第3話 ブルートの薄汚れた飲み屋街の酒場にて

 風体の悪い男たちが、声を上げて笑った。酒場のホールの真ん中で、樽のようなジョッキでビールを飲みながら、である。


 男たちのうちの一人に肩を抱かれながら、カールは、相談する相手を間違えたかもしれない、と思って縮こまっていた。


「いいじゃねえか、好きにやらせとけ。お前が心配することはねえよ」


 筋骨隆々とした体躯にひげを伸ばしたい放題の顎の男が、カールの耳元で言う。こんな至近距離なのにかなりの声量で話し掛けてくるので、耳の奥がびりびりした。


「どうせすぐ元鞘に収まるだろ。ヴォルフのやつはナンナにべた惚れなんだからよ」

「いやいや、わからんぞ」


 剃り上げた頭に大きな傷のある男が、一口ビールを飲んでから言う。


「ヴォルフはああ見えて根性がある。一回やるって決めたことはやり通す男よ。追い出すって決めたら追い出すんだろ。それでもって、そこまでの覚悟があるってことは、それなりに深い訳があるにちげえねえ」


 大きな手が、後ろからカールの頭を撫でた。顔を上げて手の主を見ると、ぼさぼさの長い金髪をひとつにくくった、筋肉の重みでカールの倍くらいの体重がありそうな体躯の男が立っていた。特徴的なのは右のまぶたから鼻の上を通って左の頬へ続く大きな刃物傷だ。


「まあ、坊、いい情報をありがとな。やっぱ城の情報はお前から取るのが一番だ。お小遣いをくれてやろう」

「ラーシュ」


 カールは歯を剥いて唸った。


「それでは僕があなたたちのスパイをしているみたいではありませんか。僕はあくまで相談事に来ているのであって、隠し事を売りに来たわけではありません」

「でもヴォルフは俺たちに情報を卸すのが遅いからよ」


 カールの頭から手を離して、「よっこらせ」と言いながら木の椅子に座る。小さな椅子から毛皮をまとった尻がはみ出している。


「お前は馬鹿じゃねえ。隠し事はちゃんと隠し事として守る男だ。こんなきたねえ店で俺たちみたいなごろつき相手にしゃべってるっつうことは、城では秘密事じゃねえんだ」


 店の女将おかみがカウンターの向こうで「汚いとは何だい」と怒鳴った。


「文句があるなら出ていきな!」

「まあまあそうかっかするな、どうせ俺らが落とす金でもってる店だろ」

「迷惑してるよ、あんたらみたいなのがいるから他の客が寄りつかないんだろ」


 男たちが「ちげえねえ」と言ってげらげらと下品に笑う。女将が呆れたようにそっぽを向く。


「情報には伝達速度っつうもんがある。ヴォルフが震源地の時は、まずは辺境伯家、次に騎士団、それから俺たち鉄血同胞団てっけつどうほうだんだ。お前が教えてくれなきゃ俺たちは自分で情報を取りに行かないとならない。俺たちも一応ヴァランダンの軍人だぜ、もうちょっと身内扱いしてもらいてえもんだ」


 語りつつ、ラーシュはまたカールの頭を撫でた。ラーシュのごつごつとした手はクラウスよりもひと回り大きく感じられた。

 ラーシュといいクラウスといい、カールは毎日頭を撫でられている気がする。もう十二歳だというのに、彼らにとっては永遠に坊やなのかもしれない。


「信用されてねえんだわなあ。ヴァランダンのために身を粉にして働いてるっつうのによお。ヴァランダンのために何百人殺したと思ってんだ」


 からのジョッキをテーブルの上に叩きつけるように置く。


「その苦労をわかってくれるのは、坊、お前だけだ。坊がいなかったら俺たちはヴォルフに楯突いてたかもしれねえ」


 カールは溜息をついた。


 鉄血同胞団とは、ヴァランダン発祥の、ロイデン帝国最強の傭兵軍団である。

 これでも歴史のある団体で、ヴァランダン建国の時から存在している集団だ。

 なぜなら、荒野で発展してきたヴァランダンでは、じゃがいもと人間しか育たないからだ。輸出できるのは強靭な戦士の男たちだけなのだ。


 そもそも、ヴァランダン自体が東方植民騎士団という騎士団を母体にして生まれた軍事国家だ。


 東方植民騎士団は、時のロイデン皇帝が東方に領土を拡大するにあたって結成した軍隊で、当時のツェントルム貴族の食いはぐれの次男三男を集めて創設したらしい。

 彼らは自分たちの土地を求めて進軍し、東方の異民族を殺し尽くして、ヴァランダンを打ち立てた。

 したがって、ヴァランダンの歴史はロイデン帝国の闇の歴史、とも言われている。だが、ヴァランダンの人間はたいていが自ら土地を勝ち取ってきた歴史に誇りを持っており、愛国心は帝国で一番強いとも言われていた。


 当時の流れを汲む正規の騎士団はもちろん現存している。成立から百年以上経った今も尚武の気風を保ち、所属している屈強な男たちが今なお異民族との戦いに備えて心身を鍛えている。


 しかし、今時それだけではやっていけない。ヴォルフとその父はやたらめったらに異民族を殺すのを禁じていた。


 そこで、非正規軍事力の鉄血同胞団の出番というわけだ。


「なあ、坊」


 ラーシュはその団長で、一番腕っぷしが強い上になかなかに頭が切れ、独特の空気をまとっている。実年齢は三十二歳だそうで、年齢も酒飲みであることもクラウスと一緒なのだが、子供っぽくて落ち着きのないクラウスといついかなる時もどんと構えているラーシュとだと、ひと回り違うように見える。


「傭兵っつうのはな、馬鹿にはできねえ仕事なのよ。その時その時で最適解を見つけ出して選択しなけりゃならない。なにせ金で命を売ってる稼業なんでな、どこが一番安全かつ儲けになるか嗅ぎ分けられねえと死ぬ」


 カールはごくりと唾を飲んだ。


「その選択のために一番大事なものは情報だ。情報を軽く見てるやつはだめだ。チビ、お前も戦争する時はできる限り情報を集めるんだぞ」

「しませんよ、戦争」


 男たちがどっと笑った。


「お前がしたくなくてもする時はするのがロイデン帝国ってやつだ。ロイデンの剣であるヴァランダンに生まれたからには覚悟しときな」


 人死にの恐ろしさを想像して、拳をぎゅっと握り締め、頬の内側をきゅっと噛み、唇を引き結んだ。そんなカールの頭を、いろんな男たちが「可愛い、可愛い」と言って撫でくり回す。


「まあまあ、坊が戦争する時にゃ俺たちが戦ってやるよ」

「いいですってば。戦争、しませんから。僕たちはあなたたちが人を殺すのでさえ嫌なのに。とっとと廃業してくださいよ」

「言うねえ。このピンクのお口は悪いお口だ、大人にこうも簡単に失業しろとか言うなんて」


 汚れた太い指に頬を摘ままれる。


「しかし、エイルちゃんとフォルセティちゃんも可哀想にねえ」


 盗み聞きしていたらしい女将が壁にしなだれかかりながら言う。


「父親の手が届かないところで育つなんてのは不幸なものさ。ヴォルフのことだからそれなりの手切れ金は払うんだろうが、子守に手を割く男がいないってのはとっても厳しい」


 夫を戦争で亡くして以来女手ひとつで酒場を切り盛りしてきた女将の言葉には重みがある。


「いくらナンナがしっかりしてるって言ったって、彼女も十歳かそこらでメイドになって以来城から出たことがないはずなんだから、悪い人間に騙されると思うしね。その時食い物になるのは女の子のエイルちゃんさ。あーやだやだ。そうなった時に傷つくのは男親の名誉なのにねえ」


 カールはうなだれてその言葉を噛み締めた。


「よお、女将、そのへんにしときな」


 ラーシュがおかわりのビールを飲みながらたしなめる。


「坊は自分に父親がいねえことを気にしてるんだからよ。未亡人のあんたにゃ男親がいないことについて一家言あるのはわかってるが、坊が帰ってからにしなあ」


 彼の言葉に、女将が我に返った顔で「ごめんね」と言った。


「まあ、エイルちゃんとフォルセティちゃんはどうにかなるでしょ。離婚したって父親があの辺境伯ヴォルフガングであることはみんな知ってるんだからさ。それに比べるとカールちゃんは偉いよ、本物の親なし子なのに、ぐれずにお利口でお勉強して」


 余計なお世話だ。


 そんなカールの心情を無視して、鉄血同胞団の男たちも口々に言う。


「ほんとにな、坊、お前はほんとに偉い。お前は父親がいないのにしっかりしてる」

「お前の父親はどこで何してるんだろうな? 女を孕ませるだけ孕ませておいて逃げるなんて、どうせろくでもないやつなんだろうが」

「ろくでなしに似なくてよかったな。まあ顔はロスヴァイセと似てねえから父親似なんだろうけど、坊には責任感がある」


 挙げ句の果てに、ある男はこんなことも口にした。


「ロスヴァイセだってどうよ。聖女だ何だって言うけど、結婚もしてない男に種付けられて産むなんて、おつむが足りなかったんじゃねえの。生まれた子供の父親として名乗り出られないほど肝っ玉のちいせえ男に股開いて、何考えてたんだろうな」


 男たちは「そうだそうだ」「言ってやれ言ってやれ」と騒いでいるが、カールはうつむいたまま何も言えなかった。



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