたかったの」
「フォルも! フォルもおにいちゃんとおねえちゃんとかえる!」
しがみついてくる姉弟の哀れな姿に泣きそうになる。もちろん、と言って抱えて帰ってやれたらどんなにいいことか。
「やめな、二人とも」
ナンナは険しい顔つきでカールの顔を見ることすらなく言った。手だけが粛々と芋の皮を剥いている。
「帰らないって言ったら帰らないんだよ。お前らはお父様に捨てられたんだ」
姉弟がびくりと肩を震わせ、信じられないという目で母親を見つめた。
「そんな言い方ないではありませんか!」
カールは声を大きくした。
「子供たちが怖がるでしょう? そういうのはよくないと思います」
「でも事実だよ。もう二度と会うこともないよ」
「そんなことはありません。ヴォルフさんは子供たちを愛していて、とても心配していて――」
「じゃあなんであんな態度なのかね。手切れ金の支払いも滞ってるよ」
それは単純にブルート城の人間の事務作業がへたくそなだけで、ヴォルフに悪意はない。ヴァランダンは役所仕事が本当に遅い。小遣いが欲しい時は辺境伯の事務官に言うよりカールが自分で帳簿と無駄遣いしない旨を記した誓約書を作って経理担当に提出するほうが早いくらいだ。ヴォルフは武術一辺倒の武人でナンナは読み書きができないメイドだから、そういうことには疎い。全部僕がやってあげます、と言ってしまえればどれほど楽か。
「もう絶対、二度と会わないよ」
ナンナの水仕事で荒れた手が芋をてきぱきとさばいていく。
「十六年も一緒にいて、いまさら隠し事をするなんて。もう信頼関係は破綻したんだよ」
カールは言葉を詰まらせた。十二歳のカールにとって、十六年は途方もない時間だ。そんな時間をかけて積み上げたものがヴォルフとクラウスの策謀で一瞬で突き崩された、と思うとつらい。クラウスをつつきまわして泣かせたくなる。あの男はいったい何を考えているのだろう。
「十六年も一緒にいたのに」
ナンナの声が、一瞬震えた。
「あたしのことが信頼できないんでしょうよ。なんかすごいことが起こってるのに、あたしを蚊帳の外にしようってんでしょう。あたしにも話せない、何かどでかいことをやらかそうとしてる。馬鹿な男だよ、もう付き合ってられないよ」
それを聞くと、悲しい気持ちになる。
ナンナもわかっていないわけではないのだろう。ヴォルフには何かすごく重い事情があってこの決断に至ったのであって、たとえば浮気とかメイドに手を出したことによって色眼鏡で見られているという世間体とか、そういった個人的なことのためにナンナを切ったわけではない、ということはわかっているのだ。
だからこそ、ナンナは下がったのかもしれない、というところまで、カールは想像した。
ヴァランダンの女の弱みだ、と思う。強く勇ましく戦う男たちの陰で、女たちはいつもこうして泣いている。
「いまさら足手まといだなんて、そんなの――」
母の悲しみを感じ取ったのだろうか、フォルセティがわっと泣き出した。姉のエイルが「ないちゃだめ、ないちゃだめ」となだめているが、なかなか泣き止まない。
「フォル、おとうさまにあいたいよお。なんでむかえにきてくれないの。フォルもうこんなところにいたくないよお、おとうさまのいるおしろにかえりたい」
たまらなくなって、カールはそれぞれの腕で姉弟を二人まとめて抱き締めた。
この夫婦の間には、カールの想像を絶するようなきずながあって、それが破綻したのだ。
ヴォルフはナンナや子供たちを守るためとは言ったが、そこにナンナの意志は介在せず、彼女はたいへん傷ついた。
ヴァランダンの男の身勝手さ、ヴァランダンの女の聞き分けの良さ――みんな不幸になる。
「……お金が支払われたら、この宿屋を出て……、ブルートを出て、どこか田舎で静かに暮らす、ということにはならないでしょうか?」
カールがそう提案したところ、返事をしたのはナンナではなくカールの背後で話を聞いていた女将だった。
「勝手なことを言うねえ。女一人で子供を育てるってことになった時点で静かな生活なんてものはないんだよ」
女将の言葉がカールの心に突き刺さる。
「田舎に行ったら村人たちの無神経さで疲れるに決まってる。都会で人ごみに紛れて暮らしたほうがいくらかマシさ。都会には父親に捨てられた子供もそのへんにわんさかいるしね」
「でも……」
ヴォルフはブルートを離れて安全なところに行ってほしいという口ぶりだった。だが、それをここで明かしてもいいものか。それに、明かしたところで、ナンナが従ってくれるのか。
「旦那と別れた時点で、女の人生はいったん終わるものなのさ」
女将が人生の酸いも甘いも知り尽くした目で言う。
「やり直しの人生をどう生きようが、元旦那やその身内につべこべ言われる筋合いはない」
「そういうものなのですか……」
「苦労はするだろうけどね」
次の言葉が、カールの心をえぐった。
「子供たちだって、父親のいない人生なんて最悪だろうけど、一回手放しちまったんだから、どこまで落ちても父親に文句を言われることはない。それは、坊や、お前が一番よくわかってんだろう?」
「え……」
「父親がいないってえのは保護者がいないってことだ。いざという時守ってくれる人がいない。子供の人生に責任を持ってくれる人はいないってことだよ。ねえ、そうだろう? それは孤独なことさね」
「そう……なのでしょうか……」
そこまで考えたことはなかった。ただ、何も知らない赤の他人から時々そう言われるのをもやもやしながら聞いているだけだ。日常生活を送る上では何の支障もない。
「坊やは恵まれてるよ」
そう言いながら、女将はカウンターに続く廊下のほうに体を向けた。
「普通の父なし子は不幸になるもんだ。普通はね」
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