第12話 あなたのことは絶対に守る
とにかくクセルニヒを脱出したい。ブラウエに帰って、ゲルベスの惨状とハインリヒの大麻依存を報告しなければならない。そして安心できる寝床でゆっくり休みたい。
しかしそのためには、アーデルとリヒャルトはゲルベスの市壁の中に戻る必要があった。
港が市内だからだ。
船に乗るためには、ゲルベス港に行かねばならないのである。
外国人である二人には、クセルニヒにはゲルベスの他にブラウエへの航路を持つ港があるかわからなかった。あってもゲルベスと同じ状況だったら、移動の疲労の分無駄である。いちかばちかゲルベス港の機能に期待するしかなかった。
ゲルベス港がちゃんと機能していれば、ゲルベス港からは週に三日ブラウエ行きの定期船が出ている。幸運の女神が微笑んでくれるなら、二人は明日ブラウエに帰れる。
二人とも黒髪ではあるが、顔かたちや瞳の色はロイデン人としてそんなに珍しいタイプではない。したがってすぐに捕まってどうこうされるとは思わない。というより、そう思っていないとやっていられない。あの時処刑台広場にいた人たちは顔をおぼえているかもしれないが、街の全員ではないことを祈って、二人とも何食わぬ顔をして門に近づいた。
市壁の門では大勢の人が出入りしていた。ゲルベスから出ていく者とゲルベスに入る者が一度に押し寄せている。ゲルベスから出ていこうとしているのは女性や老人や子供で、入っていこうとしているのは比較的若い男性だった。
ゲルベスに入ろうとしている青年たちは、それぞれ棒や斧を持って武装していた。助かる。これで帯剣している自分たちも紛れやすくなる。
アーデルはすぐ近くにいる青年を捕まえて声を掛けた。この状況がどうして発生しているのか一応確認したかったためだ。何も知らずにうかうかと入っていくとどういう目に遭うかわからない。
「すまん、ちょっとお聞きしたいのだが、あなたもイルマ女王の末路を見に?」
適当な問い掛けだったが、青年は威勢よく「そうだ」と答えてくれた。
「あんたも義勇軍に参加するんだろう? ちゃんと自分の武器を持ってきて偉いな、三年前の刀剣狩りにも負けなかったんだな。立派だ、同志よ」
どうやらクセルニヒでは三年前に一般人から武器を取り上げる旨のお触れが出ていたようだ。反乱の芽を摘もうとしたのだろう。反乱される可能性は常に視野に入れていたものと見える。
あのイルマにそこまでの知能があるとは思えない。バルトロメオの発案だろう。
けれど、アーデルが捕まえた青年とその周囲にいた連中は、笑顔でこう語っている。
「街の中に入れれば同志バルトロメオが指揮する軍隊に入れる。俺たちは同志バルトロメオとともにクセルニヒの新時代を作るんだ。これで俺たちもいっぱしの男だ」
胃の中にずっしりとおもりを入れられた気分だった。だが、この場で、そいつはこうもりだ、と言うわけにもいかない。自分たちが国の要人としてイルマやバルトロメオと接触していたことを知られれば、何がどうなるかわからない。適当に話を合わせて、市壁の中に押し入った。
市壁の中はゲルベス到着初日とは打って変わっておおにぎわいだった。沿道に並ぶ女たちが、義勇軍としてやってきた青年たちにパンを配りながら、激励の言葉をかけている。
アーデルとリヒャルトは隙を見て脇道に入った。
薄暗い路地で二人息をつく。狭い通りの両側の壁には窓があったが、どの家も閉ざされていた。ねずみ一匹姿を見せない。ただ大通りの歓声だけが響いている。
「これはまずい」
リヒャルトが壁を見て眉間にしわを寄せた。
壁には複数枚の張り紙があった。どれもこれも威勢のよい文言が踊っている。
『みんなの税金を取り戻そう!』
『政治を我ら民の手に!』
『腐った王権をぶっ潰せ!』
『太った豚どもをぶっ殺せ!』
物騒だ。ノイシュティールン育ちのアーデルはそれらのすべてを必ずしも悪いことだとは思わないが、潰せ、殺せというのは穏やかではない。しかも絞首刑を意識しているのだろうか、吊るされる棒人間の絵が描かれている。この状況で対話の道が開かれているとは思えなかった。
「参ってしまったな」
そう言いつつ、リヒャルトが壁から一枚剥がして手に取った。
「見て、これ」
リヒャルトの手元を覗き込んで、アーデルは目を真ん丸にした。
女王の靴を舐めた
そこに、アーデルとリヒャルトの名前を発見した。
赤い文字でおどろおどろしく、生死不問、賞金あり、と書かれている。
指名手配犯にされてしまったということだ。
「素性がバレたら首をくくられるということか」
絶望的な気分になった。
少しの間、二人は沈黙していた。
「――アーデル」
リヒャルトが静かに口を開く。そんな声量では大通りの喧騒に掻き消されそうだ。
「万が一の時に備えて、あなたに託したいものがある」
そう言うと、彼は自分の首元に手をやった。首の後ろで器用に何かをつまんで、服の襟からそれを取り出す。
出てきたのは、十字架のペンダントだった。長辺は人差し指の長さ程度だったが、縦も横も太い。
リヒャルトがそれをこちらに向かって突き出したので、何気なく受け取ってじっくり眺めた。
表面にはエメラルドの石が埋め込まれている。
ひっくり返して裏面を見ると、リヒャルト・グルーマンという名前と生年月日が刻まれていた。
「何だ、これ」
「もし私が死んだらそれをジークに渡して」
ぎょっとしてリヒャルトの顔を見た。
彼はあくまで冷静そうだった。
「ザイツェタルク騎士は全員持っているもので、認識札のようなものよ。グリュンネン大聖堂であのクソ坊主に聖別されたもの」
「何を言ってるんだお前、今から死ぬ気かよ」
「そうよ」
翠の瞳が、まっすぐアーデルを見ている。
「あなたのことは絶対に私が守る。必ず生きてブラウエに帰す。そのためなら私はどうなっても構わない」
その声は力強く、微塵も混乱したところを見せなかった。名簿を見て動揺していたアーデルとは大違いだ。
「まあ、もちろん、積極的に死ぬ気はないけれど。当然ながら私も生きて帰るつもりではいるけれど、処刑台に吊るされたのに情報不明確で生死不明ではあまりにも悲しすぎるじゃない?」
少し間を置いてから、アーデルは彼に問い掛けた。
「俺が先に死んだらどうする?」
リヒャルトも少し沈黙してからこう問い掛けてきた。
「じゃあ、私もあなたに何かあったらブラウエの誰かに形見を届けてあげる」
ほんのわずかに悩んだ。
縁起でもない。そんなことを言っている奴は本当に死ぬ。生きようと思ったら何が何でも生きなければならない。
でも、リヒャルトの、生死不明では悲しすぎる、という言葉が、頭から離れない。
コートの内ポケットに手を突っ込んだ。
硬い、丸いものが、指に当たった。
コートから取り出したのは、懐中時計だった。
「エーレンとお揃いだ」
そう言いながら、リヒャルトに差し出した。
「俺に何かあったら、それをエーレンに渡してくれ」
リヒャルトが頷いて受け取った。
「わかった」
そして、微笑んだ。
「どちらか片方でも生きてゲルベスを脱出できれば及第点ということで。ブラウエに情報を届けなければ」
「バカ。届けなければいけないのは情報だけじゃなくて俺らの身柄もだ。最後の最後まであがいて、それでもどうにもならなかった時の話だ」
リヒャルトはほんの一瞬だけ目を
「お前のことも俺が守る。絶対に二人で生きて脱出しよう」
「……ええ。よろしく頼むね」
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