第4話 この国のすべてをカールに賭ける
翌朝の食卓は、さみしいものだった。
カールが小さかった頃は、祖父母もいたし、食客たちもいた。最近でも、ナンナと、従兄弟のエイルとフォルセティがいた。
それが、ヴォルフと一対一になってしまった。
気まずい。
「カール」
ヴォルフは不機嫌そうだ。普段はカールや子供たちの前で露骨にこういう態度に出る人ではないので、いつにないことにちょっと怖い。
「昨日の夜はどこに行っていた?」
質問されて、カールは縮こまった。
夜無断で城を抜け出したのがばれている。
十二歳のカールはまだ大人の男性とは言いがたい。そんな自分が夜中に治安の悪い裏路地の酒場を訪問する、というのは怒られてしかるべきのような気がした。
けれど、嘘をつくという選択肢はなかった。
カールは生まれてこのかた嘘をついたことがない。正直であることはヴァランダンの人間としての美徳だと教わってきたからだ。文句があるなら正々堂々剣を交える、それがヴァランダンの文化である。
「ラーシュに会いに……鉄血同胞団のみんなが溜まり場にしている酒場に……」
「どうして僕に何も相談せずに?」
鉄血同胞団に会いに行ったこと自体は怒っていないらしい。それもそうだ、ヴォルフは彼らの上司であり、彼らがラーシュの下で統率されていることを知っている。ヴォルフはラーシュたちが思っているより鉄血同胞団を信頼しているのである。
そうではなくて、黙って出掛けたことが良くなかったようだ。
かといって、ヴォルフがナンナと別れたのが嫌で愚痴をこぼしに行った、と言うのは気が引けた。勇気が必要だ。
「白夜の季節は、子供だって夜遅くまで外で騒いでいても怒られないのに……」
ごにょごにょと言い訳めいたことを口にしてしまった。
「保護者の目の届く範囲内だったらね」
ぴしゃりと言われてしまった。
だが、悪くない。
彼の言うとおり、カールはまだ十二歳で、大人の庇護が必要な年齢である。身長はようやくナンナより大きくなったところで、手足は細くてひょろひょろで、筋肉も薄っぺらだ。習っている剣術と弓術もあくまで子供のわりには上手という範囲を出ないので、騎士団や鉄血同胞団とは比べ物にならない。そんな自分が夜中に保護者である叔父に無断で外出する、というのは、良くないことである。
ヴォルフはいつも筋が通っている。正義の人で、道理の通らないことは決して言わない。
だからカールは彼を信頼しているが、しかし、それはそれ、これはこれで、怖い時は怖い。
でも、正直であらねばならない。
カールが彼を信頼していても、彼がカールを信頼し続けてくれるとは限らない。そういう時は、嘘やごまかしは良くない。
「ナンナさんが出ていったのがさみしくて……」
ヴォルフの片眉が上がった。
「どうにかしてヴォルフさんとナンナさんを仲直りさせられないか、あるいはこのさみしさを紛らわすにはどうしたらいいか。そういうようなことを、ラーシュたちに相談しに行きました……」
包み隠さず打ち明けた。
「それは、僕には言いにくいね」
納得してもらえたようだ。だからといって喜ぶべきことではないが、これで怒られる心配はないだろう。
カールは目玉焼きを切っていたナイフとフォークを皿の端に置いた。
「ねえ、どうして追い出してしまったのですか? みんな心配していますよ、こんな急にどうしたのかと」
「大人にはいろいろあるんだよ」
「こちらが子供だからといってごまかさないでくださいよ。僕だってナンナさんやチビたちと家族なのですから。ずっとこの城で一緒に暮らしていた、大切な人たちです」
ヴォルフもサラダをつついていたフォークを置いた。
「急ではないんだ」
「前から考えていたことだったのですか?」
「そう。だけど事情があってずっと黙っていた。このことについてはクラウスさんと二人だけの内緒話だ」
「えっ」
予想外の人物の名前が飛び出した。あのちゃらんぽらんで胡散臭い男がいったい何に関わっているというのだろう。彼もこの城にねぐらを構えているので大雑把に見れば家族と言えなくもないが、ヴォルフとナンナの夫婦関係に口を出せるほどの重要人物であるとは思えなかった。
驚いているカールをよそに、ヴォルフは話し続けている。
「ナンナや子供たちを巻き込むわけにはいかない。戦場ではいついかなる時も最悪を想定しているべきだ。彼女らがここにいて、それで万が一のことがあった時、僕が守れるとは限らない。出ていってもらって、事が済むまで安全なところで暮らしてもらいたい」
なぜクラウス、と問うタイミングを逃した。カールはまた「ええっ」と声を漏らした。
「何を言っているのですか、ナンナさんはいざという時は一緒に戦ってくれますよ。ヴォルフさんが一方的に守ってあげなければいけないような女性ではないではありませんか」
「そう言いたいところだけど、ナンナは剣も槍もできない。それに、ナンナはよくても、子供たちは五歳と三歳だからねえ」
エイルとフォルセティのことを言われると反論できない。城内のどこかに閉じ込めておけばと思わなくもないが、城に火をつけられたら一巻の終わりである。
「まあ……、でも」
膝の上のテーブルナプキンの端を指先でもてあそぶ。
「嫌いになったわけではないのですね。何が起こるのかは知りませんが、片付いたらまた城に呼び戻して一緒に暮らせるということですね?」
「どうだろうねえ、ナンナは何も相談しなかった僕に対して怒っていると思うから」
確かに、ナンナはそういう女性だ。けれどそれはヴォルフの重荷を分かち合ってあげたいと思う愛情ゆえのことで、彼女はいつだってヴォルフのことを慮っている。
ナプキンから手を離して、まっすぐヴォルフの顔を見た。
「何が起こるのですか?」
ヴォルフのヘーゼル色の瞳も、カールをまっすぐ見つめている。
「ナンナさんにも言えない、僕にも言えないこと?」
少しの間、彼は沈黙した。話すことをためらっているようだった。
「ナンナさんも、僕も、信用できないですか……?」
そこまで問い掛けて、返事を待とうと思ってカールも黙った。
「時が来たら、わかると思う」
静かな声で、そう告げた。
「でも、まだ、口に出すのも危険なことだ。ヴァランダンという国の存亡にかかわるから」
想像以上に大きな話のようだ。ぎょっとして目を丸くしたカールに、ヴォルフがほんのり微笑む。
「僕はね、カール」
ヴォルフが食卓にわずかに身を乗り出すようにして上半身を傾けた。
「この国のすべてをお前に賭けようと思っている」
何を言われているのか、さっぱりわからない。
「僕に?」
「そう。お前を本当の居場所に帰してやるために」
気が動転してしまった。
何を言っているのだろう。カールはここで生まれてここで育った。ヴォルフの甥として、先の辺境伯の孫として、そんなに不自由せず生活してきたのだ。確かに不満もなくはないが、カールはここで暮らしていることを幸せに思っているのである。
本当の居場所など、あるわけがない。
ヴォルフたち叔父一家と、騎士団のみんなと、鉄血同胞団のみんなと、それからおまけにクラウス、彼らがいるこここそが、カールにとって家であり、居場所だ。
「お前の将来のためなんだ。それに、うまくいけば、国も栄える。みんなが幸せになれる」
どこにあるかわからない本当の居場所というよそにやることで、国が栄えて、みんなが幸せになる――背筋が寒くなる。
「お前なら、できるよ」
何を求められているのだろう。
混乱して言葉を失っているカールに気づいているのかいないのか、ヴォルフは話をさらに進めた。
「今、僕とクラウスさんは、その日が来た時に備えて準備をしている。だから、カール、もし本当にそういうことになったら、全面的にクラウスさんに従いなさい。クラウスさんの言うことを、よく聞くんだよ」
「どうして……」
なぜあの男が、という言葉も出かかったのに出なかった。
よくわからないどこかへ、追い出されようとしている。
カールはそれが、怖かった。
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